問題しかない! 8
私とティアマトが馬鹿な会話を楽しんでいると、目の前にスープ皿が置かれた。
中に入っているのは、柔らかな緑色をしたスープだ。
ふっふんと胸を反らすミレア嬢。
ミエロン氏の息女である。
「仙豆をスープ仕立てにしてみましたよ!」
「…………」
うん。研究熱心なのはけっこうのことだし、枝豆のポタージュというのは、わりとありだと思う。
私が愛読していた異世界ものの小説に登場する喫茶店のマスターあたりが考えつきそうな一品だ。
だからそこは良い。
見た目も優しい感じだし、女性たちにも受けるだろう。
問題はそこではなく、奇妙奇天烈な名前の方だ。
「あの……ミレアさん? 仙豆というのは……?」
「神仙さまがもたらした大豆で、仙豆。この名前で売っていこうと父さんが!」
「そっすか……そうじゃない可能性に賭けてみたんですがね……」
できれば、かなりの勢いで勘弁して欲しいネーミングだ。
どこぞの野菜戦士が登場するアニメではあるまいし。
あんなバケモノみたいな回復作用はないぞ。
だってただの枝豆だもん。
「んむ。宣伝戦略としては悪くないの。ただの豆というより、神仙がもたらしたといえば、ありがたみが増すものじゃ」
えらく無責任なことをいうのはティアマトだ。
看板に偽りありなんてレベルじゃない。
ただの詐欺である。
私たちは、枝豆にビタミンB1が含まれていることをたまたま知っていただけ。
神の加護も仙人の祝福も、なんにも与えてなどいない。
偶像崇拝より性質が悪いだろう。
「あのなぁティア……」
「汝は難しく考えすぎじゃよ。エイジや。鰯の頭も信心からというじゃろ。付加価値をつけることが肝要じゃ」
ずず、と器用にスープを飲みながら言う。
「付加価値て」
「元は家畜のエサでした、というのでは、いかにも体裁が悪いじゃろ。汝が言っていたことではなかったか?」
「それはたしかにそうだけど」
家畜のエサなんか食えるか、という思いこみによって、食するのをためらわれないか。
私がじっさいに危惧したことだ。
だからこそ、私が最初に匙をつけたのである。
「なんでもかんでも馬鹿正直に告白すれば良いというものではない。宣伝には多少の誇張はつきものであろ」
べつに嘘を言っているわけでもないしの、と、付け加える。
私が伝えねば、枝豆が人々の口に入ることはなかった。
そういう意味では神仙がもたらしたというのは嘘ではない。事実のすべてを網羅していないだけだ。
「仕方ないか……」
「納得できぬかや?」
「まあね。でも理解はしたよ」
私は肩をすくめてみせた。
必要な措置だと思うことにする。ネーミングセンスについても、他に名案があるわけでもない。
反対するなら対案を示せというのは社会人の常識だ。
ただ嫌だから、という理由では子供の駄々と一緒である。
結局、枝豆は仙豆と名付けられることになった。
酒場などでも、お通しとして提供される。
対してギャグドの肉は、普通に料理として振る舞われるらしい。
「豆はともかく、肉の方はそう安価でというわけにもまいりません」
とは、ミエロン氏の言葉である。
家畜化されているわけでもなく、商品の供給は狩猟の結果に左右されるから当然だろう。
「簡単にはいかんものじゃの」
たらふく食ったのか、ふうと満足の吐息をついたティアマトが言う。
「将来的には、きちんと畜産にするべきだろうね」
顎をさすりつつ応えた。
ポーズに意味があったわけではない。
疲れただけだ。なんというか、こっちの人はずいぶんと歯も顎も丈夫らしい。
ギャグドのモモ肉などは、もうがっちがちだった。
しっかりと締まった筋肉で、じつに野趣あふれている。
旨みも充分だったため、私もつい食べ過ぎてしまったが、さすがに顎ががくがくである。
分厚いステーキをガツガツいけちゃうリシュアの人々は、やはりひ弱な現代人とは違う、というところだろう。
