リスタート! 9
悩みどころである。
マードック一座と行動をともにすることによって、私たちにもたらされるメリットは、それなりにある。
まず第一に食事だ。
家事能力の低い私と、皆無の三人。
道中、まともな食事にありつけるはずもない。
宿場に泊まれるときは問題ないが、野宿となったら私だけ飢えてしまう。
いや、たぶんベイズやヒエロニュムスが、獲物を獲ってきてくれるとは思うんだけど、たとえば鳥っぽいものをはいと渡されても、私にはどうすることもできないのだ。
その意味では、一座のご厄介になるというのは、そう悪い選択肢でもない。
リシュアではミエロン家にご厄介になりっぱなし、ノルーアへの道程ではマードック一座のお世話になりっぱなし。
情けない神仙もいたもんである。
とはいえ、プライドの問題は置くとして、旅芸人というのは都合が良いのは事実だ。
なんといっても、不必要に目立たずに済む。
行く先々で、神仙だと崇められるのは、さすがにちょっと煩わしい。
一座の護衛とかいう名目で同行できるなら、無用のトラブルも避けられるだろう。
ただし、私たちの素性について、マードック一座の面々に話を通しておく必要がある。
善意の同行者に隠し事というのはあまりに不実だし、そもそも隠していてばれたときの方がダメージが大きい。
「我らとて、いつまでも変身していられるわけでもないしの」
「そうなのかい? ティア」
「んむ。だいたい十二時間くらいで魔法が解ける。またかけなおせば良いだけじゃが、本来の姿ではないゆえ、多少のストレスはある」
「そういうもんなのか」
「たとえば汝とて、仕事上必要があって女装したとしても、ずっとその格好でいろといわれたら嫌じゃろ?」
「女装する必要があるような、エキセントリックな区役所に勤務した記憶はないけどね」
どんな役所だよ。
愉快すぎるでしょう。
ともあれ、ティアマトの言葉の趣旨は理解できた。
人混みにまぎれるときはともかく、夜間やプライベートタイムなどは本来の姿に戻りたい、というのはべつに彼らに限った思いではないだろう。
女性だって、家に帰って最初にしたいのは化粧を落とすことだというし。
「ティアたちが一座で過ごすなら、本質的には普段の姿でいたいってことだよね」
「んむ。町に入る時などは変身するがの」
「その条件を、マードックさんが飲めるかどうかだね」
ごく短い作戦会議を終え、私はマードック氏の元へともどった。
神仙であることをあかし、それでもともにあれるか確かめるためだ。
「ああ。そのことですか」
事情を説明すると、意外なほどあっさりとマードック氏は納得した。
というより最初からばれてたっぽい。
なんてこったい。
「たったおひとりで山賊を蹴散らしてしまわれたベイズさん。その戦闘力も俊足も、とても人間のものとは思えませなんだ。そのベイズさんが大将と仰ぐお方が、ただの人間とは誰も思いませんよ」
笑ってるし。
しかし残念ながら、私はただの人間なのである。
たぶん戦ったらナイフ投げのアイリ嬢にすら勝てないだろう。
チート能力とか持ってないので。
「過大評価だとは思いますが、改めて。私は神仙のエイジ。こちらは相棒のティアマト」
私の紹介に応えるように、ティアマトがどろんとドラゴンの姿に戻った。
「魔狼のベイズ。妖精猫のヒエロニュムス」
ふたりもまた本来の姿に戻る。
一座の面々は、驚きはしたが恐慌には陥らなかった。
肝が太いなあ。
サイファチームなんか、ベイズと初対面のとき、死闘に突入する勢いだったのに。
やはり神仙というネームバリューが効いているのだろうか。
ちなみに、ヒエロニュムスの周りにはまた女性陣が集まっている。
人間の姿でも伊達男、元の姿でもモテモテ。
なんなんだこいつ。
敵か? ちくせう。
「おおう……おおう……」
恐慌には陥ってないけど、感涙を流している人はいた。
