(7)ノワールな午後
パリ郊外に、サンジェルマン・アン・レーという街がある。
静かでゆったりとした佇まいの美しい街で、私の大好きな世界的大オルガニストのマリ‐クレール・アランが生まれ育った所でもある。
数年前のある夏の昼下がり、私はそのサンジェルマン・アン・レーのとあるガーデンレストランに座っていた、なんと本物のシャネルスーツを着て。
もちろん、私はセレブなマダムなどではない。それどころか、赤貧洗うが如き生活苦に喘いでいる女である。だから、私は英国のワーキングクラス出身のミュージシャンの音楽が身にしみて分かるのだ…という事はさて措いて、何故私なんぞが本物のシャネルを身につけていたのか?
話は簡単である。貰いもの、お下がり、ただそれだけ。
ただし、元の持ち主は、世間で言う極妻という立場の女性であった(註・現在は足を洗って堅気になりなすった)。
「これ、似合わへんねん。あんた着るか。」
当然、二つ返事で押し頂きましたね。サマーウールの淡い色合いの上品なスーツは、私をにわかにサンダーバードのペネロープ気分にさせてくれて、その日一日バカ笑いが止まらなかった。で、浮かれた気分のまま季節は過ぎ、家族の用事でフランスへ行くという二度目の幸運が降りかかり、私はフランスでの父親がわりのS氏と共にちゃっかりガーデンレストランで鴨のローストなどにナイフを入れていたのであった。
「ねえねえ、あの人チェッキィ・カリョに似てない?ほら、リュック・ベッソンの映画に必ず出る…」
「ああ、あの男ね、ここの支配人の。」
そう言うとS氏は声をひそめて(と言っても私達は日本語で話していたから、そんな必要はなかったのだが)、
「彼ね、本物のギャングよ。ここ、経営者が変わったの。」
「へえぇぇぇぇ!」
私が喜んだのはいうまでもない…と言っても、別にギャングが好きな訳では決してないですよ。好きなのはあくまでマンシェットやジョヴァンニに代表されるフレンチノワール小説であり、フィルムノワールであり…でも、リアル現役のフレンチギャングを見る事なんて真面目いっぽうのわが人生ではまずないから、いやはや例によって沸き上がるにやにや笑いを抑えるのに苦労しました。
そのうち食事はデザートへと進み、味は良いけれど巨大なババ(たっぷりのラム酒シロップに浸したお菓子)を持て余し、フォークでお行儀悪くつつき回していたら、くだんのギャング氏がコーヒーを運んで来たじゃないですか(ギャングキタ―――――ッ!!)。
彼はにっこりと微笑み、
「Coco Chanel?」
と渋い声音で訊く。
私も負けじと東洋風の神秘的微笑みを浮かべて(嘘だよ)、ええシャネルよ、とか何とか答えた。気分は完全にリュック・ベッソン映画である。
ギャング氏は再び微笑んで頷くと去って行き、目にハートを浮かべた私はアフォ面下げて、その背中を見送った……。
それからって?何もありませんよ、これで終わり。だって、何もなかったから、私は無事日本に帰り、こうやって誰も読まないかもしれないエッセイなんか書いている訳でさ。
で、時々思い出すのだ、その時の事を。
あれは、ノワールな世界の女の服が、ノワールな世界に生きる男を呼んだのだ――つまり、暗黒はさらなる暗黒を呼ぶというわけですな、うーん興味深い現象ではある。
そんな大袈裟な、と鼻で笑うのは簡単だけれど(いや、じっさい大袈裟なんだけどね)、なんか楽しいのだ、こういう解釈って。少なくとも、私個人にとっては楽しい思い出だし。
それにしても、チェッキィ・カリョ氏はまだ生きているのだろうか。あの頃の私は小説を書くなんて思いもよらなかったけれど、書いている今の目で、彼のような男をもう一度見てみたいと思う今日この頃である。
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