「具体的にはどうするのですかな?」
ミエロンが問う。
額に噴き出した汗を手拭いでぬぐいながら。
浴場だ。
リシュアには数多くの浴場があり、我々も食後のひとっ風呂としゃれこんでいる。
ちなみに、ほとんどの浴場は混浴だ。
したがって、ティアマトやミレア、メイリーなども一緒に入っている。
なんでもー この国にー 風呂文化をもたらしたー 勇者様はー 混浴が普通だと教えたらしいよー
うん。江戸時代かよ。
たしか、映画『SHOGUN』とかでは、江戸の女性とオランダ人の男性が混浴している。
で、驚く男性に、
「この国では男女の間には見えない壁があると考えられており、風呂で肌を晒すのは恥ずかしいことではない」
みたいなことを言うのだ。
うろ覚えの知識で申し訳ない。
でも、たぶん問題ないと思う。九割くらいの確率で勇者様は江戸時代の人でもないし、自らの風習に基づいて風呂文化を広めたわけじゃないだろうから。
ようするに混浴したかっんだよね。
しかも自分だけの特権としてじゃなくて、それが当たり前だと理由付けしたかった。
あるいは、混浴は恥ずかしくないよって言い訳として使った言葉が定着しちゃったか。
そんなとこだよね。
いっとくけど、女性が色っぽく体を洗うなんて幻想だからな? フィクションだから、映像作品だから色っぽいんであって、普段の生活で異性の目を気にしたような洗い方なんてするわけないだろ。
「エイジさま?」
色気もへったくれもありませんよ、という風情で身体や頭を洗う女性陣を見ないようにしながらぼーっとしていた私に、ミエロン氏が心配そうにする。
「あ、いえ、何でもありません。家畜化の話でしたっけ」
「ええ」
「私も専門家というわけではありませんので、確たることは判らないんですけどね」
言い置いて、簡単に説明する。
幸い、森の王たるベイズという知己を得た。
彼を頼って、ギャグドの子供を何頭か都合してもらえれば、それを育て増やすことで恒常的な供給を確保できるだろう。
畜産のノウハウそのものは、すでに家畜がいるのだから存在しているだろうし。
ただ、ギャグドはあくまで魔獣だし、でっけー牙もあるので注意が必要だ。
生産者が怪我をしたり殺されたりしたら目も当てられない。
「ブタにも牙があるがのう」
すーいと湯舟を泳いで移動してきたティアマトが教えてくれた。
「あるの?」
「イノシシを家畜化したのがブタじゃ。なんで家畜になっただけで牙がなくなると思うのじゃ?」
言われてみればその通りである。
「ブタは生まれたその日の内に犬歯を切られるのじゃ。乳を吸うときに母ブタを傷つけないように、という理由もあるがの」
「牙を抜かれた、なんて表現があるけど、まさにそんな感じだね」
飼い慣らされ、すっかり大人しくなった、というほどの意味だ。
あるいは、こういう部分からきた言葉なのかもしれない。
獣を人間の都合に合わせて飼育するのだから、野生が残っていては困る。
残酷なようだが、これは仕方がないことだろう。
「ただ、一朝一夕にどうこうできる問題じゃなさそうだね」
「んむ。無理に何とかしようとすれば歪みが生まれるだけじゃ。地球での畜産の歴史は一万年以上といわれておるでの。我らがちょいちょいと手慰みに変えられる重さではなかろうよ」
それはたしかに重い。
紀元前の昔から、人々が試行錯誤を重ねて積み上げてきた歴史だ。
ちょっと聞きかじったくらいの知識でひっくり返すのは危険すぎる。
勇者様がやってきたことと、同じ轍を踏むわけにはいかない。
「というわけじゃ。ミエロン。我らには畜産に関する知識は乏しいゆえ、詳細な方法について教授することはできぬよ」
「いえいえ。ティアマトさま。ヒントは充分にいただきました」
落胆した素振りもみせないミエロン氏。
さすがは大店の主人である。
参考資料
Swind 著
宝島社 刊
『異世界駅舎の喫茶店』