問題しかない! 4
とりあえず地面に腰をおろし、待つことにした。
ティアマトの力ならば強引に押し通ることも可能だが、そんなことをしても意味がない。
「どうにも気を遣わせてしまったようで、居心地が悪いのぅ」
そんなことを言いながら、ティアマトも座り込んだ。
「まあ彼らも自分の寝床が壊されるのは困るだろうしね」
「失礼な。次は半分くらいの威力で撃つつもりじゃったぞ」
一キロ彼方まで貫く破壊光線と五百メートル先まで貫く破壊光線。
どれほどの違いがあるというのか。
故事成語では五十歩百歩という。
原典はたしか孟子の言葉だ。
「やってくれるというなら任せた方がいいさ。いくらティアだって、一回二回で勘が掴めるわけでもないし。失敗によって学ぶことは多いけど、べつに私たちは狩りの専門家になりたいわけじゃないからね」
私たちの最終的な目的はギャグドを狩ることではない。
その肉を使った料理をリシュアの街に、延いてはアズール全体に普及させること。
しかし、これすらも最終地点とはいえないだろう。
ビタミンB1の不足を補うには、イノシシ肉だけでは足りない。
もっとずっと多くの副菜をバランス良く食べる食生活。
それを根付かせて、はじめて成功といえるのではないか。
長い道のりだが、なるべく急がなくてはならない。
人が死ぬのだ。
私の努力によってそれを一人でも二人でも減らせるなら、努力しないという選択肢は存在しない。
「ん? どうしたんだい? ティア」
気がつけば、ティアマトがじっとこちらを見ている。
すでに相棒なので、仲間になりたそうに見ているわけではないだろう。
「いやの。存外真面目じゃと思うての」
「……口に出してたか」
「これは失礼を承知で言うのじゃがの。日本の公務員はもっとずっといい加減じゃと思うていたのじゃ」
「そういう輩がいることは否定しないよ」
自然と苦笑が浮かぶ。
何のために役人になるのかと問われれば、安定しているからと答える者は数多いだろう。
それが間違った考えだとは思わない。
誰しも自分や、その家族のために働いているのだ。
公務員だからといって無私の奉仕精神を要求されるのは筋が違う。
自分のために仕事をする。それで良いと私も思う。
ただ、私には指標とする人物がいるというだけのことだ。
「それは誰じゃ?」
「直接の知己ってわけじゃないよ。テレビで見たとか、その程度さ」
「ほう?」
一九八六年。
伊豆大島の三原山が大噴火を起こした。
このとき避難の総指揮を執り、島民および観光客の一万人強を、ただの一人の犠牲者も出すことなく島外に脱出させたのが町助役であった秋田氏である。
関係各所に頭を下げ、必要な手をすべて打ち、最後の避難船が出航するのを見届けるために島に残った。
この出来事を、もちろん私は直接に知っているわけではない。
私が生まれた年の出来事である。
知ったのは、二〇〇〇年に放送された公共放送の番組でのことだ。
十四歳。
中学生だった。
「憧れたよ。格好良かった。私もかくありたいと思った」
「それがエイジの志望動機というやつじゃな」
「そこまでの信念があるか私自身にも判らない。けど、誰かのためにって思いはね、ずっとここにあると思う」
私は右手を胸に当てた。
格好つけすぎかもしれない。
「なるほどの。謎がひとつ解けたような気分じゃよ。どうして汝がこの世界の人間のために知恵を絞るのか、少し不思議だったでの」
「テレビの影響ってのは、ちょっと恥ずかしいけどね」
「何の影響でも善行は善行じゃよ。恥じる類のものでもあるまいて。さて、エイジの恥ずかしい過去話を聞いているうちに、魔狼どのが戻ったようじゃな」
「恥ずかしくないのか恥ずかしいのか、どっちなんだって気分だよ」
照れ笑いを苦笑に隠し、私は立ちあがった。
立派なギャグドである。
ティアマトが消し炭に変えてしまったやつと比較しても遜色ないほどの体躯だ。
輝きを失ったばかりの赤い目が、恨めしそうに見上げている。
「で、これをどうするのだ? ニンゲンよ」
「エイジでかまいませんよ」
「では、私のことはベイズと呼ぶことを許そう」
えらく尊大に許可された。
まあ魔狼からみれば、人間など本来は口を利くような相手ですらない。
最大限に良くいって敵手。悪くいえば補食対象でしかないだろうから。
「たしか、血抜きをするはずですね」
「ふむ。どうやるのだ?」
「…………」
どうやるんだろう?
