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3 喪
 手の平を丸めて窪みを作ってみると、一分もしないうちに雨水が溜まる。今度は手をパーの形にしたら、指の間から雨水が流れ出した。
 そして、また窪みを作る。快斗は、これらの無意味な動作を繰り返していた。
 応答はない。もう三分近く経つ。
 
「今、何してんだ? 起きたばっかなら悪ィな」
「君こそ何をしている? 何があっても絶対に電話しない、してやるもんかと啖呵切ってたよな。おかしい、はっきり言って異常だ。本当にどうしたんだ、何があったんだ?」
 純粋に、白馬探の声が聞きたかった。
 ははは、それのどこがおかしいんだよ。変な奴。
「どうもしねぇよ。ただ、雨が冷てぇんだ。風も強くてさ、指の感覚がなくなってきたんだよ。力も入らねーし。何かこう、色々さあ、そうなんだよな、うん」
「今、どこにいるんだ?」
 快斗は雨空を見上げた。やはりにわか雨だった。もう小降りになっている。所々星が見えてきた。東京から見える星はγ星だの、ε星だの何かしら名前が付いているはずだ。それだけ、空が汚れていると言うこと。
「ああ、防水ケータイだから大丈夫だ」
「そんなに強く降っていたのか。室内からじゃ分かりにくいね。今、どこにいるんだ?」 
「流石に東京からじゃ、カノープスは見えねーよな。ハハハハ」
 噛み合わない会話。のんびりとした口調の快斗に対して、探は早口だ。
 普段、あんなに欝陶しいと思っているのに。そう思うと笑えてきた。快斗の唇が緩んだ。
 探と繋がってから約二分、ここまで嫌味や皮肉を含んだ言葉はない。それどころか、あからさまに心配している。
 何だかんだ言って、実はいい奴なのかも、と思った瞬間、快斗は歩き始めた。と、同時に、受話器を握り返した。

「実はよ。今度、青子と一緒に、キッドを捕まえることになったんだ」

 第三者に聞かれないように、大事な話は歩きながらするのは鉄則だ。しかも、今、快斗は自宅へ向かっているが、いつも通る道は避けていた。いつの間にか、青子とかちあう可能性が極めて低い、普段ならまず通らない道を歩いていた。
 
「へぇ? 面白そうだね。手伝ってやろうか」
 いつもの甘ったるくて、人を小馬鹿にした口調で探は言った。
「手伝って、くれんのか?」
 快斗はつんのめるようにして立ち止まった。
 手伝う。助けること。助けてくれること。探は今の自分に、手を貸してやると言っている。
 快斗は拳を強く握り締めた。
「サンキュ白馬! じゃあよ、とりあえずロンドンにいてることにしてくれねーか? いや〜、まさかオメーが協力してくれるとは思わなかったぜ。マジでサンキュ、この埋め合わせは必ずすっから」
「一緒に捜すのを手伝ってやろう、と言っているのさ」

 快斗の表情が消えた。受話器の向こうから、侮蔑を表す破擦音がかすかに漏れた。探の一言で、快斗はすっかり血の気が引いた。
「何、だよ」
「自分の正体を素直に認める君は誰だ?」
「ああァ? 俺は俺に決まってんだろー……が」
 快斗の声は小さかった。雨が降っていたら、完全に掻き消されていた。
 自信がないのだ。黒羽快斗だと言い切れないくらい、自分を見失っている。
「何かあったのは間違いないだろう。君らしくない態度だねぇ。そんな愚鈍な君をサポートしようと思っただけだよ。キッドを捕まえるんだろう、だったら手伝ってやろうと言ったまでさ」
「白馬、テメ……」
 探の、どこまでも惚けた態度に、快斗は学生鞄をガードレールに叩き付けた。今の快斗はいつもと違って様子が変だから、助けてやろうと一役買った。一見つじつまは合うが、それは快斗が怪盗キッドではない場合に通用する懇意な意見である。
 今まで探は、快斗に好き放題言ってきた。それも、怪盗キッドの正体が黒羽快斗であると、自信を持って、堂々と。証拠もないくせに。

 突然、沈黙が落ちた。
 快斗は目が据わった状態のまま、見えぬ相手を想像した。絶対、こちらをあからさまに見下している。

「だとさ。工藤君、ここは手伝ってやろうじゃないか」

 一瞬で聴覚が過敏になった。
 そして、遠くから『何をだよ』と、けだるそうな若い男の声がした。その声は、時計台の事件で対峙した男のものだった。

「そこに……、工藤新一がいるのか?」
 ワンテンポ置き、探が、
「ああ。工藤君が仕留め損ねた組織の残党が、国家保安委員会(JKGB)が追っている者とどうやら繋がっているらしい。これから千鳥ケ淵に行くところなんだよ。そこにアジトがあるのさ」
 と力強く言った。工藤新一が追っている組織が何だろうが、初めて聞く国家保安委員会がどんな組織だろうが、快斗にはどうでも良かった。彼は江古田駅方面へ身体を向けた。飯田橋駅まで、その気になれば三十分くらいで着く。
「千鳥ケ淵だな? じゃあ俺も今から行」
「その必要はないね」

