錯綜する思惑 1
ガネス城に戻ると、ヒエロニュムスとシールズ嬢がいちゃついていた。
寝椅子にくつろいだダークエルフ。
その太腿に両前脚をかけ、でろーんと長くなってる妖精猫。
青灰色の毛並みを、闇褐色の繊手が優しく撫でている。
心地よさそうに目を細めた姿が、なぜだろう。
「すげーむかつくんですけどー」
往復十日以上の徒歩の旅をしてきたんですよ。私たちは。
留守番役の人たち、こんなくつろいでいて良いんですかねぇ。
あと、美女に抱かれて撫でられるとか。
こいつは敵ですね。
間違いなく。
「我らとて遊んでいたわけではない。家臣をとられて悔しいのは判るが、そう興奮するな。エイジ卿」
シールズ嬢が言った。
いえ。
そこの部分はぜんぜん悔しくないです。
「魔軍八万六千五百名、すでに出発の準備は整っておりますぞ」
ぴくぴくと髭と耳を動かしながら、ヒエロニュムスが報告してくれた。
魔軍ってそんなにいたのか……。
モステールを攻撃した部隊って、ほんとに一部も一部なんだなぁ。
「お疲れさまです。ヒエロニュムス卿。シールズ嬢」
まあ、ちゃんと仕事はこなしたわけだから、いちゃつくくらいは許容範囲だろう。
きっと。
たぶん。
うらやましくなんかないもんねー。
私は女子高生と旅をしていたんだからー。
「ベイズ。お風呂いこ。洗ってあげる」
「おう。すまねぇな。リオン」
旅の垢を落とすため、去ってゆく魔狼に乗った少女。
こっちはこっちでらぶらぶでした。
ち。
まあ、良い傾向ではある。
旅の間に、リオンはすっかり打ち解けた。
基本的にベイズにべったりではあるが、私やリューイとも普通に話せる。
このまま心を開いてくれれば、それに越したことはない。
「簡単ではないがの」
微笑ましく魔王と魔狼を見送った私に、ティアマトが話しかける。
「そうなのかい? だいぶ良くなってる気がするけど」
「表面上はの」
苦笑するドラゴン。
むしろ、どうして私は竜の表情の変化とか判るようになっているのだろう。
慣れというのは怖ろしいものですね。
「十年以上に渡ってつけられ続けた傷を、一ヶ月足らずで癒せるわけがないという話じゃよ。軽く考えるのは危険じゃて」
「…………」
言葉を失った。
彼女の言うとおり、私は軽く考えすぎていたのかもしれない。
心に負った傷は目には見えない。
心に包帯を巻くことはできないし、添え木をすることもできない。絆創膏だって貼れない。
見えないから、もう治っていると思ってしまう。
完治しているように錯覚してしまう。
そんなわけはないのに。
虐待されてきた期間が十年あるとすれば、完治に十年かかってもまったくおかしくないだろう。
もっともっと長い時間が必要だといわれても、べつに不思議じゃない。
「……児童虐待や育児放棄が、子供の人生を奪う行為だってのが、よくわかるよ」
「んむ。自分も同じことをするのではないか、という恐怖から子を持てぬ者も少なくないのじゃ。こればかりは実験するわけにもいかぬでの。哀しいことじゃがな」
自分は大丈夫、と信じて子供を持ったら、自分がされたのと同じ虐待をその子供にしてしまった。
珍しい話ではないという。
幼少期も青春時代も奪われ、親となる機会すら奪われる。
まさしく人生そのものを略奪された状態だ。
「救う手だてってないのかな……」
「やっておる最中じゃ。結論を急くでない」
「そうだった。ごめん」
「なんでも背負い込もうとするのは汝の美点ではあるがの。悪い癖ともいえるじゃろうよ。前にも言ったが、汝はスーパーヒーローではないからの」
べしべしとティアマトが尻尾で私の尻を打つ。
何故に貴女は、かように尻尾をコミュニケーションツールとして使うのでせうか。
「わかったよ。私は私にできることをやる。だったよね」
「んむ。エイジには、モンスターたちを新天地に導くという仕事がある。リオンのことは我に任せるが良い」
「頼んだよ。相棒」
「しかと頼まれたぞ。相棒」
互いの胸を小突き合う。