たしか語り部と呼ばれる人で、いろんな伝承とかを話してくれる人らしい。
アイヌ伝承を語ってくれる人みたいなもの、という認識でだいたいあってるだろう。
「ドラゴン、フェンリル、ケットシーを率いたハミット……。世界を滅びから救う旅を……」
やめて。
歌にしないで。
さも当然のように伝承として伝えようとしないでください。
お願いします。
なんだか、なし崩し的に同道することになったマードック一座。
彼らは総勢十名の集団である。
これに二頭引きの幌つき馬車が一両。
けっこうな大所帯である。
年齢層も幅広い。
下は十歳の少年から、上は六十代のご老体まで。
ちなみにマードック氏は四十六歳だってさ。
もちろん私が歳を告げると驚かれた。いつものことだ。
彼らは、だいたい二年くらいかけてこのあたりの各国をぐるりと一周する。
ざっと八カ国。
立ち寄る町の数は百を超える大行程である。
「では、脚気について、あるいは各地で蔓延しているのを目撃していますか?」
「ええ。もちろん」
私の質問に、マードック氏は沈痛な面持ちで頷いた。
やはりアズール王国に限った話ではなかった。
勇者様がもたらした稲作は、確実に世界を変えたのである。
安定した生産。効率の良い収穫。そしてなにより美味。
そりゃなあ、中世ファンタジー風の世界に食味ランクAの『きらら397』なんて持ち込んだらなぁ。
舌の肥えた現代人にも通用するようなモノだもん。
これより不味いものを食えと言ったところで、たぶん見向きもされない。
あらためて、厳しい戦いだよ。勇者殿。
「ちなみに、脚気のことはどのように受け止められているのでしょうか」
「ほとんどは原因不明ですね。魔法医も研究は続けているのでしょうけれど」
頭を振る。
魔法でどうにかなるなら、ティアマトや私が送り込まれたりしない。
「そもそも回復魔法というのは、病気を治すためのものでもないしの」
横から口を挟むドラゴン。
びったんびったんと尻尾で地面を打っている。
なんかこの姿の方が安心感あるなぁ。
「そういうもんなのかい? ティア」
「魔法では、失った血を元に戻すことはできぬ。癌細胞を消し去ることもできぬ。老化を止めることもできぬ。万能の力ではないのじゃよ」
そりゃそうか。
魔法で病気が治せるなら、病死する人はゼロになる計算だ。
老化を遅らせることができるなら、この世界の人々の寿命が私たち現代人より短いわけもない。
「しかし、リシュアでは違っておりましたな。素通りしただけですが、町の人々は元気そうにみえました」
「良かったです」
微笑してみせた。
まだまだ始まったばかりだが、枝豆もコロッケも少しずつ根付いてくれている。
ティアマトが残したぬか漬けの知識も、いずれは実を結ぶだろう。
「エイジさんがたの手管ですか? やはり」
「私たちの知恵が役に立ったなら幸いなのですが」
なんとか良い方向に向かって欲しい。
「いえいえ。立派なことだと思いますよ。ところで、我々はどうして脚気とやらにかからないのでしょう」
ふと心づいたようにマードック氏が問う。
「食べ物のせいですね」
対する私の解答は簡潔なものだ。
「雑穀を混ぜたご飯。あれが予防になっているんですよ」
「なるほど。我らの貧乏性が幸いするとは。判らないものですな」
笑い合う。
便利になったー わーい と、喜んでばかりもいられない。便利さや豊かさの影には、けっこう落とし穴があったりするものなのだ。
「すべての事柄にはなにがしかの繋がりがあるものじゃ。この世界に神仙の知恵を持ち込むというのは、その繋がり方をおかしくしてしまうものなのじゃよ」
「で、おかしくなった繋がりを何とかするために、また神仙の知恵を使わないといけない」
ティアマトの言葉に肩をすくめる私。
「なんにつけ、簡単に解決する問題などない、というところでしょうな」
総括するようにマードック氏が言い、世知辛いことだと笑った。