神殺し! 2
疾風のように走る勇者エンが、ドラゴンの身体を駆け上がる。
胴体から首へと。
喚き続けていた現地神の対応は、一瞬遅れた。
そしてその一瞬で少年には充分だった。
ぎょっと見開いた左目に、長剣が突き刺さる。
激しく首を振るドラゴン。
吹き飛ばされながらも、エンは笑った。
「目に、かすり傷はないんだよ」
地面に叩き釣られる寸前、その身体は柔らかく受け止められる。
ベイズの身体によって。
「やるじゃねぇか。ちっとは見直してやるぜ。小僧」
「へ。男なら誰かのために強くなれってね」
ぽんと飛び降り、味方が投げ渡した長剣を手にとって、ふたたび構えるエン。
彼は強くなくてはいけない。
リオンを守るために。
「左側に死角ができた。全軍。左側から攻撃を開始」
その魔王が魔軍へ指示を出す。
戦うな、殺すな、奪うなという言霊を解除して。
雄叫びをあげ、一斉にモンスターたちが襲いかかる。
魔獣の牙が、巨人の拳が、鬼族どもの爪がドラゴンに叩きつけられる。
鎧のように強固な鱗に阻まれ、それはほとんど効果をあげていないだろう。
だが、いかに効果がなくとも死角から延々と攻撃されるというのはうっとうしいものだ。
羽虫でも追い払うように、ドラゴンが腕を振り上げる。
「グギャァァァァァァ!?」
そしてとどろく絶叫。
エミルの杖がドラゴンの横腹に突き刺さっていた。
まったく意味のない攻撃は、まさにまったく意味がないと思わせるためのもの。
その中に魔法少女が混じっている気付かせないために、エンが片目を潰したのだ。
「ざげんなごるあぁぁぁ!!!」
狂ったように尻尾を振り回す。
けっこうな数のモンスターが巻き込まれる。
まさに大暴れだ。
これではさすがに接近できない。
「左側からは。でも右が浮いた」
淡々とリオンが呟く。
次の瞬間、喚声をあげて突撃を開始する部隊があった。
人間の軍隊。
騎兵たちだ。
突如として現れたそれは、ドラゴンの右側から猛然と投槍を撃ち込む。
「彼らはどこから……?」
「最初からいた。あたしたちがガネスを出たときから、こっそりと追尾していたの」
私の疑問にリオンが応えてくれる。
考えてみれば当たり前だ。
ノルーア王国が私を信用してくれたとしても、それは全幅の信頼とか、そういう形容詞はつかない。
いつモンスターどもが暴れ出すか、ライザー王も気が気ではなかったはずだ。
「ゆえに、失礼とは知りつつ兵を伏せさせてもらいました。エイジどの」
馬を寄せてきた騎士が高らかに告げる。
「陛下!? あなたが前線にこられたのですか!?」
ノルーア王国の主権者その人だ。
美々しい甲冑に身を包み、白葦毛の駿馬を駆り。
「我が国は尚武の気風でしてね。玉座でふんぞり返っているだけの男は、王とは認められんのですよ」
笑う。
豪快に。
まあ、たしかにね。
アガメムノン伯爵だって、最前線で戦ってたし。
最高責任者が最も危険な陣頭に立つ。
いまの日本じゃちょっと考えられないけど、志気が上がることはたしかだろう。
ドラゴンは、今度は不用意に騎士隊を攻撃しなかった。
つい先ほどモンスターの中にエミルが混じっていた。それと同じ事態を警戒しているのだ。
「てめえら……ふざけんなよ! てめえらを作ってやった俺様に逆らうってのか!!」
現地神の叫び。
「なっ!?」
その言葉が耳に届き、私はかっとした。
それは、それだけは言ってはいけない台詞だ。
ぐっと腹に力を込め怒鳴り返そうとする。
が、それより前に叫んだ者がいた。
「逆らうとも! 決まっているだろう!!」
ライザー王だ。
屹っと暴竜を睨みつける。
「貴様が何者かは知らぬ! だが! 子は親の玩具ではない! いつかは必ず親を超えるのだ!!」
彼は、もちろん状況のすべてを理解しているわけではないだろう。
あるいはそれは、自分の経験から出た発言かもしれない。
しかし、私は大きく頷いた。
仮に現地神がこの世界を作ったのだとしても、この地に住まう人々を作り出したのだとしても、それで何をしても良いという話にはならない。
まして生んでやったのだから感謝しろ?
