問題しかない! 2
森林地帯が見えてきた。
徐々に木が増えてくるという感じではなく、唐突に草原がおわって森林が始まるという雰囲気だ。
「普通に考えれば、このような地形になるはずがないのじゃがの」
「……そうだね」
我ながら元気のない声で応える。
ティアマトの予測通り、森林に到着したのは翌朝のことである。
つまり昨夜は野宿だった。
地べたで寝た。
体中が痛い。
疲れなんてまったく抜けていない。
眠れたかどうかすらも判らない。
月明かりと星明かりしかない闇の中、どこからか聞こえる獣の声。
布団も寝袋もなく、そんな状態で安眠できる人間など、いるのかもしれないが、その人はきっと風間エイジという固有名詞を持っていないだろう。
そんな名前のボンクラは、びびって一晩中ティアマトにしがみついていたのだから。
「恥ずべきことでもあるまいよ。汝は自分自身が戦えないことを知っており、戦える我を頼った。それだけのことじゃろう」
こともなげに言うドラゴンさま。
それは正鵠を射ているが、一応は私にだってプライドとかあるのだ。
男の子にも譲れぬ矜持があるんだよ?
「べつに運命を投げているわけでもなかろ。戦えもしないのに虚勢を張られても迷惑なだけじゃて」
「そうなんだけどね……」
「むしろ汝が恥ずべきは、この世界の人々と同様の体力が自分にあると思い上がったことじゃろうな。違いを認識するだけの時間的な猶予は、充分にあったはずじゃぞ」
「……一言もない」
私は便利な生活に慣れた軟弱な現代人だ。
ガリシュ氏が考える歩行速度など出せるはずもないし、持久力だってずっと劣る。
リシュアの街に一泊したのだから、その程度のことは気付いていなくてはいけなかったのだ。
この件についてティアマトが事前にアドバイスをくれなかったのは、おそらくわざとである。
体感しなくては判らない、と、考えたのだろう。
彼女はツアーコンダクターでもガイドでもない。
上げ膳据え膳のサービスを要求するのは筋が違う。私が考えた上でアドバイスを求めた場合には、相談に乗ってくれるだろうが。
今回のケースであれば、ガリシュ氏の示した時間について、私で踏破可能なのかと問いかければ不可能だと応えてくれただろう。
たったそれだけの手間を惜しんだがゆえに、私は事前の準備を怠ることになり、野宿という憂き目にあった。
一日二日程度の行程だったから良かったものの、もっと過酷な旅であったら命を落としていた可能性もある。
「次からは、何かにつけて君に助言を求めるよ」
「んむ」
かるく頷くティアマト。
心なしか笑っているように見えた。
森の中、ちらちらと何かの影が見える。
かなり大きい。
おそらくはあれが魔獣なのだろう。
野良猫でもあるまいし、野生動物というのはそうそう簡単に姿をみせないものだが。
「地球でも、たとえば生態系の頂点近くに君臨するものはこそこそ隠れぬじゃろ? それと同じじゃよ」
「なるほどね」
そういうものかもしれない。
人間の場合は、ただ単に擬態や隠形ができなかったから集団を形成した。
個の力で勝てないから数の暴力を使うようになった。
そうやって地球世界という生態ピラミッドの頂点に立っていったわけだ。
しかし、やはり野生では個体能力がものをいう。
強いイキモノになればなるほど、簡単に姿を見せるということになるだろう。
「ギャグドってのはどのへんなんだろう。あんまり強いと狩るのは難しいよね」
「我ならば簡単じゃが、人間基準となれば評価が難しいの」
ティアマトが首をかしげる。
小なりといえども彼女はドラゴンである。
それこそヒエラルキーのトップだ。
脆弱で卑小な人間どもとは別次元の存在なのだ。
大空を舞う鷹と地べたを這いずるミミズでは、当然のように視点が異なる。
持っている者に持たざる者の気持ちなど判らない。
「いや、なんでそこで卑屈になるんじゃ?」
ぐちぐちと並べる私を半眼で睨むティアマト。
「お約束として」
