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こわれゆく世界 3

挿絵(By みてみん)


 わや。

 私の出身地である北海道の方言で、滅茶苦茶で手の付けられないような状態のことを指す。

 北海道弁を話すドラゴンというのは、だいぶシュールだと思うが、この国に起こっている事態はもっとシュールである。

 中世風ファンタジーの世界に白米。

 どーすんだよこれってレベルだ。

「これを元の状態に戻せってことなのか……?」

「無理じゃよ」

 私の呟きにティアマトが返した言葉は、じつに素っ気ないものだった。

 視線で問い返す。

「ひとたび豊かな生活を知ってしまえば、もう不便さを受け入れることはできぬ。エイジは知っているのではないか?」

「……ぐうの音も出ないね」

 事実である。

 私は文明人だ。いまさら原初の生活になど戻れない。

 きんきんに冷えたビールが飲みたいし、清潔な風呂にも入りたいし、快適な家に暮らしたいし、パソコンで簡単に情報を得たいし、菓子も料理も手軽に手に入れたい。

 社会全体に敷衍(ふえん)して考えても同じだろう。

 停電などが起きると良く判る。

 現代人がどれほど電気に依存した生活を送っているか、ということが。

 そして、それを捨てることができないということも。

 東日本大震災以降、日本の電力事情は逼迫(ひっぱく)している。頼みの綱である原子力発電が事実上ストップしているのだから当然だ。

 それに変わって自然エネルギーを利用した発電が脚光を浴びているが、さすがに不足分を完全に補うには至っていない。

 にもかかわらず、節電に心がけた生活を送っている日本人が、世にどれほどいるだろうか。

 もちろん私自身を含めて。

 ティアマトが言うように、生活の質を落とすことができないのだ。

 私は職業柄、市民の相談を受ける機会もあったが、まだ新人と呼ばれていた時代にこんなことがあった。

 たしか納税の相談だったと記憶している。事業が上手くいっておらず生活が苦しいので納税できないとか、そういう話だ。

 バブル崩壊後、この国の経済は低迷を続けており、いっこうに上向く気配がない。

 そういうものなのだろうと聴いていた私は、相談者の一言に目が点になった。

 曰く、夫婦ふたりの生活で、どう節約してやりくりしても月に四十万円はかかる、と。

 思わず頭突きをかましてやろうかと思ったほどである。

 当時、大卒の職員の初任給は十六万円ちょっと。

 そこから保険料だの税金だの諸々引かれて、手元に入るのは十四万円ちょっとだ。

 一ヶ月の生活に、どうして私の給料の三倍近い金銭が必要になるのか。

 好きなだけ飲み食いして、好きなだけ遊び歩いて、自分たちは節約していると主張する。

 あげく、公務員は税金で食えるから気楽で良いとか。

 くそ。思い出したら腹が立ってきた。

「戻ってこいエイジ。汝はどこに旅立っておるのじゃ」

「ごめごめ。ちょっと思い出し怒り」

「思い出し笑いなら判るがの。新しい用法じゃのう」

 罪もないアズール王国の地面に、やり場のない怒りをぶつけていた私にティアマトが呆れる。

「生活のグレードを落とすことは難しいって話だよね。趣旨は理解したよ」

「んむ」

 結局、成長してしまえば、赤ん坊の頃に寝ていたベビーベッドに寝ることはできないのだ。

 文明の味を知った異世界の人々を元の生活に戻そうとしても、不可能な話だろう。

「いっかい全部ぶっ壊す、とかしない限りの」

「それは地球にもいえることだね。すべての文明が破壊されてしまえば、否応なく原初に戻るしかない」

「地球よりは簡単じゃ。知識はまだまだ一部の者たちに独占されているからの」

「その比較はおかしいと思うけど、私にできることでもないよね」

 すでに広まった知識を奪うのは難しい。

 独占されているなら、ノウハウを知る人間だけを殺すという手もあるだろうが、それは不可能である。

 貧弱な地方公務員(やくにん)たる私にそんな戦闘力はないし、仮にあったとしても、人殺しなどしたくない。

「んむ。知っておる。ゆえにエイジがすべき事は、今の段階では判らぬ」

「そうだよね……」

 簡単な話ではないのである。

