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錯綜する思惑 4


 当初は隔意ある態度だったエンだが、徐々にほぐれていった。

 きっかけとなったのは私との会談ではない。

 むしろ私との会話では、あなたの言うことは理解できますが……という反応だった。

 これはまあ、仕方のないことではある。

 なんといっても年齢差がありすぎるから。

 嬉しくもなんともないけど、十五歳のひらきがあるのだ。

 これで共感(シンパシィ)を得られるとしたら、私が子供っぽすぎるか、エンが老けすぎているか、どっちかだろう。

 彼が変わったのは、リオンと接してから。

 同世代だからこそ、エンにはリオンの苦しみが判った。等身大の問題として。そして彼女に魔王としての役割を与えた現地神に、深刻な不信感を抱いた。

 けっして幸福とはいえない彼女に、これ以上の不幸を背負わせるのか、と。

 その思いは、たぶん得手勝手なものだろう。

 現実を見れば、不幸な人間がさらに不幸になるなんて、珍しくもなんともない。

 頑張ったからといって報われるとも限らない。

 二〇一二年に札幌で起こった姉妹の餓死事件などがまさにそれだろう。

 知的障害のある妹を支えながらも懸命に生きてきた姉の頑張りは報われなかった。

 どうにもならなくなって生活保護を求めようと三度も窓口相談に訪れたが、結局は受給に至らず餓死した。

 一月の札幌。

 真冬日が続く季節に、暖房すら止められた部屋で。

 姉が亡くなり、妹が警察を呼ぼうとしたのか、電話には111という履歴が残っていたという。

 そしてそのまま妹も亡くなった。

 あまりの痛ましさに、私は目の前が暗くなったものである。

 私は行政の側に立つ人間だ。

 生活保護受給に至るメカニズムについて、多少の知識は持ち合わせている。本質的に、生活保護とは申請があってはじめて実態調査がおこなわれるのだ。

 相談しただけで帰られては、職員はそれ以上なにもできない、という事情も理解できる。

 できるのだが、もう一歩踏み込めたのでは、という思いを払拭できない。

 家賃や光熱費を滞納していることを聞き取っていながら、詳しい滞納状況を確認していなかったり、体調不良で離職していると聴きながらも疾病や通院状況について確認していなかったり。

