第73.5話 白き鳥の羽ばたき
本編との2話同時投稿です。
以前書いた通り、酷いお話です。具体的な内容は書きませんが、食事中の方は見ない方が良いかもしれません。特にカレーを食べている方。
まあ、直接描写はないんですけどね。
「う、うーん……。あれ、ここはどこ?」
とても柔らかいベッドで寝ていた女性は、目を覚ますと同時にそう呟き、その身を起こす。
記憶が混濁しているようで、寝る前のことをまるで覚えていない。
真新しい白い壁と窓のある小さな部屋にいるということはわかったが、なぜ自分がここにいるのかは全く思い出せない。
「うん?何か変な……」
女性は違和感に従い顔を下に向けた。
そこで初めて自身が何も身に着けていない、生まれたままの姿であることに気が付いた。
「っ!?な、何で裸なの……!?」
驚き、近くにあったシーツを手繰り寄せて、その身を隠す。
比較的大きな胸が白いシーツに隠されるが、全身を完全に隠すには包まりでもしなければ無理だろう。
「いったい何があったの!?何で裸!?ここどこ!?」
「失礼します」
混乱した女性が叫ぶ中、その部屋の扉が開かれた。
扉から入ってきたのは、メイド服を着た女性だった。
手にはコーヒーポットの乗ったお盆を持ち、コーヒーポットからはコーヒーの香りが漂ってきている。
「どうやら、起きたようですね。おはようございます。いえ、既にこんばんは、の時間ですけどね」
「貴方は誰!?ここはどこ!?何で僕裸なの!?」
「落ち着いてください、アーシャさん。これから順を追って説明させていただきますので」
「う、うん……」
全裸の女性、アーシャはシーツで身体を隠したまま立ち上がり、メイド服の女性に詰め寄る。
メイド服の女性は、アーシャに詰め寄られても穏やかな表情を浮かべたまま、冷静に返した。
説明してくれるということで、少しだけ落ち着いたアーシャは、質問したいことがそれだけでないことに気が付いた。
何故、名乗ってもいないはずの自分の名前を知っているのか。何故、こんなにも歩くのが億劫なのか。お腹の調子がおかしいのは何なのか。
「でもとりあえず、服を着たいんだけど……」
「申し訳ありませんが、それは許可できません」
「何で……?」
服を着る、と言うある意味当たり前の要求を却下されたことにアーシャは驚愕する。
部屋を見渡してもクローゼットのようなものはなく、シーツ以外に身を隠せるようなものは存在しない。
「それも合わせて説明いたします。まずはそちらのベッドにでも座って落ち着いてください」
「……わかったよ」
納得はできないが、何かしらの理由があると判断して大人しく従い、ベッドに腰を掛ける。
アーシャはAランクの冒険者なので、戦闘力には多少以上には自身がある。
もしもメイド服の女性が悪意ある存在だったとしても、自力で何とかできる自信があるからこその判断だっただろう。
故にこの場では話を聞くことを優先した。
結果的に言えばこの判断は正しかった。
何故ならば、もしもこの場でアーシャが暴れていたとしても、暴れない場合と同様に、メイド服の女性の話を聞くことになっていたのだから。
それも、暴れなかった時と異なり、多分に痛めつけられた状態で……。
「コーヒーでもいかがですか?」
「……もらうよ」
どれだけ眠っていたのかわからないアーシャだが、随分と喉が渇いているのでコーヒーを受け取った。
毒の心配はないだろう。態々毒で殺さなくても、殺そうと思えば寝ている間にいつでも殺せたのだから。
アーシャは渡されたコーヒーに口を付ける。
「あ、おいしい……」
今まで飲んだどのコーヒーよりも美味しかったので、アーシャも思わず呟いてしまった。
一通りのどを潤したところで、アーシャはコーヒーカップをメイドに返した。
「では、まずは自己紹介といたしましょう。私の名前はルセアと申します。今は偉大なる我が神の僕をしております」
「神の僕?女神教の人なの?」
この世界の宗教はいくつかあるが、その中でも最大勢力と言えるのが女神教である。
何故、最大勢力かと言えば話は単純で、女神はその存在が証明されているからだ。
明確に存在する超越者に信仰を捧げるのは、何も不思議なことではないだろう。
故に、神の存在を確信した態度で言い放ったメイド服の女性、ルセアは女神教の信徒だと考えたのだ。
しかし、これは明確な間違いだった。
何が間違いだったかと言えば、思ったことを疑問として口に出してしまったことだろう。
「はい?」
酷く低い声色となったルセアが、今までの穏やかな顔を捨て、明確な怒りをたたえた顔でアーシャを睨んできたのだ。
思わず身体を硬直させるアーシャ。
構えるでもなく、逃げるでもなく、身体を硬直させてしまうというのは高ランクの冒険者としては失格の振る舞いだ。
アーシャが硬直したのには当然理由がある。
(無理無理!こんな相手に勝てるわけないって!)
