神殺し! 3
人間の死者は四十七名、魔軍のそれは五百十四。
現地神が、この世界で最後に為したことの結果である。
「なんだったのだ? いまのドラゴンは」
ライザー王が首を振る。
目の前には現地神だったものの死体。
もう一回変身したらどうしようとか、神の死とともに世界が崩壊したらどうしようとか思ったが、どうやらそういう心配はいらないようである。
「人間と魔軍を争わせようとした存在ですよ」
事情を四捨五入して、私は説明した。
現地神とか監察官とかの話をしても理解されるはずがないし、自分たちの手で神を殺したというのは、あんまり寝覚めの良いものでもないだろうから。
「結局は、自らの存在で人と魔を団結させる結果になってしまったがのう」
必要もないのにばっさばっさと翼を動かし、ティアマトが舞い降りてくる。
「ティア。ナイスアタック」
「んむ。リオンたちがうまくあやつの気を引いてくれたおかげじゃ」
私を置き去りに、魔王と竜姫が頷きあった。
現地神を倒しきるには、かなり強力な一撃が必要だった。
それは、ティアマトの閃光の吐息しかない。
しかし真正面から撃ったのでは、現地神も当然のように防ぐ手だてを取るだろう。
実際、戦場に駆けつけたときに放ったブレスは弾かれてしまっている。
不意打ちだったはずなのに。
だからこそ、より完璧なタイミングが必要だった。
現地神が完全にティアマトのことを失念する状況を作り上げるため、リオンは知略のすべてを使った。
騎士隊や魔軍の攻撃も、エンの突撃さえも彼女の計算の上。
最も恐るべき転移者のことを、現地神が忘れてしまう一瞬を演出するための。
もしあれ以上ひきつけていれば、現地神はティアマトがいないことに気付いただろう。
事実、私は彼よりほんの少しはやく、ティアマトの姿がないことに気がついた。
時間にすれば、一秒もあるかないかという差である。
そしてその一秒が勝敗を分けた。
サッカーでいうなら、エースストライカーをゴール前でフリーにしてしまった。
それが、この結果である。
「でも、かなり死なせてしまった。魔軍だけじゃなくて人間も」
やや目を伏せるリオン。
両軍あわせて五百六十の戦死者。
それはけっして小さな数字ではない。
「ひとりも死なぬ戦など、ないものじゃて」
「そうだね。リオン、自分を責めてはいけないよ。きみは最大の努力をしたし、結果もそれにみあったものだと私は思う」
ぎりぎりの戦いだった。
私たちの圧勝だと思う者は、たぶんいないだろう。
もしティアマトの攻撃が防がれていたら詰みだったし、転移者がひとりでもやられていたら一挙に敗勢に追い込まれたこと、万に一つも疑いない。
仮にも神が相手なのだ。
よくこの程度の犠牲で済んだ、という方がむしろ正しいだろう。
絶対に口に出せることではないが。
「ティア……エイジ……」
「さあ。胸を張って。きみが俯いていたら、きみを信じて戦ったみんなの気持ちを馬鹿にすることになってしまうよ」
微笑みかける。
この程度のことしか、私には言えないのだ。
戦う術どころか、自らの身を守ることすらおぼつかない私には。
「いやいや。まこと見事な采配でありましたな」
少しだけ気まずくなりかかる空気を吹き飛ばすように、ライザー王が笑った。
「そして貴女には、一度あったことがありますな。お嬢さん」
王宮でのこと。
彼女は私に同行していた。
とくに紹介も何もしなかったから、従者だと思われていただろうけど。
「エイジさまもお人が悪い。あのときすでに魔軍との協定は成っていたのですな。交渉にずいぶんと自信がお持ちだと思いましたが、やっと合点がいきましたぞ」
呵々大笑。
「恐縮です」
私としては恥じ入るしかない。
成功した交渉を空手形にして、ノルーア王国との折衝をおこなったのだから。
あらためて、ライザー王がリオンに向き直る。
