神殺し! 9
王都ノルンに店を構えることになったよ!
しかも中古店舗じゃない。
ぴっかぴかの新築だ。
ノルーア国王の厚意で、王都の目抜き通りの一角にミエロン商会ノルン支店が建てられることになった。
ただまあ立地としては、最高の場所、というほどじゃない。
一等から三等まで等級をつけるとしたら、限りなく三等にちかい二等といったところだろう。
「こればかりは仕方がないのう。まさか今ある店を立ち退かせるわけにもいくないて」
「だね。それにあまりに良い場所すぎても、えこひいきだと思われるし」
「そちらはいまさらじゃよ。国王の肝いりで開店するのじゃからな。ひいきしていないと思うやつは、よほど頭が花畑じゃろう」
肩をすくめるティアマト。
彼女の言い分ももっともである。
ライザー王が強力にバックアップしてのオープンだ。
誰がどう見たって、特別扱いだ。
「気は心ってやつだよ。他の商会にも配慮しているんだよって姿勢が大事なんじゃないか」
人間とは感情のイキモノ。
どんな正論だってごり押しされれば反発したくなる。
だからこそ、なみいる商会の末席に身を連ねる、くらいの謙ったポーズが必要になるのだ。
「ですね。諸先輩方を立てないで、商売はまわりませんよ」
とは、ミレア嬢の言い分である。
さすが大商人の娘。ものの道理をよく弁えている。
新参者が勢いに任せて突き進めば、たいていは手酷いしっぺ返しをくらう。
これは日本でも異世界でも同じだ。
高尚でもなんでもないテツガクだが、出る杭は打たれちゃうのである。
その意味で、ミレア嬢は良く判っている人だ。
たとえば、彼女はミエロン氏の全権代理だが、父親の威光をかさに好き勝手に振る舞えば、当然のように反発される。
反発だけならまだ良いが、分裂なんてことになったら目も当てられない。
自分はまだ若いため補佐役が必要、という名目で、本店に人材の派遣を求めたことなど、まさに人事の妙というべきだろう。
なんというか、私などよりずっとしっかりしている。
もちろん、一日二日でどうにかなる問題ではない。
交渉妥結の報をミエロン商会に打ち、それが届くまでだってそれなりの時間がかかるし、新店舗だってすぐすぐ完成するわけではないからだ。
ちなみにそれまでの間、私たちは宿暮らしをするわけではなく、アガメムノン伯爵家の上屋敷にお世話になることになった。
「日本であれば江戸藩邸といったところじゃな。参勤交代のときに住む屋敷のことじゃ」
「いつもの無駄解説ありがとうございます」
「上屋敷には本妻が住む」
おい。
なんでそこでリューイを見た?
「下屋敷に住むのは側室などの妾じゃの」
だから、なんでそこでサイファを見るんだよ。
おかしいよね?
何もかもがおかしいよね?
そもそも私の恋人はあなたじゃないですか。ティアマトさん。
「僕の方がずっとエイジさまのお役に立っているね。A級冒険者とやらより」
「は! 親の七光りが良く言うぜ。店が完成したらさっさと移りましょうね。エイジさま」
キミたちも、もうすこし仲良くしようよ。
なんで顔を合わせるたびに嫌味合戦とかしてるんだよ。
ともあれ、神仙漬けの普及は順調だ。
馬車に満載してきた漬け物とぬか床は、ライザー王の手によって分配され、それぞれの商会で試作が始まっているという。
まだ店舗すら完成していないミエロン商会は、初動において大きく出遅れることになる。
それを補うための王家御用達の看板だし、ぶっちゃけ赤字にさえならなきゃいいというのがミエロン氏の腹づもりらしい。
「仮に赤字になっても、その分はラインハルト王が補填してくれるんだってさ」
「商売ではない、ということじゃの」
「だね」
ノルーアを救うために打った手である。
救済と謳ってしまえばノルーアに立つ瀬がなくなるため、いち商会による進出という形式をとっているにすぎない。
「あやつも変わったのう。汝を暗殺しようとした男と同一人物とは思えぬ」
「そっちの歴史を、ティアは知らないじゃないか」
私は苦笑する。
ある夜のこと。
与えられた私室での会話である。
あ、私とティアマトが同室だよ? そのラインは譲れませんて。
恋人なんだから!
