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色操士〜白と黒を紡ぎて〜
作者:零・ZA・音
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 ――色。
 世界は色を有して、色は世界を創る。
 赤、青、黄。
 様々な色が世界を染め上げて、形を成していく。
 しかしそれが必ずしも「善」とは限らない。


 影が動く。
 闇の中を黒い影が、高速で移動している。
 暗い路地の奥に、わざと誘い込まれてやったんだ。もう少し、まともな戦略はないのか、こいつは。
 猿のような体躯をして俺の廻りを、ただ飛び回っているだけ。
 ――うっとうしい。
 あまり目障りなのは、好きじゃないんでね。悪いが消滅きえてもらおう。

色正浄保しきせいじょうほ――我、白き光をもって浄化のとする!」

 印を切り腕を振り抜くと、空間を歪めて文字が浮かび上がってくる。
 宙に現れた「色清方結しきせいほうけつ」と描かれた文字は、白い光を放ちながら広がっていく。
 四方、5メートルを囲む結界の出来上がりだ。
「さて……と。お前もすぐに消してやるよ――色変武創しきへんぶそうっ」
 先ほどとは違う宙に浮かぶ文字、「白浄滅殺はくじょうめっさつ」を手に掴むと白い光を放ちながらその刀身に文字を刻んだ剣の形を成していた。
 俺の心音に呼応するように、鳴動する剣。シンクロしていく感覚が、身体を包み込んでいく。
 ――来るっ!
 黒い影は動き回るのを止め、一直線にこちらに突っ込んで来る。
 肉眼で追う事が出来るスピードを遥かに凌駕しているが、今の俺はそれを認識する事は容易な事だ。
「甘いんだよ!」
 振り上げてきた腕から伸びる爪が、身体を切り刻もうと上から降ってくるが、紙一重で交して黒い影の懐に飛び込む。
 全てが、止まったような感覚。これが最高に気持ちいい瞬間だ。

「……消滅きえろ」

 胸を貫いていく剣が大きく震動を繰り返す。貫いた部分から、霧散していく黒い影。
 白い剣は黒い闇を喰らうように、一瞬だけくすんでいたが、すぐに白さを取り戻してくる。
 これで、今日のお仕事は終わり。なんとも、手ごたえがない事だ。

 ……カランッ。
「っ、誰だ!」
 振り返った俺の声と同時に走り去っていく足音が響き、空き缶が転がって足元に止まる。
 まだ、中身の入っている缶からは次々と、零れ出てきていた。
 まさか、見られた?
 結界が消えた瞬間だったから、もしかしたら見られたかも知れない。
 だが、その足音もすでに闇に消えてしまっている。
 こうなれば、明日ゆっくりと考えよう。難しい事は後回しにするのが、俺の主義だ。

 それに、明日も学校だ。面倒だけど、行かないとな……。


 学校と言うのは、退屈である。勉強も友達も別にどうでもいい。
 俺の興味は、学校にはない。あるのは、夜の闇だけ。あのスリルと緊張感が堪らなく好きだ。
「起きてるか? シロ」
「うっせ……。寝てるよ」
 寝ている頭上で声がする。寝てるんだから、静かにして欲しいものだ。
「寝てるなら仕方ない。それで、昨日は成果は?」
「俺の話、聞いてねぇな。トキ」
 俺は「昼寝をしている」と言っているのに、このアホは。昼寝の邪魔すると、始末するぞ。
「ちゃんと、聞いている。だが、お前が返事をしただけだ」
「屁理屈野郎が……」
 目を開けると、俺の隣に足が見える。直立不動で立って、こいつは一体何がしたいんだよ。
 身体を起こして行くと、風が俺の身体を撫でていく。さすがに屋上で昼寝をするには、寒い季節になってきた。
「それで、成果はどうだ?」
 顔を見ると、何を考えているのか分からない表情で突っ立ているトキ。
 本名は時任蒼至ときとうあおし。銀髪に眼鏡の変わり者である。
「倒すのは問題なかった。だが、一つ――」
「ん……? 何か、あったのか?」
 とりあえず、昨日遭った事を話していく。次第にトキの顔に険しく変わっていく。
 こいつは、俺と同じ能力者。この能力のおかげで知り合った奴だ。

