問題しかない! 6
泉は混浴だった。
男女を分ける仕切りのある泉があったら、それはそれでびっくりである。
このような場合はレディファーストで、私たち男が待つべきなのだろうが、魔法使いっぽい冒険者の女性からごく簡単に混浴の許可が降りた。
「あんまこっち見ないでね」
という言葉とともに。
おおらかなことである。
ちなみにもうひとりの女性であるティアマトは、普段から全裸なのでまったく気にしない。
あれ? 鱗って服みたいなものなのかな?
どうでもいいことを考えながらきれいな湧き水で身を清める。
水温はけっこう低い。
初夏とはいえ、ずっと浸かっていたら身体が冷え切ってしまうだろう。
「ふう。はやく街に帰ってあったけー風呂に入りたいな」
私の横で身体を清めていた剣士風の男が言った。
精悍な顔立ち、鍛え抜かれて引き締まったサーベルのような肉体。
くっ
うらやましくなんかないんだからねっ
私は事務職なんだからっ
「あ、神仙さまは風呂ってご存じですか?」
視線に気付いたのか、はにかんだような笑顔を浮かべる。
眩しい。
なんだこのイケメンオーラ。
「知ってますけど、そんなにかしこまらないでくださいよ。私はF級にすぎないんですから」
微笑を返した。
そうなのだ。
私とティアマトは、つい先日に登録されたばかりのF級冒険者。ようするに新米である。
対する彼らは、全員がA級のチームらしい。
なんとか野郎Aチームって感じだ。
元ネタは私にも判らない。
ともあれ、実力がすべての世界である。A級がF級に謙った口調を使う必要はないだろう。
「いやいやっ 神仙さまに失礼に口きけませんって!」
ぶんぶんと手を振る剣士どの。
「それに俺、この階級制度すきじゃないんですよ。俺みたいなワカゾーがランクが上だからって偉そうにするって、なんか違うと思うんですよね」
「そういうものですか?」
なんとはなしに苦笑を交わし合い、泉からあがる。
私よりやや背は低いが、それでも百七十センチは超えているだろう。
この世界ではかなり恵まれた体格といえる。
手早く衣服を身につけ、
「サイファです」
右手を差し出してきた。
「あらためまして。エイジと申します」
握り返す。
爽やかで気取らず、ランクも鼻にかけず、顔立ちはきりりして、スタイルも良い。
その上、金の髪と青い瞳ときた。
なんだこの主人公。
きっとモテモテだろう。
うらやましくなんかないんだからね。
私だって恋人くらいいるもん。
「ランクがお嫌いとのことでしたが」
ちらりと水浴び中の仲間たちに視線を走らせながら問いかけた。
少しなら雑談に興じる時間はありそうだ。
「俺、まだ十七なんですよ。ただのガキです。他人様より体格が良くて剣が得意だってだけの。けど登録カードに書かれた能力が高かったおかげで、美味しい仕事がたくさん受けられました」
「ほほう?」
「褒賞が高くて名誉も稼ぎやすい、実入りの多い仕事ってヤツです。そんなのばっかりこなして、気付けばA級になってました。芸歴二年のA級ですよ? どう思います? 神仙さまは」
「ふむ……」
私はやや考え込んだ。
地方公務員の世界には、あまりスピード出世というものは存在しない。
基本的には年功序列だ。
どれほど才能を示そうとも、功績によって出世するということはない。
では民間企業ならどうか。
どちらの世界にもコネクションというのは存在するだろうが、民間の場合は実力で出世してゆくことは可能だろう。
しかし二年というのはない。
どんな会社でも、二年では新人から一歩踏み出せたかどうか、という段階ではなかろうか。
一人前にすら達していない。
あるいは、一般的な勤め人の世界ではなく、もっとずっと実力主義のスポーツ界の方が例として適当かも。
プロ野球とか。
トッププロは二軍選手を見下して良いか、という話だ。
そんなわけはない。
聞きかじりの知識だが、ああいう世界の方が礼儀にはうるさいという。
高卒の選手もいる、大卒の選手もいる、社会人野球からきた人もいるし、トレードやフリーエージェントで移ってきたプレイヤーもいる。
チームでの経歴もばらばら。
そんな中で、何をもって上下関係とするかといえは、年齢だ。
