正太の変身ベルト
十ニ月二十三日。
正太は鉛筆で、カレンダーにバッテンをつけた。十二月は一日から二十三日まで、ぜんぶバッテンがついている。
十二月二十四日。
赤鉛筆に持ち替えて、今度はぐりぐりとマルをつけた。
今日は、クリスマスイブ。
夢が叶う朝の、その前の日。
三歳のころから、正太の夢はスーパーヒーローになることだった。
流れ星を見たときもそうお願いしたし、七夕の短冊にもそう書いた。
もちろん、サンタさんにお願いするのは、変身ベルトだ。
ちょっと昔の変身ベルト。正太がちょうど生まれたころに人気だったという、スーパーヒーローのもの。
正太はDVDでそれを見て、あっというまにとりこになってしまった。
三歳のときも、四歳のときも、五歳のときも六歳のときも、お願いした。
変身ベルトが欲しいです。
けれど、正太のお父さんとお母さんは、そろって首を振るのだ。
それは、だいぶ前のベルトでしょ。もうお店に売ってないでしょ。
いくらサンタさんでも、お店に売っていないものは、プレゼントしてくれないらしい。
それならしかたがないとあきらめていたが、今年はちがった。
正太は、見つけた。
おもちゃ屋さんの広告に、あの変身ベルトが載っているのを。
「絶対に、これ!」
映画の影響とか、販売戦略の変化とか、とにかくオトナの事情でまた売り出していたそのベルトのことを、お父さんとお母さんはとっくに知っていたらしい。
にっこり笑って、サンタさんにお手紙を書かなきゃねと、いってくれた。
だから正太は、手紙を書いた。
もう七歳だから、自分で書いた。
サンタさんへ。
ぼくは、この、へんしんベルトがほしいです。
ぜったい大じにします。
よろしくおねがいします。 正太
白い封筒に、入れる。
サンタさんがまちがえてしまわないように、おもちゃ屋さんの広告も一緒に入れた。もちろん、ぐりぐりとマルをつけて。
お母さんとお父さんと話し合って決めた、『サンタさんへのお手紙置き場』に、封筒を置いた。正太が背伸びしてやっと届く、タンスの上。
そこに置いておくだけで、サンタさんには手紙が届くらしい。
手紙の中身が届くんだよ。気持ちが伝わるの。
お母さんは、そういっていた。
本当に届いたかどうか心配で、正太は一日に三回は手紙を確認した。
もうちょっと丁寧な字がいいかな。
もうちょっと大きな字がいいかな。
そんなことを考えて、もう二回も書き直した。
でも、だいじょうぶ。
去年までもそうだった。きっともう、サンタさんに届いてる。
正太は、時計を見た。
今日になってから、何度時計を見たかわからない。最初に見たときは、まだ六時だった。あんまり楽しみで、早く起きすぎてしまったのだ。
最近の正太は、ちゃんと眠れていない。
目を閉じると、シャンシャンシャンとそりの音が聞こえてくる気がして、落ち着かなかった。じっとしていると、変身ベルトをつけた自分のことばかり考えてしまって、動かずにはいられなかった。
十二月の真ん中に、サンタさんに手紙を書いてから、ずっとそう。
ご飯だってちゃんと食べられなくて、公園に行っても上着を忘れて帰るぐらいにはしゃいで、お風呂ではろくに洗わずに遊んで、もちろんすぐにパジャマを着なくて。
そんなふうに、毎日が過ぎた。
「今日はちょっとお昼寝しなさい。風邪も流行ってるみたいだし、おりこうにしてないと、サンタさん来てくれないのよ」
お母さんがいう。昨日もその前も、同じことをいわれた。
「ムリ!」
正太は答える。夜だって眠れないのに、明るいうちなんて絶対にムリ。
それに、正太はスーパーヒーローになる男だ。
風邪なんて引かない。
──はずだった。
やっぱり、お母さんのいうことは、正しかった。
三時のおやつを食べたころ、正太は急に元気がなくなった。
いつものドキドキが、いつもとはちがうドキドキになっていた。
「どうしたの? 寒いの?」
慌てて自分でトレーナーを出して、セーターの上にかぶる。
お母さんがすぐに気づいたけど、正太はできるだけ平気な声を出した。
「ううん! なんでもないよ、だいじょうぶだよ」
本当は、寒かった。
ちょっとおかしなぐらい、寒かった。
覚えている。去年インフルエンザにかかったときも、これぐらい寒かった。
嫌な予感がした。
もしかして。
これは、もしかして。
「なんでもないけど、ちょっとだけ、寝ようかなー」
ふわふわした声でそういって、ベッドに横になる。
目がいやに冴えてしまって、やっぱり眠れない。
くしゅん。
くしゃみも出た。
ずるずる。
鼻水も出てきた。
だからいったでしょ!
