リスタート! 8
マードック一座には、決まった料理人がいるわけではない。
共同生活なので、輪番で炊事を担当しているらしい。
今日の担当者はアイリという少女だった。
小麦色の髪と鳶色の瞳をもっていて、年の頃なら十四、五。一座ではナイフ投げの技とかを見せているという。
「これは肉……? 冷たっ!?」
私たちが提供したギャグド肉に驚いている。
「魔法で冷たくしてるの? エイジ」
「いやいや。この壺は誰にでも作れるんだよ。魔法でも何でもないさ」
むしろ驚いたのはジーアポットか。
ちなみにギャグドの肉は四キロほどある。
このまま持ち歩いても仕方がないので、すべてこの場で提供してしまうことにした。
一座の十名と私たち四名で食べても、けっこうな分量があたるだろう。
「おかずがあるなら、みんな喜ぶよ」
「それは良かった」
ちなみにジーアポットの中身は、あとは枝豆が少しと甜菜糖だけである。
保存食とかは入ってない。
いちおう、かちかちに固いパンと乾し肉とワインを冒険者ギルドのガリシュ氏が持たせてはくれたが。
問題は、私の顎でこいつらを食えるのか、甚だ疑問だという点だろう。
ていうか、私たちって生活力ないなぁ。
宿場以外で泊まることになったら、どうしたら良いんだろう。
私の将来に対する不安など知ったこっちゃなく、アイリがご飯を炊き始める。
やっぱり米食が基本らしい。
炊飯ジャーもないのに、たいしたものである。
「町の人には笑われるんだけどね」
私の視線に気付いたのか、アイリが舌を出す。
ん?
笑われるようなこと、なにかしているっけ?
鍋でご飯が炊けるなんてすごいなぁと思っていただけなのだが。
「あたしたちはご飯にいろいろ混ぜちゃってるから」
「そうなのかい?」
「白米だけじゃなんか力が出なくてね。自分の当番のときに、みんないろいろ混ぜて炊くんだよ」
そういってアイリが見せてくれたのは、雑穀だ。
「これがアイリブレンド」
「ほほうっ」
麦やひえ、玄米や大豆まで混じっている。
他にもいろいろ入ってそうだが、私程度の知識では判らない。
なるほど。
旅をしているからこそ白米ばかりは手に入らない。
いつだって充分な量を仕入れられるか保障もない。となれば移動中は節約しなくてはならないだろう。
雑穀などを入れてかさを増す、というのが当初の目的だったのかもしれない。
それが結局、この一座を脚気から救った。
よく動く人々なのに、どおりで元気なはずだ。
彼らは経験によってきちんと脚気を予防していたのである。
「これが人の知恵じゃな。あるいは彼らのような存在こそが、救い主かもしれぬぞ。エイジや」
歩み寄ってきたティアマトが感心したように言った。
私も大きく頷く。
人間には、ちゃんと解を導ける力がある。
米が炊ける匂いと、肉が焼ける匂いが漂いはじめていた。
マードック一座の食事は、けっして美味しいものではなかった。
雑穀が半分以上のご飯と、軽く塩をふって焼いただけのギャグド肉である。
豪華な、という表現からはほど遠い。
「うーん。調味料がもう少し欲しいよね……」
味もなんにもない雑穀米を、もそもそ食べながら私が言った。
ベイズとヒエロニュムスは、まったく文句も言わずに食べている。
こいつらは基本的に何でも食う。
好き嫌いとかそういうのは皆無だ。
羨ましい限りである。
「ノルーアには海があるでの。あるいは魚醤などならあるかもしれん」
器用に匙を動かしながらティアマトが応えた。
そういえば、変身したら両手を器用に使えるんだね。
普段は四足歩行のベイズやヒエロニュムスまで。
魔法は、いと不可思議なものなり。
「しょっつるみたいなやつかぁ。ううーん」
「汝は嫌いであったの。ナンプラーとかも」
「ちょっと生臭くてさ」
「であれば、結局、みそをつくるしかないのではないかの。できれば日本酒も」
大豆もある。
米もある。
