錯綜する思惑 2
「名を聞いておこうかの。自称勇者どの」
笑いを含んだ声でティアマトが訊ねた。
乗っちゃうんだねぇ。
こいつの主張なんて聞いても仕方ないと思うんだけど。
どうせ現地神に入れ知恵されたことを鵜呑みにしているだけだろうし。
「悪党に名乗る名などない」
ほら。
人の話を聞かないタイプの典型じゃん。
「んむ。ではこれから汝のことは、自称勇者ウンコターレと呼称しよう。各国の公式記録にもそう記すよう取りはからってやろうぞ」
「ふざけるな!」
怒声とともに斬りかかる。
やすい挑発に乗るなぁ。
ぎん、と音を立てて長剣が弾かれる。
ティアマトの尻尾に。
「魔獣ごときが!」
矢継ぎ早に繰り出される攻撃は、簡単にあしらわれてゆく。
実力というよりも、精神的な優劣である。
言葉で挑発され、必殺の一撃を尻尾なんかで弾かれて、ウンコターレはムキになってしまった。
かつてサイファが言っていた。
戦いは冷静さを失った方が負ける、と。
破れかぶれの一撃が運良く決まって劇的な逆転勝利、なんてのはそう滅多に起きない、と。
「魔獣のう。現地神は事前情報もまともに与えなかったのかや」
危なげなく受け、あるいは身をかわしながらティアマトが笑う。
余裕綽々の態度に、ますます勇者がいきり立つ。
彼の目には、もうティアマトしか映っていないだろう。
麗しの竜姫と同程度の実力を持つ者が、もうひとりこの場にいるというのに。
「蛇縛」
もちろん私のことじゃない。
淡々とした声はリオンのものである。
四方八方、前後左右から、無数の真っ黒い蛇が出現して勇者に迫る。
「なっ!?」
ティアマトに集中していた彼は、対応が一瞬遅れた。
それは、砂時計からこぼれ落ちる砂粒が数えられるほどの時間。
しかしこの局面で一瞬を失うのは、永遠を失うに等しい。
迫り来る黒い蛇を、長剣を振るって切り刻む。
すべてにはとても対応できない。
足に、腕に、蛇が絡みついてゆく。
必死の形相で打開を計る勇者。
ティアマトから注意が逸れたその瞬間。
振られた尻尾が勇者の頭を横薙ぎに払った。
めきょ、というやたら景気のいい音を立て、少年が吹き飛ばされる。
投げ捨てられた人形のように。
二回三回と床に接吻しながら、壁に叩きつけられて止まった。
ずるりと崩れ落ちる身体。
だが、彼は倒れなかった。
長剣を杖がわりに、よろよろと身を起こし、ティアマトとリオンを睨みつける。
「魔族ども……この世界を貴様らの好きにはさせない……」
不屈のヒーローだ。
ていうか、たいがいアホみたいな耐久力だなぁ。
ティアマトの攻撃、あれ普通は死なないか?
「めんどくさいヤツじゃな」
んが、と、口を開く竜の姫。
竜鱗が蒼銀に輝く。
次の瞬間、放たれるのは閃光の吐息。
咄嗟に掲げた勇者の剣を叩き折り、少年の顔の右横に穴を穿った。
直系二十センチほどの穴だ。
影響範囲をぎりぎりまで絞ったのだろう。
はるか遠くで、なんか爆発したような音が聞こえるけど、それは無視しておく。
穴の向こう側なんて、怖くて見れるわけないじゃない。
「よく避けたの。じゃが、下手に抵抗すると痛い思いをするだけじゃぞ?」
「ティア。いたぶるのは可哀想。ひと思いに殺してあげて」
うおい!
そこの魔竜と魔王!
しれっと怖いこと言うな!
勇者くんの顔が引きつってるじゃないか。
「……俺を殺したところで無意味だ。第二第三の俺が、必ずお前たちの野望の前に立ちふさがる」
なんか悲壮なこと言っちゃってるよ!
