第八話 野球同好会1
ぱしっ、ぱし。
春めいた陽気の中で舞う桜の木の下。
赤い縫い目の白いボールが、散り行く桜の合間を縫って三角に飛ぶ音がする。
ここは柏原高校の裏庭だ。
昨日、延高の修羅場に行き当たっていけなかった場所では、三角形になり、キャッチボールに勤しむジャージ姿の男子生徒の姿があった。
「ごめんねぇ。せっかく見学に来てもらったけど、今日のメニューはほとんど自主練習に近い内容で。見ているのはつまらないかもだけど。」
僕と一緒にその光景を見ていたマネージャーである山田奈々子先輩は少し困ったような顔で僕達に微笑んでくれた。
小柄な身長のちょっとおっとりとした印象の二年生だ。肩より少し長いくらいの髪がかすかに揺れた。
「いいえ。そんな!先輩が謝ることじゃないですから。」
きりりとした顔で、標準語をしゃべる茜井がなぜか僕の隣にいた。何でついてきたのかは不明だが、とりあえず僕は目の前の光景に驚いて二の句を告げない状態だった。
目の前でキャッチボールで汗を流している先輩方は三人。この場所に着いたときには練習が始まっていたので途中で話しかけることも出来ずに、そば佇んでいた山田先輩に声を掛けたのだ。
「あの、山田先輩?」
僕は目の前の光景に釘付けになりながら、横の小柄な先輩に話しかける。その顔が引きつっていないかが心配だ。
「ん?なにかな?」
「これで部員全員ってなんですか?」
「え?まさかぁ。」
きゃらりと先輩が笑う。
「そうですよね。もちろんですよね」
野球は一チーム九人で戦うスポーツである。ナイン。つまり明らかに人数が足りない。これではゲーム自体が出来ない。
「同好会って五人以上会員いないと設立できないもの。他に名前だけ貸してもらっているだけの幽霊部員が二人いるわ。一度も練習に来たことないわね。それから旅に出ているのが一人。一応それで、書類上六人よ。」
幽霊部員はともかく旅ってなんですか?一体。
にっこりとそんな発言をされ、僕は固まった。
「ま、実際に活動しているのはそこにいる三人だけ。今の野球同好会のメンバーは実質私を含めて四人と言っても差し支えないかもしれないけどね。」
山田先輩が可愛い顔をして、僕に痛恨の一撃を連打してくる。本人気付いてなし。
「ほら、小野寺いうたやろ?柏原に野球部はないて。」
こっそり横から茜井が無駄に胸を張りながら、山田先輩に聞こえない小さな声で耳打ちしてくる。にやりと笑う顔をどつきたい。
そう。柏原に野球部はない。ここにあるのは野球同好会。部以前の団体だ。
僕は空を仰ぎ見た。野球部の噂は聞かなかった柏原。そりゃそうだ。存在自体がないのであれば、噂なんて流れようもない。
清ちゃんから野球を柏原の野球部について、『野球をやっている団体は裏庭でしている』という情報だけもらっていた。それが同好会だとは知らなかった。
いや考えてみれば、正式な部であれば裏庭何ぞで、やるわけはない。
僕は練習風景から、かすかに視線をずらして裏庭を見た。
体育館の裏に位置するそこは十分なスペースがあるとはいえなかった。
地面には雑草が生えているからグランド整備がされている様子もない。
今やっているようなキャッチボールくらいならできるかもしれないが、バッティング練習などは絶対に無理だ。
バッティング練習が出来なければ、守備練習も出来るわけがない。
そんな不完全な練習場所が、曲がりなりにも学校公認の部活動にあてがわれるはずがない。
同好会だと言うことにも頷ける。
さらに、目の前で繰り広げられるキャッチボールを見て頭痛すらしそうだ。
ヒョロイ。いったいこの球速のキャッチボールで本当に練習になっているのか、わからないくらいだ。
「よーしっ!この辺でキャッチボールはこの辺でいいだろう!」
意識を飛ばしそうな悲惨な練習風景を見ていると途中で、キャッチボールをしていたうちの一人の男子生徒が自分の取ったボールを次に投げずに、練習を止める。
僕より少しだけ背の高い、山田先輩が、主将の海棠先輩だと言うことを教えてくれる。
「それじゃあ、次は…。」
こちらに気付かず、練習メニューを続けようとした海棠先輩に山田先輩が声を掛けた。
「海棠君。ちょっといい?」
「?なに、奈々子…。って、あれ見ない顔だけど新入生?もしかして入会希望!?」
山田先輩の横にいる僕らに気付いて、ぱっと明るい顔を向けてこちらに走ってくる。
それに習ってか、他の会員の先輩達も集まってくる。
「焦らないで。まだよ。一応見学希望だけど、入るかはまだ未定。」
一応僕は茜井に件の爆弾発言を聞いた後、真偽を確かめるためと、どうせ入部するために行くつもりだったから、ダッシュでこの場所に来た。ついでになぜかそれについてきた茜井が勝手に二人分の見学を山田先輩に申し出たのだ。
「そっか。でもよくこの場所がわかったね。同好会はクラブ紹介も出来ないのに。」
そう言えば、二日前に行われた体育館でのクラブ紹介が行われたことを思い出す。既に僕は入る部を決めていたつもりだったので、会場内では他に気付かれないように爆睡していた。そうか、同好会は発表なかったんだな。
「友達に、ここで野球の練習をしていることを聞いていたので。」
「へえ、目ざとい人だね。ここ、あんまり人が通らないから、今年の一年生は誰も野球同好会のこと知らないかと思っていたよ。」
あっけらかんと笑う海棠先輩に呆然とする。それでいいのか?人数が少ない割には危機感がない。勧誘しなくて大丈夫なのだろうか?
