ホーム2
どの芋虫も自分が蝶の子であることを知らない。生まれた時から芋虫で今日までずっと芋虫だったから死ぬまでずっと変わりっこない芋虫だと思っている。胸の奥で声はするけど、かなえる羽はない。
白く光る雲を見て物思いに耽り、心だけがいつもいつも飛んだままで、けれど気づけば変わらない自分がそこにいる。何もかもがただ過ぎて、僕を追い越して行く。
確かこんな意味だったと思うが、もう正確には思い出せない。ずっと前に兄のパソコンで見た。
効鬱剤を飲むのを止めて二日目になる。でも、今のところ不安も緊張感も訪れてはいない。他者と係わる必要と予定がないから。外出したって平気だろう。買い物位も。店員が話しかけてこない限り。
効鬱剤さえ飲んでいれば平気だった。というよりもほとんど何も考えなかった。学校へ行くことすら平気だった。人間というものは何も考えなくても何とかなるものだと変なところで感心した。だが、ただひたすら眠かった。
僕は独りでいる必要性を強く感じるが、それは雑踏の中でのみ可能なんだ。誰もが僕をそこに居るとは感じていないから。僕の両親などできた方だとは思うが、やはり此処には僕を拘束する何かが存在している。それが何か、言葉で表すことはできないが、一言で言うならば「歳月」だろう。
窓のすぐ横を飛行機が飛び立っていく。
あんなでかい飛行機が、まっすぐ昇るのを見ていると涙がこぼれそうになる。可笑しいだろうか?
涙がこぼれそうになるなんて僕も回復した。可笑しいだろうか?そう、ある日風呂に入っていて、昔自分がどんな愉快な冗談を言ってまわりを笑わせたかを思い出したとき、ショックだった。自分がどんな人間だったのか、ふとした時に思い出す、あるいは感情が涙という形になる(あるいはなりかける)それは確かに回復の証といえる。だが、カウンセラーや両親が望むように、以前の自分に戻ることなど不可能だ。すでにあれは別人だ。今の僕は・・・俯いたままだ。
もう何もしたくないし何ひとつ欲しくない。5月のぬるい日差しの中れんげ畑で小学生のように寝転びたい。昔望んだ夢なんてお払い箱だ。高い空は小鳥のような声でさえずり、僕は其処へ昇ることだけを夢見て眠るだろう。
絶望なんて云うものは、それを感じる心と自分自身が壊れることに比べれば、何のことはない克服可能なものだ。自分が壊れていなければ、行動を起こすことが出来る。そんな絶望など通過点にしか過ぎない。今の僕は終わっているのだ。ただ今は、時の移ろうのを穏やかに待っている。あるいは気が狂うということが本当に世間一般の人が思うように、頭が壊れることであれば、と僕は望む。それならば苦しみもないだろう。
兄がスプリットしたとき、自分もそうなるとは思ってもみなかった。
あの時僕は兄の気が狂ったものと思った。口を閉ざす両親と話を濁す学校の先生と、同級生達の憶測に過ぎない噂話と、少なすぎる情報の中で僕がそのことをどれほど正確に把握できていたか、疑わしい。今、自分がこうなって初めて判る。兄は狂ってなどいなかった。そして僕も。
こんな緩やかな午後の日溜りの中にいると、一脚の古ぼけたただの椅子でさえ愛しく思えてくる。単純な造形で荒い仕上がりでだがしっかりした作りで使い込まれていて、作った人と使っている人の愛着が感じられる。椅子は、人間の手で、座るために作られた。目的もしっかりしているし、存在理由も単純明快だ。だが、人間は?
スプリット直後の驚愕とショック状態から脱した後、僕に素晴らしい洞察力が訪れた。僕はすべてを見抜けた。勿論、口を開けば狂人の言葉になるのだろうが、僕はかってないクリアーな思考回路を持つに至った。世の中は灰色ではない。主観者が灰色の時のみそれは灰色となる。様々な問題は白黒はっきりしている。灰色の目で見、しかも種々問題を何もかもゴッチャにしているから何ひとつ解決しない。すべてのジャンルを明確にし、しかも世の中から解離した目で見ればグレーなどひとつもない。
僕は初めてここまできた。ここをどう説明すればいい?どう説明すれば君が理解できるのかわかるなら教えてほしい。
無理なんだ。説明してたとえ頭で理解できたつもりでも、体験しない限り、ここは理解できない。ここは、そういう場所なんだ。言っただろ。何一つ欲しくないって。何ひとつ、本当にパーフェクトに何ひとつ欲しくない精神など理解できるかい?
