リスタート! 7
基本的に、この時代の人々は徒歩で旅する。
まあ、日本だって明治になるまでは徒歩の旅が普通だった。
となれば、当然のように一日に移動できる距離というものが決まってくる。
この距離が、だいたい三十キロ。
リシュアからその三十キロ程度のところにも、やはり宿場は存在する。
自然な流れである。
街を起点として、旅人が休むようなところに店ができる。
食事を提供したり宿を提供したり。それがどんどん規模が大きくなっていったのが宿場。
人が集まるということは、そこに利益が生まれるということだからだ。
逆にいえば、中途半端な位置にある、あるいは主街道から外れた町や村は、どんどん廃れていく。
通過するだけだから仕方のないことである。
アズール王国に限った話ではなく、じつは現代日本だって同じだったりする。交通機関が発展し、自家用車があるような時代でも、やはり不便な田舎町は消え去る運命から逃れることは難しい。
「人間の行動パターンというものは、どんな世界でもたいしてかわらないものじゃの」
ほてほてと街道を歩きながらティアマトが言った。
「まあね」
私は肩をすくめてみせた。
時が移り、所が変われど、人類の営みには何ら変わるところはない、というやつである。
「そこで銀英伝を持ち出すのはどうかと思うがの。しかもアニメ版とか」
「好きなんだから仕方ないじゃないか」
「他者をうらやみ、ねたみ、憎み、それでも愛されたいと願うのが人間じゃ。努力せずに結果を得たい。変わらぬ日々から抜け出したいと思っているクセに踏み出せない。何かを成そうと頑張っている人がうっとうしくて仕方がない。他人の成功が羨ましくて仕方がない。それが人の本質じゃて」
だが、それを度しがたいと思うか、とティアマトが続ける。
思わない。
人間とは感情のイキモノだ。
嫉妬でも羨望でも憎悪でもいいが、これを失ってしまったらもう人間とはいえない。
ただの機械である。
「さて、高尚な人間学の間にも、待ち人が見えてきたようですぞ」
ヒエロニュムスが注意を喚起した。
私たちはゆっくり歩いていたのだが、ベイズが助けた隊商は、立ち去りもせずに待っていたようである。
三時間近くも!
律儀というかなんというか。
どちらかといえば、いなくなっていてくれた方がありがたかった。
「仕方があるまい。縁を結ぶしかなかろうよ。どんな悪縁か奇縁かは知らぬがの」
「良縁であることを祈るよ」
出発から半日で頓挫とか、旅としては笑えない。
視線の彼方、私たちに気付いたのか、隊商のリーダーっぽい人が頭を下げていた。
大荷物から、私は彼らを隊商だと察していたのだが、残念ながら読みは大ハズレだった。
なんと、旅芸人の一座だったのである。
日本ではとんと見かけなくなってしまったが、それでも定山渓の温泉ホテルなどでは、年に一回くらいはそういう人たちが訪れるらしい。
娯楽の少ないこの世界では、もっと盛んだ。
テレビもラジオもネットもないのである。
人々の楽しみとは、食べること飲むことに集約される。あとは夫婦の営みとか。
「まあ、陽が落ちてしまえば男女がやることはひとつしかないからの。現代日本でも田舎は子沢山なものじゃ」
せっかく私が表現をぼかしたのに、どうしてこのドラゴンははっきりいっちゃうのか。
ともかく、この世界もかつての日本がそうだったように多産である。
そして日々の生活に追われているから、娯楽というものがほとんど存在しない。
ゆえに旅芸人というのは歓迎される。
娯楽を提供する存在だからだ。
嘘か本当かまでは判らないが、私がかつて読んだ本には、一座の長というのはたいへんに尊ばれ、ときには立ち寄った町のトラブルの調停役なども引き受けたと書いてあった。
「このたびは、危急を救っていただき、感謝に堪えません」
その尊敬される座長が、私に対して丁寧に腰を折る。
