魔王さまは女子高生! 4
「冗談じゃよ」
と、言って、ティアマトがべろっと魔王の顔を舐めた。
いやあ、それはそれで怖いと思うよ。
うずくまったまま動けない魔王の手を引き、起こしてやる。
「とはいえ、いきなり死ねとは穏やかでないのう」
「…………」
「なんぞ理由があるのじゃろ? 話してみぬか?」
そのまま手を引いて、こちらに歩いてくる。
なんというか、ティアマトさん。
あなたは保育士さんのような方ですね。
「汝は犬と猫、どちらが好きじゃ?」
「……犬」
「んむ。ベイズや。ちとこちらにきて、この娘の身体を支えてやるが良い」
「お嬢……いや、わかった……」
諦めきった顔で魔王の側に寝そべる魔狼。
うわー。
フェンリルを癒しキャラとして使っちゃったよ。この人。
ゆったりと魔王が身体を預けた。
まあ、白銀の毛並みがもふもふだからね。
安心感はあると思うよ。うん。
だからベイズ卿、助けを求めるような目で私を見ないでくれ。
私にはどうすることもできないんだよ。
ごめんよ。
「さて、まずは汝の名を教えてくれぬか? いつまでも小娘と呼ぶのも、据わりが悪いでの」
そういって自らも名乗るティアマト。
私よりずっと自然だ。
さすがスクールカウンセラー。
「児玉理緒。こっちではリオンと名乗ってる」
「あいわかった。ではリオンよ。我らは争いにきたわけではない」
優しげな声。
わだかまりを解くような。
ごく小さく、魔王が頷いた。
事態の急変に、リューイとシールズ嬢は目を白黒させている。
そりゃね。
魔王さまは突然ご乱心めさるし、ドラゴンは一暴れするし。
これで平静だったら、そうとう鋼メンタルである。
「今後の話をしたいのじゃが、まずはリオンのことを教えて欲しい。こやつらの前で話すのが嫌なら、人払いをしての」
片目をつむる。
私に対して。
ここは任せろという意思表示だ。
ティアマトの力量を疑う術を私は持たない。
軽く頷き、仲間たちとダークエルフを促して謁見の間を出る。
寝椅子のように扱われているベイズを置き去りにして。
がんばれ。ベイズ卿。
ふたたびシールズ嬢に案内され、私たちは客間へと移動した。
「……陛下にあれほど脆いところがあるとは思わなかった」
ぽつりと口を開く。
疲れたように。
これはフォローしておくべきかな。
「仕方がありませんよ。彼女はまだ若い。おそらくは十五、六歳でしょう。その年齢で完成された人格を持っていたら、そっちの方が異常です」
「そうなのか」
目を丸くするダークエルフ。
私のファンタジー知識に照らせば、ダークエルフというのはかなりの長命種のはずだ。
その彼女から見れば、十六歳というのは赤ちゃんと一緒だろう。
「おそらくリオン嬢は私たちと同じ竜郷の出身者です。神仙ですよ」
「いや。エイジどの。陛下の見た目は人間と相違ないが背にはちゃんと魔族の翼があるし、下腹部に魔印ももっておられる。神仙ということはあるまい」
魔族ということだ。
見たのかよ。
一緒に風呂とか入ってるのかよ。
「神仙は、こちらの世界に来るとき姿が変わることがままあります。ティアも竜の姿になりましたしね」
事情を四捨五入して説明する。
ティアマトの場合は自分から希望してあの姿だろうが、魔王リオンに関してはちょっと微妙だ。
自ら望んだことなのか、あるいは現地神に望まれたことなのか。
おそらくは後者だと私は読む。
人を追いつめる存在として、人間のままではいかにも都合が悪い。
ただティアマトほどエキセントリックではなかったので、比較的人間に近い姿を選択したのだろう。
「ところで、私からも質問があるのですが。シールズ嬢」
どうして魔王は、いきなり私を殺そうとしたのか。
行動が唐突すぎる。
恨みつらみを抱くほど接していないし、そもそも会話すら交わしていない。
出会い頭に殺されるほど、私は罪深い人生を送っていないと思う。
たぶん。
「わからぬ」
シールズ嬢の声に苦渋が滲む。
彼女がリオンに耳打ちしたのは、私たちに戦う意志はなく話し合いにきたのだという趣旨のことだった。