九万近くのモンスター軍団を移動させる。
口で言うのは簡単だが、実行するとなると大変な苦労である。
新天地となる平野は、ノルーアから北上すること十日あまりの行程だ。
道はない。
原野や森林を切り開きながらの行軍となるだろう。
もちろん宿などの施設があるわけもなく、すべて野営だ。
携行する物資は、食料だけでも膨大な量になる。
野営候補地や水場の選定などは、私たちが留守の間にヒエロニュムスが中心となってやっておいてくれた。
さすがは軍師である。
モテモテは伊達じゃない。
「褒め方の基準がおかしいですな。エイジ卿」
妖精猫がゆーらゆらと尻尾を揺らす。
加えて、魔軍がきちんと軍としての体裁を保っているのが良かった。
きちんと統制がとれており、組織的な行動がとれる。
好き勝手に動く者がいないというのは、大変ありがたい。
ノルーアを出た後は人間に遭遇する機会はまずないだろうが、国内にいるうちに万が一にでも村や町を襲ったら地獄である。
「そんなことにはならぬさ。エイジ卿」
自信を持って言い切るのはシールズ嬢だ。
彼女を含め、魔軍には六名の幹部がおり、彼らの薫陶が末端部までしっかりと行き届いているらしい。
私としては、その自信を信用するしかない。
幾度もシミュレーションを重ね、計画を完璧なものにしてゆく。
失敗は許されず、再度の挑戦などありえないのだから。
こうして煮詰めること数日、ついに出発日が決まった。
「十日後の夜明けとともに出発します」
謁見の間に集まった仲間たちに、私が宣言した。
本来であれはリオンの仕事だろうが、彼女には私の横に立つことで存在感を示してもらっている。
そもそも、十六歳の少女に最高責任を負わせるというのは、私の流儀ではない。
「了解だぜ。御大将。ひとっぱしり城に伝えてくらぁ」
そういってベイズがガネス城を飛びだす。
全力疾走ならば、王都ノルンまでは日帰り圏内だという。
私たちは片道七日もかかったけどね!
「いまさらじゃよ。我なら片道三十分じゃ」
「どうして対抗しようとするのかわからないよ。ティア」
仮にティアマトの方が速かったとしても、彼女を行かせるわけがないのである。
相棒として、恋人として。
「まあ、我が離れている間にエイジが殺されたりするのは困るでな。我も行くつもりはないのじゃが」
「物騒な心配はやめてぶっ!?」
言葉の途中で突き飛ばされ、私は壁とキスすることになった。
痛む鼻をさすりながら振り返る。
一瞬前まで私がいた空間に剣が突き立っていた。
剣だけでなく、人の姿もある。
「なにが……?」
「さがっておれ。エイジや。客じゃでな」
突き飛ばした犯人たるティアマトが言葉を紡ぐ。
視線は突然現れた人影から外さない。
黒い髪、黒い瞳。
一般的な日本人の容姿を持った少年から。
リューイとヒエロニュムスが私を守るように立つ。
そしてシールズ嬢と幹部たちがリオンの周囲を固めた。
ゆっくりと周囲を見まわした少年が、床に刺さった剣を引き抜く。
「風間エイジ。世界を滅ぼそうとする異分子。アンタに恨みはないが、死んでもらうぞ」
そんな宣言とともに。
えー? なにそれー?
私が世界を滅ぼす存在て。
「転移者かの。現地神に何を吹き込まれたものやら」
やや呆れたような声をティアマトが出した。
なるほど。
こうきますか。現地神さま。
人とモンスターによる泥沼の戦争。それを回避しようとする私の行為は世界を滅ぼすものである、と。
秋が訪れたノルーアで戦いが続けば収穫どころではない。
人々は米だけを食べていられなくなる。
おそらく、それが現地神の描いたシナリオだろう。
しかし私はそれを回避するために動いた。
脚気への対策を後回しにしてでも、戦争を避けようとした。
だから私を殺すために刺客を送り込んだ。
チートを持った異世界人を。
私が死ねば平和路線は崩壊する。
そういう筋書き。
「お気に召さなかったようで、残念ですよ。現地神さま」
知らず、私は唇を歪めた。