五年生・1
本格的な空離れの季節に入る前日は、毎年急に大雪が降る。これはコール現象といって、地上の草花や地表を急激に冷やして凍結させ、次の光の季節が訪れるまでに雪の下で備えさせるという、自然がおりなす知恵のようなものなのだ。と教室の窓から降りしきる雪を見ながら、教壇に立つボードン先生が寒さに肩を震わせながら私達生徒に説明をしていた。雪は止むことを知らず、耐えず大雨のように勢いよく降っている。
コール現象については私も調べたことがある。空にある星が僅かに地上へ近づく地点についた時、上空の氷の粒子がその星の熱によって重なりあうと同時に爆発的に何十枚もの層が出来上がって、一気に冷え込むのだ。
コール現象で出来た雪は一番冷たいと言われていて、簡単には溶けないという。
「課外授業どーするの?」
「先生~次自習がいいで~す」
急に降り出した雪に、生徒達はボードン先生と同じように肩を震わせて外を見ていた。暖を取るための道具がまだ備わっていないせいで、教室の中が寒い。
今日の授業は外でブークンという魔法動物の扱い方を勉強する予定だった。さほど大きい動物ではない小動物の部類に入るブークンは、小さくとがった耳、小さい目、枝のように伸びた細長い鼻、小さい手足、胴体は幼児のようにでっぷりとした見た目であるが、その小さな手足に生えた爪を砕いて煎じて飲むと、腐りかけた人間の四肢が回復する効果があるのらしく、それに視力が悪い人もそれを飲むことで幾分が良くなるということも分かっているらしい。万能薬というほど便利に何にでも効くわけではないけれど、それが必要な人にとっては喉から手が出るほどお目にかかりたい動物なのである。今日はその貴重な一匹を校長先生が私達の為に用意してくれたので、自然科目担当のジェミス・ブラン先生からブークンの生態や慣らし方、爪の切り方を習う予定だったはずなのに……。
雪が恨めしくて顎肘をたてる。
こんな猛吹雪じゃ外に出られないじゃないか。空気の読めない季節である。ブークンが寒がって死んでしまったら元も子もないからしょうがないのだけれども。楽しみにしていただけに気分が落ちる。
「あともうちょっとでやむだろうから、この日にしか見られない生物でも見せてもらうと良い」
ボードン先生は授業担当であるジェミス先生に話してくると言って教室から出て行った。ジェミス先生は授業内容の変更とか嫌がるだろうに。だいたい物事が計画通りに行かないとあの先生は一人で怒り出すので、普段授業中にふざけるサタナースもジェミス先生の授業の時は面倒臭くなるのが嫌なのか大人しい。どう面倒臭いのかというと、直接ガミガミ言われるとかではなくネチネチと嫌味をぶつくさ一人で呟かれるのである。執念深いというか、根に持つというか。直球で注意してくれる隣の教室のベブリオ先生ならまだしも、サタナース的にはジェミス先生の方が苦手なようだった。
だけどこの日にしか見られない生物って何だろう。
そんな直ぐにやむのかと再び外を見ていると、先生の言ったとおりにあっけなく雪が止みだす。
そうだ、コール現象は毎年とんでもないくらいの量の雪が降るけれど、やむのも早いんだった。
*
去年の帰省時に母からもらったお手製の耳当てを、寮の衣装箪笥から引っ張り出して装着する。茶色のモコモコした手触りのそれは耳によく馴染む。これがなくては耳がちぎれるかってくらい真っ赤になってしまうので、空離れの季節の外出時には絶対に欠かせない。
授業へ出る前に先生から厚着をしてこいと言われた私達生徒は、一旦寮に戻って寒さに備えた服装をするため着替えていた。この授業はボードン先生の教室でしかやらない為、ニケとベンジャミンは今普通に授業を受けている。他の二教室は違う日にやるそうなので、私達が一番目に受けることとなる。
まだ昼前なので照明も必要のない明るい景色の寮の廊下に出ると、貴族女子達がアレでもないコレでもないと部屋の扉から服を溢れさせて悲鳴を上げていた。
「どうしましょ! 帰省前に降るなんて思わないじゃない!」
「ダっサいローブしかありませんわ!」
ポイ、ポイ。
飛び交うドレスの群れが見える。
貴族女子達も寒さには負けるのか、いつもより肌を隠す服装に着替えていた。さすがに腕をさらけ出すようなものは着ていられまい。
「ああ! ナナリー!」
悲惨な状態に目を背けつつ足を踏み出すと、待ちなさいそこの猛獣とマリス嬢達に呼び止められた。誰が猛獣だ誰が。
「その獣のような靴と耳当て、どこからどう見ても猛獣ですわよ」
「失敬な」
耳あてと同じくらいお気に入りのモコモコブーツを邪見にされる。この良さが分からないとは残念なお嬢様たちである。赤茶色の腰まで伸びた長い髪を手で払う仕草が、女王様さながらだなと思いつついそいそと白いローブを羽織り直して無視して行こうとすると、それより私達の服装が変ではないか可愛いかと必死に聞いてくるので可愛いと答えれば、適当言いやがってこの野郎とばかりに非難された。なんて理不尽なんだ。そもそも彼女らの言う猛獣みたいな服装してる奴に助言を求めるのが間違っていることに気づいてほしい。
「だいたいロックマンなら何着たって『似合うよ』とかなんとか言うに決まってるって、」
「だまらっしゃい!!!」
「貴女にアルウェス様の何がわかるというの?!」
「出直してきなさいな!」
「だから万年二位なのですわ!!」
なんて理不尽なんだ。