「阿呆が。我が言っているのは狩りの難易度の話ではないわ。汝ら人間は獲物を頭から丸かじりなどできぬじゃろう」
「オレサマ オマエ マルカジリ」
「コンゴトモ ヨロシク」
「つまり、どういうことなんだい?」
「んむ。何事もなかったかのように戻したの。ようするに我らは生でぼりぼりと食えるが、汝らは捕らえて皮を剥いで可食部分を取り出して、など、様々な手順が必要じゃろうということじゃ」
たしかに、言われてみればその通りである。
魔獣を生きたまま食べちゃうようなワイルドな人間は、きっと少数派だろう。
狩りの仕方がそもそも違うという話だ。
「でも、殺すところまではイコールでもいけるんじゃないかな」
「そうじゃの。狩れるか狩れないかを今論じても仕方あるまい。まずは一頭狩ってみるとするかの」
すいとティアマトが目を細める。
視線の先。
巨大な影が見える。
「いたようじゃの。ギャグドじゃ」
「イノシシって大きさじゃないけどね」
体長はゆうに四メートルはあるだろう。体高は二メートルちょっとといったところか。
とにかくでかい。
しかもなんか凶悪そうな牙まで生えてるし。
アニメ作品にでもでてきそうな造型だ。
さすがファンタジー世界。
私の常識など軽々と飛び越えてくれる。
アレを狩るとか無理ゲーすきる。
「もう帰りたいよ……」
「無理じゃな。むこうもこちらに気付いた。敵として認識されたようじゃぞ」
ゆっくりとギャグドが身体をこちらに向ける。
やや頭を下げ、ぶっとい前脚で何度か地面を蹴った。
野生動物の知識などない私でもなんとなく判る。突撃体勢だ。
次の瞬間、地軸を揺るがすような音を立て、ギャグドが突進を始めた。
細い木々などをなぎ倒し、赤い瞳を攻撃衝動に爛々と輝かせて。
相対距離は三百メートルほど。
たぶんあっという間だろう。
「どどどどどうすんのっ!?」
すげー怖いんですけどっ!
「どの程度の攻撃で殺せるのか判らぬ。近接格闘で首をもげば、さすがに死ぬじゃろうが」
私とは正反対に落ち着いてティアマトが観察している。
分析とか良いんで、何とかしてください。
ほんとお願いします。
魔獣の息づかいまで聞こえてきそうなんですけど。
一瞬ごとに大きくなってゆくギャグドの身体。
接近しつつあるのと、恐怖による錯覚だ。
私の目には、もうダンプカー並みの大きさに映っている。
やばいから。
これまじで。
たぶんはねられたら即死するレベル。
「あまり大暴れさせてエイジを踏み潰してしまうのもまずいかの」
あ、はい。
非常にまずいですけど、このままでも遠からずそうなりそうですよ?
判ってますか?
ティアマトさん?
「となればブレスかの。良く判らぬから最大出力で撃ってみるか」
すっと息を吸い込むリトルドラゴン。
青とも緑ともつかない竜鱗が輝き出す。
蒼銀に。
大きく口を開く。
轟!! という音は遅れて聞こえた。
私が認識したのは眩い光である。
閃光の吐息。
あまりのまぶしさに瞳を閉じた私の脳裏に、そんな言葉が浮かぶ。
ていうか、すごくオーバーキルっぽくないか? これ。
おそるおそる目を開いた。
「ちとやりすぎた」
短い前脚で、ぼりぽりと顎を掻くティアマトがいた。
器用なものである。
それはいい。
いや、あんまり良くはないけど、目前に広がる光景に比較すれば、ぜんぜんどうでもいい話だ。
たぶん一キロくらい先まですっかり何にもなくなった森。
一直線に。
なんというか、あれだ。巨○兵に薙ぎ払われちゃったような状態である。
当然、あたりまえのようにギャグドもいなくなっている。
逃げたのではなく、蒸発したのだろう。
文字通り骨も遺さず。
狩猟という概念からは、とってもとってもかけ離れた結果である。
どちらかというと殲滅とか、炎の何日間とかそういうやつだ。
「どうすんの……? これ……」
「そうじゃのう。知らばっくれるか、いっそ逃げるというものありかの」
あさっての方向を見ながらティアマトが言った。
気持ちは判るけど、逃げてどうするよ。