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作者:雲鳴遊乃実
 パトランプの明滅。夜霧。うねる風が頬を打つ。秋の風は冷たいけれど、切り裂くのは心地よい。
 景色は良好。星明かりが線になって後ろへと伸びていき、道の蛇行に合わせて揺らぐ。
「止まりなさい」
 何度も同じ言葉を怒鳴られている。私たちは誰も止まろうとしない。もちろん聞こえているけれど、心地よさを止める理由にはならない。
 この景色に人なんていない。誰の視線も振り切っている。だから私は心地よい。
 前を行く黒いウインドブレーカーが、右手を挙げて大きく降った。左右。もうすぐ交差点。あとは野となれ山となれ。誰かのラッパが軽快に鳴った。今時、と思えるほど古くさい暴走族のリズム。
 誰が鳴らしたのか、私は知らないし、きっと他の誰も知らない。私たちの名前について、まず私たちが必要としていない。パトカーに乗る警官は是が非でも知りたいのだろうけれども、無名でも同じバイク乗りとして集まれる私たちのことをいい加減理解して、放っておくべきだ。
 黒いウインドブレーカーが右に避け、その次の赤が左。緑が左、青が右。銀色と黄色の一人がくるっと回って私の右脇を抜けた。パトランプの光が歪む。逃げ切れる自信があるのだろう。私は焦らず右へと避けて走った。
 丘の道のガードレールの向こう側に街がの光が見える。地方都市だ。盆地に広がる光は点在しており、川を渡る大きな橋が赤い警告灯を発している。
 見下ろしているのは大好きだけど、街そのものは嫌いだった。光の数だけ、人が要ると考えるのはとても憂鬱だ。
 誰もいない場所へ行きたい。
 私のその願望は、当面の間、走って周りを見えなくすることで叶えられていた。
 パトランプの音が再発する。この道ももうすぐ蹂躙されるのだろう。
 エンジンを吹かして、先へ急いだ。
 山道を縫うようにして、同好の士たちの灯が見える。バイクの走るけたたましい音が、山裾一面を覆っていた。

 人とは悪意の塊だ。その事実に、私はわりかし早い段階で気づくことができた。幼稚園か、小学校の低学年。どうしても私の物を盗りたくてしかたなかった同級生がいた。彼とは話が通じなくて、殴っても蹴っても一向に考えを改めなかった。理由を尋ねても歯切れが悪く、つねに私を睨んでいた。やがて私は、その子は私のことが嫌いであり、だから私の物を盗ったのだと悟った。つまり、反りが合わなかったのだ。実にシンプルな理由だった。
 悟ってからも私は警戒を怠らなかった。その子の視線を感じたらすぐに振り向いて物を隠した。筆箱、鉛筆、消しゴム、ノート。文房具類には必ず私の名前を刻んだ。教科書も、読書用の本も、辞書も、過敏なくらい迅速に鞄や抽斗に収めた。長い間の努力の末に、その子の盗み癖はだんだんと控えられていった。睨みはすれども、それだけだ。せいぜい十歳かそこらまでだと思う。ついでにいうと、うっかり盗んじゃった、の言い訳が通じなくなるのはだいたいその頃までだろう。
 一方で、私の警戒心は解けなかった。その子が私をもう睨んでいないとわかっても、私は自分の物が盗られやしないかと怖がった。常に怖かった。何かを探してもすぐに出てこないとうなじのあたりに冷や汗が噴き出した。心臓が跳ね上がって警告を発した。盗られた、盗られた、盗られた。亡くしたと五秒くらい思った鉛筆がランドセルの底から見つかると、私の心配性はジェットコースターのごとくうねった。安堵はつねに疲労を伴った。
 私は他人を信じなかった。誰かの手が私を襲う気がして止まなかった。だから自然と、誰とも接しないようになった。接しても長続きしなかった。自分のことを泥棒扱いしたがるような奴に絡む物好きはいなかった。私は友達をつくらず、先生を敵視し、一人でうろつく私を奇異の目で見る街の人たちを恐れた。
