チャプター・5 ほーりゅう
あれから、特に変わったことはなかった。いや、あったんだけれど。
ジプシーは例の、殺気を帯びた様な視線というものを一昨日昨日と、学校の帰りや家にいる時に三回程感じたらしい。やっぱり実害はなく、ただ、見られているだけ。
まるっきり油断をする気はない様だけれど、いい加減慣れてきたのか、ジプシーの行動は通常生活に戻ってきている。
ただ、正体不明の相手への緊張のせいか、やはりいつものジプシーの、無表情の中にある自信過剰な迫力やキレがない。こんな時に、裏の仕事が入ったらどうするんだか。
そう思っているところに夢乃から、ジプシーは普段から個人的に武術の早朝練習していると聞いたので、一体ジプシーが、どんな練習を朝っぱらからやっているのかと、私は眠い目をこすりながら出て来てみた。
場所は近くの小さな山。子供の足でテッペンまで登るのに三十分程度。途中までの道は殆ど舗装されており、山裾には民家も多く建っている。上まで行く間に、遊具のない小さな広場がいくつかあり、そこでは、早朝の散歩や趣味を楽しむ決まった面子らしい人達が、それぞれの場所をとって朝の時間を過ごしていた。
ジプシーも以前から、その集団と同じように、ある一角の広場を使って練習をしているという事らしい。
なのに。
「何か、面白くな〜い」
私は、座っていたベンチの背にもたれた。
わざわざ外でする練習って言っていたから、てっきり映画のような華やかな武術が見られると思ったのに。何か違う! これは何? 太極拳? このハエの止まりそうなゆっくりした動作。私が相手になって一発蹴りをかましてやろうか!
……って言いたい位、技や構えをゆっくりとやっていく。
見ているだけで退屈だ。
「ついた師匠の考え方で、練習方法も全然違うだろうからさぁ」
集会というものの朝帰りらしく、オートバイをベンチの脇に止めた京一郎が眠そうに言った。
「技のスピードや筋力を付ける事、体力重視の先生もいれば、ゆっくりでも技や急所の正確さを重視する先生もいるって事だ」
じゃあ、ジプシーに拳法を教えた人ってのは後者な訳ね。こんな練習で強くなれるものなのかぁと、ぼんやりと眺めていたら、夢乃が紙袋を抱えて到着した。
「今朝は京一郎も合流するって聞いていたから、朝食に沢山サンドイッチを作ってきたの」
夢乃も朝から大変だなぁ。御相伴に預かります……。
そう思っていたら、京一郎がジプシーに声をかけた。
「夢乃も来たし、残り十分程、俺の眠気覚ましも兼ねて連反攻に付き合おうか。おひい様も期待しているようだしさ」
ジプシーが頷くのを確認して、上着を脱いだ京一郎が肩を回しながら近づいて行く。
「何するの?」
夢乃は、あいているベンチの上に、紙袋から取り出したサンドイッチや保温ポット、紙コップを用意しながら言った。
「二人がいつもしているのは、お互いに最初に打ち合わせて決めた剛法技を、攻撃防御を入れ替わりながら続けて行うって感じのもの。予め打ち合わせているからダンスみたいなものだけれど、だんだんスピードが付いてきたら、見ていても結構面白いものよ」
なるほど。ゆっくりの型練習の次は、スピード練習って事か。
「それって、勝敗がつくものなの?」
「普通は勝敗がなくて、攻撃に回った側が防御間合になれば終わるけれど、この二人の場合は、集中力が途切れて受け損ねた側が負けになるわね」
近づいて行った京一郎が、最初はゆっくり目に攻撃を仕掛ける。それをジプシーが防御し、続けて攻撃に移る。……なるほど、それを交互に続けていく訳ね。見ている間に、だんだんスピードが上がってきた。攻撃が全てわかっているから、全部お互いに防御されるんだろうけれど。
なんか、この打ち合いは見ていて気持ちが良いぞ。
休みが入らない上に、途中から本気モードになるので、この連続は十分程続けば長い方らしい。
「この十分だけでも結構いい運動になるよなぁ」
そう言って廻蹴を受け損ね、痛む脇腹を押さえながら、京一郎はサンドイッチを手に取る。そんな京一郎に、保温ポットから淹れた暖かい紅茶を飲みながら、ジプシーが言った。
「京一郎、悪いが、これからバイク借りる」
「おう。聞いていたから満タンにしてるよ」
「……ジプシー、何処かに行くの? って、オートバイの運転免許持っているの?」
確かに今日は学校の授業がない土曜日。でも、朝から一人でオートバイなんか借りて、何処に行くんだろう?
「免許や資格は、取れる歳になった時に出来る限り取っている。バイクは普通二輪免許を持ってるよ」
……出来る限りって。そうか、ジプシーって資格マニアだったのか。
「夢乃の親父さんが、警察関係の射撃場の予約を隠密におさえてくれているんだ。俺は違法な部外者だから、こればかりは空きが取れた時に無理してでも行かないと。今回は少し場所が遠くてさ」
……夢乃のお父さんだからなのか、そんな違法がまかり通るのは。
そんな事を考えていたら、ジプシーが私に向かって言った。
「あと、ほーりゅう。今日は本当なら授業がないが、ちょっと学校に用事がある。俺が戻れる時間は、そうだな……二時に学校まで出て来られるか?」
「……私? 私だけ?」
「いや、一旦このメンバーで。変更があれば随時連絡する」
……名指しで何の用だろう? まあ暇だし。別にいいけれど。
学校って事は、制服で集合だな。 |