神殺し! 6
モステールの街でエミル女史と別れ、私たちは王都ノルンを目指す。
秋も深まった街道。
吹き抜ける風は涼しいではなく、やや肌寒さを感じる。
「北海道と似た気候なら、冬期間の遠出は難しいかもね」
「んむ。この冬はノルンで過ごすことになりそうじゃの」
四人旅に戻った。
といっても、私たちが四人で行動していたのは、リシュアを離れた直後くらいのものだ。
その後はマードック一座と一緒だったし、ノルーアに着いてからはリューイやシールズ嬢、リオンとかが同行していた。
「王都なれば各地の名産が集散することは必定。エイジ卿の研究も進みましょう」
ゆらゆらと尻尾を揺らしながらヒエロニュムスが言う。
「研究なんて格好いいものじゃないですよ」
苦笑を返した。
私の乏しい知識は、ビタミンB1を多く含む食品を網羅しているわけではない。
含有量を記憶しているものとなると、本当に数えるほどだ。
だから、メインはコウジカビを探すことになるのではないか。
ティアマトにありそうな場所を提示してもらい、使えそうなものを持ってきて大豆を漬け込んでみる。
味噌ができるか、とにかく試行錯誤を繰り返すしかない。
日本酒造りの実験もしなくてはいけないだろう。
ていうか、資金的に保つかな?
いろんな人にお世話になっているおかげで、私の手持ち資金は目減りしていない。むしろなぜか増えているくらいだ。
だからといって無駄遣いなどしていたら、あっという間になくなってしまうだろう。
味噌でも日本酒でもいいが、作り出そうと思えばそれなりの金は必要になる。
「ノルンでもスポンサーが見つかればよいのう。ミエロン商会のような大店で、しかもあやつのような大人物なれば理想なのじゃが」
「だねぇ」
ティアマトの言葉に頷きつつも、それは求めすぎではないかと思ってしまう。
私の旅は、ガリシュ氏やミエロン氏のような好漢との出会いによって始まった。
それはかなりの幸運といって良いこと。
彼らが猜疑心のみ強く、自分の利益しか考えないような輩だったら、私はスタート地点でつまずいていただろう。
「でも、こればかりは人の縁だからね」
私の言葉と同時に、三人が振り返る。
ん?
どしたの?
「どうやら、縁の方が追いかけてきたようじゃな」
笑いを含んだティアマトの声。
「エイジさまー!」
疾走する二頭立ての立派な馬車。
御者台から張り上げられた声に、私は聞き覚えがあった。
「サイファくん!? なんでここに!?」
いまさら言うまでもないことなんだけど、獣というのはくさい。
ベイズだってヒエロニュムスだって、動物臭がする。
「エイジは加齢臭がするしの」
「やめてよっ!」
まあ、ティアマトの性質の悪い冗談はともかくとして、人間だって体臭はある。
私たちがそれに気付かないのは野生動物に比して鼻が利かないからだし、気にしないのは同族だからだ。
だから、私はサイファの乗ってきた馬車の、馬の臭いにうっとなったわけではない。
動物の臭いなんか、異世界生活ですっかり慣れっこですよ。
気になんかなりませんて。
気になったのはそっちじゃないんです。
「んむ。嗅いだ記憶のありすぎるにおいじゃの」
「ですよねー」
苦笑いのティアマト。
あれですよ。ぬか漬けのにおいです。
私も彼女も苦手としているやつですって。
「完成させたのじゃな……」
「食べずに済むと思ってレシピだけ置いてきたんだけどねぇ……」
「ままならぬものじゃな……」
アズールを去るとき、私たちはぬか漬けの作り方を伝授した。
完成まで日数がかかる食べ物ということで、私やティアマトは試食していない。
どうして去り際に教えたかといえば、私たちはふたりとも漬け物を好まないからである。
ぬか漬けは言うに及ばず、浅漬けとかも。
出来合いの弁当に添えられてるヤツだって残すくらいなのだ。
そのぬか漬けのにおいが、馬車から漂っている。
もうね。
