魔王さまは女子高生! 1
「気を悪くさせてしまったなら謝罪します」
私はシールズ嬢に頭をさげた。
ティアマトの言葉は正論としても、私自身が不用意な発言をしてしまったのもまた事実だから。
ここで、私は謝らない! と強情を張ったところで意味はない。
「いまならまだ話し合う余地があると思うんですよ。ことがノルーア一国で収まっていますから」
時間の経過とともに、被害は拡大してゆく。
交渉の余地も、歩み寄りの余地もなくなってゆくだろう。
そうなってからでは遅い。
人間とモンスター。どちらかが死に絶えるまでの殴り合いだ。
そして今度は、人を救う勇者など現れない。
現地神が事態をどのように収拾するつもりなのかは判らないが、もう一度勇者を召還するという選択は、さすがにしないと思う。
「…………」
胡乱げな目で見つめるシールズ嬢。
私の発言の真意を測りかねているのだろう。
彼女にとって神仙とは敵である。
その神仙から歩み寄りにも似た言葉が出たら、どう解釈するべきか悩むのはむしろ当然だ。
「それとも貴女は、やはり百五十年前の焼き直しを望みますか?」
双方ともに今度こそ地上から消えるかもしれませんよ、と付け加える。
ややくどい言いまわしだが、私の他に切れるカードがない。
強大な武力を背景に降伏を迫るということもできないし、圧倒的な資金力をもって圧迫することもできないのだ。
チートもなにもない凡人としては、ひたすら誠意をもって理を説かなくてはならない。
「……望まない」
「はい。私も望みません。であれば、少なくとも一度は話し合うことが可能だと考えます」
「私に、陛下に取り次げというのだな?」
「はい」
「だが私は末端の一兵卒に過ぎないぞ」
ダークエルフが唇を歪める。
黒い肌と黒い瞳もあいまって、非常に邪悪そうに見えた。
しかし、その言葉と態度が演技であろうことは、いくら鈍い私でも読みとることができる。
そもそも末端の兵士が、ひとつの部隊の長を殺す権限を持っているとは、ちょっと思えない。
「それなら、貴女たちの本拠地まで案内してくれるだけでもかまいません」
「…………」
「そうすることによってシールズさんの立場が悪くなるというのであれば、場所を教えてくれるだけで充分です」
彼女の言葉や態度について指摘しなかった。
他人の揚げ足を取って喜ぶような趣味はないし、この局面でシールズ嬢の嘘を指摘したところで、まったく何の意味もないからだ。
私は魔王を騙したいわけでも、殺したいわけでもないのである。
「……私の不誠実さを責めないのだな。神仙よ」
「敵対する陣営のトップに会わせろといっているのですから、諸手を挙げて歓迎されるとは考えていませんよ」
「……貴殿はおかしな男だ。エイジ」
ふ、とシールズ嬢が微笑した。
うん。
しかめっ面をしているより、ずっとその方が魅力的だと思うよ。
「で、案内するのかしないのか。そろそろはっきりするが良い」
横からティアマトが口を挟む。
なんか不機嫌そうに。
あれ?
あれれ?
妬いちゃった?