ベテランとか新人とか、一軍とか二軍とか関係なしに、年上の人は年長者として立てる。年少者には目をかける。
ちょっと格好良くいえば、その業界での経験より人生経験の方が重いということだ。
サイファの例で言えば、日本だとまだ高校生である。
自身に貼られた輝かしいレッテルに戸惑うのは、むしろ当然だろう。
「たしかにね。私はサイファくんより十四ばかりも年上だし、言葉を崩してもいいかい?」
崩してから許可を求めるとか、私もたいがいだ。
「もちろん! ていうかエイジさまは三十一なんですか!?」
喜びながら驚いている。
器用な若者である。
「……好きで三十路に踏み込んだわけではないけどね」
「俺の父親とほぼ変わらないってありえないですよ! 神仙さまって年取らないんですか!」
「いやいや。普通にとるから。あと体力とかないから。昨日から歩きづめで身体中いたいよ」
事実だからいっそう情けない。
この筋肉痛から解放される日はくるのだろうか。
「エイジさまは鍛え方が足りないだけなんじゃ……」
「街に戻ったら、トレーニングでもしようかな」
肩をすくめてみせる。
疲れない身体とまではいかなくても、アズール王国の人々が普通に一日で往復できる道程を、片道二日がかりという状況はなんとかしたい。
「あ、だったら俺が見ますよ? 基礎やっとくだけでもだいぶ違うと思うんで」
サイファくんが鍛え直してくれるらしい。
ありがたい申し出だが、私は笑って謝絶した。
野球の例えをそのまま使えば、トッププロにリトルリーグの小学生が稽古を付けてもらうようなものである。
小学生にとって得るものは多いだろう。
しかしプロ選手にとっては明らかにマイナスである。小学生と一緒に練習して学ぶことなど何一つないだろうし。むしろ学ぶ点があったとしたら、プロ選手としてどうなんだってレベルだ。
私の鍛錬に付き合うというのは、残念ながらそういう次元なのである。
A級の冒険者として多忙なサイファの時間を、そんな実利のないことに使わせるのは申しわけなさすぎる。
「というのが名目じゃな。本音としては、A級冒険者の稽古なんか厳しそうだからいやだ、といったところじゃろう」
良いタイミングで泉からあがってきたティアマトが適当なことを言った。
よせよ。照れるだろ?
こちとらひ弱な木っ端役人だぜ?
時代劇とかなら開始三分くらいで死んじゃうか、ラストの大立ち回りでたくさん殺されちゃううちのひとりって役どころよ?
「ティアの見解を否定する要素がひとつもないのは事実だけどさ。サイファくんの時間を奪うわけにはいかないのも、また事実だよ」
時間は無限ではない。
まして彼らアズールの人々は、私などよりずっと寿命が短いのだ。
「なればサイファの時間を買えば良いじゃろ。エイジは少し鍛えた方が良いというのだって、動かしがたい事実じゃろうて」
くそう。
どうしても私に運動をさせるつもりか。相棒どの。
だが、まだだ。
まだ心の刃は折れていない。
「私にはA級冒険者を雇うような財力はないよ」
「そんなものは価格を訊いてみなくては判るまい。どうじゃ? サイファ。毎朝の一刻ほどで良い。汝を時間拘束させてもらうのに、いかほどの金子が必要かの?」
半ば笑いながらティアマトが問いかける。
「それなら、一日銀貨三枚でどうですか?」
日本円にすると、時給千五百円といったところだ。
一度や二度ならともかく、恒常的に払えるような金額ではない。
「私には無理……」
「まあまあ。そう結論を急ぐものではない。この価格で適正か、サイファの仲間に聞いてみようではないか。どうじゃ? 皆」
次々と泉からあがってきた冒険者たちに視線を投げる。
「高い高い。ありえねえよ」と、盗賊風の若い男。
「桁をひとつお間違えじゃないですかって感じね」と、魔法使い風の女性。
「ぼったくりか……」と、狩人風の壮年男性。
満場一途である。
「一桁て。わかったよ。じゃあ銅貨三枚で」
サイファが価格を訂正した。
三百円。
時給なら百五十円だ。
ありえない値下げ率なのに笑ってやがる。
「んむ。決まりじゃな。良かったのうエイジや。武の師匠ができたぞ」
じつに爽やかに宣言するティアマト。
なんか、出来レース臭がぷんぷん漂ってるんですけどっ!