問題しかない! 10
ずんだ餅。
東北地方の郷土料理である。
餅の上にすりつぶした枝豆をのせて食べる、というのが伝統的な食べ方だ。
しばらく前に放映されていた公共放送の大河ドラマで、伊達政宗公が、諸大名に振る舞っているシーンもあった。
実演販売かよ、と思ったものだが、ようするに戦国時代にはもう存在していたということである。
あの作品の時代考証が間違っていないならば。
ちなみに、本来ずんだは甘いとは限らず、塩を利かせたものもあるという。
昨今では甘い方が主流になっていて、ずんだスイーツと呼ばれるらしい。
札幌駅の地下にも、ずんだシェイクなるものが売っている。
けっこう美味しかった。
「なんとかいう良く肥えた芸人も絶賛していたしの。女子供にもうけるじゃろ?」
「あの人は女性でも子供でもないよ。あと芸人じゃなくてコラムニストだからね」
ティアマトの言葉には、一応の訂正を加えておく。
私自身は面識があるわけではないし、べつに好きなタレントというわけでもないが、肩書きくらいは正確に記憶しておくべきだろう。
きっと。
「ともあれ、言いたいことは理解したよ。ずんだなら材料さえ揃えばなんとかなるかもしれない」
すりつぶしておもちにのせるだけだもの!
「必要な材料は、枝豆と砂糖。味を調えるのに塩が少々じゃ。餅の方は、今ある米をついても大丈夫じゃな。普通の餅のように伸びはせぬが、一応の食感は得られよう」
インストールされた知識を使って、ティアマトが教えてくれる。
たぶん無駄じゃない方の知識だろう。
「砂糖か……それが問題だね。ミエロンさん。この国の人々にとって、どのような甘味が一般的なんですか?」
対するミエロン氏の解答は、メイプルシロップであるとのことだった。
サトウカエデの樹液を煮詰めたものである。
もちろんこの世界に、そんな名前の樹木があるということではなく、私にも理解可能な用語に置き換えられている。
「シロップかぁ、なんかずんだには合わなそうだなぁ」
「それ以前の問題として、そうそう手に入るものではございません。価格的に。ハチミツなどもございますが、そちらはもっと高価です」
「ですよね」
そんな簡単に手に入るなら、サイファやミレアまで興味津々になるはずがない。
甘いということが、イコール美味しいということ。
そんな時代に、彼らは生きているのだ。
なのに白米だけはある。
そりゃ食べ過ぎもするだろうね。米ってのはほのかな、ほんのかすかな甘みがあるから。
せいぜいライ麦くらいしか食ってなかった連中に、米の味なんか教えちゃったらどうなるか。
解答が、この状態だ。
ひどく歪な世界。
それを是正するために、私はさらなる歪みをもたらすというわけだ。
「そう悲観したものでもあるまいて。汝が教えずとも、民たちはいずれ枝豆にもギャグドにもたどり着いたじゃろう。ビタミンの存在にもの」
私の顔色を読んだのか、ティアマトが慰撫してくれる。
事実だろう、と、私も思う。
地球人類がそうであったように、彼らにだってみずからを救う知恵がある。
脚気の治療法も、いずれ見つかる。
ただそれがいつになるか判らない、というだけの話だ。
ビタミンの存在が系統づけて理解されるのは一九二〇年のこと。ではそれまで、壊血病や脚気に対する治療法がなかったのかといえば、そんなことはない。
経験則や試行錯誤の中から、効果のありそうなことは生まれていた。
たとえば一七〇〇年代の中盤には、壊血病には果物が効くと発表されている。どうして効くのかという根拠を示せなかっただけである。
もし、今のアズール王国が中世ヨーロッパのくらいの時代区分だと仮定すれば、古くは五世紀ということになるだろう。
そこから脚気の治療法が確立される二十世紀まで。
最長で千四百年ほどの時間が必要となる。