一言で言えば、ルセアの殺気を浴びて戦意を喪失したのである。
戦闘も逃走も無意味だと本能で悟ってしまえば、後は身体を固くするくらいしか、できることがないというのも道理だろう。
「あのような不愉快な宗教と一緒にされるとは……。まあ、知らないのですから仕方ないと言えば仕方ないのですが……。二度目はありません。私達は女神教ではありません。いいですね?」
「は、はい……」
ルセアも話を大分端折っているので、細かい話は分からない。
しかし、この場でアーシャに頷く以外の選択肢があったかと言われれば、もちろんない。
「じゃあ、ルセアさんの神とは一体……?」
「それも追々話していきましょう」
「わかったよ……」
話が進まなければ、何も理解できないと悟ったアーシャは、大人しく話を聞くことにした。
(女神教でないとなると、勢力2番手の……、でもシンボルを付けてないから、3番目の方かな……?)
そして、頭の中で他のいくつかの宗教から、ルセアの所属する宗教の推測を始めていた。
頭の中で何種類も候補を挙げたが、その内の1つとして正解がないことをアーシャは知らない……。
「話を進めます。まず、アーシャさん、貴女はどこまで覚えていますか?」
「寝る前のことだよね?…………マンイーターに敗れて、従魔達を失って、やけ食いを始めたところまでかな」
アーシャはマンイーターと言ったが、正確にはギガント・マンイーターと言う。
ギガント・マンイーターとは、アト諸国連合のとある国に出現した災害級の魔物だ。
巨大な植物で、何でも食べる凶悪な魔物だった。
アーシャはAランク冒険者として討伐に向かったものの、力及ばず敗走することになった。
アーシャの戦闘スタイルを一言でいうと『魔物使い』だ。
<魔物調教>と言うスキルによって、魔物を自らの従魔としてともに戦うのである。
しかし、ギガント・マンイーターとの死闘により、そのすべての従魔を失ってしまった。
街にたどり着いて敗北の報告をして、治療を受けている間にギガント・マンイーターが討伐されたという話が出回ってきた。
自分は従魔を失ったというのに、他の冒険者がいとも簡単にそれを討伐したということで、悲しいやら悔しいやら複雑な感情になったアーシャは、短絡的にやけ食いをすることに決めた。
どうやら、その辺りから記憶が曖昧になっているようだ。
「そうですか。思っていた以上に負担が大きかったようですね」
「負担?」
「ええ、簡単に言えば、貴女はマンイーター、正式な名前はギガント・マンイーターですね。それに呪われたのです」
「呪い?」
聞きなれない単語に、アーシャは首を傾げる。
<呪術>と言うものが存在するのは知っているが、ギガント・マンイーターの印象と一致しなかったからだ。
「はい。物をいくら食べても、お腹が一杯にならない呪いです」
「うっ!」
急に頭が痛みだしたアーシャは、頭を押さえて蹲る。
冷静に記憶を遡っていったことにより、ほんの少しずつ、曖昧な部分の記憶が思い出されていく。
「そうだ……。僕はやけ食いをして、他の人に止められても食べるのが止まらなくなって……、え、奴隷になった?」
「ようやく思い出しましたか。そうです。貴女は我が主様の奴隷になることを、自ら選んだのです」
「嘘……でしょ……?」
信じられないと言った顔をするアーシャ。
それも当然だろう。奴隷になるということは、自らの生存の全権利を他者に委ねるということだ。
それを自ら選ぶなど、正気の沙汰とは思えない。
そして、自身の意識が曖昧な内に、奴隷になることを選んでいたというのは、有体に言って悪夢以外の何物でもない。
「そうだ!首輪!……ない!奴隷紋!……ない!なんだ、冗談だったのか……」
奴隷になった者には『隷属の首輪』か、『奴隷紋』のどちらかが与えられる。
その2つを確認したアーシャは、自らの首と背中を確認し、どちらもないことに安堵の息を漏らす。
「冗談でも何でもありませんよ。もう1度背中を見てください」
「え……?なんで、さっきは……」
ルセアに言われて、もう1度背中を確認したアーシャは、そこに刻まれた奴隷紋を見て言葉を失う。
先ほど確認したときに見間違えたかとも思ったが、あれだけしっかり確認してもなかったのだから、確認した後に現れたとしか考えられない。
「貴女はAランク冒険者なのですよね」
「う、うん……」
「奴隷紋が公になると、その資格は剥奪されてしまうでしょう。勿体ないから、普段は奴隷紋を隠して、奴隷であることがバレないようにしようという、主様の配慮です」
「何、それ……」
奴隷紋を隠すことが出来るなどと言うことは、アーシャの知っている常識の中にはない。