 現地神はなんとかしろといったらしいが、なにをどうすればなんとかなるのか、どのような状態をなんとかなったというのか、それすらも判らない。

「まずは、どのような問題が起きておるのか。知る必要があるじゃろうな」

 くあ、と、ティアマトが大あくびをした。




 当たり前の話だが、街に入るときには検問があった。

「若者よ。貴殿は何処(いずこ)から参られた」

 槍を持った兵隊さんが訊ねてくる。

 門兵なのだろう。立派な口ひげをたくわえた偉丈夫、といいたいところだが、身長は私より低い。

 百七十センチに届くか届かないか、という感じだろうか。

 私には、見ただけで身長体重やスリーサイズが判るような特殊技能は備わっていないので、細密な数値としてはかなり疑わしい。

 それにしても、若者とは。

 三十を過ぎると、もうあまり若いとは言ってもらえなくなる。

 よくあるのが青年だろうか。

 ちなみに青年会議所という組織は四十歳が定年らしい。私が青年と呼ばれるのも後九年という哀しい現実だ。

「旅の者です。出身地は……」

「竜郷じゃな。我はティアマト。こちらはエイジ」

「なんと。神仙(ハミット)さまであられましたか。これは失礼を」

「んむ」

 ティアマトが軽く頷く。

 ちらりと私を見たのは、ここは任せろという意味だろう。

「本来、俗世には関わらぬ我らであるが、アズールの繁栄ぶりに興味を惹かれ、物見遊山にあい参った。入城の許可を頂けるであろうか」

 朗々と告げる。

 なかなか堂に入った姿だ。

 モノがドラゴンなので、けっこう威圧感もある。

「左様な次第でしたら歓迎いたします。こちらに必要事項をお書き願えますか。神仙さま」

 自国を褒められて上機嫌の兵隊さんに案内され、選挙の記載台のようなものが置かれた場所に向かう。

 渡されたのは紙とペンだ。

 おいおい。この世界はいったい何世紀に相当するんだ?

 わら半紙のような更紙(ざらし)とはいえ、こんなものが普通に流通するようになったのは日本でも明治に入ってからだ。

 そしてペン。

 インクを内蔵したこのようなタイプのものは、一八〇〇年代に入ってから登場したはずである。

 なんというか、日常生活に不都合をなくすために、じつにいい加減に出鱈目にできているようだ。

 紙に向かいながら、そんなことを考える。

 記入するのは私。

 さすがにティアマトの手は、ペンを持つには不向きである。

 さらさらと書き込んでゆく。

 ちゃんとこの世界の文字は読めるし書けるようだ。

「あれ? ティアはいくつだっけ? 年齢」

「知らぬ。そもそも我らは(よわい)を数える習慣を持たぬ」

「そうなのか……こまったな……」

 あるいはティアマトは私が転移した際に作られたのかもしれないが、まさかゼロ歳と書くわけにもいかない。

 空欄がある状態で提出して良いものなのだろうか。

「問題ありませぬ。形式的なものゆえ」

 救いを求めるように兵隊さんをみたら、大きく頷いてくれた。

 形式だからこそ、体裁を守るのが必要なのではなかろうか。

 などと思わなくもないのだが、わざわざ虎の尾を踏む必要もない。

 愛想笑いなどを浮かべつつ、けっこう空欄のある書類を手渡した。

「ほほう。エイジさまは三十一歳と! やはり神仙の方は我らとは歳月の降り方が異なるのですな!」

 なんか驚いていらっしゃる。

 私が三十路だと何か問題でもあるのかこんちくしょう。

「とても私より十も年長のお方とは思えませぬ!」

「はあ、そうなのですか……って十!?」

 思わず素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げてしまう。

 この兵隊さんが二十一歳?

 どうみても四十代の中盤だろう。

 と、そこまで考えて、私はある可能性に思い当たった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ゼレ◯スキー氏があっという間に全く違う顔付きになったの、栄養状態以上に精神とかも有りそうですよね。 30年程度前の30代と今の30代ってかなり顔が違う気がします。 (24時間働けますか♪の頃…
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