「いえいえ。その功績はベイズのもので、私がお礼を言われる筋ではありませんよ。まして私たちは冒険者です。困っている方がいれば力になるのはむしろ当然かと」
F級だけど、いちおう私とティアマトは冒険者なのです。
ちなみに、猫や狼は冒険者にはなれません。
「若さに似ずしっかりとしたお方ですな」
感心したような座長さん。
彼の名は、マードックというらしい。
見た目は五十代の恰幅の良い男である。で、この外見ということは、たぶん私とそんなに歳は変わらない。
やや慌ただしく自己紹介が交換され、親和力が高まってゆく。
そんな中、マードック氏が一座の者に合図を送り、布に包まれたなにかをもってこさせた。
なにかっていうか、あきらかに謝礼だろう。
大きさから見て、たぶん現金。
「命を救っていただいた御礼を、金銭で済ますご無礼をお許し下さい」
そう言ってマードック氏が布を取る。
あらわれたのは金貨。
五十枚ほどはあるだろうか。
大金だ。
私の腕時計を売ったときだって、金貨百枚だったのである。
「いえいえっ 受け取れませんからっ」
ちょっと慌てて押し戻す。
これを受け取っちゃったら善意の押し売りだ。
「しかし、我々には金銭以外に報いる術がないのも事実なのです。受け取っていただかなくては、こちらが困ります」
「そんなことを言われましても……」
謝礼が欲しくて助けたわけではないし、そもそも成り行きでそうなったというだけで、本当に偶然なのだ。
ちらりとティアマトを見る。
ベイズがやったことなのだから、彼が折衝を担当するのが本当なのだろうが、魔狼にそんな芸当はできない。
むしろ最初の段階で、大将に任せたとかいってMARUNAGE祭りである。
軽く頷いた銀髪の美女がすいと手を伸ばして、金貨の山から四枚だけ取った。
「我らへの報酬ということであれば、これだけで充分じゃよ。マードックや。なにしろ我らはF級冒険者にすぎぬからの」
四枚。
ひとり一枚の計算である。
さすがに上手い。
マードック氏にもプライドがあるだろうから、一度出した財布は引っ込められない。
しかし五十枚というのはあまりにも過大で、私たちとしては気後れしてしまう。
だから、F級であるということを逆手にとって、どちらにもダメージのない報酬額として受け取ってみせたのである。
「なんと無欲な……」
「いらん欲を掻けば命を縮める。冒険者の心得じゃよ」
「そうだね」
えらそうに言うティアマトに微笑してみせ、私が言葉を繋げる。
「マードックさん。もしそれでも気が済まないというなら、昼食をご相伴にあずからせてもらえませんか?」
沖天にかかる太陽を指さしながら。
朝から歩きづめだし、そろそろお昼ご飯にしても問題ないような頃合いだろう。
腕時計がないから正確な時間はわからないけどね!
「食事ですか……?」
すこし顔を曇らせるマードック氏。
おや?
気を遣わせないための提案だったのだが、なにかまずかっただろうか。
「我らの食事は貧弱でして……。とても客人をもてなすようなものでは……」
なんだ。
そんなことを気にしていたのか。
「かまいませんよ。私たちだって旅の身です。立派な食事とかだされたら、そっちの方が気後れしてしまいます」
それに、こちらも少し食材を提供すると付け加えた。
むしろね。
つくってもらえるだけでありがたいんだわー。
私を含めた、このチームの調理技能はゼロなんですよ。
ロバの背に積んだジーアポットには、幾分かのギャグド肉とか入っているが、ぶっちゃけどうやって食べようか悩んでいたくらいなのである。
せっかくミエロン氏が持たせてくれたけど、このままいくと遠からず破棄の運命かなぁ、と。
消費できるときに使ってしまった方が、食材だって報われるというものだ。
参考資料
田中 芳樹 著
徳間ノベルズ 刊
『銀河英雄伝説』シリーズ