錯綜する思惑 5
勇者エンが現れたからといって、魔軍の行動計画に変更はない。
新天地を目指して、九日後に進発する。
予定さている移動距離は、ざっと三百五十キロメートル。
大移動である。
具体的には札幌から稚内くらいまでだ。
もちろん道なんかない。
ノルーア国内では街道を使うが、モステールを超え、北上するルートに入ったらひたすら原野を掻き分けて進むしかないのである。
口で言うほど簡単な行程ではない。
仮に道があったって、たとえば私なんかは到達できるのか不安になっちゃうような距離なのだ。
それを九万近いモンスターたちを移動させる。
いくら準備しても不測の事態は起きるだろうし、ぶっちゃけ死者が出る可能性だって考慮されている。
「長征一万光年じゃな」
とは、ティアマトが私の大好きなSF長編小説作品をもじって言った言葉である。
それだと指導者が途中で事故死するから、あんまり縁起が良くないけどね!
ともあれ、準備は着々と進んでいる。
「予定通りの出発で問題ないかと。エイジ卿」
「それは良かったです。ヒエロニュムス卿」
もうノルーア王国には予定を伝えているのだ。
使者を務めたベイズだって、すでに帰還しているため、いまさら変更は難しい。
いやまあ、変更を伝えるだけなら簡単なんだけど、あんまりころころ予定を変えると信用を失ってしまう。
もともとノルーア王国が魔軍を信頼する要素なんて、これっぽっちもない。
私というか神仙が噛んでるから、なんとか認めてくれているにすぎないのである。
かなり危うい約束手形だ。
いつ不渡りが出てもおかしくない。
ライザー王もそれは判っているだろう。
だからこそ、私は一回できっちり決めて見せないといけない。
エンの登場によって綱渡りのロープが切れてしまう可能性があったため、私はヒエロニュムスやシールズ嬢に依頼して、進捗状況の再確認をしてもらったのである。
どうして自分でやらないのかといえば、万単位の規模とか私には絶対無理だからですよ!
木っ端役人だから!
私に統制できるのは、たぶん数十人単位の行動計画ですて。
その意味では、魔王リオンは本当にすごい。
モステールを襲った分を含めて十万もの魔軍の頂点に立っていたのだから。
短時日でモンスター軍団をまとめ上げ、強固な軍隊にしてしまった。
もちろん幹部たちが作った土壌はあったんだろうけど、一介の女子高生にできることじゃない。
チート能力おそるべし。
「あとはガネス城の受け渡しだけですね」
「そちらも問題ありませんよ。エイジさま」
胸を張るのはリューイだ。
街道を使わせてもらう見返りとして、魔王は本拠地であるガネス城をノルーア王国に譲渡する。
これが会談時に交わされた条件だ。
まあ、モンスターがいなくなっちゃうのだから、べつにわざわざこんな約束をしなくてもガネス城はノルーアが好きにできるんだけど、ことは形式の範疇ってやつである。
ノルーアとしても、ただ空き城を奪いましたよってのじゃ体裁が悪い。
きっちりと、交換条件として成立させた方が、どちらの陣営にとっても都合が良いのだ。
で、ガネス城の譲渡事務の責任者となったのがリューイである。
彼は新天地への旅に同行しない。
寂しくはあるが、ノルーア王国に籍を置く人間だから当然だ。
出発日直前に訪れる王国からの使者とともに、この城に残り受け渡しの手続きを完了させる。
この後はモステールに戻るだろう。
「王国政府が、この取引に乗って良かったって思えるくらい、完璧な状態で受け渡して見せます」
「それは頼もしい。ティアが空けちゃった穴、ふさいで置いてね?」
「もうやってます」
笑い合う。
勇者エンとやり合ったときに、閃光の吐息で空けちゃったやつだ。
さすがに謁見の間に直系二十センチくらいの穴があるお城ってのは、謎すぎて困ってしまう。
そして出発の日である。
夜明けとともに街門が開いてゆく。
まず踏み出すのは、ベイズにまたがった魔王リオン。
格式の上で、彼女が最高権力者だ。
その左側を歩むのは勇者エン。なんか魔王の側近って立ち位置だけど、勇者様なんですよ。奥さん。
右側にはダークエルフのシールズ嬢。
彼女は魔王の側近だから、この場所で問題ないんだけどね。
問題は、魔王とはまったくなんにも関係のないヒエロニュムスが彼女のさらに右を歩いてるってことだよね。
お前さん。なんでそこにしれっと混じっているんだい?