異世界ファンタジー作品、とりわけ内政・開拓ものでは、わりとポピュラーなシーンだ。
だがしかし、私に解体の知識はない。
仮にあったとして、体長四メートルもの巨大イノシシをどうしろというのか。
なんであの主人公たちは、ああも簡単に解体してしまえるのだろう。
一回二回見学したことがある、という程度で憶えられるものなのか。
というより獲物とはいえ、できたてほやほやの死体を目の前にしてどうしてああも平然と作業ができるのか。
彼ら主人公は、本当に日本人なのか疑わしいところだ。
日常的に狩りをおこなっている狩猟民族なのではないのか。
ちなみに私は、すっかり腰が引けている。
ぶっちゃけ怖い。
迫ってくるギャグドも怖かったが、死体というのもやっぱり怖い。
「逆さ吊りにして首を切るのじゃよ」
いとも簡単にティアマトが言う。
インストールされた無駄知識の恩恵か、無駄でない方の知識のご利益かは判らないが、やり方を知っている者がいるというのは心強い。
心強いが、問題は手段だ。
体長四メートルもの大型獣をどうやって吊す?
私に持ち上げるような力はないし、私と同じくらいの身長のティアマトにも物理的に不可能だ。魔狼のベイズ氏はギャグドより大きいが、彼の前脚はロープを持ったり結んだりの細かい作業には、あまり向いていない。
そもそもロープもない。
「どうしよう……」
「我が足をくわえて飛ぶか?」
「飛べるの? ティア」
「羽根があるからの。飾りじゃないのじゃよ。翼は。はっはんじゃ」
「私にも理解可能なネタをつかってよ」
ティアマトの提案としては、彼女がギャグドの足をくわえて飛ぶ。うまく逆さ吊りになったところで、ベイズ氏がその首を切り裂いて血を噴き出させる。
もっのすごい力業な血抜き方法だ。
このあたりが血の池になってしまわないか? それ。
「丸かじりすれば良いではないか。エイジよ」
さすがに面倒そうに首を振る魔狼。
「私が食べるわけじゃないんですよ。ベイズさん」
町の人に食べてもらうのだ。
ちゃんと血抜きをして美味しい料理にしないといけない。
ギャグドは美味しくない、という固定観念が最初に根付いてしまうと、それを払拭するのは簡単ではないのである。
逆に言えば、うまいという評価を最初から得られれば、一気に広まる可能性がある。
もちろんそうなったらなったで、森林資源の保護とか、乱獲とか、頭の痛い問題が浮上するのだが。
家畜化というのが、迂遠なようにみえて最も近道だろうか。
「では、やつらにやらせるべきだろうな」
にやりと魔狼が笑ったような気がした。
視線の彼方、小さく土煙が見える。
「馬車だ。近づいている。エイジの名前を叫んでいるところをみると、捜しにきたのだろう」
「この距離で良く判りますね」
「人間たちの感覚が鈍すぎるのだ。それでは野生では生きられまい」
「だから集団を形成し、町を築き、知識を次代に伝えることで長らえてきたんですよ」
私の一般論めいた警句に、ベイズがふんと鼻を鳴らした。
古来、魔獣の国など建国されたことがない。悪魔の帝国も、魔王が統べる王国も。
あるのは人間の国だけ。
それが、ひとつの答えではないではないだろうか。
判っているからこそ、ベイズ氏は嫌そうな顔をしたのである。
※参考資料※
NHK『プロジェクトX ~挑戦者たち~』より
全島一万人 史上最大の脱出作戦
〜三原山噴火・13時間のドラマ〜