 色操士しきそうし)――。

 色の力を使い、人ならざる者である黒魔こくまと戦う闘士である。
 黒魔は闇の中に生き、その中で成長する言わば「黒」の象徴のようなものだ。
 人間を喰らい、その魂を奪い取って殺していく。そして、喰った人間を吐き出し、同じく黒魔とする事が出来る。
 そして、その黒魔となった人間がまた人を襲う。この悪循環を断ち切るために、俺達がいるのだ。
 色操士しきそうしが操る武器が「しき」と言う力だ。
 世界を構成する基本元素を「しき」に変えてと言う事らしいが、難しい事は俺には理解不能。
 簡単に言うと、色を武器に変えて戦うと言う事だ。

「なるほど……。結界を解いた瞬間か」
 眼鏡を上げながら俺を見据えている瞳は、冷静すぎて怖い。
 こいつの、この何者にも動じない冷酷な瞳は苦手だ。見ているだけで、背筋に悪寒が走って行く。
「そうなると、見られた可能性もある……か。それともう一つ……厄介だな」
「……悪かったよ」
 俺の不満そうな声に、口角を上げて笑っている。目は一切笑ってないので、怖いものだ。
 だが、一変して表情を硬くしていく。
「どうした? トキ」
 屋上の唯一のドアを見つめて鋭い視線を向けているトキ。
 あの目は狩人の眼光だ。何を見つけたのか知らないが、子供が見たら泣き出すだろうな。
「お前は、振り向くな。どうやら、お前の言っていた事は本当らしい…」
 何を言っているのか分からない。
 俺の言っていた事って、なんだよ? だが、トキはその表情を崩す事なく、ドアを見つめている。
「お前、しっかり見られてるぞ」
「俺が……?」
 視線だけを動かしていくと、確かに人影があった。
 ドアの隙間からこちらをうかがうようにして、顔が出たり入ったりしている。
 風に吹かれて揺れる髪を押さえてようとして、暴れている姿が見える。何をしているんだよ、あいつは。
「お前のクラスメイト……の、ようだが?」
 冷たい射抜くような視線を俺に向けているトキが、ため息混じりに呟いていた。
 ようやく、トキが言っている事を理解した。昨日の一件の事を言っているのだ。
 そうでなければ、俺を見張る訳はない。俺にこの学校で、友達などいない。知り合いは、このトキぐらいだ。
 それにこのんで、俺に話し掛けてくる奴はいないからな。
 俺がそうして、近づけないようにしてるだけ。俺に近づくと危ないと言う印象を、周りに持たせている。
「あれは、志貴町四鶴しきまちしづるだったな」
 その名前にもう一度視線を向けると、さっきと同じように髪を気にしながら、こちらを見ている女の子。
 クラスメイトで、あまり目立たない内気な女の子。それが、俺の印象だ。
「あぁ……。だが、あの子に見られていたと言う、証拠はない」
「確かに……。しかし、少し控えた方がいい。だが、お前の色結界に触れたとなると……」
 未だにこちらを窺っている顔がチラチラと見える。確かにまた見られるのは、堪ったものじゃない。
「あの子は、お前に任せる」
「え? お、おいっ」
 それだけを言うと、歩いて行き出した。
 その前に逃げるような足音が響いていたのを、聞き逃しはしなかった。まったく、俺にどうしろと言うんだ。
 仮に俺を見ていたとして、志貴町に不用意に接触する訳にはいかない。
 もし俺が近づけば、あいつを――

