見え隠れする真相 6
マードック一座とは、モステールの街で別れることとなった。
さすがにここから先は、芸をしながら旅をするわけにはいかない。
一ヶ月近くも寝食を共にしてきた仲間との別離は、けっこう名残惜しいが 仕方のないことである。
「生きての別れです。縁があればまた会いましょう」
そういって差し出されたマードック氏の右手を、私は強く握りかえした。
「ええ。必ず」
ふたりとも大の男だから、涙は見せない。
こみ上げてくる熱いものをぐっとこらえる。
視界の隅っこでは、アイリがヒエロニュムスとの別れを惜しんでいた。
あっちは泣きながら抱きついてる。
おいおい。ヒエロニュムス卿。
まさかとは思うけど、責任を取るべき行為とかしてないだろうな?
再会したとき、アイリが赤ん坊を抱いてたりしたら、しかもその子に猫耳と尻尾があったりしたら、ちょと洒落ならんぞ?
「かくして両者の道は分かたれり。ふたたびまみえるのはいつの日か」
朗々とご老体が歌い上げる。
うん。
語り部どの。あなたはとてもブレないじいさんだったよ。
どうかご壮健で。
さて、あまりのんびりもしていられない。
私たちは朝のうちにモステールを出発した。
すでにして一晩以上のタイムラグがあるのだ。こちらの方が身軽とはいえけっこう致命的な距離が開いている可能性もある。
ただ、私たちは旅の途中だったので新たに旅装を調える必要はない。
リューイも伯爵令息とはいえ武人のため身の回りのものなど最低限だ。
知人たちとの別れが済んでしまえば腰は軽い。
「追えそうかな? ベイズ卿」
「大丈夫だ。こんだけ痕跡のこってりゃあ、においをたどる必要もねえ」
頼もしいことを言ってくれる魔狼どのだ。
モンスター軍団の生き残りは千から二千と推測される。
それが一斉に動くのだから、当たり前のように跡が残る。
足跡だけでなく、食事や排泄のあとも。
ひとりやふたりならばともかく、完全に消すことは不可能だ。
「ただ、よほど急いで移動してるな。こいつは」
「そんなことまで判るのかい?」
「歩幅がな。人間だって歩いてるときと走ってるときじゃ違うだろ?」
「ああ。なるほど」
ベイズが指さした足跡を見て私は得心した。
おそらくは小鬼のもの。
彼らは人間より背も低く、もちろん歩幅も狭い。
しかし、残されていた足跡は、人間が駆け足をするときくらいの間隔にみえる。
「おそらくは全力疾走じゃな」
「それでは長続きしませんぞ」
ティアマトとヒエロニュムスの会話である。
それもまた事実だろう。
人間でもゴブリンでも良いが、二足歩行というのはあんまり走るのには向いていない。
空気抵抗とかがあるから。
四つ足の獣が全力で走るとき、なるべく身を低くするのは抵抗を受けにくくするためだったりする。
新幹線だって、すごい流線型をしているのはそういう理由だ。
抵抗を受けるということは、それだけ体力を消耗するということでもあるため、人間は長時間に渡って全力疾走はできない。
モンスターだって同じだろう。
「まずは全力でこの場を離脱した。というところかのぅ」
「ありそうな話だね」
考えてみれば、本拠地から長駆してモステールを攻撃した、というのはちょっとリアリティがない。
どこかに前線基地なり侵略拠点なりを築いているのではないか。
交通の要衝を攻略しよう、などと考える将がモンスターたちの中にいるのだ。
その程度の戦略的な発想ができないわけがない。
「どうして私の知恵というのは、あとになってから出るんだろうね」
我ながらけっこう情けない話である。
「それはエイジが軍人でも武人でもないゆえじゃな。もともと政略とも軍略とも無縁に生きてきた汝が、こっちにきたからといって突如として軍才に目覚めたら、そちらの方がどうかしているじゃろ」
ティアマトが慰めてくれる。
まったくその通りだ。
私は一介の地方公務員。
政治の経験もなければ軍事の経験もない。災害出動に駆り出されたこともないような、平和な人生行路を歩んできた。
