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第六話 屋上にて
鉄製の扉を開けると風が吹いてきて、僕の短い髪をくすぐった。
まだ四月の風は若干冷たかったが、春らしい陽気のおかげで気持ちよく脇を通り過ぎていく。
空が見える。そこは学校の屋上だった。
「わあ!空が近い!」
思わず歓声を上げると、後ろで扉を閉めていた清ちゃんの苦笑の声が聞こえた。
「くす。勝美、子供みたいですわね。」
ちゃりんと、その手の中で鍵が音を立てた。
普通は屋上は立ち入り禁止。だけど、特別にと、清ちゃんが借りてきた鍵で僕達はそこをお昼の場所にすることに決めたのだ。
普段立ち入り禁止だから、人も来ないしね。
穏やかな風が清ちゃんの髪を撫でていく。
笑う清ちゃんは綺麗で可愛い。可愛いんだけどね。
「き〜よちゃ〜ん。」
僕は少し睨みを利かせた視線で清ちゃんを見た。清ちゃんの顔が驚く。
「なんですの?」
「な・ま・え。間違えないでよ。僕は今、巽だよ。」
僕は清ちゃんに見せ付けるみたいに、腕をいっぱいに広げて学ランを見せるように胸を張る。ちょっと、だぼつく黒い服。今の僕は小野寺巽。性別男だ。
お父さんの、巽の夢をかなえる為に、巽と偽ってこの学校に来た。
女である小野寺勝美ではどうやったって甲子園を目指すせない。だから、僕は巽の名前で学校に来ている。
目的はただ一つ。甲子園への出場だ。
僕だって、それがそう甘いもんじゃないことはわかっている。それでも、お父さんに自分の子供が甲子園に向かって努力した姿を見て欲しくて、そして願わくば、甲子園へ出場した姿を見てもらいたい。
本当は巽が推薦入学をもらっていた野球の超名門校、鴫が原しぎがはら高校にいければ、甲子園出場の可能性もかなり高まるのだが、選手層の厚い鴫が原では一年生がベンチ入りするのも難しい。
余命があまりないお父さんが巽の高校野球姿を見れる前に死んでしまう可能性があるため、僕はこの柏原高校に来た。
野球が強いとは一言も聞かない学校だが、清ちゃんのおじいさんが会長を務める越前グループの傘下にあるため、清ちゃんが一声かければかなり内部に融通が利く。女である僕が事故のことを隠して兄、巽に成り代わるという正直無茶すぎる方法を取れたのもこの学校であったからだ。
この学校で僕の正体を知っているのは、僕を推薦入学させてくれた理事を務める清ちゃんの叔父さんと清ちゃんだけ。叔父さんは経済面を支援しているが、学校本体に関わる仕事をしているわけじゃないので、ほとんどこの学校にはいない。そのため実質清ちゃん一人だ。それ以外はまったく僕、勝美を知らない。
この学校では僕は巽としてクラスメイトにも接している。それなのに共犯者たる清ちゃんが僕のことを巽と呼ばないのはおかしく思われる。決してばれてはいけないことだ。
「あ…。ごめんなさい。つい。」
清ちゃんが気まずそうに目を伏せた。まあ、清ちゃんにとっては彼氏の名前。妹とはいえ彼氏の名前で僕を呼ぶのは躊躇いがあるのだろう。
巽は今、清ちゃんの家にいる。お手伝いさんもいる大きなお屋敷。片目の視力が急に低下したせいで、体調が優れないことが多いから、家に一人では置いて置けなかった。僕も看病したかったけど、学校に行って部活をしてお父さんの世話をすることで、きっと一杯になる。入院させることも考えたけど、今の巽の姿を同じ病院にいるお父さんに見せたら、すべての計画が水の泡だ。だから、たまに検診に行く以外には病院に近づかない。辰巳はお父さんにも会えない。
それに僕が巽に成り代わっているから、巽は学校にも行けない。一人で外にも出られない。
幸いなのか何なのか、外面のいい兄は清ちゃんの両親にも気に入られているようだ。
半年。今年の夏が終わるまで。多分お父さんに高校野球している姿を見せられる刻限だ。
夏が終われば甲子園への夢もつぶれる。来年はない。
それまで巽にも無理を強いる。
清ちゃんにとっては誰よりも好きな人だ。そんな巽にひどいことをしている僕はひどい奴だと自覚している。そしてそんなひどい人間を巽の名前で呼べといっている僕は本当に自分を自分で引っ叩きたかった。
だが、それでも、言わなければいけない。
僕はそっと彼女の手をとった。
「無理を強いているし、清ちゃんにはすっごく我侭を言っている。でも、ごめん。我慢して。」
僕は清ちゃんの手を握りこんだ。
本当は友達の清ちゃんにこんなこと頼める義理もない。
無茶を言って我侭聞いてもらってすごく迷惑をかけているのもわかっている。
清ちゃんのお金持ちを利用している、最低な行為だ。
でも、僕はまだ子供だ。一人で巽もお父さんも守れない。願いなんて叶えられない。
今は清ちゃんにしか頼れない。
「ごめんね。ごめんね。」
ただ謝るしか出来ない。この先この恩を返せるかどうかもわからない。
そうしたら、握っていた清ちゃんの手がかすかに握り返してくれた。
「いいんですのよ。勝…いえ、巽。私の使える力が少しでも貴方達の役に立つならこれほど嬉しいことはありませんわ。」
「………。」
「私の周りには私の持つ財力を利用しようとする輩しか、近づいてきたりしませんでしたわ。私が築いたものを、私自身をなど何一つ見ようともしないで。私の後ろばかりを見て、それを利用しようとする人間しかいなかった。
…でも貴方達は最初から違った。私を対等の友人として扱ってくれた。それだけで貴方達の窮地を助けるには十分な理由になる。」
「…清ちゃん。」
僕は思わず泣きたくなった。だが、ぐっと堪える。泣くような場面ではないから。
清ちゃんが背伸びしてこつんとこちらの額に額をつけてきた。伝わる体温がくすぐったい。
「巽は私のことをそのように呼びませんわよ?」
「っ!…清美。ごめ…。」
「巽はきっと謝りもしませんわよ。あの人、基本的に謝らないでしょ?変なところで意固地だから。きっとこういうのですわ。」
ありがとう。
友達だから、力を貸す。対等である証拠に、謝罪よりも感謝の言葉を。
「…ありがとう。清美。」
「…よく出来ました。」
清ちゃんはお姉さんみたいに、自分より高い位置にある僕の額にかかった髪をくしゃりと撫でた。
屋上の〜♪
春風に吹かれて〜♪
ゆり気分〜♪
…うそです。ごめんなさい。
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