 ほんの一歩、あと一歩だけ踏み込めば、救えたのではないか。

 どうしてもそう思ってしまう。

 ……話が逸れた。

 エンがリオンに抱いた思いも、私と同じようなものだろう。

 運命の理不尽さに対する怒りとでもいうのか。

 ともあれ、彼は自分と同世代の少女の痛みや悲しみを、完全に理解したわけではない。

 しかし、考えるきっかけにはなった。

 斜に構えた未熟な少年は、いまはじめて本当の痛みを知った。

「どうしてリオンは神の思惑に乗ったんだ?」

「必要とされたから」

「必要って……」

「あたしはいらない子だったから」

 エンとリオンの会話である。

「モンスターの親玉じゃないか……」

「それでも、お前さえいなければって言われ続けるより幸せだもの」

 少女の言葉は、あまりにも痛々しい。

 胸が苦しくなるほどに。

「リオン……」

 言葉を詰まられる少年だった。




「とまあ、こんな事があっての。以来、エンはリオンにべったりじゃ。騎士(ナイト)のようにの」

「なるほどな。いきなり剣を向けられたのはそういう事情ってわけかい」

 こっちは伝令から戻ったベイズとティアマトの会話である。

 彼は帰着すると、すぐにリオンの元へと向かった。

 すると、近くにいたエンがものすごい警戒を見せたらしい。

 べつに好きこのんでリオンにくっついているわけではないベイズにとっては、非常に不本意な事態といえるだろう。

 あわや喧嘩沙汰になるところだっだが、うまいことヒエロニュムスが取りなしてくれた。

「俺がきみを守る! というやつじゃな。エンはエンでおかしげな方向にこじらせたものじゃて」

 ティアマトの苦笑いだ。

 ようするにエンは、リオンを守るべき対象として認識してしまったのである。

「けどそれって、あんまり良いことでもないような……」

 ふと心づき確認してみる。

 いらない子から守るべき者へ。

 どこがどうとはいえないが、それではいけないと思う。

 もっと、一個の人間として尊重するような、そういう関係が望ましいのではないか。

「そうじゃ。守る、ようするに庇護(ひご)するというのはの、相手に無力な存在じゃとレッテルを貼るようなものじゃ」

 うむとティアマトが頷いた。

「そこまで判っていたんなら、止めれば良かったんじゃないか?」

「んむ。面白かったから黙ってみていたわけではないのじゃよ」

「面白かったのかよ……」

「エンが汝ほどの歳なれば、そのようなアドバイスは有効じゃし、また必要なものじゃ。なれど、あやつらはまだ若いでの」

「ふむ?」

「人は正論のみにて動くわけではない、ということじゃ」

「ああ。なるほど」

 私はぽんと手を拍った。

 感情のイキモノである人間は、必ずしも正論で納得するわけではない。

 頭では判っていても……という状況は、いくらでも起きる。

 たとえば、このケースでエンがリオンをひとりの成熟した女性として扱い、適度な距離感をもって接した場合、事態の解決には一グラムも寄与しない。

 良くも悪くも。

 単なる無関係な他人(モブキャラ)という立ち位置だから。

「いまのリオンに必要なのは、めんどくさい理屈なんぞ全部蹴っ飛ばして、とにかく自分を必要としてくれる、そんな人物じゃろうよ。その(いびつ)さに気付くのは、もっとずっと成長してからで良いのじゃ」

「つまり、私ではダメだということだね」

「こんな理屈っぽいオッサンに必要とされても、リオンには迷惑なだけじゃろうて」

「ひっどっ」

「心配するな。我は必要としておる」

「く……っ」

 もうね。

 なんかね。

 ティアマトは卑怯だと思うんだ。

 そういうことを、何気なくさらっと言っちゃうんだもん。

 上手い切り返しとかできないタイミングで。

 酸欠の金魚みたいに、ぱくぱくと口を開閉するしかないじゃないか。

「ともあれ、エイジでは歳が離れすぎておるのは事実じゃ。むろん我もの。同じ目線に立つ友人、というには厳しいのう」

 親とか、兄、姉という立ち位置くらいしか、私やティアマトにはできない。

 同格の友人というのは、やはり年齢的に近くないと互いに気後れしてしまう。

「じゃあ、俺もお役御免ってわけだな。一安心だぜ」

 ずっとモフられ続けてきたベイズが言った。

 気持ちは判る。

 でも、安心とか言ってる割には、どことなく寂しそうなのは私の気のせいだろうか。

「子狼の巣立ちを迎えた母狼みたいな顔で言われても、まったく説得力がないのう」

 からからと笑うティアマト。

 すいません。

 その例えは高度すぎて、私にはさっぱり判りませんよ。

 あんたは狼の表情とか判別できるんですか。

「なっ!?」

 狼狽ベイズ。

 図星の表情だったのかよ。

 わけがわからないよ。

「べつにベイズの立ち位置はこれまで通りじゃよ。思う存分リオンと遊んでくるが良い。あれはまだまだ親離れできる歳ではないよ」

「お。おう。そうだな。お嬢。まだ(つがい)をつくるにゃはやいよな。ちょっといってくらぁ」

 竜姫の言葉に勇気づけられたのか、ててて、と去ってゆく魔狼。

 なんというか。

「丸くなったなぁ。ベイズ卿……」

「んむ。なんだかんだいってリオンが可愛くて仕方ないのだろう」

 懐かれているうちに情が移ったのかもしれない。

 ティアマトの言葉ではないが、子狼を見守る母狼のように。

 ただ、リオンが狼ではないことは判っているので、人間のエンに遠慮していた、ということだろう。

 枷が外れたからには、壮絶な奪い合いが展開されたりして。

「猫は家につくけど、犬は人につくってやつなのかもね」

「猫的解釈で言わせていただければ、その説は間違いですぞ。エイジ卿。猫は家にいる人についているのです」

 ひょいと現れたヒエロニュムスが言った。

 なんだその無駄雑学。

 むしろ猫的解釈ってどういうことだよ。

「お疲れ様です。ヒエロニュムス卿。進捗はどうですか?」

 もちろん内心のツッコミは口にせず、私は仕事について質問した。



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