魔王さまは女子高生! 5
現地神により召還された少女、児玉理緒。
彼女は魔を統べる者としての能力を与えられた。
圧倒的な魔力、魔的な支配力、軍略の知識、強靱な肉体、エトセトラエトセトラ。
「じゃが、人の心の深淵までは、如何な神とてもいじりようがなかったようじゃの」
ふうとティアマトがため息を吐く。
魔王リオンは、直接的な暴力には弱い。
尻尾で吹き飛ばされたのだって、ただの人間なら大怪我をするだろうが、魔王に致命傷を与えるような攻撃ではないらしい。
まあ、尻尾で叩かれて滅びる魔王というのは、そうそう存在しないだろう。
しかし、そのたいしたダメージでもない攻撃で、リオンは怯えきってしまった。
「実効性の問題ではないからの」
心的外傷後ストレス障害の典型的な症状のひとつであるフラッシュバックだ。
尻尾攻撃を受けたことで、殴られたり蹴られたりした記憶が蘇ったのだろう。
剣や魔法の攻撃だったなら、あまりにも違いすぎるため思い出さなかったかもしれない。
「そこまで判っていて、ティアは仕掛けたのかい?」
「確証のない推理じゃな。こんな商売をやっておるとな」
言葉を切る竜の姫。
幾度も目撃したことがある、ということなのだろう。
私は軽く頷いてみせた。
魔王リオンの心のケアについて、専門家ではない私にたいしたことはできない。
「問題は、現地神の方だね」
話題を変える。
悪意に満ち満ちた人選は、どういう目的があってのことか。
リオンの行動理念は人間に対する復讐、という簡単な問題ではないとティアマトは言っていた。
だからこそ話は厄介である。
人間を滅ぼすための策を、なんの感情もなく操る少女か。
「リオンとの和解そのものは、時間をかければ不可能ではなかろう。問題はそのあとじゃて」
「だよね……」
世界を救うため、もう一度、人と魔の戦争を引き起こさせようとした現地神だ。
この目論見が失敗したからといって、すんなり諦めてくれるとも思えない。
そもそも、この世界の問題はまだ解決に至っていないのだ。
脚気の脅威。
世界を救う方法は、ぜんぜん見つかっていない。
戦争によって食糧事情を悪化させる、というのは、わりと現実的な方法なのである。
日本でも、太平洋戦争の勃発により脚気が激減した。
是とするなら、私はやり直しなど要求しなかったろう。
それだけは拒否だ。
戦争によって世界が救われるなど、絶対にいわせない。
「んむ。では方法はひとつしかあるまいの」
こくりとティアマトが頷いた。
私の教条主義を笑いもせずに。
「魔王を説得して戦争を止めさせる。その上で、一緒に世界を救う方法を考える」
「どうしても共存が無理ならばなんとする?」
「棲み分けでしょ。そこは」
面白くもおかしくもない結論だが、人間は人間としか暮らせない。
対等には。
檻に入っていないライオンやトラと一緒に生活できますか、という話である。
いくらライオンが「食べないよ!」と言ったところで、人間はそれを信じることができない。
ゆえに、猛獣を檻に入れるのだ。
これは共存とはいわない。
単なる飼育である。
モンスターたちに対しても同じだし、モンスターから人間を見た場合も同様だ。
結局、価値観が違いすぎるため戦争になってしまう。
ならば、互いの領域が重ならないようにするのが、現在のところ最も効率が良い。
人間の国とは隔絶した場所に、魔物の王国を築く。
いずれ交通手段の発達に伴って、両者がぶつかる可能性はおおいにあるが、それは将来の課題とするしかないだろう。
百年先や千年先のことまで視野に入れて計画を立てるのは、私の能力では不可能だ。
「具体的なプランとしてはどうするのですかな? エイジ卿」
ゆーらゆーらと尻尾を揺らしながら質問するのはヒエロニュムスである。
私のいったのはスローガンであってビジョンではない。
棲み分けといったところで、土地がなければ奪い合いになってしまうのは当然のことだ。
そして人間の土地を奪うのは論外。
憎しみからスタートするのは、あらゆる意味でNGである。
