リスタート! 10
東へ東へと旅を続け、ノルーア王国の領域に入ったのは、盛夏から晩夏へと季節が移りつつある頃だった。
本来なら、そこまでの時間が必要な行程ではない。
マードック一座の行動に合わせているため、公演する町ではどうしても滞在期間が長くなってしまうのである。
ただ、それは私たちにとっても悪いことではまったくなかった。
行く先々で枝豆を宣伝することができたからである。
しかも一座の語り部が、適当な伝説まででっちあげて語ってくれたから、効果はてきめんだった。
人々を滅びから救うために神仙が加護を与えた豆、それが仙豆。
どうして家畜のエサなんかに加護を与えたのか。
それは人々に対する戒めだ。
魔王が滅びた後、平和と繁栄の中で人々は堕落していったから。
思い出せ。
あの苦しかった時代を。
泥水をすすってでも生き延びようとした、あの精神を。
絶対に魔王を倒し、勝利を掴もうとしていた、あの闘志を。
家畜のエサだから食えない?
なにを甘えたことを言っている。
何だって食べただろう? 何だって武器にしただろう? 何度だって立ちあがっただろう?
とまあ、こんな内容のことを語り部が抑揚をつけて歌うのだ。
それにあわせるように、マードック一座の面々が踊ったり芸を披露したりする。
私たちの感覚でいうと、演舞を交えた即興劇みたいな感じである。
勇者が魔王を倒すまでの壮大な物語。
アフターストーリーとして平和と繁栄。
そこに神仙の戒めが加わった。
町の広場とかで演じられるそれを、集まった観客たちはエール酒を片手に楽しむのである。
つまみはもちろん、枝豆とギャグド肉だ。
旅程の途中で狩ったギャグドや、農家から買い取った枝豆を、格安で町の料理屋に提供して振る舞わせているのだ。
これが当たった。
炙り焼きにしたギャグド肉を食いちぎり、枝豆をエール酒でぐいぐいと流し込みながら、即興劇を楽しむ。
足を踏みならし、歓声をあげ。
アイリの投げナイフの妙技や、マードックやヒエロニュムス(なんでお前が参加してるんだ)の勇壮で華麗な剣技、舞姫たちの妖艶な舞踊に酔いしれるのである。
そして翌朝目覚めると、体のだるさはだいぶ消えている。
これが神仙の加護を受けた仙豆かと、枝豆が飛ぶように売れてゆく。
もちろん私たちが卸した分ではとうてい足りない。
商人たちは近隣の農家へと走ることになる。
勝手に増えるくらいの繁殖力を持った厄介ものの大豆に買い手がつき、生産者たちは嬉しい悲鳴をあげる。
噂が噂を呼び、たいていひとつの街で一度しか公演しないマードック一座は、二度三度と公演する。
連日連夜、客が詰めかけおひねりが宙を舞い、広場近くの飲食店にも行列ができる。
もちろん目当ては仙豆とギャグド肉だ。
肉の方はさすが簡単には手に入らないため、ベイズがひょいひょいと狩りにいってくれている。
そうやってかなりスローペースな旅を続けているうち、王都リシュアから名産品が追いついてきた。
ずんだ餅である。
旅芸人よりずっと身軽に旅する行商人たちが、リシュア名物を運んでくるのだ。
荷車に積んだジーアポットに入れて。
「冷たいずんだ餅というのもオツなものじゃのう」
とは、ティアマトの言葉であるが、こいつは食いしん坊ドラゴンだからそう思うだけである。
私としては、つきたての餅にのせてこそ、ずんだは美味しいと思うよ。
ちょっと固くなりかかってるし。
しかも高いし。
手のひらにふたつくらいのせられるサイズのずんだ餅が、なんとひとつ銀貨4枚。
私たちがリシュアで売ったときは、ひとつ銀貨1枚ちょっとだった。
どんだけぼったくりなんだって話だろう。
ふざけんなって価格なのに、これがまた飛ぶように売れる。
「なんでも、ラインハルトが自ら陣頭に立って販売促進をやっておるらしいの」
行商人から、いろいろ情報を仕入れたらしい。
ただ大金を支払ったわけではない、ということで良いのだろうか。
