よん : そうしきのし
息を切らせて帰り着いた家で、妹は幸せそうにホットケーキを食べていて、キッチンには見しらぬ青年が。
「や、やや、夜分に、すみませ、ん。あの、女の子と二人きりなのはどうかなって思ったんですけど、でも、あの、その……」
「……ホットケーキ、焦げるよ」
フライ返しを片手にシドロモドロと弁解している彼に、半呆然としながらも、真哉は背後で登り始めた黒煙を指す。
そして彼は酷く慌て、妹の真沙は笑顔で言った。
「おんなじ映画同好会の、ヨージくん。ヨージくん、お兄ちゃんだよ!」
「は、初めましてっ」
「うん、初めまして……あ、火傷しないように…」
「アッツ!!」
何だか大変な事になっていた。
「お邪魔してますー。つうか、お前ら面白すぎ!」
「花祭さん!」
戸口からヒョッコリ顔を出した相喜が、キッチンで何やらやりとりをしている永士と真哉を笑う。
「本当にお兄ちゃんと同級生だったんだ!」
「本当に……って」
苦笑しながら、相喜は頷いておく。正直、学校の中で顔を合わせることは少なかった。
顔を合わせるのは、夜の公園か、夜の駅近く。
「まぁ、仲は悪くは、なかったな」
確信を持って言えること。仲は悪くなかった。真哉の冷めているのか拒絶しているのか曖昧な態度があるため、仲が良かったとは言い切れないが。
あの頃の彼にしてみれば、最大限に近付けて、あの距離だったのかもしれない。
「大変だったみたいだな……その、親父さんの事。真沙は大丈夫だったのか?」
「え?」
何が? と言う、キョトンとした表情で見上げられた相喜は、だから、と続ける。
「親父さんに、殴られたり……」
「相喜」
遠回しに言っても分かってもらえなかった。だから、具体的に尋ねようとした時だ。
テーブルに焦げたホットケーキを乗せた皿が、乱暴に、というよりは、置く寸前で手を離した様な、ガシャンという音を立てて落ちた。
「余計なことは言わないでくれ、相喜。分かったか?」
笑顔で。
「……はい」
あの笑顔に逆らってはいけない。あぁ見えて真哉は恐ろしく強いのだ。行動の一つ一つに迷いがない分、動作が速い。
初めて真哉と殴り合いになった日、相喜は初めて、負けを経験した。素人だと思って、いや実際に素人だったのだが、油断して手加減してやった結果、本気を出してもどうにもならない所まで追い込まれていた。
そして彼に負けて、花壇で愚痴っていた所を葉奏に目撃されたのだ。
「それで、真沙。んん、友達って、まさか、男の子だとは」
「ぼ、僕も、まさか、こんな時間まで居る事になるとは……!」
何故か真哉の隣に座ることになり、軽く脅えの混じった恐縮具合いで縮こまっている永士に、真沙は変わらず明るく笑う。
「真沙もびっくりだよ〜っ!」
眼前の男子二人の心境を全く理解してない天然具合だった。
真沙の隣に座った相喜が、飽きれ顔で目の前の二人を見る。骨折り損、という言葉が似合う。
「……はぁ。まぁいいか。今日はもう遅いから、良かったら泊まっていかないか、永士、くん。と、相喜」
「えっ、あの……!」
「あくまで良かったらだから」
「俺泊まる〜」
やはりシドロモドロの永士に、心なしか真哉は冷たい。溜め息を付いて手をあげた相喜と、小さく挙手した永士。
「お前の部屋の床かしてくれ」
「あぁ」
「ぼ、僕はここら辺でいいです……」
「いや、せめてソファで」
遠慮なのか、永士はフローリングの一角を指差した。それはいくらなんでも可哀想なので、ソファを進める。
真哉だってそこまで鬼ではない。
「後で毛布持ってくるね!」
「ありがとう、マーちゃん」
その二人のやりとりを聞きながら、真哉は居間から出る。着いてきた相喜は、階段を上がりながら微笑んだ。
「ほのぼの過ぎだよなぁ、あの二人」
「……」
無言の真哉に、相喜は心中で爆笑していた。露骨すぎて。
