錯綜する思惑 3
いけないいけない。
反論できないような論法を使って子供を追いつめるのは、まともな大人のやることじゃない。
「失礼。六条くん。あなたを責めるつもりはないのです。ただ、誰かが犠牲になるのは仕方がない、という論法を私が好まないというだけの話です」
「…………」
「戦争を回避することが、どうして滅びに繋がるのですか? むしろ戦争こそが滅びをもたらすものでは?」
「あなたは判っていない」
おお。
代名詞が、アンタからあなたに昇格した。
この一歩は小さいが、人類にとっては大きな一歩である。
「わかっていない、とは?」
「ここで極貧を体験させないと、もっと多くの人が死ぬんだ」
やっぱりそういう筋書きか。
私がアズールのラインハルト王の殺された未来、そっちを再現しようってことだね。
なにしろ、そっちはちゃんと答えが示されたから。
私が殺され、サイファがティアマトやベイズの力を借りてノルーアを乗っ取り、アズールとの戦端を開く。
そして大陸全体へと戦渦は広がり、食糧事情は著しく悪化して白米ばっかり食べてる余裕はなくなった。
結果、多くの人が脚気から救われた。
しかし私はそのシナリオを良しとしなかった。
なぜなら、脚気で死ぬ人が減ったとしても、おびただしい数の人々が戦で死ぬからだ。
恋人が異世界を癒すために使った処方箋は、復讐が動機の救いのない戦争。
そんなストーリーを、私は認めない。
「脚気によって、ですか? 六条くん」
「……知っていたのか」
「私たちは、それを何とかするために動いていますので」
「なっ!?」
ハンマーで殴られたような顔をする少年。
まあ、現地神は説明しなかっただろうからね。
たぶん、嘘はいっていないけど事実のすべては語らなかった、という感じじゃないかな。
日本のマスコミなんかの得意技だ。
判断のための材料をすべては示さずに、誤解や曲解の余地のある報道をおこなう。
そうすると、踊らされやすいことにかけては世界一の日本人は、面白いように踊りまくるのである。
それを風刺した動画もあったなぁ。
ともあれ、この勇者くんにはすべての情報は与えられていないと見るべきだろう。
おそらくは、魔王リオンにも。
現地神が書いた人形劇を踊る人形の役割だ。
だからこそ、感情を失いかけたリオンは最適だった。
では、勇者エンは?
「戦で脚気の蔓延は止められるかもしれません。ですが、多くの人が犠牲になります。あえて言いますね。六条くん。正しい戦争なんてものは存在しませんよ」
「……ではどんな方法があるんですか?」
お。敬語になった。
これは良い傾向かもしれない。
「判るわけないじゃろうが。そんなものがあるなら我らが知りたいわ」
笑うティアマト。
や。そうなんだけどさ。
もうちょっと言葉を選んでやれよ。
「…………」
「私たちも試行錯誤です。ビタミンB1を含んだ食品を普及させたり、白米に偏重した食生活を変えるよう働きかけたりとか」
説明して肩をすくめてみせる。
本当に迂遠な方法ばかりだ。
なんでも一瞬で解決できるようなスーパーヒーローでは、私はないのである。
「俺は……あなたを殺せばみんなが救われるってきいて……」
うんうん。
そうだろうね。
正義派だもの。どうみても。
しかも中高生特有の、ちょっと斜に構えた正義派だ。
効率とか、皮肉な解釈とかを振りかざすのが格好いいと思っちゃう年頃って、わりと誰にでもあるんだよね。
つまり六条燕という人形に与えられた役割は、世界を混乱に陥れるための一石、というやつだ。
やってくれますね。現地神さま。
勇者どの、何度もくそやろう呼ばわりして悪かったね。本当のくそやろうは、やっぱりきみじゃなかったよ。
虐待を受け感情を失った少女を魔王に仕立て上げ、まだ未熟な正義感しか持っていない少年を勇者に仕立てる。
人間をバカにするのも大概にしろ。
現地神。
抵抗の意志はないようだったが、いちおう勇者エンは拘束させてもらった。