「ティア。人が住んでいなくて豊かな土地ってあるかな?」
万能ナビゲーターたるティアマト様に訊いてみる。
「広さは石狩平野くらいじゃが、人の手が入っておらぬ土地はあるぞ」
「むちゃくちゃ広いっすねっ」
ざっと三千八百平方キロ。
数字で言ってしまうと、なかなかピンとこないが、ようするに札幌市、江別市、岩見沢市なと、十以上の市町村を抱え込むほどの広さだ。
それが手つかずで放置されてるって、どんだけ土地が余ってるんだって話だろう。
「地球は広いが人間にとってはたいして広くもない。宇宙も広いが人間にとっては狭い。そんなものじゃよ」
笑いながら言うティアマト。
えらく誤解を招きそうな言い回しだ。
ようするに、人間という種族の活動域でない場所など、どれほど広くとも人間にとっては意味がない、という意味である。
宇宙なんぞ、一部の専門家以外はいける場所でもないのだから、どんだけ広くたってないのと一緒。
せいぜい、夜空を見上げてロマンを馳せる程度だ。
「では、モンスターたちはこぞってそこに移住する、という事ですかな?」
「希望者は、だね。ヒエロニュムス卿」
全員連れて、ぞろぞろと大移動というのはちょっとリアリティがない。
住み慣れた土地を離れるのを嫌がるものだって、相当数いるだろう。
「そして我々は新天地で力を付け、その武力で人間を滅ぼそうとするかもしれぬぞ。エイジ卿」
意地悪な口調で口を挟むのは、もちろんシールズ嬢である。
リューイが嫌な顔をした。
「かもしれませんね。ですがそれは、百年二百年ってタイムスケールではないと思うんです」
人間とモンスターは共存できないのか、それは焦ってクリアする命題ではない。
長い長い試行錯誤の時間が必要だろう。
補食対象として、討伐対象として見ずに済むようになるまで。
「その時間を稼げれば良い、と、思っています」
「……理想家だな」
「否定はしません。ですが、戦乱が平和に勝るなんてことはないと、私は考えていますし、日本が七十年の歳月をかけて学んだ、数少ない真実だと確信しています」
私は平和で豊かな日本しか知らない世代だ。
愛すべき我が故郷が理想郷などではないことは、もちろんよく知っている。
経済格差はあるし、景気も上向いてるとか言いつつ一向に実感できないし、犯罪だってなくならないし、自殺者だって後を絶たない。
政治家の汚職は毎日のように報じられている。
テレビから流れるニュースは、胸が痛くなるようなものばっかりだ。
だけど、それでも。
「戦乱の世に勝ること、幾万倍だと思っているんですよ」
我ながら青臭いことだとは思う。
戦争が文明を発展させてきた、というのも、たぶん事実なのだろう。
「モンスターの問題はそれで良い。でも、世界の危機は棚上げしたまま?」
突然、少女の声が割り込んだ。
やや驚いて戸口を見ると、魔狼にまたがったリオンがいた。
起きたらしい。
あと、気に入っちゃったらしい。
フェンリルのことが。
せめて城内は自分の足で歩いたら如何かなっ!
魔王サマ!
かわいそうに。ベイズうなだれちゃってるじゃんっ!
「棚上げにはできませんよ。ノルーアでも効果のありそうな食材を探すつもりでしたし」
なるべくベイズを見ないようにして、私は肩をすくめた。
ここまでの旅で、やはり雑穀に効果があることが判ったし、米以外を主食としている人がいることも判った。
このあたりは望外の収穫といっていいだろう。
あとは予定通り、海産物の調査と麹の入手だ。
「どこまでも食べ物にこだわるのね。貴方は」
「そりゃあ、すべての基本は食べることと寝ることですからね。これを疎かにしてはなんにもできません」
真剣に返す。
大事なことなんだよ?
ちょっとだけ親交のある脳外科医も言ってた。
食べもしない、寝もしないで治る病気なんてないって。
「……へんな大人」
変じゃないよっ。
「我の婚約者じゃしな」
おいこらティアマト。せめてフォローしろ。
あと魔王。
頷くのはやめようぜ。
泣いちゃうよ? おもに私が。