23、校内写生大会
世の中、災難なんていくらでも降りかかってくるものだ。
それはもう仕方ないこととして受け止めるしかなく、紅花だってわかっている。
でもなあ。
何も十三歳の誕生日にこんな目に遭わなくても。
そう思いつつ、目の前の化け物と対峙していて思った。
逃げようと思ったら逃げられたはずなのに。
どうしてこんな目に。
紅花は右手に抱えたクラスメイト古床を憎々しげに見て思った。
時は、その日の午前中にさかのぼる。
芸術の授業って好き嫌い大きいと思う。
校内で写生大会とか、ありえないと思う。
テスト週間前なので、大人しく教室で実習とかのほうがよっぽど堅実ではなかろうか。
「……」
紅花は気づいた。今、背後でなにも言わずに立ち去っている者がいることを。
紅花の前にある画板には、ごく普通によくある風景が描かれているはずだ。紅花の前には古びた趣のある図書館とそれを際立たせる木々、青い空にはぽっかりと白い雲が浮いている。
デザインとしてはそのまま切り取って額縁に飾ってもおかしくない、おかしくないはずだけど。
画用紙の上にあるのは、歪な楕円形の何かとシュークリームに棒を突き立てた何か、それとぐしゃぐしゃと紙を握りつぶして丸めたような何かだった。
一点透視図法、二点透視図法、知識としては習ったけど、そこにある地平は現代アートのようにカクカクとしている。わかっている、見る限り地平はゆるやかなほぼ直線だということくらい。
しかし、紅花が持つ右手の鉛筆は見たものを独自のフィルターにかけて線を描いていく。
結果、誰かが通るたびに足を止めて二度見する作品が出来上がっている。
場所変えようかな。
図書館はみんなも気になる題材のようで、けっこう周りに人がいる。ここ以外に人気とすれば、校庭のほうだろう。まったく面白みもないただのグラウンドが広がっていて、地面と空に二分すれば写生はほぼ九割完成だ。
それでも、紅花の手は前衛アートを描き出すだろうけど。
生まれる時代が早すぎた。
前の学校で、先生がくれた評価だった。
その割に通知表では評価されなかったところをみると、基準は一般向けらしい。
どうしようかな。
紅花は画板を持つと辺りを見回す。
校内で他にいい場所はあるだろうか。
温室とかいいんだろうけど。
だめだ、絶対に颯太郎とかぶる。
かぶった上に颯太郎のほうが確実に上手い。それが問題だ。
紅花は画板を持ったままふらふら歩く。時計を見るとまだ一時間目の半分も終わっていない。
これが半日続くなんて苦行に違いない。それなのに、皆、なに和気藹々としているのか不思議でたまらない。
と言いたいところだけど、わからなくもない。
女の子たちは数人ごとに仲良くおしゃべりしながら、描いている。
絵の上手い子の周りにいっぱい人が集まっている。
たぶん、ああやって仲がいい子がいれば楽しいのだろう。
残念ながら紅花にはいない。
慣れたと思っていたけど、遠足といったこういう行事があるたびに寂しく思わなくもない。
ここもやめとこ。
紅花は自然と人が少ないほうへと行った。
それでもまばらに人がいて、その中に見覚えのある影を見つけた。
ぽつんと絵を描くわけでもなく、ぼんやりしているのは古床だった。
目があうとなんだか気まずい気がした。
こういう人気のない場所にいる人たちは、大体一人が多い。
理由はいうまでもなく、和気藹々とした雰囲気が居たたまれないからだ。
いっそ颯太郎くらい単独行動が堂に入っていると、問題ないのだが、思春期の少女というとそういうわけにもいかない。
元々、同性受けが悪い上、先日颯太郎の件でごたごたあった。少女Aはあれについて恥をかかされたと思っているようで、いじめというほどではないがクラスの女子になにやら働きかけているようだった。
生憎、紅花のほうまでその伝言は届かなかったけど。
ある意味、自業自得といえばそうだし、ちょっとかわいそうだといえばそうかもしれない。だからといって、あまり立場の変わらない紅花なので、自分から話しかけるという気まで起きない。
彼女に気づかなかったふりをして、紅花はそこを通り過ぎる。
誰にも見られないような場所、どこがいいだろうか。
だけど、まったく誰もいないのは落ち着かない。
ふと、紅花の目に一本の木が目についた。
前庭にある木で、もさもさと葉っぱが生い茂っている。下には校訓が書かれた石碑があり、玄関にあるにふさわしい堂々とした大きな木だ。
紅花はふとその根元に行く。周りにはツツジが生えていて、座り込むと周りから見えなくなるだろう。
ちらちらと周りを確かめる。
誰も見ていないよね。紅花は画板を背負った。
紅花は地面を蹴ると、幹につかまった。洞に手をかけてそのまま身体を浮かせると、木の上を駆けあがる。
葉っぱに覆われた大きな枝を探すと、そこに跨った。
葉っぱの隙間から外を見る。
学園はちょっと高台にあるので、木に登るとかなり眺めがいい。
紅花は幹によりかかると画板を膝の上にのせる。
実にいい景色だ。
これなら少しはまともな絵が描けそうだと、鉛筆を持った。
いい景色を題材にしても、いい絵が描けることが実証されないことを痛感した頃、紅花はそれを見つけた。
校内にはうじゃうじゃとたくさんの生徒たちがいる。それでも、目についたのは、そこにある影が見覚えのあるものだった。