 探らしからぬ鋭い声が飛んだ。
「と、言うか来るな。工藤新一には会わせないよ。絶対にね」
「何でだよ。紹介してくれたっていいじゃねぇか」
 舌を噛みそうなくらい早口になる快斗に、探は喉奥で声を響かせて高らかに笑った。その笑い声は蛮声に聞こえた。それは一秒増すごとに、苛立ちも増していった。
「今の君って、本当に分かりやすいねぇ。君とそっくりな工藤新一を利用して、陳腐な一芝居を打とうとしている。まさか工藤君に怪盗キッドをやらすはずはな、い、か、ら、中森さんに工藤君を紹介するつもりだね? それで意味深な台詞を一つ二つ噛まして、怪盗キッドが工藤新一だと臭わせる」
「ち、ちげー……、よ! んなことするわけねーだろっ」
「敵対する立場の人間に率先して会おうとする理由はただ一つ。そう、良いように利用すること」
 周りの風景が大きく揺らいだような気がした。
 嘘を付くなら何が何でも突き通すように、快斗は否定を貫こうとした。でも、声が思うように出ない。今まで幾度となく対決してきて、一度も負けたことのない相手に次の一手が出ないのだ。押されている事実を否定したいが、どうしても首を横に振れない。

「最後やり通すつもりがないのなら、最初からキッドになるな! 中途半端な気持ちでいるから追い込まれるんだよ。自業自得だ!」

 電話を、切った。
 図星を突かれたせいなのか、それとも探の横柄な口振りに腹が立ったのか、それさえ分からないまま、快斗は衝動的に電話を切ってしまった。

「中途半端な気持ち、か」

 当たっているのかもしれない。そもそも、父・盗一の目的が不明瞭のまま、二代目キッドになった。ビッグジュエルを見つければ『次』に進める。安易な気持ちがあったから、今回のような事態に陥ったのかもしれない。
「暫く姿を隠そう。お袋にワケ話して、休学届けを出して貰おう」 
 少しへこんだ学生鞄を撫で、快斗は薄闇の雑踏へ消えた。


 皇居の緑が迫る帝国ホテルのバーラウンジに、彼らはいた。二人共、濃紺のスーツを着ていた。ネクタイを緩めることなく、きっちりと締めている。探はブルガリの時計を見せ付けるようにして腕を伸ばし、
「もう五時半か。そろそろ行こうか」
 と、声を低めて新一に伝えた。
 電話を切られても鼻歌を歌う探に、新一はティーカップを置き下から覗き込んだ。
「何だい、工藤君。僕が口を付けたティーカップが欲しいなら素直にそう言いなよ」
 新一の口元が引き攣った。そして再び、目の前にあるティーカップに口を付け、飲んでいる振りをした。
「良いのかよ。その黒羽って奴、オメーを頼って電話して来たんじゃねーのか?」
「そうみたいだねぇ」
「ったくオメーって奴は……つくづく人付き合いが下手なヤローだな。オメーを友達と認定する人間なんてよ、絶滅寸前のトキより貴重だぜ? そんな奴を突き放す言い方しやがって」
「キッド云々は追求しないのかね?」
 新一はティーカップを置き、一個二百円相当の特製クッキーを次々に頬張った。
「進む方向を見失っている彼に手を差し延べても、結局無駄に終わるさ。それどころか、本当に大切な物、大切な女性ひとを失ってしまう」
 探はそこで一旦切り、伝票を持って立ち上がった。つられて新一も椅子を引き、出入り口へ向かう彼を追う。
「何言ってんだよ。相変わらず意味不明なヤローだなー」
 探は伝票をくしゃりと丸めた。その様子に目を細めた新一は、口元を引き締めた。

「そう……、これからだ。彼には本当の試練が待っている。パンドラの正体を知った時、その驚愕の事実と付加される残酷な真実に、究極の選択を迫られるだろう」
「待てよ白馬、ここは割り勘で行こうぜ? テメェなんぞに貸しを作りたくねぇっ」
 振り返ることなく、探はラウンジを後にした。
 雨雲は消え、淡い光を放つ星々が姿を見せていた。


アナディリに異動します。アナディリに行ったら、電話代安くなるかな? 大学があるし、ちょっと行ってみようっと。人口は25000人弱もいるし、往来は存在してそう。やったね、人と擦れ違える。少なくとも電波状態は良くなりそうだ。ソフトバンクケータイって、使えそうで使い勝手が悪い。どうしてソロモン諸島の方が電話代が高いんだろ? 単純に距離と比例しないんだね、きっと。さて、白馬が突き放しましたが、これも一応の伏線です。電話の内容からして、黒羽なる者=キッドだって新一なら簡単に分かりそうなのに、何故か突っ込まない。それと、パンドラの正体(?)と快斗の未来にどんな因果があるのか。暫く寝かして置きます。
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