 やがて、両親も街の人のような目で私を見るようになった。友達を作らない、というのはそれほど変なことなのだろうか。私はそうは思わない。だけど両親はきっと、そう思った。私よりずっとできがよく、人付き合いも活発で快活な姉がいたから、彼らの視線はすぐにそちらへと注がれた。愛想の悪い妹たる私はそれ相応の対応を受けた。別にそれが悲しいと言いたいんじゃない。彼らがそうして私に触れたという事実、私が人を遠ざけるに至った経緯。重要なのはつまりそれだけだ。
 私の両親は悪意を持っていた。それをはっきり感じ取れる頃には、他の人の悪意も感じ取れるようになっていた。視線とは、つねに悪意を孕む物だ。それが安全か危険か、というのを察する気持ちがつねに人の目には含まれており、目に映るものに対してどの程度悪意を与えるかを判じているのである。そうして注意し、身を守り、おかしな奴を遠ざける。それが人間社会だ。私がそれを悟ったのは、ゆうに十年も昔のことだ。
 十年、私は正道と呼ばれる道を外れた。学校を抜け出して、街をうろついているうちに、同じように正道をはずれた人と会うようになった。とくに挨拶も交わさず、めんどくさいことはしないでいられた。きっと、巡り合わせがよかったのだ。私が応対したのは、それなりに話が通じ、パーソナリティスペースを意識してくれる不良たちだった。
 十八のときに不良友達からお下がりのバイクをもらい、走り回るようになった。維持のためにバイトに勤しんだ。学校側はいい顔をしなかったが、卒業したら誰も何も言わなくなった。一応専門学校に入学しながら私は自分の趣味を楽しんだ。
 私はよく山を走る。海も好きだが、どちらかというと高いところへ行きたかった。街を見下ろして、人々を唾棄したかった。すべてを忘れて波間に揺られるよりは、すべての物を思いっきり睨んで蔑みたかった。めいっぱいに感じた悪意を、めいっぱいの悪意で返して、それでようやく調和が取れた。
 私の人生において、バイクはもっとも大切だった。奪われてはいけないものだった。いかなる悪意であろうとも、それを盗ることはできない。させやしない。バイクがなくなれば、私はもうストレスをためておけないだろう。
 飛ばして、光を追い越して、誰からも何からも意識を外れて、飛び出して行きたい。
 それだけが私の望みであり、安寧へ至る手順だった。

 曇り空の下で山道を登った。天候が微妙な塩梅のときは気分もそんなに乗らない。せめてもの鬱屈を晴らすために風を巻く程度だ。山頂に辿り着く頃には、同好の士たちがちらほらと見えた。観光客も少ない、雨の降りそうな平日の昼過ぎだった。
 周りにいいる者立ちが、途中の広場で顔を見せた。ヘルメットをとって、汗を拭いたり飲み物を飲んだりしている。顔に見覚えはない。きっと街のどこかにいる人たちで、私のように昼間から自由に浸れることを許されている人たちだ。
 私たちは気ままに休憩を取った。元気の良い人は先に道を行き、蛇行の果てに消えていった。私は比較的のんびりと、おそらく私より二回りは年上の同好の士たちを後にして、道を進んだ。バイクの揺れが少し大きく感じたが、いつもとさほど違いがあるわけでもない。
 景色を見下ろして、人を見下ろして、登り詰めた場所に、なぜかパトランプが光っていた。スピードはさほどでていないけれど、警戒して速度を落とした。警官の白バイが私の横に並んだときには心臓が痛いほど肋骨を打った。
「安全運転にご協力をお願いします」
 私は道端にバイクを止めた。その隙を突いて警官が紙を渡してきた。警告表示。危険の文字。深夜の交通にご注意を。
「最近山道での暴走行為が目立っておりますから、こうして啓発しているんです」