「ちっ! そういう事かよ」

 トキの奴も、もっとハッキリと言っていけよ。
 慌てて屋上のドアを開けたが、そこには人影などない。そうだろう、さっき走り去っていく足音を聞いているんだ。
 どこに行った? もっと早く気付くべきだった。
 まずいな、随分と空が薄暗くなってきている。このままでは、黒の時間が始まってしまう。
 ――黒の時間。
 夕方から日の出までの時間は、黒魔が活発に活動する時間帯である。
 太陽が昇っている時間帯はその力が弱く大人しいが、一端日が沈むと暴れまわるという厄介な奴等。
 その中で、俺の色――色操士の力――に触れた奴が動き回れば、黒魔が間違えて襲ってしまう。
 結界を解いた瞬間が一番、「色」の力が四散しやすいんだ。
 普段でも俺のそばにいれば、一時的に「色」が身体に染み付いて、「色操士」に近い波動を出すようになってしまう。
 前にも一度、遭ったんだ。
 だから俺は、誰も近づけないようにしたのに。まさか、こんな事になるとは……。

 急いで教室に戻ってみると、そこはもぬけから
 志貴町の鞄がないと言う事は、帰った後か。まずい……俺は、あいつの家を知らない。
 必ずしも襲ってくるとは限らないが、万が一の事を考えると厄介だ。もっと早く分かっていれば、どうにか対処出来たと思うのだが、ここで考えていても仕方ない。まだ、あれから時間は経ていないから、そんなには遠くに行ってないだろう。
 早めに志貴町を探して対処すれば、まだ間に合うだろう。


 あれから、三日ほどが過ぎたがとりあえず、何事もない。
 あの後、志貴町を追いかけたが見つける事は出来なかった。だが、何事もなくすんだ。
 そして、学校は今日も平和だ。ついでに、志貴町にも異常は無いが、俺には大いに異常があった。
「あ、あの……。無明むみょう君」
 目の前には、何故か志貴町がいる。しかも、俺を怖々と見ているのは相変わらずだ。
「あ、あのね。この前の……」
「だから、それは俺じゃないと、何度言ったら分かるんだ」
「あぅ」
 俺の声に肩を竦めている志貴町は、怯えた目で見つめてくる。
 こいつが言っている「この前」と言うのは、あの夜の事だ。確かに見られていたと言う事らしい。
 否定しても、まったく聞く耳を持たない。案外、思い込んだら一途な奴なのか? こいつは。
「だけど……」
「お前も、しつこいね。しかし、お前も意外とお喋りなんだな。普段は、無口なのくせさ」
「はぅ……」
 これまた、見事に顔を真っ赤にして俯いてしまったぞ。
 それにしても、意外と目立っているのに気付いていないのね、こいつは。
 ここは教室だ。
 普段は誰とも喋らない俺が話しているだけでも目を引くのに、その相手がクラスで一番大人しいこいつだ。
 これで注目を集めないと言ったら、嘘になるだろう。
 

 今日の授業も終わり、それぞれ楽しそうな会話をしながら帰っていく。
 俺は、いつものように屋上で昼寝でもしようかね。帰ってもする事がないし、それに昨夜も黒魔と戦って疲れた。
 睡眠不足は、力に無駄な消費を与えるのでよくない。夕方まで寝ていれば、問題ないだろう。
「それで、なんでお前がいる?」
「気にするな、シロ」
 屋上に行けば、ごく普通にトキがいた。何を考えているのか、さっぱりな奴だ。
「それで、あの子はどうだ?」
「どうもこうもない。毎日のように聞いてくる」
「それは、災難だな」
 思いっきり人事だと思っているよ、こいつ。目が一切笑ってないが、口だけが笑っている。
 その不気味な笑い方を止めてはもらえないものかね。俺は眠いんだよ。お前の話も、頭に半分も入ってこないだよ。
「それじゃ、俺はここで失礼するよ」
 何しに来たのか、さっぱりだ。もしかして、俺の事を心配してるのか?
 いや、あいつの事だ。逆に楽しんでいるとも考えられる。捻くれた性格してるからな、あいつは。
 そんな事は、いいから少し寝るか。何か言っていたが、さすがに眠い。