なんというか、どこにいっても女性の補給だけには苦労しない猫だなぁ。
先頭集団からちょっとおくれて、私とティアマトが並んで歩いている。
さらに後ろには九万の魔軍。
なんでも、約一万ずつの軍団に分かれており、それぞれの軍団長が率いているんだって。
単に数だけを考えたら、ノルーア軍では戦えないってリューイが言っていた。
そのリューイは、城門の上から手を振っている。
昨日のうちに訪れた王国の使者団と一緒に。
ちなみに訪れた使者の肩書きは国務卿とかいうものだった。いまの日本だと総理大臣にあたる役職らしい。
この人事だけでも、ノルーアの意気込みが判ろうというものだ。
ほとんどのモンスターを国内から一掃できる機会だもんね。
そりゃ気合いが入らなきゃ嘘でしょう。
ただ、モンスターが全部いなくなるわけじゃないんだけどね。
あくまでも魔王に従うモンスターというだけ。
これは、人間社会でも同じなんだけど、全部が全部、心を一つにして動いているわけじゃない。
面従腹背どころか、はっきりと離脱しちゃう人だっている。
こればかりは仕方のないことだ。
主流があれば非主流が生まれるのは当たり前だし、反主流だって登場する。
国だって会社だって、仲良しサークルだっておんなじだ。
「モンスターがいなくなって、それを狩って生計を立ててる冒険者たちが立ちゆかなくなる、なんてことにはならないだろうね。きっと」
「んむ。仮にすべてのモンスターがいなくなれば、それに代わって人間が悪さをするだけじゃな。浜の真砂は尽きるとも、というやつじゃ」
「世に盗人の種は尽きまじ、かい? それはそれで救いのない話だけどね」
ティアマトの言い回しを引き継ぎ、私は苦笑した。
戦国時代の大盗賊とされる石川五右衛門の辞世の句といわれているものだ。
ようするに、無限にある砂浜の砂がなくなることがあったとしても、世の中から泥棒がいなくなることはないよーん。というくらいの意味だ。
窃盗でも暴行でも殺人でも良いが、それがなくなることはないだろう。
人間は嫉妬をするイキモノだから。
誰かを妬み、羨み、恨む。これは逃れられない感情だ。
だからといって盗んで良いのか、殺して良いのかって話である。
私は彼の大泥棒の知人でもなんでもないが、この辞世の句には共感も同感もしない。
みんなやってるんだからいいじゃない、では、犯罪天国になってしまう。
犯罪はなくならないんだから取り締まったって仕方がないよね、なんて社会より、それでもひとつでもふたつでも犯罪をなくしていこうよって社会の方が、私にはずっとマシに思える。
「青臭いけどね。我ながら」
「その青さをひっくるめてエイジじゃろうよ。我は汝の会津武士のような頑なさは嫌いではない」
「ならぬことはならぬものです」
「ドラマでの使われ方は誤用じゃがの」
「うん知ってる」
ダメなものはどんなに屁理屈をつけたってダメだよって意味に使われるが、実際のところは藩学校の什の掟を守りなさいって程度の意味だ。
たしか七つくらいだったかな。
年長者の言うことには服従しないとダメとか、卑怯なことをしちゃダメとか、女の人と話しちゃダメとか。
かなーり時代錯誤だ。
仕方ないね。江戸時代の話だし。
「さて。油断はするまいぞ。リオンを抱き込み、エンを抱き込み。そろそろ現地神の我慢も限界にじゃろう。それこそ、ならぬものはならぬと強硬手段に出てくるやもしれぬ」
かかか、と、ティアマトが笑った。