学校の側道にでようとしている。多分、生垣の隙間から身を乗り出しているのだろう。学園は基本、ぐるりと塀に囲まれているけど、そういう抜け出せる場所も無きにしも非ず。
さぼりかな。
画板の上に肘を立てて、紅花はそれを他人事のように眺める。実際、他人事だ。
誰も見ていないと思ってやっているんだろう。
残念でした、ここに木登りしていてなおかつ視力がやたら高いのがいますよ、と。
学校の近くはけっこう閑散としているが、何もないわけじゃない。田舎には田舎なりにお店はあるし、少なくとも校内で居心地が悪い古床にとってはそのまま帰るという手立てもあろう。
鞄はどうするのかねえ。
紅花は携帯を見る。時間は二時間目を終ったところで、あと写生大会が終わるまで半分ある。
どう見ても学校側は時間配分を間違っている。
上から見ると、絵を描くのに飽きて駄弁ったり、昼寝をする生徒がたくさんいる。
二時間目くらいでやめておいて、あとは帰宅すればいいのに。
そうだったらうれしい。今日は紅花の誕生日だ。若ママがケーキを買ってきてくれる。
朝からケーキ屋さんを回って、ホールケーキを根こそぎ買うのだ。
紅花だけでなく、若ママや愚兄、今年はちゃっかりニートもいるので、一人三ホールとして、十二個は買わないといけない。
毎年、近隣の同じ誕生日の人たちには迷惑をかけている。申し訳ないと思うけどやめる気はない。
ちなみに、テスト前とのことで、今日は午前中で授業が終わる。お弁当もいつもの半分しか持ってきていない。
紅花もそろそろ自分の絵に見切りをつけようかと悩むところだ。不思議だ。美意識はごく普通のものを持っているはずなのに、その右手はなぜシュールレアリズムの世界を描き出すのだろうか。
「……」
ここでそのまま目蓋を閉じ、静かな眠りにつけばそれでよかっただろう。無駄なあがきとしてもう一度、周りの景色と画用紙の絵を見比べるなんて不毛な行為をしなければよかっただろう。
現在、紅花はすごく後悔している。
なかったことにして、目を瞑るという手もあったはずだ。
それができないのがもどかしかった。
一体、何を見たかといえば……。
先ほど、古床が学校を抜け出した生垣に颯太郎がいた。そして、颯太郎は同じように学校の外に出て行った。
猫のような彼の気まぐれだと決めつけたい。
決めつけたいのだけど、そうもいかない。
颯太郎なら、あの生垣じゃなくても、もっと簡単に他の場所から学校を抜けられただろう。
古床は誰にも見つからずに学校の外に出て行ったつもりだろう。
紅花のように、高いところから異常な視力を持って眺めていない限り見つからないと。
颯太郎は、何はともあれ、多少なりとも不死者化している。虎ベースとして考えても、尋常ではない視力を持ち合わせているだろう。
プラスして、颯太郎は十中八九今までの時間昼寝、もしくはそれに準ずる行為をしていたはずだ。颯太郎の寝床は八割が木の上である。
そんな彼が、大切な昼寝の時間を惜しんで、学校の外に出る理由といえば。
見たんだろうな。
死亡フラグを。
なんだろう、古床って子は。
自業自得の面が強いとはいえ、どんだけ死亡フラグが付きまとっているわけだろうか。
もしかして、紅花と同類だろうか。
彼女がどうなろうと紅花にとっては痛くもかゆくもない。
むしろ面倒事がなくなるはずだ。
はずなのに。
颯太郎が追いかけたということは、そのフラグをぶち壊すためのはずだ。
なら彼に任せてしまおう。それがいい。それが賢明だ。それが簡単である。
そう思いつつ、紅花は頭を抱え、幹の上でごろごろする。ごろごろしすぎて落ちそうになり、慌てて木の枝にしがみつく。
ぜーぜーと息を吐きながら、真っ青な顔をして、なんとか息を整える。
颯太郎はフラグを折っていく。でも、彼一人でなんでもできるわけじゃない。
それがこの間わかったじゃないか。
颯太郎は厄介事に首をつっこむ。けど、そこに自分の心配はないんだろうか。
しかも、相手は古床だ。たとえ操られていたとして、一度殺されかけたことを忘れたといは言わせない。
今は不死化しているから、前みたいなことでは簡単に死なない。
それは紅花だってわかっている。わかっているけど。
紅花は前髪をかき上げる。頭皮に爪を立てる。いらいらしてそのまま髪を掻きむしる。
これは思春期だ、思春期だからと紅花は思う。
大人が作っている社会ですら、不条理に満ち溢れているのだから、未成年の紅花がそうであったって仕方ない。
別に、古床が心配っていうわけじゃない。
颯太郎が心配っていうわけじゃない。
どちらがいなくたって、紅花は困らない。困らないはずだ。
いや、困るかもしれない。颯太郎は紅花の下僕だ。颯太郎は紅花に借りがある。まだ、紅花は返してもらっていない。
それって損じゃないか。
でも、気が付けば紅花は木の下に飛び降りていた。たまたま近くを通りかかった生徒が目を丸くして紅花を見ている。
それがちょうどクラスメイトだったので、これ幸いにと紅花はもっていた画板を通りかかった彼に渡す。
「ごめんなさい。ちょっと早退するから、これ、かわりに片付けておいて」
「えっ、えっ!?」
意味がわからないという顔をする少年を後目に、紅花は生垣を目指して走り出した。