「何だ、いっちょ前に親父気分か? 妹取られた気分でいるのかよ」
「……何言ってんだ」
二階にある手前の扉を開けて、真哉は押し込むように相喜を押して戸を閉める。
向こうの声も、こっちの声も、相手側に聞こえない。厳重に鍵もしめて振り返ると、相喜が真哉のベッドにダイブするところだった。
「子どもか、お前は」
「やるだろ、普通」
「やらない」
普通はやらない。少なくとも真哉はやらない。
人のベッドで仰向けになって天井を見つめている相喜を放っておいて、真哉はノートパソコンを開く。
「お前ってば、相変わらず、そういうの好きなんだな」
「あぁ。仕事だし……それに、人と関わらないから」
自分が作ったものを、気に入った人が勝手に持っていって、クレームや不都合はメールで。顔と顔を突き合わせる訳じゃないから、相手と乱闘になる訳はない。
手の届かない、絶対の距離。
「……真沙は知らないのか? お前が、親父に殴られてたとか」
「知らない。隠してた。いや、隠してる。今でも」
そう言った瞬間、義一に殴られた頬が、ズキンと痛んだ。隠したとしても、自分は、体は覚えている。そう伝えるように。
消えない傷だってある。消せない傷もある。時々、不意に痛み出す傷も。でも、全ては妹と、哀れな父のためだった。
「真沙は、知らないままで、今のままでいてほしいんだ。……それに、父さんだって」
「おかしいんじゃねぇか、お前。何であんな親父かばうんだよ」
「ある意味、ある意味でだけだけど……父さんは俺に優しかった。だからだな」
「……」
訳分からん、と起き上がった相喜に、真哉は本題に入る。重要な事だ。
「そいで? 例のDVD、何なんだよ」
「三年位前に撮影された、ホラー映画だな。皆殺しにされる究極のバッドエンド」
「マジで」
死神の館に迷いこんだ少年少女が、成人の日を境に、殺されて行くと言う物語。
死神を倒す術は無く、ただ逃げて、時に戦い、延々それを繰り返して、死んで行く話。弱い者、諦めた者が、死ぬ。
「……死神くらいしか被ってねぇじゃん」
「あぁ。この死神の趣向に、両目をえぐるなんてのはない。ただ、斬って刻んで、それだけだ」
死神が、主人公らと対話するような場面もない。
「……相喜は義一の言ってた死神、信じてるか」
「は?」
この話を考える上で、最も重要で、最も信じがたいもの。それが、死神。
本物の死神を信じるのか、人が化けた作り物か。
「そうだな。俺は信じてないな。見てねぇし」
「そうだよなぁ」
見てない。本物の死神を、この目で見れば信じる。しかし、見る機会は無い。
「まだ死なねえしな、俺たち」
「そうみたいだ」
そこで、ポン、と出てきたのが、例のDVDの主役を演じた俳優の名前。
「知名矢 郁」
「誰」
「主役だよ。主役」
インターネットで調べてみると。出てきた。
「知名矢郁……」
「……今、なんもやってねぇんだ」
代表作に上がっているのは一つだけ。しかも題名はブランクで、作品の概要だけがのっている。
『呪われし館の物語。死神に狩られる彼等は逃げられない。 その血にまみれた、幻の作品を見たものは、彼等と同じく呪われる運命にある。
現場監督兼シナリオ担当・景平孝作』
そう、書かれていた。
「すげぇ自信満々の誘い文句だな……」
「誘い文句じゃなかったら?」
「はい?」
「事実、だったら」
見たら、呪われる。それが事実であったならば。
「信じるのかよ。人間が作った、あくまで創造の産物だろ? 死神なんて」
「呪われた物は、大概人間が作ったものだよ。黙って置いておけば只の石ころなのに、伐りさえしなければ只の木だったのに。人間がそうやって呪いを生み出す」
余計な干渉さえしなければ、行きすぎた気遣いなんてしなければ、優しすぎる行動をとらなければ。
こんなにも、道を誤る事はなかったろうに。
「真哉?」
「……」
「おい、大丈夫か、気持悪いのか」