 文字をじっくり読んでいたから興味があると思われたらしい。実際のところは気が気じゃなくて碌に読んでいなかったけれど、私はなるべく微笑みをうかべた。綺麗にはできなかった気がするけれど、怪しまれはしなかった。警官は思ったより若い男で、私と同じくらいの年齢に思われた。
「あなたも深夜の交通時にはご注意ください」
 別れ際にまで爽やかな声で警官は手を振った。白バイに跨がって下っていく姿をしばらく見つめていた。
「ごくろうなことで」
 そう呟いてから、バイクのハンドルを回した。
 あの警官にはまた会うかもしれない。事実、走っているのは私なのだ。その機会もあるだろう。
 そのとき彼はどんな顔をするだろう。見てみたい気もする。その顔に、果たしてどの程度悪意が浮かぶか、確かめてみたい気もした。

 その時は意外と早く訪れた。といっても山道じゃなかった。海の道でもなく、もっと言えばバイクに乗っているときではなかった。
 私は仕事で絵を描いている。専門学校の課程を卒業して、そのままイラストのスキルを活かせる仕事を近場で探した。唯一見つかったのが地元の駅前にあるインターネット関係の子会社で、ウェブデザインを一任されている。イラストを描くのとウェブデザインとは随分違うのだが、採用側はその点よくわかっていなかった。幸いパソコンには明るかったので、付け焼き刃の技術とちょこっとのデザイン感覚で概ね好評かを得ていた。少なくとも社内では、悪い言葉は聞かなかった。
 会社のお昼休みに、同僚の誘いを受けて一緒に食事を取ることに鳴り、飲み物を買いに外へと出たところで、彼がいた。警官服姿で、自転車から降りて私に手を振っていた。
 身構えていたら、彼の方から近づいてきた。
「昨日は随分速かったよ」
 言われた理由はすぐに悟った。
 私は昨夜も峠を駆けた。涼しい秋の風を受けて、誰の視線からも逃れた気でいた。
 ところが、どうも私を捉えていた人がここにいたらしい。
「なんのことだか」
 同僚を先に行かせて、私は向き直り、苦笑いを浮かべた。多分無駄だろうなと思っていたら、案の定綺麗に無視された。
「別に、ここでは何もしないよ。証拠もないし。ただ忠告はしておく」
 曰く、これからどんどん網が狭くなるとのこと。気をつけた方がいいとのこと。
「はあ」
 私からはそうとしか言えない。どうでもいいわけじゃないけれど、それを言ってくる警官の気持ちがさっぱりわからない。まさか私に気があるわけでもないだろう。そんな顔じゃない。だけど、なんだか違和感がある。
 そう、彼はきわめてニュートラルに笑っていた。
「それじゃ、気をつけて」
 彼は自転車に跨がって、落ち葉に塗れたアスファルト道を走って行った。不安定に揺れているのがいかにも頼りない。白バイに乗っていたときとは大違いだった。
 それから幾日か、彼は私に会いに来た。理由はいつでも忠告で、だけどさほど厳しくも追及されなかった。本当に止めたがっているのか疑問になる。
「でも、走らないと発散できないから」
 私もいつの頃からか、胸の内をぽつりと零すようになっていた。細かい事情までは話さないし、自分でももやもやしているから碌に言えないのだけど、走る事への興味だけはめいっぱい伝えてみた。
「それなら、もっと安全な道があるよ」
 警官でありながら私に肩入れする彼は、頷きながら、その安全という道を教えてくれた。峠に入る前のわかれ道で、わざと脇道へと逸れる。五分も進めば隣県へと続く公道だ。利用するのは主に観光客で、道はなだらか。起伏も少ない。ただし景観はさほど見られない。昼間に樹木や野鳥を観察するのに適していた。
 ほだされたわけじゃないけれど、あんまりにもしつこいものだから、また平日、仕事終わりによってみた。
 夕暮れの街並みを超えて、山道に入って、紅葉混じりの樹木の間を進んだ。観光客は多くなかったけれど、それでも普段走っている蛇行道と比べたら人がいた。
