動き出す歯車 3
「先のことなど考えたところで無意味じゃよ。汝はスーパーヒーローなどではないからの」
すべてを救うことなどできない。
せいぜいが目に見える範囲のことを何とかしようと努力するだけ。
それだって完璧からはほど遠い。
救える人がいる、力及ばず救えない人もいる。
命の選択だ。
災害救助などを行うレスキュー隊にも求められる考え。
助からない人にいつまでも手をかけるわけにはいかない。それよりも、助けられる人を助けなくてはならない。
冷たいというより、彼らはギャンブラーではないからだ。助かる確率が高い方から確実に助けてゆく。
「そういうものじゃよ。割り切れとまでは言わぬがの」
「ティア……」
「汝は汝のできることをする。できないことまでせよとは、監察官も現地神も言わぬじゃろ」
「ティア……」
「それでもなお重いと感じるならば、そのときは我に言うが良い。ひと思いにその頭を噛み砕いてやろう。さすれば汝の役割は終わりじゃ」
ぐっと顎に力を入れる。
「痛い痛い! 牙刺さってるっ! 牙!」
ぜんぜんひと思いじゃなかった。
むしろ拷問のように、じわりじわりとなぶり殺しにするつもり満々じゃないですかやだー。
「ありがとう。ティア」
「んむ。相棒じゃからの」
頭から口を離してくれるドラゴンであった。
ところで、ヒエロニュムスが加わったことにより、作業効率がいっそうあがっている。
妖精猫というのは、非常に魔術に長けた種族で、彼もまた様々な魔法を使うことができた。
そしてその魔法のひとつ、標的とやらが大変に役に立った。
ヒエロニュムスの身体から飛び散った無数の光点が、甜菜の在処を示してくれるのだ。
人足たちはそこに走っていって掘り起こすだけ。
探す、という手間がまったくなくなった。
「ターゲッティングの応用なんだろうけど、こんなにたくさんロックして意味があるのかしら?」
とは、チーム唯一の魔法使い、メイリー嬢の弁である。
「意味があるかないか、それはまさに意味のない議論でしょう。お嬢さん」
優雅に尻尾を揺らす妖精猫。
「小生が必要と思い、魔法がそれに応えた。それだけのこと」
「今作った魔法ってこと?」
「さて。魔法とは作るものですかな? あるものをただあるように、心の赴くままに歌とする。そのようなものではないですかな? 賢き娘さん」
判ったような判らないような言葉だ。
もちろん私には魔法の知識などないし、彼の言っていることが正しいのかどうなのか判断は付かない。
ただ、メイリー嬢は感心したように目を輝かせているし、ティアマトもなんか頷いてるので、きっと正しいのだろう。
あるいは、カール・フリードリヒ・ヒエロニュムス・フォン・ミュンヒハウゼン男爵よろしく、巧みな話術と柔らかな物腰で煙に巻いているだけかもしれないが。
なにしろ、この妖精猫の紳士と同名の男は、ほら吹き男爵として有名である。
「いやいや。おおむね間違っておらぬよ。風が吹くこと、潮が満ちること、月が欠けること、それらにはすべて意味があるし、まったく意味がないともいえるじゃろ? 魔法というのも同じことじゃて」
ティアマトの解説だ。
すみません。
かえって理解不能です。
「ティア。もうちょっと判りやすく」
「これ以上判りやすくはならぬし、汝には魔法の素養がないゆえ、説明しても無意味じゃ」
「ひどい! 私だって頑張れば魔法が使えるかもしれないじゃないか」
「エイジ個人が、というより、地球の現代人には無理なのじゃよ」
ふうと息を吐くドラゴン。
魔法、超能力、異能、どういっても良いが、それらを扱うためには適性というか、そのようなものが使える肉体的な構造が必要らしい。
「もともと人間は魔力も小さいし、扱いそのものにも長けておらぬ」
だからこそ、この世界でも魔法使いは数多くはない。
誰でも彼でもできるということではないのだ。