「十度立ちふさがれば、十度打ち倒すのみじゃ。百度立ちふさがれば、百度叩きのめすのみじゃ。さあ俳句を詠め。介錯してやろう」
いやいや。
いやいやいやいや。
それあきらかに違うヤツだから。
忍殺語とか、そういうへんなのだから。
なんで死ぬ間際に俳句を詠まなきゃいけないんだよ。詠むのは辞世の句とかそういうのじゃん。
ゆっくりと目を閉じる勇者。
あ、覚悟決めちゃった。
まあ、剣を失い、身体もボロボロだろうし。
一方で魔王軍は全員が無傷。建造物に穴は空いちゃってるけど人的な被害はゼロだ。
これでもまだ勝機があると思うほどに、勇者くんの脳内はお花畑ではなかったらしい。
そりゃねぇ。
彼はたしかにチート持ちだろうけど、こっちもティアマトとリオンがチート持ちなわけだしね。
そしたら数の上で二対一。
加えて、ティアマトは心理戦のプロだよ?
ぶっちゃけ高校生が考えることなんて、手に取るように判るんじゃないかな。
さらにいえば、戦略・戦術に長けたリオンがいるし。
この二人を出し抜いて私を殺すとか、ちょっと無理ゲーなんじゃないか?
可哀想になってきたよ。
「まあまあティア。彼も反省しているようだし。このあたりで」
リューイとヒエロニュムスの後ろから、私が声をかける。
理解ある歩み寄りというやつですよ。
近づいてないですけどね!
だって、不用意に近づいて、人質にとられちゃったりしたら、私ただのバカじゃん。
キングオブバカの称号もらえちゃうじゃん。
彼の狙いは私なんだから、私は最も安全な場所にいないと、どんな作戦だって機能しないのである。
「あらためて、名前を伺いましょう。勇者くん。さすがにウンコターレなんて名前ではないのでしょう?」
わだかまりを解く笑顔を見せる。
「……六条燕」
しばしの沈黙の後、少年はそう名乗った。
精悍な顔立ちと引き締まった身体。
リューイなどと比較しても遜色ない偉丈夫だ。ただまあ、この世界の人に比べてしまうと、平均的な日本人のほとんどはガタイが大きいということになってしまう。
つまり彼の体格は、日本においてそう恵まれたものではない。
引き締まってはいるものの、プロスポーツ選手などを目指すならばなかなかに厳しいだろう。
「私は風間エイジといいます。君のいうところの、世界を滅ぼす異分子です」
親しげに自己紹介をしつつも、私は彼に近づかない。
まだまだ心を許しあうような間柄にはなっていないからだ。
じっと私を見つめる六条少年。
値踏みするように。
よせやい。
そんなに見つめられたら惚れちゃうだろ。
などという軽口を、私は飛ばさなかった。
あんまり冗談の通じるタイプじゃなさそうだし。
「どうして私が世界を滅ぼすのか。訊いて良いですかね? 会っていきなり世界の敵として認定されるという経験はしたことがないので、そのあたりの事情を説明していただけると助かります」
「……白々しい!」
吐き捨てるように返す。
かたくなだなぁ。
「どちらかというと、救う側じゃないかと思うんですよね。戦争を回避するために動いているのですから」
なので、すこし踏み込んでみる。
「は。おめでたいな。あんたは」
鼻で笑う六条少年。
よし食いついた。
それじゃ歌ってもらいますかね。現地神に何を吹き込まれたのかを。
「おめでたいですか? 戦争なんていいことひとつもないですよ?」
「あんたは判っていない。まったく判っていないんだ」
「ほう?」
「この戦争での犠牲は必要なものだ。世界を救うためには」
「必要な犠牲なんてものはありませんよ。君も日本人が平和に豊かに暮らすために沖縄が犠牲になるのは当然だと考える口ですか?」
私は辛辣な口調をつくった。
沖縄県の人口はざっと百四十二万。札幌市よりも少ない。
面積でいえば日本で四番目に小さな県だ。
そしてその小さな県に、日本に駐留するアメリカ軍基地の七十四パーセントが集中している。
騒音や事故、米軍兵士の起こす犯罪などが報じられるのは、もはや日常茶飯事だといっていいだろう。
日本人のほとんどは沖縄の苦難を知っている。
だけど、それなら我が県にって地方自治体は存在しない。
「自分が犠牲になる側に入らないなら、少数の犠牲には目を瞑ろうって気分になるかもしれないですねえ」
「…………」
攻撃的な私の口調に、少年が口を噤んだ。