動き出す歯車 6
サイファの母親は、すでに亡くなったのだという。
よく働く女性で、よく家族を愛おしみ、よく笑い、よく食べる。
やはり好物はごはんだった。
そしてご多分に漏れず脚気になった。
かかる条件を備えている。
そして、サイファは金銭面で家族を支えるために冒険者となった。
二年も前の出来事だ。
私には、すでに亡くなってしまった人を生き返らせる手だてなどない。
「サイファくん……」
まさに力及ばずだ。
なんと無力なのだろう。
あるいは、何年か前に飛ばしてもらっていたなら、この悲劇はさけられたのだろうか。
「でも、エイジさまが仇を取ってくれるんですよね。仙豆とギャグドの肉で」
そう言って笑ったサイファの目には、もう涙はない。
心の季節を進めている。
強いな、と、私は思った。
十七歳の少年がわずか二年で肉親の死からも立ち直り、未来へと歩き出している。
その強さこそ哀しいと思ってしまうのは、おそらくは私の増長だろう。
「ここは日本ではないからの」
やや抑えたトーンでティアマトが言った。
「命はずっと軽い。たくさん生まれてたくさん死ぬ。生きるのに一生懸命なのじゃな。死したものにまでかまっておられぬ」
そういう場所は、まだ地球にも残っている。
私の故郷が、群を抜いて平和で豊かだというだけの話だ。
そして平和で豊かな国からやってきた勇者様は、おそらく彼らの暮らしぶりに同情したのだろう。
だから食事や風呂など、楽しみとなるようなものを伝えた。
「悪意は、おそらくなかったじゃろうよ。欲はあったじゃろうがな」
褒められたい、評価されたい、モテたい。
そのような欲望はあったたろうが、この地の人々を可哀想だと思ったのではないか。
生きるのが大変な場所。
何とかしたいと思った。
「まぎれもなく善意だよ。法律的な意味でね」
法律用語としての善意は、ある事実を知らなかった、という意味である。
道徳的な善悪を示すような言葉ではない。
勇者は白米の普及と副食の不足によって引き起こされた脚気の大流行を知らなかった。ただ美味いものを食べてもらいたかっただけだ。
ゆえに、彼に法的な責任は存在しない。
私もそれを追及するつもりなど、さらさらない。
「エイジは我よりどぎついのう」
苦笑するティアマト。
私たちが会話する間にも、甜菜糖が試食されてゆく。
ひょいぱくひょいぱくと。
ていうか、第二陣を作り始めてるし。
今日は試食のみじゃなかったのか?
なんで増産体制に入ろうとしてるの?
「それ以前の問題として、第一陣がそろそろなくなってしまうのう。これでは肝心のずんだの試作ができぬじゃろうて」
「まったくだよ。みんなを止めないと」
そう言って、試食終了のお報せを出そうとした私は、一歩も動けなかった。
みんなに睨まれたから!
怖いよ!
温厚なミエロン氏や、礼儀正しいガリシュ氏まで、試食をやめさせようとした私を睨んでいる。
そんなに美味しかったかな?