アーシャは、自らの身に起こったことが理解できず茫然とすることしかできなかった。
「次に、『ここはどこか』と言う質問に答えさせていただきます。ここはノルクトの街にあるアドバンス商会の店舗です。正確にはその中の住居部分ですね」
「え?アドバンス商会って最近勢力を伸ばしているっていう、あの……?と言うか、ノルクトにそんなお店なかったよね!?」
アーシャはノルクトを中心に活動している冒険者だ。
そのアーシャが、ノルクトに新しいお店、それも現在アト諸国連合内で有名な店が出来たのなら、アーシャの耳に入っていなければおかしい。
「ええ。つい昨日許可をもらい、昨日中に完成しました。ああ、貴女が眠ってから既に1日経っています。貴女が眠った日に作り始め、そして完成したことになります」
「……」
色々と常識から外れたことを聞かされたせいで、ついには処理能力の限界を超えたアーシャが停止した。
それと同時に、アーシャが体を覆っていたシーツがハラリと落ち、再びその肢体が露わとなる。
「この建物は、私と同じく神に仕える者達が建てました」
「じゃあ……、ルセアさんの言う神様がこの建物を建てさせたの?」
「ここに関してはそうですね。ですが、他の店舗に関しては私達が主様のために建てました」
「そう言えば、さっきから主様って言っているけど、その前の神様とは別の人?」
「同じお方ですよ。私の、そしてあなたの主人にして所有者、そして私の神様なのです」
「ふーん。……って僕のご主人様なの!?その人!?」
何でもないことのように明かされた、自らの主人についての情報に声を荒げるアーシャ。
ルセア曰く、自分とアーシャの主人、そしてルセアの神は同一人物だという。
「ああ、言い忘れていましたね」
「え?何をするの?」
おもむろに服を脱ぎだしたルセアは、露わとなった背中をアーシャに見せつける。
そこには美しい肌以外何もなかった。
しかし、しばらくすると美しい背中には相応しくない奴隷紋が浮かび上がってきたのだ。
「ま、まさか、ルセアさんも奴隷なの?」
思わずアーシャは自らの背中に触る。
それと同時に、納得している部分もあった。
あのように奴隷紋が現れてきたのならば、1度目で気付かなかったのも当然だからだ。
「はい。私も主様の奴隷です。主様に救われ、そのまま信仰を捧げることになりました」
「……僕のご主人様ってどんな方なの?」
メイド服を着なおしながら答えるルセアに、アーシャは思わず疑問を投げかける。
アーシャの知る常識など、完全に無視できるようなトンデモ存在であることは間違いない。
それにルセアの信仰を見る限り、これでもまだ序の口なのだろう。
「それについては、後で教育を施しますので、その時に詳しく」
「教育って、何を……?」
「もちろん、主様に仕える上で覚えておかなければいけないことを教えるのです」
「う、勉強か……」
教育と言う言葉を聞いて思わず身構えるアーシャ。
アーシャの頭がそれほど良くないことは、アーシャ自身が1番よくわかっている。
「そもそも、僕ってこれからどうなるの?何をさせられるの?」
頭脳を要求されるような仕事に従事させられるとなると、はっきり言って自信はない。
だからと言って戦闘が得意かと言われれば、従魔のいなくなった自分1人では少々不安が残る。
「いくつか候補があります。まず第1候補、当然これが1番可能性が高いのですが、主様が乗る馬車の御者です」
「御者?」
アーシャは、仮にもAランク冒険者である自分に任せる仕事の第1候補が『馬車の御者』と言う、ありふれた職業であることに疑問を感じた。
それと同時に、過酷すぎる仕事ではないことに安堵もしていた。
「ええ、貴女は私の知る限り1番<乗馬術>のスキルが高いですからね。適任でしょう。本当はメイドを付けるチャンスなのですが、ここまで<乗馬術>スキルのレベル差があるとなると、アーシャさんを育てた方が早いでしょう」
「スキル?レベル?なんのこと?」
「それも後で説明します。第2の候補がクランへの参加ですね。主様の僕の中には冒険者をしている者もいます。そこへ参加してもらおうかと考えています。第3の候補がメイドです。私と同じように、屋敷の管理や主様のお世話、それにアドバンス商会の従業員をします」
ルセアはアーシャの疑問を後回しにして、第3の候補までを説明した。
奴隷と言う立場にはなるものの、今までの生活に1番近いのは第2候補の『クラン参加』だろう。
アーシャは、従魔と共に気楽に旅をするのが好きだったため、クランへの参加はしてこなかった。