できる。と、言うのなら君はうそつきだ。
僕は兄の部屋へ入る。何もかも昔のままだ。
僕は本棚を開く。ズラリ並んで目を惹くのは、インドの哲学者の講和録だ。語り手は一人だがテーマは様々だ。瞑想、般若信教、基督教、タントラ、etc・・・。僕はタントラの本を開いてみる。中ほどをめくると、甘美な言葉の羅列が僕を眩暈のように桃源郷へと誘う。煙に巻かれそうだ。
「〜流れと戦う必要はない
ただそれに従い、それとともに浮き漂えばいい
〈川〉は海に向かっている
それを、なぜ闘うのか?〜
〜流れに逆らって泳がないこと
自分を川の中に突き放すのだ
川になるのだ
そうしたら〈川〉はすでに〈海〉に向かっている」僕はその本をかばんにつっこみ、他の本にも一通り目を通す。
ランボーの詩集が三冊もある。堀口大學訳・粟津則雄訳・小林秀雄訳・・。小林秀雄訳を手に取り、パラパラとめくってみる。旧漢字が多く読むのに難渋する。ただ、暗記するほど堀口大學訳を読んでいたので読めない事はない。次の一文に行き当たる。
「・・・だが、どうやら俺の心は眠つてゐる様だ。
俺の精神が、この瞬間から絶えずはつきりと目覺めてゐてくれるものとしたら、俺達はやがて眞理に行き著くだらうに。眞理は俺達を、泣いてゐる天使等をつれて取卷くであらう。・・・若し俺の精神がこの瞬間まで目覺めてゐてくれたものなら、〜
・・・精神を通して、人は『神』に至る」なるほど、そうだ。僕はそのページを破ろうとし、思い直し本ごとかばんにつっこむ。
場違いな本もある。宮沢賢治の農業なんたらかたら・・・。ずっと目を通していて、とある一文にいきあたる。
僕はそのページを破りかばんに入れる。
彼も気付いていた。
その他にも、現象学的人間学・宇宙創造の三分間・自己と他者・ギンズバーク詩集・タントラヨーガ瞑想法・ニルバーナのプロセスとテクニック・社会生物学・原初生物学としての人間・・・等々、興味を惹く本は多々あったが、内容を見れば得るものは少なかった。特にタントラとかニルバーナ云々はインチキ極まりない。
本棚を一通り見ていて、一昼夜が過ぎていた。その間五杯の珈琲を飲んだ。もう捜すものはない。あとは、兄の使っていたパソコンの中だ。
オンボロのパソコンを立ち上げる。画面が出るまでかなり時間がかかる。真っ黒な画面がドラゴンの壁紙に変わるまでしばし待つ。
デスクトップのファイルの数は少ない。さて、何処を捜したものか?取りあえずアウトルックを覘いてみる。スキゾの少年どうしの交信の跡が窺える。運河沿いに人が集まっていること、アジフの読んだと言われる本について、(中でオレンジブックという本のタイトルがやけに印象的だった)等々・・・。が、肝心の探し物は何処にもない。履歴を遡り遡り捜していく。
『お探しのアジフの詩を一遍送ります』そんなタイトルのメールがありワードが添付してあった。これで一遍手に入れた。
「衆皆己が蝶の子であるを知らず。知らぬが故に飛ぶことあたわず。叶える羽を持たず。そはまさに空に焦がれる蝶の子のごとし。
生受けたるときから芋虫で今日までずっと変わらねば死すまで変わらぬが道理とする。胸の奥で声はするも、美しき羽のことなど夢想だにできぬ。
その懸念すらなき人に、いかにして己が蝶であることを説く。」
僕の記憶力もいい加減だ。プリントアウトする。
他にもあるはずだ。アジフをキーワードに検索したが該当なし。CDとフロッピーを片っ端から開いた。見つけた。十数編の詩。プリントアウトする。
「跳ねた!見よ
目の裏にソーダが打ち寄せた
跳ねた!見よ
けつからジェットが吹きぬけた
落ちた首はどこへでも転がっていけ
俺は成層圏にいる
ぎりぎりと虚空へ蹴り上げられし星は弧を描く
この世と闇に、闇は無い。
噴っ跳ばされたシャンパンは無音で
栓を跳ね上げた」
インチキ宗教書の著者に見せてやりたい。これがクンダリーニの瞬間だ。
一通り目を通しかばんにつっこむ。
特別な感慨は、ない。あとは、ここを出てゆくだけだ。
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