錯綜する思惑 6
街道を進む。
行軍のスピードは速くない。日本にいた頃の私であればへばっちゃう程度の早足だ。
この世界の人々であれば、かなりゆっくり歩いている感じだろう。
人間の歩行速度は時速四キロ程度とされているから、これで一日三十キロちょっと進む程度のペース配分だ。
だいたい八時間くらい歩く計算で。
「原野に入ってしまえば、こちらに手を出してもあまり意味はないからの。何か仕掛けるとすれば、ノルーアにいるうちじゃろうな」
「たとえば?」
「いちばんシンプルなのは、人間による攻撃を装うこと」
ベイズの背で振り返ったリオンが、私とティアマトの会話に入ってくる。
こと戦略・戦術に関しては、彼女が最も詳しい。
街道を行軍中に攻撃を受けたら、モンスター軍団だって反撃する。
だまって殴られていろ、とは、さすがに命令できない。
「けど、それはライザー王だって判っているんじゃないかな? 会談のときにも話しているし」
「ノルーア軍は手を出さない」
「では誰が?」
途中にある村や町が勝手に仕掛けるとか、ありえるだろうか。
モステールですら千名程度の兵力しかいなかったのだ。
九万に迫ろうとする魔軍を攻撃するというのは、ちょっと現実的ではない気がする。
「ノルーア軍を装った誰か」
リオンの解答は短いが的を射ていた。
現地神があくまでも人間とモンスターとの戦いを望み、勝敗はあまり考えないとするなら、ノルーア軍の体裁だけ保っていれば良いのである。
ノルーア軍が仕掛けてきた、ということであれば、魔軍は反撃する。
しかしノルーア軍にしてみれば、言いがかりも良いところで、魔軍から仕掛けたようにしかみえないだろう。
「絵に描いたような泥沼じゃな。なんとするつもりじゃ? リオンや」
「なにもしない。仕掛けられても反撃しないように厳命している」
「んなむちゃくちゃな……」
おもわず私は天を仰いだ。
そんな無茶な命令があるか。
殴られるかもしれないし刺されるかもしれないけど、いっさい反撃しちゃダメ、とか。
そんな命令に耐えられる者がいるわけがない。
実際に攻撃されたら、すぐに破綻するだろう。
「いや。破綻はせぬよ。エイジや。汝もおぼえておろう。リオンの言霊を」
「あ……」
「んむ。あの娘が死ねといっただけで、汝は死にかけたじゃろ」
呪詛の粋にまで達した言霊。
私はそれを一度受けている。
ティアマトの絶対魔法防御によって事なきを得たが、本当に死ぬところだったのだ。
リオンが戦うなと言ったからには、モンスターたちは戦わないだろう。
自分が刺されようが、仲間が斬られようが。
なんと怖ろしい力か。
「大丈夫。反撃できないなんてたいしたことない」
「リオン……」
「いつものこと」
そうか……彼女はずっと理不尽な暴力に晒されてきたのだ。
反撃どころか、反論さえも許されず。
ただ耐えるしかなかった。
「リオン! いいんだ! お前はもう背負わなくていい! 俺が全部背負うから!」
叫んだエンが、横から少女を抱きしめようとする。
「ぶは!?」
そしてベイズの前脚に振り払われた。
「ぬるいわ小僧。貴様にリオンが救えるか」
うっわー ちょー上から目線で言い放ってるよ。
しかもどっかで聞いたような台詞だよ。
私としては歌った方がいいかな? でもあんなに高い声は出ないかもしれない。
がるるる、と、睨み合う勇者と魔狼。
仲良しだなぁ。
困ったような顔で、リオンが白い毛並みを撫でる。
なんつーか、凍り付いた心が最初に取り戻す感情が困惑って、どうなんですかね。
「あたしの力は現地神も知っている。だからこの手は使ってこない」
淡々と続ける魔王。
「たしかにね。失敗すると判ってる手を使うってのは、神サマらしくないね」
私は頷いて見せた。
リオンの力は、現地神によって与えられたものだろう。
その権能を現地神が知らないなどということはありえない。