 バイクに乗っているひとも見かける。でもそれは同好の士とは違う。誰かと一緒にゆっくり走っているか、ひとりでありながらカメラ片手にいちいち降りて撮影するか。実にのどかだ。見ただけでそう思った。
 中腹までくると案外華やかな集落があった。一休みできる区間だろう。昔ながらのお店が建ち並び、足湯もあった。ほくほくと火照ったかおを店ながら出てくる中年の女性たちを遠目に見ていたら、走る気力も抜けてしまった。
 茶屋で団子を頬張っているうちに日が沈んだ。赤が残り少なくなって、店じまいだからと柔らかく追い出されて、団子をゆっくり飲み込んだ。
 足湯の客が帰っていくのを遠目に見ながら、また外を見た。
 空の星が動かずに光っている。綺麗ではある。直線距離が大差なくても、そこには街と違う空気が漂っているらしかった。
 住んでいる秋の空。鱗雲が青紫に沈んでいくのを眺めながらバイクに寄りかかった。冷たいボディに背中を預けていたら、この鉄の機械が動くのがとても不思議におもえた。不思議すぎて、不自然だ。
 ここが安寧だろうか。
 この場所に安寧をするのはきっと正道なのだろう。
 心地よくはある。だけど。
 心根で首を捻らせているうちに、聞き慣れたサイレンを聞いた。
 森を隔てた、山の裾側。蛇行する道の方向でパトランプが鳴り響いた。
 夜が始まろうとする頃、嫌な予感が過ぎる。一斉検挙が始まったのだ。
 同好の士たちが捕まっている。
 飲み込むが早いか、私はバイクに跨がっていた。迷いなどなかった。エンジンを吹かせて、山道を戻ろうとして考え直し、森の細い獣道を駆け抜けた。走ったことはないけれど、きっと辿り着けると信じた。
 はたして、パトランプが目に映った。木々の深い緑を切り裂いて、保護色たる明るみが目に痛い。その合間を抜け外へ出た。
 叫び声を上げながらバイクを駆った。幾人もの警官を追い越した。その中に見知ったあの男の顔もあった。口を半開きにして私を見ている。視線。振り切るためにも速度を増した。
 エンジンが唸りをあげる。
「追え!」
 声が届いた頃には、私はヘアピンカーブを責めていた。サイレンの音がする。赤い光が行き先を照らす。止まるつもりは毛頭無くて、むしろどんどんついてこいと思った。そのパトランプの光はとても綺麗じゃなかったし、星空の綺麗さを無惨に打ち消し赤くしていた。
 山道を蛇行して、海を見ながら側面をくだって、麓に降りたら隘路を縫った。かくしてパトカーの音は遠ざかり、暗い公園の木陰で一息ついて、十分休んで、帰って寝た。翌朝は何事もなく向かえることができた。

 職場の前にあの男が立っていた。私に気づくと、視線を向けて、だけどパトカーから離れようとはしなかった。そのパトカーは音を出していない。ランプも点していない。こうしてみると、ただの白黒のセダンにすぎない。
 私は一応立ち止まった。視線が合って、当然できうる限りの反応だった。男の身体が一瞬、身構えるのがわかった。私もまたずっと身構えてきた。もしも無粋にも逮捕してきたら泣いてやろうとさえおもっていた。
「あの道じゃ満足できなかったんですね」
 彼のその質問に、私は即座に肯んじた。身構えていたにしては素直に反応したものだ、と数秒経ってから自分に驚いた。
 彼はふっと息を漏した。
「それはそれで、いいと思います」
 パトカーに乗る彼が、エンジンを掛けて、私に一瞥をくれた。そのときようやく違和感の正体に気づいた。彼の視線には、悪意がほとんど感じられなかった。かといって恋慕でもなく、どちらかといえば、同等、対等、好敵手。
 去って行くパトカーに、気づけば手を振っていた。不思議だなと思った。そんなことを思う自分も不思議だった。私の身体はだいたいいつも私より先を行く。バイクに乗っていないときも、きっとそのようにできているのだろう。

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