動き出す歯車 10
何を成せば成功なのか判らない。
異世界生活を始めるとき、私はそう思った。
その解答を監察官が与えてくれた。
ありえない病気を駆逐し、あるべき歴史の姿へと戻す。
戦乱の中、英雄王シズルのもたらした文化も、私のもたらした知識も忘れ去られてゆくだろう。
地球の五世紀ごろには存在しなかった、脚気などというふざけた病気は消えてゆく。
「……ふざけんな」
押し殺した声を絞り出す。
これが、本当に救ったといえるのか。
「気を悪くするのも当然だね。尻ぬぐいが気持ちの良い仕事のはずもない」
「そこまでわかっていて! あなたは!!」
「最初に私は言ったよ。風間エイジくん。世界渡りという制度は好きではないと」
たしかにそうだ。
私も、こんな制度は好きになれない。
好き勝手いじりまわして、壊してしまった世界。
それを修復するのに、また多くの血を流さなくてはいけない。
「……私にもう一度機会をいただけませんか? 監察官」
「ほう? 君の仕事は終わったはずだが?」
「…………」
「それに、そこまで熱心にあの世界のことを考える理由が、私には判らないね。何がそこまで君を掻きたてる?」
美女のご下問。
なぜだろう。
少し笑っている気がする。
だからこそ、私は確信を持っていうことができた。
「監察官。あなたは私に嘘をついていましたね?」
「ほう?」
「異世界の修理役、勇者の尻ぬぐい役は、私ではなくティアマト。ちがいますか?」
半月を形作る美女の唇。
明らかに楽しんでいる表情だ。
「こころみに、君の推理の根拠をきこうかな。じつに興味深いよ」
「サポート役にしては、彼女の能力が高すぎますよね。むしろ私いらないですよね」
「あえて凡百の徒を選んだと、私は言ったと思うけどね」
「ダウトです」
私は平凡な小市民。それはまぎれもない事実だ。
しかし、そんな人物は文字通りいくらでもいる。いくらでもいるから平凡というのである。
それでも、私が勇者とまったく無関係な人間であったなら、宝くじに当たるような数学的確率で選ばれたといっても、絶対にないとは断言できないだろう。
しかしそうではない。
勇者は私の関係者だ。
直接の、ではないが。
三嶋静流。
私の恋人、三嶋綾乃の弟である。
六年前に自ら命を絶った。
直接会ったことはない。むしろ私が恋人と知り合ったのは、彼の死後のことだ。
高校生だった弟がイジメをうけており、それによって鬱を発症し、不登校となり、思いあまって自殺した。
そういう話を聞いたのは、彼の死から三年ほどが経過した後である。
それは、心の季節を進めるために必要な時間だったのだろう。
恋人とはいえ他人に話せるほどに傷が癒えるまで。
「ティアマトが私のサポート役をつとめていたのではなく、私が彼女を補佐していた。そしてティアマトとは、アヤノですね?」
「ほう? そこまで読んでいたか」
「考えてみれば、おかしなところはいくつもあったんですよ」
名前を付けるとき候補としてアヤノの名が最初に出た。
それだけなら、インストールされた無駄知識ということで説明がつく。
同じ部屋に寝ることも、くっついて寝ることにも、まったく忌避感を示さなかった。
種族が違うから、恋愛対象ではないから。
たしかにそうだろう。私もそのときはそう思った。
だが彼女は、私の愛読書を読んだと言っていたのだ。
インストールではなく。
最初から向こうの世界の存在であれば、地球の本を読むことなどできない。
密林は異世界までモノを届けてはくれないから。
そしてなにより、彼女自身が出身地を問われ、竜郷だと応えている。
竜郷……つまり現代日本の出身で、私の愛読書を読んでおり、私と一緒に寝ることに忌避感がない、アヤノという女性。
「そんな人物は、ひとりしか該当しないんですよ。監察官どの」
「……お見事。お見事だよ。風間エイジくん」