しかし、経験がないから判りません、では済まされないのが、いまの状況である。
「待ちかまえてるかもしれないね」
「んむ。ありそうな話じゃ」
露骨な退却、露骨に残る痕跡。
そしてその先には前線基地。
罠か。
追撃してきたアガメムノン伯爵軍を誘い込んで袋叩きにするための。
たんなる数の比較なら、モンスター軍団の残存は千以上、アガメムノン軍のそれは五百足らず。
勝負にならないのである。
苦手な野戦ではなく、自分たちの得意なフィールドに引っ張り込んで戦おうと考えても、なんら不思議ではない。
「このまま追いかけるのは危険かもしれませんね」
慎重にリューイが発言する。
「だね」
私は頷いた。
無責任さと派手好みというのは、たいていは比例関係にある。
リューイはチームの中で唯一、軍事の専門家だ。
彼の意見を傾聴しないなら、そもそも同行してもらった意味がない。
「小生が単独先行して偵察をおこないましょうか?」
ヒエロニュムスの献策だ。
だが、私はゆっくりと首を振る。
相手が、たとえば山賊なり野盗なりだったなら、妖精猫の戦闘力で充分に対処できるだろう。
しかし今回の相手は凶猛なモンスターである。
気配を断っていても見つかる可能性があるし、もしそうなった場合、捕まって殺されちゃう可能性だってあるのだ。
そんな危険は冒せない。
「慎重にいこう。ヒエロニュムス卿。ここは石橋を叩いて渡った方が良い」
いつかはギャンブルに出なくてはいけない場面はあるかもしれない。否、間違いなくあるだろう。
でもそれはいまじゃない。
ここで無理をしても得るものは何もないのだ。
「追撃が目的ではないしの。痕跡を見失わぬようにだけ気を付けてゆっくりと追いかければよかろうよ」
総括するようにティアマトが言った。
追いついて叩きのめす必要なんかない。
むしろ戦闘する理由もない。
モンスターたちは間違いなく本拠地に帰還するはず。
追撃を防ぐための罠に、いちいち飛び込むのはばかばかしいというものだ。
こうして私たちは再び追跡を開始する。
そして二日後。
もぬけの殻になった彼らの前線基地を発見するに至った。
待ちかまえているだろうと予測していた場所だ。
「罠どころか、動物一匹いやしねぇな。どういうこった?」
森林のなかにぽっかりとあいた空白地帯。
小鬼や豚鬼を人足として使って建造したのであろう粗末な砦が、寂しげに佇んでいる。
ざっとひとわたり見て回ったベイズが首をかしげる。
「そう……か……そういうことなのか……」
愕然とした表情で、リューイが立ちすくんでいた。
「どうしたんだい?」
「エイジさま。申し訳ありません。完全に裏をかかれました」
深々と頭を下げる。
もちろん私には意味が判らない。
ここにモンスターがいないというのは、そんなにまずい事態なのだろうか。
「そんなにまずい事態なのじゃよ。エイジや。いまヒエロニュムスと見て歩いたのじゃがな」
「足跡は四方八方に伸びており、どの方角に撤退したのか判断することは難しい。そうではありませんか? ティアマトさま」
やれやれという表情で戻ってきたティアマトの言葉を、リューイが引き継いだ。
質問の形式をとっているが、それは確認だ。
「んむ。どうやら我らは一杯くわされたようじゃの」
「えー? どういうことだよ? ティア」
「父に聞いたことがあります。罠があると思わせるだけで健常な判断力を奪うことができる、と」
問いに答えたのはリューイだった。
私たちは待ち伏せを警戒して、ゆっくりと追跡した。
これこそがモンスターどもの張った罠である。
その間に彼らは、何処に去ったのか判らなくなるように工作して、悠々と逃げおおせた。
なまじ慎重に行動したために、敵に時間を与えてしまったのである。
せめてヒエロニュムスの献策を受け入れて単独偵察を出していれば、この結果は避けられた。
いまさらの話だが。
「石橋を叩きすぎて橋を壊してしまった、という状況じゃな。ようするに読み合いは我らの完敗じゃよ。エイジや」
「なんてこったい……」