さすがチート持ちというべきものすごい馬鹿力の持ち主なので、ただのロープでは心許なかったため、リオンの魔法によって作り出された黒い蛇のような物体で。
たしか蛇縛とかいったかな。
AVみたいな名前の魔法だなぁと思ったのは、抜群に秘密である。
その上で、私は幾度も彼と話をした。
さすがに殺すわけにもいかないし。
私自身、出発まで暇だという事情もある。
結果、六条燕という人物の為人がだいぶ判ってきた。
高校生だった彼は変わらない日常に飽いていた。繰り返される日々、退屈な授業、そして幼稚なクラスメイトたち。
友人の数が多いというわけでもないが、孤立しているというわけでもない。
上手く会話を合わせながら、燕少年は心のどこかで同世代の人々を見下していた。
子供っぽいと。
彼らの視野は学校から一歩も外に出ていない。
社会の矛盾にも気づきもせずに、親や教師の悪口を並べたてる。
くだらなかった。
何もかもが。
かといって、彼自身が何かを成そうとしたわけでもない。
ただ不満を抱えていただけ。
そんなある夜、彼は導きの女神と出逢った。
「正義を為したくはないか。本当の正義を」
と、誘われた。
まあ、これが勇者エン誕生の裏側である。
なんというか、笑っちゃうような舞台裏だが、私は笑わなかった。
彼くらいの世代は、自分が大人であると思いたがるものだし、周囲が子供にみえるものだから。
で、それは燕少年だけのものではなく、だいたいみんな似たように感じていたりする。
なのに自分は特別だと思っちゃうのは、ひとえに経験不足のなせるわざだ。
高校生なんて、どんなにいきがったところで金銭的には完全に親がかりである。アイドルとかプロスポーツ選手とか、ちょっと特殊な人々を除けば。
だから敵なんて、親と教師くらいしか存在しない。
上役とか部下とか客とか同僚とか、そういう厄介極まる連中を相手にしていないのだ。
社会に出れば、あっという間に理解できるんだけどね。
教科書より複雑な世の中にとまどっちゃうのである。
ちょっと古いかな。
「この星に無数に存在する塵のひとつだなんて認めたくないよね」
「んむ。どっちもたいがい古いがの。後者は二〇〇七年。前者にいたっては一九八六年じゃ。若者に向けた例えとしてはかなり微妙じゃのう」
「まじかー そんな昔なのかー」
後者の方である。
私が歳を取るわけですよ。
「あの……」
「ああごめん。話が逸れたね。六条くん」
こほんと咳払いして話を戻す。
ともあれ、彼は現地神に選ばれた。
あるいは選んだのは監察官かもしれない。転移の要請があれば断れないと言っていたことを、私は記憶している。
ただ監察官自身が世界渡りを毛嫌いしているようなので、そーとーおざなりなセレクトであることは疑いない。
たぶん、指定された条件を満たす人物を、淡々と選んでいるだけ。
もしあの人に何か思惑があるとすれば、私との親和性が高そうな人物を選ぶ、ということだろうか。
かなり希望的観測だが、監察官はティアマトに同情的だったし。
「私たちの目的は、きみと変わりません。エンくん。世界を滅びから救うというのは大前提です」
「けれど、戦争による解決は望まない、ということですか。エイジさん」
やや皮肉を含んだ少年の言葉。
私だって楽な道だと思っているわけじゃないよ。
「瓦礫を撤去するのに重機を使わなくてはいけないという法はありません。小さな欠片を人力でひとつどかすだけでも、そのぶんの瓦礫は減ります」
十人でやれば十人力だ。
百人でやれば百人力だろう。
「ずいぶんと気が長い話じゃないですか? それは」
「特別な力を持ったひとりの人間が一瞬で解決する。それはとても素晴らしいことでしょう。ですが、民衆ってなんなんでしょうね。ただ助けられ、守られるだけのモブキャラなんですかね」
私は、何の力もない木っ端役人だ。
だからこそ、なんの理由もなく超人に救ってもらうのは拒否する。