接近しただけでわかりますよ。
「おお。うまそうなにおいがするな」
「ですな。ベイズ卿。これは食欲をそそりますぞ」
魔狼と妖精猫は興味津々だ。
あんたらは大丈夫なんだね。
うらやましいよ。
そーいやー漬け物を食べる猫の動画を見たことがあるなぁ。
「エイジさま! おひさしぶりです!」
やがて、馬車を停めたサイファが御者台から飛び降りる。
「元気だったかい? サイファくん」
そして私と、がっちりと握手を交わした。
「やっと追いつきましたよっ。エイジさまっ。ティアさまっ」
キャビンの扉が開き駆け下りてきたのはミレア嬢だ。
これもまた懐かしい顔。
私がお世話になっていたミエロン氏の娘さんである。
いかにも町娘といった服装ではなく、ちょっとおめかししている。
「ミレアさんもお久しぶりですね。すっかりお綺麗になられて」
漬け物くさいけど。
「おいヒエロ……あいつやべえな……なんて美味そうなにおいがする人間だよ」
「ですな……これは食べてしまいたい。この試練は厳しいですぞ……」
おいおい。
後ろからぼそぼそ聞こえるんだけど、ベイズ卿にヒエロニュムス卿。
たのむからミレア嬢に襲いかかったりしないでくれよ。
性欲的な意味でも食欲的な意味でも洒落にならないぞ。それは。
「ベイズさんもヒエロニュムスさんもお久しぶり」
そんな二頭の葛藤を知ってか知らずか、まったく無警戒に近づいてくるミレア嬢。
私がとめる暇もなかった。
かばっと抱きついた魔狼と妖精猫が、一心不乱にミレア嬢の顔を舐め回す。
もうね。
べろんべろんと。
「あ、こらっ もうっ そんなに寂しかったんですか?」
慈愛に満ちた顔で二頭を撫でるミレア嬢。
いや、たぶん寂しかったとか会いたかったとか、そういう理由ではないと思うんですけど、本人たちが幸せならそれで良いのではないでしょうか。
「んむ。真実は万人を傷つけるだけじゃ」
「なんですかそれは」
ティアマトの言いようにサイファが笑う。
なんだろう。
時間が戻っていくようだよ。
私たちがリシュアを発ってから半年も経過していないんだけど、なんと懐かしく感じることか。
「それで、いったいどうしたんだい? こんなところまで」
ノルーア王国をこんなところと称したのは、べつに悪意があったからではなく、たんに距離的な問題である。
ちょっと散歩に、という距離ではないのだから。
「商売ですよ。あと、密使も兼ねています」
「そういうのは口に出したらダメなんじゃないかな……」
自分で密使だと名乗る密使とか。
なんつーか、まったく忍んでないニンジャみたいじゃないですか。
「エイジさまに秘密を作るつもりはありませんよ」
その信頼はありがたいけど、微妙に重いっすね!
サイファが笑う。
私たちが出発した一月ほど後、ぬか漬けの第一号が完成した。
時期でいうと、私たちがモステールに入ろうかというあたりである。
そしてぬか漬けは瞬く間にアズールを席巻する。
ご飯のおかずとして、エールなどのつまみとして、仙豆などとは比べものにならない売れ行きを記録した。
ミエロン商会だけではあっという間に増産が追いつかなくなり、ミエロン氏はラインハルト王に相談を持ちかける。
すでにアズール王国は甜菜糖の専売に乗り出し、新名物ずんだ餅によって空前の富を得ようとしていた。
その立役者というか、唯一の生産者がミエロン商会である。
王国政府も彼の頼み事は無碍にはできないし、この機会に借りを返してしまおうとの狙いもあって、王自らがミエロン氏と会うことになった。
その際に食べたのがぬか漬け。
あまりの美味しさに、ラインハルト王はご飯を三膳もおかわりした。
「んなおおげさな……」
「大げさなもんですか。俺だって大好物になりましたよ。とくに茄子。最高です」
断言しちゃうサイファくん。
私は漬け物を食べないから、最高とか言われてもさっぱりですよ。
世の中は肉ですよ。
漬け物なんかオマケですて。