言いつのった私に、一瞬だけぽかんと口をあけた後、監察官が拍手を始めた。
「やはり地球人は侮れない。姿形は変わっていても、ちゃんと恋人は判るものなのだな」
「死んでから気付く程度の、情けない恋人ですが」
「推理通りだよ。風間エイジくん。修理人としてあの世界に召還されたのは、君ではなく君の恋人だ。現地神は、世界を滅茶苦茶にした犯人の血縁者に責任を取らせようとしたんだよ」
拍手を止め、生真面目そうな表情になる美女。
「なんてことを……」
弟を自殺で失った女性に、追い打ちをかけるような仕打ちだ。
勇者を召還したのはむこうの神だろうに。
責任を取るというなら自分で取れ。
血縁者に押しつけるとか、盗人猛々しいとは、このことを指すのだろう。
やりきれない怒りに私は奥歯を噛みしめる。
「私も反対だった。何を考えているのかと抗議もした。しかし、制度上、現地神の要請は受け入れなくてはならない。それで私は、彼女と労苦を分かち合える者を補佐役として付けることを条件として提示し、承諾させた」
「それが私というわけですか」
「不満かな?」
「いえ。ありがとうございます。心より感謝します」
恋人の救いとなる存在。
それは私であるべきだ。
私でなくてはならない。
余人にこの座は、絶対に譲れない。
「君ならそういってくれると思っていたよ。風間エイジくん」
「その上で、伏してお願い申し上げます」
何もない空間に土下座し、頭をすりつける。
「どうか私に、もう一度チャンスをください。あいつを助けるチャンスを」
「顔をあげたまえ。風間エイジくん。簡単に土下座しては、君の価値を下げることになるだろう」
監察官が微笑する。
慈愛に満ちた笑顔だ。
「事前説明の不備。これは明らかにこちらの手落ちだ。ゆえに君の要請を受け入れよう」
片目をつむる。
この人は!
最初から説明不足を不備として用意していたのか!
私が気付いて指摘したら、それを理由にやり直しができるように。
「しかし風間エイジくん。私に切れる切り札はこの一枚こっきりだ。次はない。次に死んだら本当に君の役目は終わる」
チート能力もなく、基礎能力も並以下。
それでも私は生き延びなくてはならないというわけだ。
いいだろう。
望むところ。
生涯をかけて守り続けたいと思った。だから婚約したのだ。
「ゆめゆめ気を付けてな。風間エイジくん」
「肝に銘じます。監察官」
もう一度、私は飛ぶ。
「偉大なる我が王より、貴殿らにご下問がある」
目の前が明るくなった。
抑制したような使者の声が聞こえる。
なるほど、この場面からやり直しというわけか。
たしかこの男の名は、ザリード子爵だったかな。
「つまり、私たちに王城まで出向けと?」
私は訊ねる。
たしか同じように訊いたはずだ。
「然り」
回答もまた、記憶にあるものだった。
ここで私は承諾し、のこのこと王城まで出向いて殺された。
いまにして思えばどんだけ間抜けなんだって話である。
この時点で相手のホームグランドで勝負するとか。権力者の常套手段は、役人である私なら判っても良さそうなものなのに。
「それは筋が違うでしょう。使者どの。用があるならばそちらから出向くべきなのでは?」
「なっ!?」
酸欠の金魚みたいに、口をぱくぱくさせる使者。
「王が庶民の元へなど、とお思いかもしれませんが、私は貴国の臣民ではありません。また格式の上からも、人間が神仙を呼びつけるというのは、いかがなものでしょうか」
「たしかにそれはそうじゃのう。ザリード子爵とやら、我らに用があるというのなら、会うのに吝かではない。なれど、筋はちゃんと通されよ。国の基が立たなくなるぞ」
ちらりと私の顔を見たティアマトが笑う。
うーん。
これが私の恋人なのか。
人間形態になってくれないかなぁ。
けっしてけっして、外見に惚れたわけじゃないんだけどさ。
「……よろしい。卿らの意志は我が主に遺漏なく伝える」
言い放ち、使者が席を立った。