その上、地球人はオカルトに頼ることをはるか昔に放棄している。
かつては神の声を聴き、予言や占いによって国政すらも運営されたが、そんな時代は過ぎ去って久しい。
現代の地球は、完全に科学主義の立証主義だ。
同じ条件のもとで誰が実験しても、いつ実験しても、何度実験しても、どこで実験しても、同一の結果が出なくては法則としては認められない。
透視能力者や占い師が、たとえば殺人事件の犯人を言い当てたとしても、証拠を示すことが出来なければ、逮捕も立件もできない。
「それを、馬鹿げたことだと思うかや?」
「思わないよ。逆よりはずっとましさ」
捜査員の直感とやらで犯人逮捕とか、ありえないだろう。
どんだけえん罪を量産する気なんだって話だ。
そもそも、その捜査員が、私怨に基づいてこいつが犯人と言っているのではない、と、誰が保障してくれるのか。
「んむ。健全な考えじゃよ。ゆえにこそ、汝らは魔法を行使するに向かぬ」
「よくわからないな」
「魔法とは歪みじゃ。歪みを解き明かせば、そこに不思議は存在しなくなる。そうやって地球から魔法は消えていったというわけじゃ」
非常にほんわかした説明である。
とりあえず、私を含めた地球人に魔法は使えない、という理解で良いのだろう。
「でも、勇者たちは使ったんじゃないのかい?」
「だから反則なんじゃろうよ」
「ごもっともで」
私は肩をすくめてみせた。
使えるはずのないものが使えれば、持っているはずのないものを持っていれば、それは反則というものだろう。
さて、あまり実りのない会話を繰り広げているうち、甜菜が着々と収穫されてゆく。
このままいけば、想定していたよりも早く予定量に達するだろう。
ヒエロニュムスさまさまだ。
「エイジ卿のお役に立て、光栄の至り」
私の視線に気付いたのか、妖精猫が優雅に尻尾を揺らした。
卿ときた。
なんというか、こそばゆい。
様とかなら私も使うし、そんなに違和感はないのだが、やはり小説で読むのと実際に呼ばれるのでは大違いだ。
「いやいや。むしろ私の方がお礼を言いたいくらいですよ。ヒエロニュムス卿」
真似して使ってみた。
ちょー恥ずかしい。
人間、三十も過ぎると格好いい言葉遣いというのは、かなりくるものがある。
「頬を染めて名を呼ぶおっさんの図。薄い本が出そうな展開じゃな」
「どこにそんな需要があるんだよ?」
でっかいロシアンブルーと三十男の絡みとか、すくなくとも私はまったく見たくないぞ。
むしろ、ティアマトにはそんな知識までインストールされているのか。
無駄知識といっても無駄すぎるでしょう。監察官卿。
「この分なら、今日中に作業が終わりそうじゃの。終わり次第、街の戻るのかや?」
進捗状況を確認しながらティアマトが問う。
出発のタイミングはけっこう重要な問題である。
薄い本談義の片手間にするようなものではないほどに。
収穫地からリシュアの街までは馬車で四日。
つまり最低三回の夜営を挟まなくてはいけない。
で、この回数というのは、少なければ少ないほど良い。
現在はベースキャンプを張っているから、全員がきちんと休息を取ることができるが、移動中ともなれば食事も休息もかなり手を抜いたものになるし、なにより周辺の警戒のために人手が割かれる。
往路と違って、復路は荷物があるからだ。
甜菜の価値は現在のところ私たちしか知らないとはいえ、どこから情報がもれるか判らないのだ。
野菜を運んでいるだけに見えて、じつはすごい価値のあるものを輸送している。
そう勘ぐる人間がいても、べつにおかしくも何ともない。
まして大商人のミエロン氏や、冒険者ギルドの支部長たるガリシュ氏が絡んだ仕事で、A級冒険者が護衛についている。
ただの野菜掘りだと思う人の方が、たぶんおめでたいだろう。
「明日の朝一番に出発しよう。食料とかは、五日分を残して、今夜全部放出するよ」
宣言した。