ふざけるな。
この世界の人々は、あんたのおもちゃじゃない。
私の横では、リオンが瞳を閉じている。
ライザー王の言葉を噛みしめるように。
ふうと小さな吐息。
ふたたび目を開いたとき、黒い瞳に宿るのはたしかな意志の光だ。
「騎士隊は一時後退」
言霊をこめた命令。
一糸の乱れもなく、満ちていた潮が引くように後退するノルーア軍。
激昂していた現地神が一歩二歩と吸い出される。
「魔軍は攻撃再開。死角を利用しながら傷口を広げて」
絶妙なタイミングで、突撃する魔軍。
魔法少女エミルを先頭に。
小さな傷が、ドラゴンの身体にいくつも刻まれてゆく。
「でめえらああああああっ!!」
「ブレスがくる。シールズ、ヒエロニュムス、及び魔族隊全軍。防御魔法展開。出力最大。一回分だけで良い、絶対に防いで」
モンスターといわず人といわず、虹色の膜が包んでゆく。
その直後、紅蓮の炎が襲いかかった。
思わず目を閉じる私だったが、ドライヤーほどの熱も感じない。
これが防御魔法の恩恵なのだろう。
九万の魔軍の中に魔法の心得がある者がどの程度いるのかはしらないが、その全員で張った防御魔法だ。
完璧に防ぎきった。
しかし代償も大きい。
炎の嵐がはれると、幾人もがばたばたと倒れ込む。
ダメージによってではなく、魔力の使いすぎで。
これは、次のブレスは防げないだろう。
「リオン!」
「エン。ごめん。あたしは指揮に集中するから援護はできない。死なないように頑張って」
駆け寄ってきた少年に渡されるのはひどい台詞。
だが少年は笑う。
「ったりめえだ」
絶対に勝つ、という意志がこもった少女の言葉に。
ふたたび前線へ駆け戻ろうとする。
「小僧! 乗れ!!」
私の後ろから、白銀の疾風が吹き抜ける。
怒鳴り声とともに。
ベイズだ。
「小僧じゃねえ! エンだ!!」
ひらりと飛び乗った少年が怒鳴り返す。
「まだ貴様を認めてやったわけじゃない! 調子に乗るな!!」
駈ける、駈ける、駆け抜けてゆく。
狂ったように振るわれるドラゴンの爪を、尾を、牙をありえない機動で回避しながら。
幾度も現地神を斬りつける。
だが、わずかに浅い。
モンスターたちの攻撃も、騎士たちの突撃も、エンやエミルの攻撃さえも、致命傷とはならない。
硬い鱗と、分厚い筋肉に阻まれて。
それどころか、狂ったように暴れる現地神によって、人間にもモンスターにも少しずつ犠牲が増え始めている。
リオンの指揮は完璧と称しても過言ではなく、現地神は攻撃を集中できないでいるが、それでもあのガタイである。
脚や尻尾がかすっただけで、人間など消し飛んでしまうのだ。
「く……」
私は唇を噛みしめる。
無力な我が身がこれほど口惜しく思ったことはない。
前線で戦うことも、知略でサポートすることも、私にはできない。
ただ見ているしかないのである。
「ティア……」
横に立っているはずの相棒を見る。
が、いない。
気がつけば、麗しの竜姫の姿が消えている。
どこへ?
「全員、距離を取って。ティアの攻撃がくる」
私が疑問を言語化するよりはやく、リオンの声が響いた。
きらり、と、視界の上方で何かが光る。
思わず見上げた私の目に映ったのは、上空に遊弋するティアマト。
そして彼女が放った閃光の吐息だった。
真っ直ぐに。
地上の現地神へと向かって。
あたかも、神の雷のように。
閃光。
爆音。
絶叫。
ありとあらゆることが同時におこった。
「で、でめえ……っ」
背から腹に大穴をあけた現地神が長首をもたげてティアマトを睨みつける。
最後の力でブレスを放とうとでもいうのか。
しかし、その執念は及ばなかった。
同時に大地を蹴ったエミルとエン。
魔法少女の杖と、勇者の剣が、クロスするように現地神の首を飛ばす。
口に炎を溜めたまま、宙を舞った竜の首。
どう、と、音を立てて地面に落ちた。