リューイやサイファと同室、という話にはならないんですよ。
ともあれ、ティアマトが知っているのは私が殺されなかった方の歴史だ。
したがってラインハルト王との初対面は、彼がミエロン商会を訪ねてきたときである。
「んむ。殺そうとしたから加護を取り上げられた、などと喚いていたときじゃの」
ああ、事情は彼が自分で語ったんだっけ。
たしかに、あの頃と比較したら雲泥の差だろう。
「一皮むけたって感じ?」
「えろいの」
「いうと思った。全然そういう語源じゃないからね。これ」
「んむ。知っておる」
自国のことしか、自分のことしか考えていなかったラインハルト王が、他国を思いやる気持ちをもった。
巨大な危機を乗り越えたことで、人間的にも大きく成長したということなのかもしれない。
漬け物で。
不意におかしくなり、くすりと私は笑った。
「どうしたのじゃ?」
小首をかしげるティアマト。
「いやさ。枝豆も甜菜糖も、決め手というには弱かったじゃないか。ギャグド肉だって安定供給にはほど遠かったし」
「そうじゃの。草の根的には広がりつつあったが」
「結局、レシピを教えただけで、私たちが直接的な関与をしなかった漬け物が決定打になったってのが面白くてね」
「我らのしたことなど、ほんのわずかじゃよ」
ティアマトも笑う。
アイデアは提供した。
それを噛み砕き、呑み込み、自らの糧としたのはこの世界に生きる人々。
「天は自ら助くる者を助く、だったっけ?」
「サミュエル・スマイルズじゃな。ベンジャミン・フランクリンも同じことを言っているがの」
前者は『自助論』の序文。後者は『貧しいリチャードのアルマナック』が出典らしい。
ようするに、他人に頼り切るのではなく、自らの手で道を切り開こうとする者にこそ天の助けがある、みたいな意味である。
なーんもしないで、つらいよー苦しいよーって泣いてたってどもうならんべ。なんとかするべって動けば、なんとかなるもんだべさ。
「なにゆえ北海道弁で解説したのじゃ?」
「さーせん。なんとなくです」
まあ、じつに格言らしい格言だ。
努力したから成功するとは限らないんだけどね。
「んむ。成功した者だけが、努力を語ることを許されるのじゃよ」
失敗した者がしてきた努力など、見向きもされない。
せちがらい世の中である。
ともあれ、この世界の人々は自らの手で自らを救おうとしている。
私たちはほんの少しその手伝いをした。
ただそれだけ。
世界を救うなんてご立派な話じゃない。
「ばかばかしいと思うかや?」
「まさか。私が救わなくては、なんて自惚れるつもりはないよ」
それでは現地神となんにも変わらない。
世界に生きる人々を、自分の玩具としか見れなかった、あの哀れで愚かな神と。
「ふと思ったのじゃが、魔王を作り出したのもあれなのかもしれぬの」
「リオンじゃなくて?」
「シズルに倒された方の魔王じゃ」
「ありそうな話だね」
現地神が世界をどうしたかったのかは判らない。
判らないが、退屈しのぎに「強大な敵」を設定する程度のことはやりそうだと思ってしまう。
で、計算以上に強くなりすぎ、世界は滅亡寸前まで追い込まれた。
対処に困って監察官に助けを求めた結果、勇者シズルがあらわれる。
「そんなストーリーだったとしても、私は驚かないよ」
もちろん私は現地神の為人を熟知しているわけではないから、ただの妄想だが。
「んむ。いずれにしてもこれからは人の世じゃの」
神は打倒された。
そうとは知られぬまま。
ここから先あらわれるとすれば、地球の神話に登場するような、想像上の神だけだ。
都合良く人々を救ってはくれないような。
「地球の歴史を繰り返すのかな? この世界も」
ぽつりと呟いた言葉。
ティアマトは応えず、ただ柔らかく微笑んでいた。