リスタート! 5
「私たちは神仙ですので、世俗の利益や名誉に興味はありません。そちらの方はミエロンさんや陛下にお譲りいたします」
私は笑ってみせる。
儲けるのは商人。
名声を得るのは王家。
それでいい。
私の仕事は、勇者殿が壊してしまった世界を元の流れに近づける。ただそれだけだ。
「エイジどの……いや、神仙さま!」
客用ソファから飛び降り、ラインハルト王が、かばっと平伏した。
え?
なんですか? 突然。
どういう流れなんですかこれ。
目を丸くする私に、
「朕は、貴公がこの国を滅ぼすつもりだと思っていた! 奇病は神仙の怒りなのだと!」
なんすかそれ。
私は大魔神とかそーゆーやつですか。
「貴公を城に呼び出し、殺すつもりだった!」
うん知ってる。
じっさい殺されたし。
「しかし貴公は参内せず。仙豆も兵たちには効かなかった。朕は神仙を怒らせてしまったのだと思っていた」
「陛下。お顔をおあげください。殺意は罪ではありません」
私も席を立ち、ラインハルト王を起こす。
誰だって、こいつぶっ殺したいと思うことはあるだろう。
妄想の中で八つ裂きにすることだって珍しくない。
しかし行動を起こさないなら、それは犯罪でもなんでもない。
「まして、起きてもいない事態に対する謝罪は必要ありませんよ」
「エイジどの……」
「ですから、あなたが救ってください。あなたの民たちでしょう?」
わだかまりを解く笑顔を浮かべる。
この人は一生懸命なのだ。
一生懸命、君主たろうとしている。
だから、国にひびを入れるかもしれない存在の私を、生かしておくことはできなかった。
ただそれだけの話だ。
「神仙の知恵は伝えました。ここからはあなたたちの仕事です」
そういって、私はこの世界の人々を見る。
去りどきである。
いまは感動しているラインハルト王だって、すぐに私が邪魔になるだろう。
「私とティアは、そろそろこの国からお暇しようと思いますよ」
前にもティアマトと話しあっている。
世界を救うなら、いつまでもアズール王国に留まってはいられない。
「エイジさま!?」
ミエロン氏が血相を変えた。
あ。そういえば彼には何も言ってなかったか。
「すまんのぅ。ミエロンや。我らはあまり長く、ひとつところには留まれぬのじゃよ。名残惜しいがの」
ティアマトが助け船を出してくれた。
さすが相棒。
「じゃが、突然すぎて戸惑わせてしまったのは、我らの手落ちじゃ。詫びというわけでもないが、もうひとつ教えてゆこうかの」
そういって語ったのは、ぬか床とぬか漬けの作り方だ。
うまい。
このタイミングなら、漬け物を試食しなくて済む。
ナイスだティアマト。
彼女の説明によると、ぬか床の完成には二十日くらいかかるらしいし、そこからぬか漬けができるまで、やっぱり二十日くらいかかる。
食べなくて良いパターンだ。
「もちろん、今日明日に出立、というわけにはいきません。旅装も調えなくてはいけませんし」
よからぬ事を考えている内心を表情に出すことなく、私が言った。
冗談はともかくとして、私たちがこれ以上リシュアの街に滞在していても、良いことは何もない。
商売人や統治者として成功するなら拠点があった方が絶対に良いが、私たちはそのどちらでもないからだ。
ただ、旅をするための装備や消耗品などを揃えるために、何日かの時間が必要だろう。
あと、旅費だって工面しなくてはいけない。
「いやいや。そのくらいはアズール政府とミエロン商会が用立ててくれるのではないかの」
いつものように呵々大笑するティアマトだった。
あっという間に時が過ぎ、出発の朝である。
ティアマトの言葉ではないが、王国政府もミエロン商会も冒険者ギルドでさえも、私たちに援助を惜しまなかった。
気前よく暖かい衣服や背負い袋をプレゼントしてくれ、荷物を運ぶためのロバまで都合してくれる。
申し訳なくなるほどであった。