 夢を見た。
 懐かしい昔の夢。
『ねぇ……。何色が好き?』
『俺か?』
 振り向き聞いてくるその顔が、楽しげに笑っていた。
 俺もつられて微笑んでしまう。楽しい時間。こいつといると、時間を忘れてしまう。
『俺は……白かな?』
『白なんだぁ。――らしいね。白って、どんな色にも染まるけど……一つだよね』
『ん? そうだな。お前は、何色だよ?』
『私は……赤だよ。大好きな色だよ。その内、白を赤で染めてあげるよ』
 薄っすらと頬を染めている顔が印象的だった。
 なんで顔が赤いのかなんて俺には分かるはずもなく、柄にもなく俺も照れてしまった。
『おい! しっかりしろっ』
『わた、し……しぬの、かなぁ。 でも……たのし、か……た、よ』
『しっかりしろ! 死ぬな、おい! 死なないでくれっ』
『だいす、き……だよ、びゃ……く――』
 その身体は真っ赤に染まって、そのまま息絶えていった。

「懐かしい夢……だな」
 今でも夢を見ると、手が赤く染まっているように見える。
 そして、心が痛い。
 俺のせいであいつは死んだ。俺が心を許したせいで、あいつは黒魔に殺されたんだ。
 ――その内、白を赤で染めてあげるよ。
 その言葉の意味を理解したのは、あいつが死んだ時だった。
 あいつは俺の事を大好きだと言ってくれた。こんな俺を「大好き」だと言ってくれたんだ。
 なのに俺は、助ける事も出来なかった。まだ、力に目覚めたばかりで不安定だった俺は、それどころではなかった。
 そして俺はあいつを、見殺しにしてしまったんだ。だから俺はその時、決めたんだ。

 もう、俺の前で誰も死なせない、と。


 どれくらい寝ただろうか、気付けば空は暗くなっていた。
 何時なんだよ? 思った以上に、寝ていたようだ。すっかり身体が、冷えてしまっている。
 缶コーヒーでも買って飲むか。とその前に、視線を泳がしてみる。
 この三日間、毎日のように俺の行動を見張っているあいつが、屋上のドアのところにいるはず。
 何度違うと言っても聞いてくれない、意外と意地っ張りなお嬢さんだが――

「きゃぁ!」

 俺の考えを否定するような悲鳴。この声は、この三日間毎日聞いていた声だ。
 考えるまでもないだろう。こんな遅い時間まで残っている奴なんて、そんなにはいないはず。

 屋上を飛び出して、声を方へと走り駆けていた。


 目に飛び込んで来たのは、屋上から続く薄暗い廊下を黒い闇に変えて、蠢く赤い目をした黒魔。
 かなりのリーチを持った腕が、だらりと床に垂れて長身の体躯がそれを更に長く見せている。
 そして、その黒魔の前に腰を抜かして、へたり込んでいる女の子。
「志貴町! 大丈夫かっ」
 俺の声に、ぎこちなく振り返った志貴町の顔は、恐怖に歪んでいた。
 涙を流しながら、座り込んだ場所には水溜りが広がっている。さすがに、こんなものを見たら無理もないか。
「早く逃げろ!」
「あ、あ……あぁ」
 黒魔と志貴町の間に割って入った俺の耳には、言葉になっていない声が聞こえてくる。
 完全に腰を抜かしている志貴町は、空ろな目で宙を見ている。自力では逃げる事が無理か。
 しかしここで、この黒魔を逃がしてしまうと、この学校が危ない事になる。こんな時に、トキは何をしているんだ。
 あいつがいれば、志貴町を頼む事が出来るのに。
「っ! この野郎っ」
 そんな事を考えている間にも、黒魔は俺を敵と認識したように襲ってきた。
 無数に撃ち込まれて来る銃弾のような爪でも、俺には交わす事は簡単に出来る。
 しかし、俺の後ろには志貴町がいる。交せば、当たってしまう。
 ――どうすればいいっ。
 今は防御に色を使っていて、これでは攻撃が出来ない。