脚気によって七十年間に百万人以上が死んだ、と私は先述した。その計算式を当てはめれば、二千万人以上が死ぬことになる。
文字通り世界が滅ぶだろう。
私は、それを避けたいと思った。
だから知識を使った。
現代知識チートによって歪められた世界を、やはり現代知識というチートで修繕する道を選んだ。
「それで良いのじゃよ。エイジや。ナイチンゲールはクリミアでコネクションを用いて人々を救ったぞ。それを悪と思うかや?」
笑いながら言うティアマト。
英国とロシアが戦ったクリミア戦争。
看護婦のフローレンス・ナイチンゲールはその野戦病院に乗り込み、男社会だった軍隊を、ヴィクトリア女王のコネクションまで使ってねじ伏せ、四十二パーセントだった死亡率を二パーセントまで引き下げた。
コネ、私財、マスコミ、時には拳まで、使えるものは何でも使って人々を助けた。
日本人がイメージする『白衣の天使』という像からはかけ離れている。
しかし、やはり天使なのだ。
『天使とは、美しい花をふりまく者ではなく、苦しみあえぐ者のために戦う者のことだ』
という、彼女の言葉が示すとおりに。
「砂糖を、作りましょう」
宣言して、私はティアマトを見た。
「ティア。ビートは手に入る?」
「さすがどさんこじゃのう。サトウキビではなく、最初に思いつくのは甜菜かや」
うっさい。
我が北の大地は、砂糖大根の生産量日本一だ。ついでに日本の砂糖の七割以上がこれだ。
サトウキビなんて知らないもん。
北海道のどこに生えてんだよ。そんなの。
「結論から言えば甜菜はあるのう。ただし原種にちかいものじゃな」
糖の含有率は、現代のものほど高くない。
「具体的には一パーセントほどじゃ。いま作られおるのは二十パーセントほども糖分が含まれているゆえ、ちと比べものにはならんの」
ティアマトが説明してくれる。
「一パーセント……それはたしかに勝負にならないね……」
「先人たちが続けた不断の努力によって今がある。べつに砂糖に限った話でもあるまいよ」
それは当たり前の話。
私たち現代人は、なんの疑問もなく二十一世紀の文明を享受しているが、どんなものだって、どんなことだって、誰かが始めなくては生まれなかった。
夢を見て、叶えたいと願って、実現しようと執念を燃やして、幾多の失敗を繰り返しながら築き上げてきた。
数え切れない人々の、途方もない努力の上に、私たちの生活がある。
そして私たちの為したことが、後の世代へと引き継がれてゆく。
連綿と続く人類の歴史は、そうやって紡がれるのだ。
今の私になら、神とは名乗らなかった恒星間国家連盟の監察官が、どうして世界渡りを嫌うのか理解できる。
冒涜だからだ。
結果を知っている者が、その知識を使って後進を導く。
たしかに聞こえは良い。
良いことをしていると錯覚することもできるだろう。
しかし違うのだ。
異世界の人々には間違う権利がある。失敗する権利がある。どうしようもない状況に陥る権利がある。
間違いを是正する権利がある。失敗から学ぶ権利がある。そして絶望の中に希望の光を見出す権利がある。
それを奪うことは、たとえ神にだって許されない。
ようするに勇者様たちのやってきたのは、そういうことだ。
米食を普及させた勇者様は、ご自分で品種改良をなさったのですか? ご自分で脱穀や精米の方法を発見したのですか? 教科書やネットに書かれている知識を得意げに披露しただけなのではないですか?
あなたは、先人たちの努力の結果を盗み、それだけでは飽きたらず、この世界をも壊すつもりなのですか。
謹啓、勇者様。
私は、あなたの壊した世界を直しますよ。
あなたと同じ、現代日本の知識を使って。
参考資料
NHK大河ドラマ 『真田丸』
放送局 NHK
放送時期 2016.1~2016.12