ただ、ここまでで現地神は全知全能などではないことが証明されている。失敗も誤断もしているからだ。
勇者シズルの稲作・米食奨励にしてもそう。
もっと初期の段階で防ぐ手立ては、いくらでもあっただろう。
近い例だと、リオンと私たちが手を組んだことも誤算だろうし、エンがあっさり敗北して降っちゃったことも誤算だ。
うーむ。
これって私が有能だというより、現地神が無能すぎな気がする。
なんかすごい行き当たりばったりで、先のこととかまったく考えてないような采配ばっかりだ。
大丈夫なのか? この世界。
「既成事実をでっち上げる手もある」
「というと?」
「我とエイジが一緒に寝て、次の日に責任をとるがよいとか言うやつじゃな」
うん。
そういうのにも使われるけど、絶対違うと思うよ。ティアマト。
リオン小首かしげちゃってるじゃん。
「どういうこと? ティア」
「気にするでない。ただのタワゴトじゃ」
魔王のピュアオーラにあてられ、ぽりぽりと顎を掻くドラゴンだった。
やべえなこの魔王。
見事にティアマトに勝っちゃったよ。
「で、どんな既成事実をでっち上げるんだろう」
私が軌道修正する。
「たとえば、行く先々の村や町で子供が殺されたり誘拐されたりする。それを魔軍の仕業だと喧伝する」
「うっわ悪辣」
「でも、この手もあんまり意味がない。魔軍に憎悪が向けられるだけ。憎んでも恐怖しても、あたしたちは通り過ぎていく」
そりゃそうか。
それを理由に戦端を開くほど、ノルーア王国の兵力は潤沢ではない。
じっと耐えて待っていれば、魔軍は通り過ぎるのだ。
子供の仇ー! と誰かが斬り込もうとしたところで、むしろ周囲の人に止められるだろう。
無意味すぎる。
「……だから怖い」
「ん?」
「意味のない手を、もしかしたら有効かもって取ってくるのが怖い」
言ったリオンがエンを見る。
「え? なに?」
きょとんとする勇者くん。
あ、はい。
そっすね。
彼は、無意味な手の象徴みたいな人物ですね。
エンが登場したタイミング。
じつはあれ、遅きに失している。
王国との取引が成立し、話は実務レベルへと移行した。
そんなタイミングで私を殺しても意味がないのだ。
つまり、仮に私が死んだとして、魔王リオンは大移動のプランを捨てるはずがないし、ノルーアが私の復讐のために戦いを挑むはずのない。
しかも私の隣には常にティアマトがいるのだから、暗殺計画の成功率そのものが極小だ。
絵に描いてコンピュータグラフィックスで動かしたような悪手である。
しかもその勇者はこちら側に寝返っちゃった!
もう半笑いしかでないね。
「なるほど。それはたしかに怖いね」
政略も戦略も関係なく、まったく意味のない手を、それが妙手だと信じて打ってくる相手。
ある意味ですごい恐怖だ。
「そういうことであれば、先行偵察をしたほうが良いかもしれんのう」
話を聞いていたティアマトが提案した。
この先の町や村で、まったく意味のない殺人事件とか起きちゃう可能性。
さすがに笑って済ませるわけにはいかない。
「なれば、小生がいってまいりましょう」
「ヒエロニュムス卿は全軍の軍師を兼ねられる方。ほいほいと離れられては困る」
せっかく名乗りを上げてくれた妖精猫だったが、一秒で却下されてしまった。
「うむぅ……小生は魔軍の一員ではないのだが……」
「私の側にいて」
「仕方ありますまい。美女の願いを無碍にはできませぬ」
そして二秒で籠絡されてしまった。
はいはい。
いつまでいちゃついてれば良いんだよ。
け。
リオンが離れるのも論外だし、事がめんどくさい方向に行っちゃったらベイズはめんどくさがって逃げてきちゃうそうだし。
エンに至っては、こいつを偵察に出すくらいなら何もしない方がマシってくらい地理不案内だし。
「我とエイジで行くしかないじゃろうな」
「私にこれ以上速く歩けと?」
そいつは無茶がすぎるってもんですぜ。おぜうさん。