「志貴町!」

 俺の叫び声に、一瞬だけ志貴町の身体が震えた。
 次第に目の中に生気が、戻ってきているようだ。空ろだった目は、俺を見据えてハッキリとしていく。
「動けるか? 志貴町。動けるなら、早く逃げろっ」
「あ……あ、あ。む、みょう……く、ん」
 俺を見ている目がまた、恐怖に歪み出していく。
「血が……」
「そんな事はいいから、早く逃げろって言ってんだ!」
「きゃっ」
 一向に動こうとしない志貴町が身体を竦めてうずくまる。
 俺から逸れた爪が志貴町を掠めて床に突き刺さっている。容赦ない攻撃って言うのは、こう言うのを言うのか。
 さっきから無闇やたらと撃ち込まれて来る爪に、俺の身体は血だらけである。防御と言っても、俺は得意ではない。
 さすがに、このままでは二人共やばい事になる。
「ちっ! 志貴町、少し我慢しろよっ」
「え、ひゃっ!」
 蹲る志貴町の腕を掴み上げ抱き上げて、黒魔の爪が届かない距離をとる。
 一瞬の虚をつかれた黒魔は、動きを止めている。しかし、すぐにその動きを再開するだろう。
 俺は、このままやられる訳にはいかない。そして、志貴町を巻き込むわけにはいかない。

 もうあんな思いをするのは、ごめんだ。

「ここにいろ。そして、動くなよ」
「あ……」
 廊下の隅に志貴町を下ろして、頭をひと撫でして俺は駆け出した。
 何か、志貴町の声が聞こえたが今はそれを気にしている暇はない。
 そして、俺もなんであんな事をしたのか、分からない。ただ、勝手に手が動いていた。
 一瞬だけ、あいつの顔がダブって見えた。


 黒魔は、俺を追いかけて突進してくる。
 どうやら、俺だけを敵と認識しているようだ。これなら、かえって好都合だ。
 血走ったように見える赤い瞳が見開かれて、腕を構えていく。刹那、飛び出してきた槍のような手刀。
 ――甘いんだよっ!
 それを間一髪で交わして、床を滑り黒魔の背後に廻りこむ。がら空きの背中って言うのは、無防備でいいね。
 好きなだけ、切り刻んでくれって言っているようだ。

色正浄保しきせいじょうほ! 我、白き光をもって浄化のとする!」

 宙に浮かび上がった文字は、白く光を放ち拡散していき一気に集束する。
 廊下全体に張った結界は、外部からの音も侵入も遮断する。しかし、内部に残る志貴町は別だ。
 あいつには悪いが、これが終わるまですこし我慢してもらおう。すぐに済むから、我慢してくれ。
「さぁ、消滅きえる時間だ。お遊びが過ぎたようだな」
 背後を捕られた事で、素早く飛び退いて行く黒魔がこちらを向こうと反転していく。
 誰が振り向くまで待つなんて、そんな優しい事をするかよ。
 剣を構え、黒魔へと突っ込んでいく俺を黒魔の赤い瞳が見据えていた。
 ――まずい、これは罠だっ!
「ぐっ!」
 反転して俺の視界から消えていた腕が、俺の死角となっている後ろから撃ち込まれてきた。
 咄嗟に身体を逸らして剣で防いだが、爪の先端は俺の身体を捕らえていた。
 予想以上に長い腕が、俺の脇腹を掠めて切り裂いていく。服を裂き肉を削ぎ、流れ出していく血。
 しまった。まさか、こんな典型的な罠に引っ掛かるとは。
「あ、あぶない! 無明君っ」
「っ!」
 突然の声に我に返った俺の視界に、飛び込んできた黒魔の顔。
 口を開けて襲ってくる牙が、ぬらりと光って更に迫ってくる。
「くっ」
 半歩深く踏み込まれていたら、完全に身体を持って行かれていた。首を掠めていった黒魔の頭が戻っていく。
 尋常じゃない痛みが、首元に溢れている。手で押さえると、ぬるりとした感触が手全体に広がっている。
 こいつ、昨日の黒魔とは比べものにならないぐらいに、強い。身体が伸縮する奴なんて、初めてだ。
 しかし、こいつを倒さないと俺は死ぬ。そして、志貴町も――
「ふざけんじゃ……ねぇ」
 誰がこんなところで死んでやるかよ。俺は、この力で生き残るんだ。
 もう、あの日と同じ気持ちを味わうのは、嫌だ。
 誰かが目の前で死んで行くのを、ただ見ているだけの弱い人間は嫌なんだよ。