そして援助は惜しまなかったが、別れは惜しんでくれた。
ありがたいことに。
ちなみに最たる者はサイファである。
彼は自分もついていくといってきかず、どうして自分を捨てるのかと問いつめ、悪いところがあるなら直すからと、わけのわからないことまで言い出す始末だった。
あげく、おいおいと泣き出しちゃったから、私もティアマトも表情の選択に苦労した。
サイファの申し出はありがたいし、ここまで慕われていると思えば、無碍にもできない。
私だって離れがたく感じているのも事実だ。
しかし、サイファはリシュアを拠点とする冒険者。
この地には家族もいる。
彼自らの収入と腕っ節で、幼い弟や妹を守らなくてはいけない。
私たちの旅に同行させるわけにはいかないのである。
それに、残される人々の仕事は多く、責任も重い。
アズールを脚気から救う事業は、まだまだ動き始めたばかりだ。
様々な新商品を託したミエロン商会はこれからおおきな成長を遂げるだろう。その課程で王国政府と衝突する可能性だってある。
温厚なミエロン氏だが、他人の恨みを買うこともあるかもしれない。
「だからね。サイファくん。君にはミエロンさんとミレアさんを守って欲しいんだ」
「……判りました。エイジさま。この身にかえても」
そのような言葉で、年若いA級冒険者のサイファチームはミエロン商会の護衛を快諾してくれた。
これからは、ミエロン商会と冒険者ギルドが両輪となって脚気と闘っていくことになるだろう。
もちろん、アズール王国政府も。
この地における私の仕事は、ひとまず終わりを告げたのである。
「準備はできているか?」
部屋の扉がやや乱暴に叩かれ、大男が入ってくる。
誰?
上背は私より頭ひとつ分くらい高く、全身の筋肉はまるで鎧のようだ。
肌は浅黒く無造作に伸ばした髪は、見事なまでの銀髪である。
雰囲気としては歴戦の重戦士。
いや、ホントに誰ですか?
「俺だよ俺。ベイズだ」
「はぁっ!?」
汝は魔狼なりや?
人狼ゲームごっこで遊んでいる場合じゃない。
私の知っているベイズ氏というのは、あんまり人間の姿をしていなかったと思う。
「変身魔法じゃよ。魔狼の姿のままでは、目立って仕方がないからの。ここ何日かで我が教えたのじゃ」
「口調まで変わってるじゃん……」
ティアマトの言葉に、私がげっそりと返す。
どちらかといえば、ベイズの口調はティアマトを男にしたような、古風な言葉遣いだったはずだ。
「変わっておらぬよ。汝が持っている印象が変わったため、汝の耳にはそう聞こえているというだけの話じゃ」
なるほど。
たとえば英語とかなら、老人も子供も同じ言葉を使っている。
日本語くらいのものだろう。
こんなにいろんな種類の言葉遣いを使い分けているのは。
「もしかして、ヒエロニュムスも……?」
「さよう。さすがはエイジ卿。見事な類推能力」
筋肉のうしろから、ひょいと顔を出す伊達男。
格好いいテンガロンハットと、粋に着こなしたマント。腰にはレイピア。
切れ長の瞳は黒で、口元の髭までお洒落な感じだ。
嫌味なくらい決まっている。
「見事っていうか……だいたい流れでわかりますよ……」
視線を相棒に投げた。
「んむ。もちろん我だけこの姿では意味がないでな。我も変身する」
どろん、と、ティアマトの姿が変わる。
地球世界で慣れ親しんだ恋人の姿ではなく、銀髪碧眼の妙齢の美女に。
しかもスタイルも抜群。
ハリウッド映画とかに出ていてもまったく不思議じゃない感じである。
なんでその姿にしたし。
日本人の姿で良いよ。
私だけが一般的な日本人って、すごくバランス悪くないか?
「見惚れたか?」
「むしろ呆れたんだよ」
朝からすごい疲れた。
私は大きく息を吐き、右手を差し出した。
「まあ、何はともあれ、今後ともよろしくね」
「んむ」
「任せとけって」
「小生の力の及ぶ限り」
ティアマト、ベイズ、ヒエロニュムスがそれに右手を重ねる。