ちゃんということきかないからよ!
お母さんが怒っている。本当に怒っているのかな。夢のなかかな。寝ていないんだから、夢ではないはずなのに。
ああ、ちがう。お母さんが食器を洗っている音がする。だいじょうぶ、まだバレてない。
正太は一度起き上がって、子ども部屋のドアをきっちりしめた。
本、読んでただけだよ。
寝るって宣言したのに、そんないいわけまで考えて、買ってもらったまま読んでいない小説を枕元に置く。
思いっきり鼻をかんで、布団にもぐった。
どうしよう、どうしよう。
頭の中がぐるぐるしていた。
どうしよう、風邪を引いてしまった。
おりこうなぼくじゃ、なくなってしまった。
どうしよう、どうしよう。
サンタさんは来てくれるだろうか。
プレゼントを持って来てくれるだろうか。
お母さんは怒るかな。
お父さんは呆れるかな。
ああ、なによりも。
大事な日に風邪を引くなんて、スーパーヒーロー失格だ。
悔しかった。
頭がぐらぐら沸騰して、お湯が吹きこぼれたみたいに、熱い涙が出た。
情けなかった。
あんなに楽しみにしていたのに。
すごくすごく欲しいのに。
もう、もらえない。
もらえないじゃなくて。
そのシカクがない。
だって、おりこうじゃないんだから。
なにが悔しくてなにが情けなくて、なにが悲しくて、どうして泣いているのか、頭が迷路に入ってしまって、わけがわからなくなっていく。
正太はベッドから這い出した。
入学祝いにおじいちゃんが買ってくれた勉強机から、びんせんを出す。
時間をかけて、ていねいにていねいに手紙を書くと、小さくたたんで青い封筒に入れた。
背伸びをして、タンスの上の白い封筒と、入れ替える。
泣かないぞ、泣かないぞ。
正太はぐっと我慢して、もう一度ベッドに入った。
目を閉じる。
シャンシャンシャン。
そりの音。
サンタさんのうしろ姿が見えた。
いつもはこちらを向いているサンタさんが、今日は反対側を向いていた。
正太が気がつくと、朝になっていた。
頭にはいつの間にか、冷却シートがくっついている。
ぼんやり、考えた。
窓から見える、明るい外。
十二月二十五日。
正太は思わず飛び起きて、枕元を見た。
あるのは、昨日自分で置いた、小説だけ。
「おはよう、正太」
お母さんは、ベッドの隣に、静かにすわっていた。
「おは、よう、お母さん」
うまく気持ちがまとまらなくて、そのまま返す。
自分の服のなかから、ピピピと音がした。
よく見たら、パジャマに着替えていた。
「……まだちょっと、高いわね。お薬飲んで、今日はおとなしく寝てなさいね」
正太のわきから体温計を引き抜いて、お母さんが息をつく。
正太は、はいとしおらしく返事をした。
「ちょっと苦いけど、我慢するのよ。あとで、病院にも行くからね」
「あっ!」
お母さんが手にとった薬瓶を見て、正太は思わず叫んでいた。
苦い液体の入っているいつもの瓶と同じようで、全然ちがう。
ラベルの代わりに貼ってあるのは、赤と緑のキラキラシール。
『サンタじるし かぜぐすり』
「あーっ!」
「はい、どうぞ」
お母さんはまるで気にしていないように、いつもどおり薬を小さなカップに移す。
「うん!」
いつもなら飲むまでに時間のかかる正太も、今日ばかりは、あっという間に飲み干してしまった。
だって、特別な薬だ。
絶対に、すぐに治る。
「お母さん」
「なあに」
飲み終わって、ベッドに寝転がって、正太はタンスの上を見る。
青い封筒。
サンタさん、見てくれたんだ。
「ぼく、スーパーヒーローになれるかな」
風邪を引いて寝込んでしまっている、いまの自分ではダメだけど。
「ぼくが、スーパーヒーローにふさわしいぼくに、なったらさ。今度こそ、変身ベルトをもらうんだ」
「そうねえ」
ことりと瓶をタンスの上に置いて、お母さんは微笑んだ。
サンタさんへ。
ぼくは、スーパーヒーローになりたいです。
だからいまは、やっぱりベルトじゃなくて、かぜぐすりが、ほしいです。 正太
了
読んでいただき、ありがとうございました。