「ノルーア王、ライザーと申します。美しき夜の女王よ」
「リオンです。ノルーアの兵を死なせて、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる魔王。
その姿に、格好つけた修辞を吹き飛ばして、ライザー王は面食らった。
なんと魔王が、人間の損害を謝罪し、気遣うとは。
「顔を上げてください。予の兵が不甲斐ないばかりに貴軍の損害を増やしてしまいました。謝罪はお互い様にて」
勇戦し、死んでいった騎士たちを不甲斐ないとは、ちょっと現代の日本人には理解不能な台詞であるが、ここはやはり中世的な価値観に支配された世界なのである。
国も民も、すべて王のもの。
それが当たり前であるライザー王に、むろん悪気はない。
言葉尻をとらえて非難するのは、いささか筋違いというものだろう。
「しかし、貴女のような方が魔王で良かった」
ノルーアの主権者がにこりと笑う。
「今後の関係に大いに期待がもてるでしょう」
それはすなわち、新天地に根を下ろした魔王陣営と外交チャンネルを持ちたいという表明だ。
ひとつの戦いが終わったばかりなのに、もう次のステージを見ている。
逞しいというかなんというか。
「ライザー陛下。少しばかり生臭いのでは?」
政治には口を出さないようにしていた私なのに、思わずつっこんじゃったよ。
逞しいといえば、ノルーア軍の戦士たちもかなり逞しかった。
気付けば現地神の死体を解体し始めていたのでる。
竜の肉体は貴重な素材となる。
武器とか防具とか、あるいは食用とかにもできるらしい。
しかも全長十メートルを超えるような巨大さ。
ぶっちゃけ宝の山なのだ。
このまま捨てていくのは、ちょっともったいないという気持ちは判る。
判るんだけどさ……。
「まあ、死して世人の役に立つなら、現地神も本望じゃろうよ」
ティアマトが苦笑している。
人間たちの逞しさに呆れるのが半分、感心するのが半分といったところだろうか。
むしろ私としては、自分も食べるとか言い出さなかったことに安堵すべきだ。
なにしろ彼女はダンジョンに潜って竜を狩るとか言ってたくらいだし。
「呪われたりしないかな?」
「問題なさそう。そういう気配は感じない」
「だねー 呪詛を残す暇もなく死んじゃったって感じだよ」
魔王と魔法少女が口々に言う。
きみたちはさっき出会ったばっかりだよね。
ずいぶん仲良くなってるじゃないか。
ケンカとかしているよりずっと良いけどさ。
「それなら良かった。ノルーア軍も損害が出たし、あの素材で少しは遺族に補償とかされたら良いんだけどね」
「そこはライザー次第じゃろうな。我らが口を出す筋ではないよ。エイジや」
「ん。判ってる」
ごく柔らかくたしなめられ、私は頷いた。
ノルーアの国策に、私たちが口を挟むことはできない。
やってもいけない。
良かれと思ってやったことで、勇者シズルは世界に緩慢な滅びをもたらしてしまった。
私たちが彼と同じことをするわけにはいかないのだ。
ノルーアのことは、ノルーアに住む人々に任せるしかないのである。
「では陛下。私たちはそろそろ出発します」
軽く息を吐き、私はライザー王に声をかけた。
あまり長いこと街道をふさぐわけにはいかない。いまは共闘で連帯感は高まっているが、人間とモンスターが長時間一緒にいるのも良いことではない。
「名残惜しいですが、旅の無事を祈っております。エイジさま」
それを知っているだろうライザー王も、とくに引き留めるようなことを言わなかった。
「落ち着いたら、私とティアはまた戻ってきますけどね。そのときはよろしくお願いします」
「心待ちにしています。次こそは予にも神仙の料理を振る舞ってくざさい」
「是非に」
差し出された右手を、私は握りかえした。
旅が、またはじまる。