寮から出て校舎の一階、純生物室の裏扉から学校の庭に出ると、集合場所になっている大きな一本木の下に教室の半分くらいの生徒が集まっていた。
大半が男子で、女子はもちろんあの惨状だったので戻ってきていない。
「ナナリーおいてくなよ!」
全員が揃うまで暇なので雪が被った草を触って遊んでいると、折れかけた枝の筆を片手にサタナースが走ってくるのが見えた。そんなふうに雪の上を走っていたら転ぶぞなんて思っていると、案の定顔面からすっころんで鼻を痛々しく真っ赤に腫らす。そそっかしい男である。
「準備もしないで私の宿題うつしてたくせに」
「感謝してます」
「その格好できたの? 風邪ひくって」
教室にいた時とたいして変わっていない。クルクルな髪の毛はいつものことだからさておき、襟元がガバ開きのシャツに防寒性の全くなさそうなズボン。ブーツはまだ良いだろうけど、とてもじゃないがこの雪の中出歩く格好ではない。
俺は丈夫だから風邪とかひかないんだよと誇らしげに言ってるけど、それは風邪を引いていることにその都度気づいていなかっただけなのでは。馬鹿は風邪を引かないという理由を体現したかのような友人に生暖かい視線を送った。
「ヘル、こっちのほうが日が当たってて寒くないよ」
紺色のローブを羽織ったラスが、少し離れた場所から手招きをして日の当たる場所へと呼んでくれる。相変わらずラスは優しい。
サタナースと一緒にそっちへ向かうと雪に足をとられて転びそうになったが、ラスが既の所で手を伸ばしてくれたので転ばずにすんだ。
「わ~、ほんとだ。ありがとうラス」
「皆さん集まりましたか」
会話を遮るようにして、ジェミス先生が集合場所に現れた。ぷっくらとした唇に今にも落ちそうなくらい垂れた頬。脂肪がぎゅうぎゅうに詰まっているだろうぼてっとした瞼は半開きで、寝癖のついた白髪交じりの短い髪には細かな雪がたくさんくっついていた。そんな見た目だから誤解されがちなのだが、ジェミス先生はれっきとした女性で、服もしっかりドレスを纏っている。今は緑のローブで見えないけれど、今日も宝石がちりばめられたお洒落なドレスを着ているに違いない。
まだ女子が揃っていないことに気づいた先生は、重い瞼を瞬かせると直ぐに下唇を出してそっぽを向いた。ああ、機嫌が悪くなった。
「どうする、機嫌悪くなったぞ。マリス達はまだ来なさそうだったか?」
「たぶんもうちょっとで来ると思うんですけど」
空から穏やかに降り落ちる雪を見上げていると、ゼノン王子がサタナースの格好に私と同じく生温かな眼差しを向けながら隣へとやって来た。滅多に羽織った姿を見たことがない黒いローブを纏った王子は「あいつは正気なのか」とでもサタナースに言いたげに私へ向かって片眉を上げた。
*
遅れてやってきた貴族女子達がジェミス先生にこってり、いや、ねっちり叱られたのち、私達は庭の奥にある生垣の近くへと集められた。ここに咲いていたはずの白色のチノの花は雪の下に隠れてしまったのか、辺り一面見事に雪に覆われている。
「このコール現象がおきると、ええ、冷え切った地表におびき寄せられて、あー、あたくし達が普段目に見えない生き物が見えるようになります。見えるようになるっていうのは、そうねぇ、あー、冷気と自然界の魔力、ええそうですともね、植物たちの僅かな魔力と反応しあって、その力によって、この日だけ年に一度見られる生き物がいるんですね、はい」
なんとも生気のない話し方だが、これがいつもの先生なので気にしない。
ジェミス先生は雪の上でしゃがみ込むと、皆を自分の周りに集めて人差し指の先を見せた。それをどうするというのか、ずぼっと音を立てて雪の中に指先を突っ込む。
「よぉく見てるんですよ。ここに来ますからね」
来る?
何が?
「きゃ~可愛いですわ!」
ジェミス先生を不思議な面持ちで見つめていた私は、女子から上がった黄色い声に視線を地面へと戻す。
するとそこに親指くらいの大きさの何かが、先生があけた穴の中にすっぽりとはまっていた。
なんだこれ。お化け虫とは違う透明感を持った、まるで雹のような丸い物体だった。砂粒程の小さな目と糸のように細い手足が生えた謎の生命体。
私達は見たこともないその生き物の姿に興味津々となる。
「テラデラですよね。先生」
「んぇえ。そうですとも。さすがアルウェス・ロックマン」
テラデラだと。
今まで視界にも入れていなかった奴の発言が耳に触り、ついに視界へと入れてしまった。真反対にいるから必死に見ないようにしていたのになんと忌々しい。
王子と同じような黒いローブを羽織ったロックマンは、皮手袋を外してその小さな生き物テラデラを摘まみ上げる。アルウェス様こんな生き物のことも知っていましたの? 博識ですのね! とあちこちから称賛の声を受けたロックマンは何てことない表情で爽やかに笑った。
……くそう。
なぁにが「テラデラですよね。先生」だ。そんなに博識を自慢したいなら外でやれ外で。なんて悪態をついている暇があるなら奴より勉強をして博識になれというんだナナリー。自分が知らないことを知っていたロックマンに悔し涙を飲んだ私は逆恨みよろしくアイツを睨みつけた。
「? そんなに歯ぎしりしてたら歯が欠けるよ猛獣娘」
「どいつもこいつも何なの!?」
大声をあげた私にジェミス先生がねっちりとした説教をしてきたのはこの直ぐあとのことである。
次話、五年生2は来週土曜日更新予定です。