ともあれ、仕入れた情報によれば、ラインハルト王は街頭に立って街の人々にずんだ餅を勧めたらしい。
近衛騎士たちに餅をつかせ、宮廷女官たちに餡を作らせ。
王がそれを餅にのせて、「これぞ神仙がもたらしたアズールの新名物。さあ召し上がられよ」と人々に差し出す。
なんだその絵図って場面だ。
大河ドラマでも似たようなシーンがあったなぁ。
私も見たかった。
そんなこんなで、私たちがアズールを抜けるのに一ヶ月以上の時間を要してしまったのである。
「じつは、これはこれで新たな問題が浮上しちゃったね」
「んむ。まさか夏のうちにノルーアの王都に入れんとは、ちと予想外じゃった」
国境関所。
入国の手続きなどはマードック氏に任せ、私たちふたりはぼーっと立ちながら今後の方針について話し合っていた。
さすがに関所を抜けるまでは、ティアマトたちも人間に変身している。
季節は晩夏。このペースで旅を続けた場合、ノルーア王国の王都ノルンに入るまでには、すっかり秋になっているだろう。
べつに急ぐ旅ではないのだが問題がある。
枝豆の収穫時期だ。
初夏から夏という時期が、大豆を枝豆として食べるのに向いた時期なのである。
それを過ぎると育ちすぎ、かたくなってしまって枝豆には適さなくなる。
加えて、新米の収穫時期がやってくる。
つまり白米の消費量がぐぐーんと増えるのだ。
「地味に問題じゃのう」
長い銀髪をくるくると手で弄ぶティアマト。
この癖は日本でも幾度か目撃したことがある。
困っちゃっているときの仕草だ。
盛夏のうちにノルーアに入れなかった。これは最も脚気患者が増える夏に間に合わなかった、ということである。
私たちの知らないところで、何人が犠牲になったのか想像もつかない。
忸怩たるものがあるが、残念ながらこればかりは仕方がないことなのだ。
すべてを救うスーパーヒーローに、私はなることができない。
手の届く範囲のことを何とかする。
それだって完璧にはほど遠いだろう。
「マードックらのおかげで、かなり草の根的には広がってきたとは思うがの。ノルーアに関してはこれから手を付けなくてはなるまい。思案のしどころじゃぞ。エイジや」
「だね。秋から冬かあ。何かあったかなぁ」
「甘酒はどうじゃ?」
飲む点滴、とかいわれるくらい栄養満点の食品だ。
「それだと、日本酒が先になるんじゃないかな?」
「んむ。酒粕を使うからの」
「そーなると、どうやって日本酒をつくるのかって話になるんだよね」
麹がない。
いや、探せばあるのかもしれないが、あれはようするにカビである。
狙って見つけられるとも思えない。
私の記憶では、それを専門に作る人がいるはずで、たとえば新しく酒蔵を開業するときなどは、まず杜氏を連れてこなくてはいけないらしい。
日本酒の命ともいえる、米、水、そして麹。
最後のひとつは、そのへんに適当にあるカビってわけにはいかないし、現在だって、以前に作られた良質のコウジカビから繁殖させるって方法を取っているはずだ。
「我がくっちゃくっちゃと噛むという手もあるがの」
「それは絵面が悪すぎる」
口噛み酒。
古代日本で作られていたという、ようするに米と唾液を混ぜて吐き出し、それを溜めて発酵させる方法だ。
見た目が悪すぎでしょ?
そういうのを喜ぶ輩もいるかもしれないが、私は違う。
いくら恋人だって、吐き出したものを食べたいとは思わないのである。
「であれば、使える麹を探すしかあるまいのう」
「だね。結局、味噌をつくるにしても醤油をつくるにしても、そこに行き着いちゃうんだよなぁ」
結局のところ、日本の食文化は麹の存在なしには語れない。
くっそくっそ。
異世界内政モノの主人公たちは、どうやって麹を手に入れてるんだ。
私の懊悩をよそに諸手続を終えたマードック氏が、こちらに手を振っていた。
この世界にきてふたつめの国、ノルーア王国での生活が始まる。