チャプター・44 ほーりゅう
「……耳元で、大声を出すな」
声が聞こえた。
そして両肘を床につき、私の上に覆いかぶさっていたジプシーが、少しだけ身体を起こした。
「ジプシー!」
「……だから、大きな声、出すなって」
少しあいた隙間から、私は後ずさりに這い出て、改めてジプシーを見た。
背中一面が血の色。そして、流れ続け、床の上に絶え間なく広がり続ける血溜まり。やっぱり、さっきの麗香さんの切り裂き系かまいたち、私をかばってジプシーが食らっちゃったんだ。
「何で……」
「……悪い。誰かが、復元結界に干渉してきて、そっちに気をとられた」
それって、干渉した人間、ジプシー以上の能力者って事になるんじゃないの?
「大丈夫。結界はまだ、破られていないから。この怪我は、とっさに防御結界をお前に飛ばせなかった、俺のせい」
荒くなってくる息の中でジプシーが言った。
麗香も、まさかジプシーが私をかばって、ここまでひどい怪我をすると思っていなかったんだろう。
「こんな事、……あなたに、こんな怪我をさせる気なんて、なかったのに……」
つぶやきながら、血の気の失せた顔で、麗香は茫然と立ち尽くす。
どうしよう。どう見てもジプシーの出血が多い。このまま時間が経てば、命にかかわってくるかも。第一意識を失いかねない。そうなると、こんな事態に直面した今、意味がようやくわかったあの長ったらしい説明にあった復元結界。ジプシーが気を失った時点で、この破壊され炎も上がっている校舎が、このまま現実世界に残るってことなんだ。
いっその事、ジプシーの意識がある間に、復元結界を術者のジプシーがといたら? それなら、校舎のダメージだけでも直るはず。ジプシーをすぐに病院へ運ぶ事も出来る。
今回の作戦を放棄して、また改めて次の作戦を練ろうよ。
私はそうジプシーに言おうとした。
その時、両肘を床について、うつむいているジプシーの胸元で、鎖を伝って滑り落ち、炎の光を受けたロザリオが、揺れて反射した。
麗香の眼が、ジプシーのロザリオに釘付けになる。
「二人、お揃いの、ロザリオ?」
私は、咄嗟にその意味に気がついたけれど、ジプシーと私の持っているロザリオは、偶然似ているだけで同じじゃないって説明する余裕がなかった。
多分これが最近何処かで聞いたフレーズ、可愛さ余って憎さ百倍って言うんだろうか。好きな相手を傷つけたショックと相俟って、ロザリオを凝視する麗香の力が、急激に膨れ上がったのがわかったから。
「だめぇ!」
思わず私は立ち上がり、ジプシーの前に両手を広げて立ちふさがった。意識をぎりぎり保っている、怪我をしているジプシーに、これ以上攻撃なんか、受けさせられない。
「あなた、退きなさいよ! つぶしてやる! そんなロザリオなんか、なくなっちゃえばいい!」
そう叫ぶ麗香に、それでも私は退けない。ジプシーのロザリオは、彼のお母さんの形見なんだから。
壊させる訳にはいかない。
彼女の放った大きな気の塊を正面から受け、私はジプシーを超えて吹き飛ばされた。そして叩きつけられる先は、外に面した廊下の窓ガラス。
その瞬間、苦痛に歪んだ表情のジプシーが、それでも力を振り絞って左手を伸ばしてきた。吹き飛ばされる私の右手首を掴む。
でも、彼の血にまみれた私の右手を、握力の弱くなったジプシーは、握り切れずに滑って離してしまった。
そのまま私は、本当にガラスを割り、三階の窓から外に身体ごと飛び出してしまう。
……これって、もしかしてやばい?
これじゃあ、文化祭の時の、四階から落ちた強盗犯の二の舞だ。
ただし、吹き飛ばす方じゃなくて、私が落ちる方で。
そう思った瞬間、私は急激に、重力に従って下に落ちる感覚を覚えた。
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