「そう言えば、君達、名前まだ聞いてなかったね。聞いていい?」
山田先輩がおっとりと笑うと、瞬間茜井が嬉しそうに声を上げた。
「茜井省吾って言います!よろしゅう!山田先輩!」
その勢いに驚く山田先輩。周囲の先輩方は苦笑いした。
「おーい。茜井、だっけ?山田は既にこの保のお手つきだよ。今更アタックしてもむだだからやめとけ。」
海棠先輩の左となりから顔を出した坊主の先輩が海棠先輩を指差し、笑いながら茜井に忠告する。
それにがーんと自分で言いながらショックを受ける茜井。
だんだんこいつの特性が判ってきた気がする。…まったくもって嬉しくないが。
「お手つきって。長井、お前幾つだよ。」
少し顔を赤らめて海棠先輩が長井と呼ばれた坊主の先輩の顔を睨む。
みると、山田先輩も少し顔を赤らめていた。そうか、この二人付き合っているのか。
ある種どうでもよい情報だな。
勝手にじゃれ合う先輩方に完全に置いてけぼりを食らっていると、もう一人の先輩が長井先輩に同調する。
「まあまあ、最初に言っておいたほうが、後でわかるより痛手が少ないだろうが、それよりそっちの背の高いほうはなんていうんだ?」
なんというか。非常に印象深い先輩だった。髪は、染めるのは禁止だから、地毛なのだろう。明るい栗色の猫毛に優しげな同色の瞳。背は僕より、茜井よりさらに低い。
女子と混ぜてもわからないくらいの女顔なのに、腰が砕けそうなハスキーボイス。
ばっさばっさの睫はお人形さんみたい。なんなんだろう?この無駄張りの色気は。
男の人だよな。ジャージの色、紺色だし。男女でジャージの色が違うから間違いようはないはずだ。
度肝を抜かれて思わず、呆然と見つめると、長井先輩がその先輩の肩に手を置いてにやりとした。
「おお。佐助。早速、一年生に信者を増やしているのか?にくいな、この。」
「うるさいよ。長井。で?なんて名前なんだ。」
「えっと。その。」
あんまり度肝を抜かれすぎて、思わずしどろもどろになる。清ちゃんで綺麗な外観の子には耐性あると思っていたのだが、この圧倒的な美貌を前に気おされずには要られなかった。
するとはっきりしない僕の様子に佐助と呼ばれた先輩の眉根がぴんと上がった。
「はっきりしないね?自分の名前もいえないのか?男の癖に。」
最強の美貌の人の怒り顔は迫力がある。僕は思わず怯えてしまった。ひいい!
隣で、茜井も流石に硬直しているみたいで、二人の後輩の気配を悟った海棠先輩が助け舟を出してくれた。
「まあ、篠崎。お前に睨まれたら言えるものも言えなくなるって。そうだな、先に僕らの名前を名乗っておいたほうが、言いやすいかな。」
そう言うと海棠先輩が、それぞれの名前を紹介してくれる。
「俺は海棠保。ここの主将をしているよ。そっちの坊主が長井大輔。副将だな。そっちの綺麗系が篠崎佐助。皆二年生だ。」
「入っても入らなくても、よろっしく!」
乗りよく長井先輩がウインクを投げてよこす。ある種それも怖い。だが、怖がってばかりいられないから、僕も漸く自己紹介すべく口を開いた。
漸く、野球部出てきましたあ。あ、同好会か。
野球がテーマのはずなのに遅い…。
なかなか濃い面々。
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