甘みは少ないし、ちょっとクセもあるし、出来としてはそんなに良いものではなかったと思うんだけど。
予定よりも量が作れることで、まあ零点ではないだろうって程度だ。
なんで試食を中断させたら血を見るような雰囲気になっているのか。
びびって、後退しちゃう私の前にティアマトが立った。
かばうように。
そして一言。
「おちつけ。そなたら」
ざわついていた会場が静まってゆく。
すごい。
さすがドラゴンボイスだ。
紆余曲折はあったが、ずんだの試作をおこなう運びとなった。
蒸した白米を、サイファとゴルンがせっせとつく。
臼とか杵とかはないので、適当な器に入れて適当な棒でつくのだ。けっこう重労働である。
やはりあんまり伸びない感じだ。
「これはこれで美味しそうだけどね」
おはぎとかに使うようなお餅である。個人的には嫌いじゃない。
「うる餅、という部類に入るの。ようするにうるち米を使った餅じゃ」
とは、ティアマトの解説である。
一方で、ミレアやメイリーら女性陣がずんだ餡を作成中だ。
作り方はいたって簡単。
薄皮を剥いた枝豆をすりつぶし、好みの量の砂糖を入れてかき回し、塩で味を調える。
これだけだ。
ただ、私たちの作った甜菜糖は褐色で、せっかくの枝豆の美しい緑色を悪くしてしまうかもしれない。
いれすぎに注意だ。
あと、先ほどの反応を見ると、この地の人々はやはり甘味に慣れていない。
へたに摂りすぎて違う病気になったら目も当てられないだろう。
ほんのりと甘い、というくらいが、たぶんベストである。
美しい色合いと優しい味。
それが一応の完成を見たのは、試作六号あたりだった。
そこに至るまでは、ことごとく甘過ぎ。
わざとやってんのか? と、訊きたくなるほど砂糖いれすぎである。
百グラムの枝豆に対して砂糖五十グラムとか。まともに考えておかしいと思え。
お好みでといっても限度がある。
適量としては、もちろん好みもあるだろうが、枝豆が百グラムなら砂糖は五グラムくらいで良いことがわかった。
スティックシュガーでいうと一本分くらいだ。
ちなみに失敗作の方は、おもに女性陣およびベイズとヒエロニュムスが適切に処理した。
こうして完成したずんだ餅。
一口サイズにしたそれを、またまた試食する。
食ってばっかりである。
いいかげん、甘いものは飽きてきた。
肉が食いたい。
「ふむ……」
食べてみると、枝豆と甜菜糖の相性は思った以上に良い。
うる餅にもばっりあう。
これはいけるんじゃないか?
「どうです? ミエロンさん。ミレアさん」
スポンサー父娘どのに訊ねてみる。
「すばらしい! 素晴らしいです!! エイジさま!!」
泣きながら褒めてくれる。
声涙倶に下る、というやつだ。
晋書あたりが出典のはずである。意味としてはそのまんま、感情を抑えきれずに泣きながら語る、という感じ。
大げさである。
「売り物になりますかね?」
そこが大事だ。
甘味に耐性のないっぽいリシュアの人々には、味としては受け入れられるだろう。
それは、試食をみていてもあきらかなのだが、価格設定が問題になる。
あまりに高すぎては庶民たちは手が出せないだろうし、逆に原価割れを起こしてしまっては商売として成立しない。
そのあたりが思案のしどころだろう。
「作るのにかかる手間の代金ということになりますな」
原材料費的には、ほとんど無料みたいなものである。
家畜のエサと雑草の根っこだもん。
ただ、収穫してきたり加工したりするのに時間と金がかかる。
この部分を価格に反映させなくてはいけない。
「きちんと算定しなくては判りませんが、ひとつあたりの価格は銀貨一枚ほどになりましょうか」
けっこう高い。
日本円で千円くらいだ。
一個千円のずんだ餅。
たぶん日本では買う人いないだろう。
とはいえ、機械化もされておらず、すべてが手作業なのだから、どうしても人件費が跳ね上がってしまうのはたしかな事実である。
「それの中にミエロンさんの取り分って入ってます?」
「入れれば、銀一の銅一というところですかな」
「それは安すぎですよ」
せめて利益は三割くらいは取ってもらわないと困る。ミエロン商会が破産したら、私も困るし、ひいてはリシュアの人々も困ってしまうのだ。
結局、暫定的な価格は、銀貨一枚と銅貨三枚ということになった。
保存期間とかは、この際は考えても仕方がない。
店頭での飲食のみとし、持ち帰りは無し。
保存料もなにもないため、日持ちなんかまったくしないから。
つくったその場で食べてもらわないと、すぐに悪くなってしまう。
まして夏になったらなおさらだ。
甜菜糖の方は、水分が完全に抜けてしまえばだいぶ保つだろうが。
「そうなんですか」
「うん。そうなんだ。サイファくん。だからそのポケットに入れた砂糖をだしなさい」
「いやあ……弟たちに食わせてやろうかと……」
「せめて何かに包んで持って帰ろうね。直にポケットに入れるとか」
どんな衛生観念だって話である。