もちろん、誘われたことは何度もあったが、度々断っていたのだ。
「もちろん、ここでいくら候補を検討しても、主様の一言でいかようにも変わりますけどね」
「そ、そうなんだ」
「ええ、全ては主様の望むままに」
ルセアの発言により、アーシャも理解することになった。
ここでは、『ご主人様がすべてに優先される』と言うことを。
勉強と言うのは、その辺りのことを含めたものなのだろう。
嘆く間もなく詰め込まれた情報に暗澹としていると、ルセアからさらなる追い打ちがかけられた。
「おっと、そろそろですね」
「何のこと?」
「自然の摂理ですよ」
「? !? 痛たたたたたたた!」
ルセアが何を言いたいのかわからず、アーシャは首を傾げた。
次の瞬間、アーシャは急な腹痛に襲われて、腹を抑えながら蹲る。
「アルタさんの想定通りですね。アーシャさん、貴女は主様の奴隷になる前に大量の食事をとっていました。通常、食べ物は食べてから1日以上かけて消化され、排泄されます。貴女がここに運び込まれてから約1日です。もう、言いたいことはわかりますね?」
アーシャの百面相を見ながら、ルセアは淡々と呟く。
要するに、アーシャは便意による腹痛に見舞われたのだ。
厳密に言えば、食事から排泄までの時間にはもう少し幅があるのだが、それはひとまず置いておく。
「うぐっ、ひぐっ、ぐぐぐぐ……。ト、トイレはどこ……?」
「扉を出て左、突き当りを右に行ったところにある階段を降りて2階の階段横にあります。ちなみにここは4階です」
「そ、そんな遠いの!?……ふぐぅっ!」
とてつもない便意に襲われながらもアーシャはトイレの位置を聞いた。
しかし、返ってきたのはあまりにも無慈悲で残酷な答えだった。
「って言うか……、ふぐっ、これ……、うぅ、わざとだよね!?」
勿論、わざとである。
奴隷となり、主人に逆らえなくなったとはいえ、アーシャは元々Aランク冒険者、中途半端にプライドがあるかもしれない。
ルセアには、自らが仕える主人の安全を守り、快適に過ごさせるという義務がある。
下手なプライドを持った者を主人に近づけるわけにはいかないのだ。
よって、ルセアは最初にアーシャのプライドを粉々に打ち砕くことにした。
服を脱がして、白一色の部屋に入れたのは、もし万が一漏らした場合、その被害を際立たせるためだ。
子供ですらおねしょの布団を見られるのは恥ずかしいのだ。
年頃の女性が自らの失態(強)を公にされて耐えられるものだろうか?
ついでに言えば、コーヒーには利尿作用がある。
便意とは若干違うが、追撃のためである。
トイレから遠い部屋であるというのは言わずもがな。
とは言え、主人に捧げるべき拠点に、そのような汚点があるというのも良くない(汚物だけに)。
そこで、ルセアは救済措置であり、とどめでもあるアイテムを取り出す。
「よろしければ、こちらをお使いください」
「ま、まさか……、ぬぐっ……」
そうしてルセアが取り出したのは白い、そう白い鳥を模った……。
「お、おまる……」
OMARUである。
OMARUとは、幼児が使用するための携帯用のトイレのことである。
幼児のおむつが取れた後、一般のトイレを使用するまでの間、中継的に使用されることが多い。
幼児の使用以外でも、トイレに行くのが困難な状態でも用を足せるので、災害時など、ライフラインが止まった際に使用されることもある。
しかし、今回ルセアが取り出したのは、OMARUの中でも明確に幼児向けのモノだ。
白いアヒルを模したOMARUは、幼児向けOMARUの中でも特に有名である。
そのくせ、サイズは大人が使用しても問題のないサイズになっている。
製作者はいったいどのような気持ちでこれを作り出したのだろう?
「ぼ、僕にそれを使えっていうの……?」
「いえ、『使え』だなんて強制はしません。あくまでも、『よろしければどうぞ』です。使っても、使わずに漏らしても、どちらでも構いません。(……どちらにせよ、心は折れると思いますけど)」
「う、ううう……、ふぐっ!」
淡々と語るルセアに恐れおののくアーシャ、しかしそれを便意が塗りつぶす。
「さあ、選んでください!」
「うう……」
「さあ!」
「う……」
「さあ!」
アーシャは弱々しく手を伸ばし、ルセアの手にあったOMARUを……。
その日、アーシャの心は完全に折れた。
第5章は丁寧な描写を意識すると書きました。
この話は第5章の前にその練習として書いたモノです。
よりにもよって、こんな話で練習するなと言われそうですね。
そうそう、この話で本作品の文字数が100万文字を突破しました。
よりにもよって、こんな話で突破するなと言われそうですね。