味噌ができれば、そこから派生して醤油が作れるはずだし酢も作れる。
そこまでいけば、本当の意味でこの世界の食文化に一石を投じることになるだろう。
調味料がそろわなくては、素材の味だけで勝負するといっても限界があるのだ。
副食を広めるには。
「けど、そこまで手を出していいものか……」
「いまさらじゃよ。我らはすでに砂糖を作った。あれは瞬く間に世界を席巻するじゃろう。他のものも伝えて、なにも悪いことはない」
「そうなんだけどさ」
異世界の人々が生活習慣病やメタボリックシンドロームに悩まされる、という未来図は避けたいところなのだ。
いや、おそらくは何百年か、何千年か後には、そういう社会問題が出てくる。
文明が発達して、食生活が豊かになってゆくと、まず間違いなくその流れに乗ってしまうだろう。
ただ、やはりそれははるか未来の出来事にしたいのである。
この時点で、私が引き金を引くのはいささか怖い。
「また答えの出ぬことをうじうじと考えておるな」
ティアマトが言い、なぜか私の後頭部にキスをした。
「…………」
「…………」
「……独特な愛情表現だね。ティア」
にまにまと笑ってやる。
こいつ、私の頭をかじろうとしたんだぜ。きっと。
人間に変身しているのを忘れて。
彼女は背後にいるから私には見えないが、まちがいなく顔を上気させているだろう。
やった。
勝ちましたよ。
みなさん。見てくれましたか。
私、ティアマトに勝ったんですよ。
「愛されていると実感できるよ」
にまにま。
「うっさいわっ!」
「ぎゃーっ!!!」
私の悲鳴が木霊する。
なんと、このティアマトは私の耳を鷲掴みにして持ち上げやがったのだ。
人間の姿になっていても、パワーは今まで通りに出せるらしい。
魔法って便利だなぁ。
「痛い痛いっ!! 耳ちぎれる!!」
「耳なしエイジじゃな」
「その故事は全然ちがいたたたたたたっ!!」
「反省したか?」
「したっ! しましたっ!! さーせんっしたっ!!」
「んむ」
解放してくれた。
耳が痛いよう。
さする。よかった。とれてないよ。
だめでした。
私ではティアマトに勝てなかったよ。
未来の勇者たちよ。あとは君たちにすべて託した。
がく。
「なにを言っておるのじゃ。痴れ者め」
ティアマトが私の頭を小突く。
振り向こうとしたら、なんかがっちりホールドされた。
了解です。
いまは振り向いちゃいけないってことですね。
私は夕鶴の主人公ではないので、見るなと言われたら見ませんよ。
「ともあれ、ノルーアには海があるんだね?」
「んむ」
ならば、たらこが手にはいるかもしれない。
スケソウダラは冬の魚なので、今すぐは無理だろうけど。
「味噌造りのための下地をつくって、同時進行でどんな魚が捕れるかの調査かな」
北海道と変わらない気候なら、捕れる魚も変わらない。
と、いいなぁ。
すでにイノシシがいたので、過大な期待は禁物だ。
「エイジさんたちは、ノルーアを目指しているのですか?」
遠慮がちにマードック氏が訊ねてくる。
恋人同士がいちゃこらしているから気を遣ってくれた、というところだろう。
間違ってはいないが、どことなく釈然としない。
ティアマトはたしかに私の恋人がこちらの世界にきた姿なんだけど、ドラゴンなんだよ?
変身魔法で人間に化けてるだけで、ブレス一発で森を消しちゃうような存在なんだよ?
恋人らしい行為に及ぶなんて、できるわけないじゃない。
「ええ。今のところはノルーア王国を目指しています」
ただそこで旅は終わらないだろう。
勇者様の影響が、どの程度の範囲まで広がっているのかを確かめ、対処法を考えなくてはいけないからだ。
私が死んだときのような、戦争で解決という方向に進まないために。
「もしエイジさんさえ良かったらなのですが、我々と同道しませんか? 目的地も同じのようですし」
旅芸人一座の長が笑う。