可愛いところあるじゃないですかー。
にやにや笑ってティアマトを見た。
その瞬間である。
びったん。
「ぎゃーっ!!」
突如として振り下ろされた竜の尻尾が、私の足の甲を直撃した。
ドリトス氏とウッズの街に別れを告げ、東へと向かうこと五日あまり。
森に入ったり街道に出たり。
あきらかに最短距離でない方法で案内するシールズ嬢に従って旅を続ける私たち。
ロバくんに積んである食料の残量も、心許なくなってきた頃。
視界が開け、城塞都市が見えてきた。
「……ガネスの廃城か……」
リューイがぽつりと呟く。
「知っているのかい?」
「噂だけ。魔王に滅ぼされた国や街は数多くありますが、ガネスという都市国家もそのひとつです」
百五十年以上も昔の話である。
きちんとした記録が残っているわけでもないし、現場を見た人間ももういない。
正確な場所だって伝わっていないという。
それでもリューイが知っていたのは、現在のノルーア王国の領域内部に、それがあったからだ。
「一匹のネズミが城に現れ、それがすべての始まりだったそうです。城も街も、一夜にして全滅したとか」
うそ寒そうに首筋を撫でる。
まるで怪談のような話だ。
しかもけっこう出来が悪い系の。
「全滅って、一人残さず死んだなら、誰がその話を伝えたんだろうね」
私は肩をすくめる。
こういうのはよくあったりする。
前提条件に無理がある怪談話、というやつだ。
たとえば、新潟県は月岡温泉に出る女の幽霊の話が、心霊研究家であった故新倉イワオ氏の著書で紹介されたことがある。
その幽霊はミチという名で、江戸時代の人らしい。
越後の回船問屋に奉公をしていた。
そして、跡取り息子の清太郎という青年と恋に落ちる。
もちろん、一介の奉公人と若旦那では身分が違いすぎる。
二人の恋は、当たり前のように周囲に猛反対された。
思いあまった清太郎とミチは、手に手を取って駆け落ちをする。
流れ流れて辿り着いたのが月岡温泉だ。
そのときには、持ち出した金はすべて使い果たしてしまっていたという。
その日の食事にも困り、ついに清太郎は病に倒れる。
ミチもまた、似たような有り様だった。
結局、二人は最悪の選択をすることとなる。
涅槃で一緒になろうと誓いあって、心中してしまうのだ。
ところが、彼らは死んでも一緒になれなかった。
清太郎の遺体は実家である回船問屋に引き取られ丁重に葬られたが、ミチの亡骸は引き取られなかったからだ。
それどころか、足蹴にされたり唾を吐きかけられたりして、路傍に捨てられたという。
恨みをもつのが当然だろう。
それで、清太郎への想いと、引き裂いた者たちへの恨みのため、迷ってでてくるというのだ。
「という話なんだけど、ティアはどう思う?」
「よくある怪談話じゃな。とくにおかしなところはなかったと思うがの」
やたらと背景が詳しく描かれている気もするが、怪談話とはそういうものだろう、と、付け加える。
「ティアほどの人でも、この怪談話の嘘には気付かないんだね」
「嘘とな?」
「うん。ひとつめの嘘は、江戸時代の中期以降、心中なんて言葉は使われなくなったんだってこと」
相対死。
八代将軍吉宗の指示で、心中という言葉はその後の公式記録から抹消された。
忠という言葉をバラした姿が、武家社会のトップにとって非常に不快だったからという説が有力だが、真偽のほどは判らない。
「ふむ。ではその幽霊は吉宗以前の人物ということになろうかの」
「その通りだよ。ティア。そしてそこに、ふたつめの嘘があるんだ」
享保年間よりも前に、月岡温泉は地上に存在しない。
地中深く、誰の目にも触れることなく静かな眠りについていた。
発見されたのは大正七年。
とある燃料採掘会社が、ボーリング調査をおこなった結果、偶然掘り当ててしまったのが月岡温泉なのである。
つまり、自然に湧いた隠し湯などではないのだ。
「ということは、人が住み始めたのもその後というわけじゃな」
「そういうことだね。江戸時代の月岡温泉はただの山野だよ。人が入ってこられるような場所じゃない」
すげー頑張ってそんなところに踏みいって自殺したとしても、死体は肉食獣に喰われるか土に還るか、どっちかしかないだろう。
幽霊になるどころの話ではない。
「呆れた話じゃな。最初から最後まで嘘で固めておるのか」
「怪談なんてそんなもんだよ。論理的な整合性を求めて描かれるわけじゃないからね」
「では、ガネスが滅んだというのも嘘なのですか? エイジさま」
私とティアマトの話を興味深そうに聞いていたリューイが首をかしげた。
「滅んだってのは本当だと思うよ?」
百五十年以上を経た今日まで生存者が発見されていないのだから、そこに疑う余地はないだろう。
でも、一晩でってのが胡散臭い。
人々を恐怖させようという作為を感じる。
「わざと流された噂なんじゃないかな、とね」
私はシールズ嬢に視線を向けた。
参考資料
新倉イワオ 著
『心霊恐怖夜話―新倉イワオの怪奇スペシャル』
河出書房新社 刊