口許に手を当てて、胃の辺りを押さえている真哉に、相喜が声をかける。
学生時代にも度々あった事だ。
「立てるか?」
「……いい、大丈夫だ」
胃の辺りがドクドクと脈を打っている。それを感じながら、真哉は相喜を手で制す。
大丈夫。そう言っていたら、本当にその様になっていた。
「悪い。少し動揺した」
「そうか……」
動揺。真哉には似合わない言葉だと思う。しかし、真哉の言うように、あれが動揺だというのなら、明らかに真哉の方が相喜よりも、精神的に弱い。
それは真哉にあって、相喜にはない、トラウマ。
「……今日は、休むか」
「? 別に構わないが」
「俺は疲れた。……それに、何かもう訳分かんないしな」
確かに。やるせなく微笑んだ真哉に、相喜も笑いかえす。信じられないものが多くて話は進まない。
「布団、持ってくる」
「おう、サンキュー」
適当に持ってきた布団をひいて、寝転がりながら、他愛のない話をして。
明日、何が起こるか想像もしないまま、二人は就寝。
朝一番、あんな形で起こされるとは思ってもみなかった。
部屋に響いたけたたましい音は、携帯電話だった。しかも自分の物ではない。
「あい……もしもし。花祭……あぁ? 堂戸? おはよう……」
寝起きのままの声音で受け答えしている電話の相手は、昨日再会したばかりの堂戸らしい。
彼女はかなり大きな声で話しているようで、何を言っているかまでは分からなかったが、声だけは聞こえている。
落ち着けよ……と心の中で思いながらも、こちらも寝起き。真哉はぼんやりとその様子を見守っていた。
すると、花祭の表情が、徐々に徐々に、寝起きのそれとは変わり、何やらただならぬ気配を告げる。無理矢理意識を覚醒させるに値する出来事。
それは、死神の足跡。
「マジかよ……」
義一が、死んだ。両目をえぐられて。朝比奈邸の一室で、息絶えていた。
白のシーツと顔を染める、赤黒い跡さえなければ、まるで普通に眠っているようだったという。
朝比奈邸の手前にある駐車場。娘に続き、娘の恋人までが死んだ屋敷は、どこか静まりかえり、どこか騒がしい。
朝が来ていないように思える、おかしな雰囲気だった。
「職務怠慢……とは思わねぇけどよ、あんたの事だから」
利彦と話しているのは花祭だった。昨夜、利彦に事の次第を説明し、犯人逮捕の情報を流していたのだ。結局、犯人は捕まえられなかった様だが。
「……被害者があの部屋に入ってから、その部屋の近くを通った人間も、中に入っていった人間もいない。被害者自身、部屋からは出てこなかった」
昨日は葬式。不特定多数の人間が出入りする屋敷の門より、義一を監視していた方が、確実で速いと思ったのだろう。
しかし、それでも、義一は死んだ。
あの部屋の中で、一体何があったのかも分からない。
「……朝、部屋に行ったら、既に死んでたそうだ」
一番始めに彼を見付け、部屋から逃げるように出た直後、相喜に助けを求めた人物。堂戸。
まだ顔を会わせてはいないが、相当ショックだったに違いない。
「訳が、分からんよ…」
それは、誰もが思っていた事だった。
犯人はどこから来て、どうやって殺して、どう逃げたのか。
「目をえぐるのが、殺した後なら……やれないことはない……けどな」
呟いた相喜に、利彦があからさまに眉間に皺を寄せる。
「最初の被害者が、出血多量のショック死だったのを考えると……違うんじゃないか」
言った真哉と利彦の目が合う。
関わるな、と言いたそうな目付きだったが、真哉も相喜も気付かないフリをする。関わるなと言われても、もう遅い。
特に、真哉は。
「次の被害者、見付けるしかねぇな」
「そうだな……」
面倒と僅かな焦りの見える表情で踵を返した真哉と相喜。
恐怖が眼前に迫ってから行動するのは、遅すぎる。
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