もちろん、やつを殺してくださいと頼んだわけでもない。
「本当か? ダークエルフ」
じろりとリューイが睨む。
まったく、これっぽっちも信用していませんよ、と顔に書いてあった。
「ニンゲンと一緒にするな。我らは一度交わした約束は違えぬ」
視線が絡み合い、ばちばちと火花が散っている。
ホントこの二人って相性悪いなぁ。
「まあまあ。シールズ嬢の言葉を信じないことには、どんな交渉だって成り立たない。これは大前提だよ。リューイ」
両手を挙げてなだめる。
ともあれ、そうなるとリオンの行動は、ますます意味不明だ。
話し合いにきた人間を問答無用に殺そうとする。
そこまで好戦的な少女には見えなかった。
むしろおとなしそうな雰囲気だったと思う。
「行動と外見のギャップが大きい。なんなんだろうね」
そういう人間がいないわけじゃない。
おとなしそうな顔をしてとんでもない悪事をする輩だって掃いて捨てるほどいるし、逆に強面なのに心根が優しい人も数多くいる。
そう珍しい話ではない、と思うのだが、どうにも自分を納得させられない。
「表情のひとつも変えずに他人を殺そうとする、か」
軽く頭を振る。
ここは日本ではない。
命はずっと軽い世界だ。それは判っているが、そう簡単に割り切ることもできない。
事実、私だってこの手で他人を殺したことはない。
そういう事態もありえるのだと覚悟はしているが。
「判らないな……」
「それもまた当然じゃな。汝には縁遠い世界の話じゃ」
不意に割り込むティアマトの声。
視線を巡らすと、客間の戸口に麗しの竜姫が立っていた。
案内もなしに、勝手に城内を歩いてきたらしい。
相変わらず自由な女性である。
「ティア。もう終わったのかい?」
「泣き疲れて眠ってしまったでな。ベイズに任せてきた」
よっとソファに腰掛ける。
とりあえず、私はベイズ卿のために祈りを捧げた。
彼は犠牲になったのだ。
なむなむ。
「私に縁遠いというのは?」
「んむ。エイジは『凍り付いた瞳』という言葉を知っておるか?」
「いいや? 寡聞にして知らないよ」
「普通の生活を送っておれば、そうそう聞く言葉でもないし、目にする機会もないじゃろうからの。これはようするに虐待を受けている子供を指す言葉じゃよ」
「なっ!?」
「日常的に虐待を受ける子供は、徐々に表情を失ってゆく。そして瞳は凍り付いたように何も語らなくなるのじゃ」
淡々と紡がれるティアマトの言葉。
目は口ほどにものを言う、などというが、児童虐待に晒される子供の目からは感情が消えてしまうらしい。
「だからリオンは……?」
「んむ。彼女は日本において家庭内暴力を受けていたのじゃよ。ゆえに瞳が凍り付いていたという次第じゃ。それを確かめるため、我はちぃと意地悪をした」
「あ……」
直接的な暴力、という手段で魔王を叩きのめした。
否、叩きのめすというほどのこともしていない。尻尾で打ち据えただけだ。
たったそれだけで、魔王リオンは怯えきってしまった。
「なんてことだ……」
知らず、私はうめき声をだしていた。
児童虐待というものが世の中にあることは知っている。
知識として。
しかし、私はそれを現実の事件として受け入れていただろうか。
どこか遠い世界の出来事だと思っていたのではないか。
「まさかリオンは、復讐として人間を滅ぼそうとしているのか……?」
「さて。あの娘にそこまでウィットな感情が残っているか、いささか疑問じゃがな」
「え……?」
「復讐したい、などと考えられるうちは、瞳は凍らぬよ」
すべてを、生きることすら諦めたからこそ感情を失う。
人は感情のイキモノなのに。
「じゃあ……なんで……」
「カウンセリングを続けねば判らぬがの。おそらくは、現地神に命じられたから、という理由しかないじゃろう」
ため息を吐くティアマト。
またか。
また現地神の仕業なのか。
「……ふざけろよ……」
ぎり、と、奥歯を噛みしめる私だった。
参考資料
ささやななえ・椎名篤子 著
『凍りついた瞳』
集英社 刊