 目の前の黒魔は、こちらの出方を待っているのか、一向に攻撃を仕掛けてこない。
 赤い瞳を俺に向けて、だらしなく口を開いている。ものすごくムカツク顔だ。
 しかも、なんて無防備に腕なんか垂らしているんだよ。これでは攻撃してくれって――

「志貴町! そこから、逃げろっ」

 声と同時に、黒魔の口がいやらしく笑っていた。
「え……?」
 小さく聞こえる声を、かき消すような音が辺りに響く。志貴町が居た場所が、土煙を上げて崩れて行く。
 ――まさか、そんな馬鹿な……。
 そこから戻ってくる腕。影を伝い、黒魔の身体に吸い込まれていく。すっかり、黒い闇に支配されてた廊下。
 ――影に潜ませて腕を伸ばしていき、志貴町を……。
 光は窓から差し込む、薄暗い残光のみ。影の中を、身体の一部を移動させるには、十分過ぎるほどのものだ。
 黒魔の特殊能力の一つ。影を自在に操り、その体の一部を同化させる事により、どこからでも攻撃できる。

「てめぇ! 何してくれてんだよっ」

 崩れていく廊下の一角。あそこにいたはずの人間を、どうしたんだよ?
 コンクリートの破片が、重力にしたがって落ちていく。その音が、やけに耳につき離れない。
 また、俺は助けられなかったのか? 俺は、また……今さっき、誓ったばかりじゃないか!
「ぶっ殺してやる!」
 剣を握る腕が震える。俺の中で力が暴走する感覚に、腕の血管が悲鳴をあげているのが分かる。
 だが、不甲斐ない俺が悪いだ。もっと遠くへと連れて行くべきだった。俺が黒魔を侮っていたから。
 だから、志貴町は……俺が、俺が――

「――色即交変しきそくこうへん、白き光を黒く染め、限りなき無のを示せ!」

 黒魔の動きが一瞬、止まった。
 黒い闇の中で、蠢く黒魔に怖いものはない。今のこの場所は、それこそこいつ等の絶好の住処だ。
 ――だが、それ以上の黒い闇を知れば、恐怖も感じる。
 空間全体を占めている思う苦しい重圧に、黒魔が怯えているようにも見える。まだまだ、これからだ。
 腕に集中してくる黒い闇。闇の中の闇――漆黒の黒が、俺の腕に絡みつき締め上げている。
 周りの闇を吸い上げて腕を黒く染めていき、身体を蝕みながら俺を黒く染め上げて変えていく。

「ぐっ……。これで、てめぇを完全なる無に、染めてやる」

 振り上げた白き剣は、今は漆黒の闇を思わせる黒き剣になり変わっている。
 そのまま、黒魔に向けて突っ込む。赤い目を見開いて、俺を見ている黒魔。動く暇なんて、与えない。
 ――お前は、そのまま死ぬんだよ。
 苦しみは、死んでから存分に与えてやる。俺はそこまで、優しくないんだよ。

「ぶち抜け! 無限・零黒色ぜろこくしきっ」

 腹に大きな穴を開けた黒魔が、こちらに顔だけを向ける。その目は赤いが今は、恐怖に歪む。
 しかし、その顔が次第に苦痛に歪みだし、身体を屈めていく。
 そろそろ、時間だろう。
 黒魔の貫かれた腹部から、闇とは違う純粋なる無――漆黒が、広がりを見せていた。

「無限色を使ったのか……。シロ」
 俺の後ろから声が聞こえる。今までどこに、行っていたんだよ。お前がいれば、志貴町は――
「トキ、てめぇ……。今まで、どこにっ」
「うるさい奴だ。こうして、助けにきてやったんだ。ありがたく思え」
 振り返った俺の目に入ったトキは、一人ではなかった。その腕には、一人の女の子を抱き抱えている。
 まさか、そんな事が……。
「さすがに、危なかったぞ。あと数秒遅れていたら……」
 気を失っているのか、身動き一つしないが、生きているのならそれだけでいい。
 そうか、志貴町は生きていたんだ。よかった…本当によかった。
「それよりも、黒魔が消えるぞ」
「ん……。あぁ、そろそろだろうな」
 トキの声に黒魔を見ると、腹部から広がった漆黒の闇が無数の触手を伸ばして、身体を吸い取っていく。

消滅きえろ……。白と黒だけの無限の世界に――」

 声ではない声を上げて、次々と吸い取られていく黒魔の身体は、漆黒の闇へと消えていった。
「終わったようだな。お疲れさんと、言っておこう」
「あぁ。さすがに、疲れた」
 その場に座り込んだ俺を、トキは相変わらずの目で見ている。
 そして、その腕に抱き抱えられた志貴町は、規則正しい息使いをしているようだ。

「彼女には悪いが……記憶を消させてもらう。それが、一番いい事だろうからな」
「そうだな。もっと早く消していれば……」
 ゆっくりと志貴町を床に下ろして、顔に手をかざしていくトキは、小声を色呪しきじゅを唱える。
 記憶を消す色呪――空白の呪。白の色を使う俺が得意とする呪だが、今の俺にはそれだけの力が残っていない。
 ここは、トキに任せていよう。
 本当は、何度も記憶を消すチャンスはあった。だが、それを躊躇ためらっていた俺がいる。
 楽しかった。久しぶりにトキ以外の奴と話した事が、楽しくてそれに甘えていた。その結果がこれだ。
「暫くすれば、彼女も目を覚ますだろう。ついでに、シロのしきも抜いておいた」
「すまん……」
「そう気にする事はない。それよりも、ここを逃げるぞ――そろそろ、騒ぎを聞きつけて人が来る頃だろうから」
 トキの声と同じくして、廊下に響く騒がしい声。残っていた先生達の声のようだ。
 確かに、これだけ大騒ぎしていれば、気付くだろう。結界は解けて、音が戻っている。
 俺の身体も黒が抜けて、いつもの肌色に戻っているから、しきの力が強制解除されたようだ。

「それじゃ、逃げるぞ」
「分かってるから、仕切るな。トキ」

 廊下の闇に向い走り出す俺達。その後ろでは駆けつけてきた先生達が、何やら騒いでいた。
 ――志貴町を頼みますよ、先生。
 心でそっと呟いた俺を、物言いたげな視線を投げ掛けて見ているトキ。
「お優しい事で……。白夜びゃくや
「け……。気色悪い呼び方するな、トキ」
 口角だけを上げて微笑んでいるトキの横っ面を叩いて、闇の中へと消えていく。

 黒魔との戦いに終わりがあるのか?
 以前から考えていた疑問だ。だが、それに答えが出る事はない。

 ――この世界に、人が存在する限り。
 ――そして、色が存在する限り。


 俺達は戦い続ける事になる。

 白い世界にひらひらと……。
 黒い世界にひらひらと……。
 交えて紡がれる色彩の旋律――


 それが、色操士しきそうしの宿命であるように……。
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