第五話 痴漢?
「おーい、小野寺!」
昼休み。お昼を清ちゃんと約束していたのでいそいそとその場所へ向かう途中、
学校の廊下を歩いているときにどこか鉛のある声に呼び止められて、僕は振り向いた。
「…?」
おそらく僕の名を呼んだであろう男子生徒の姿が目に入る。
だが、知らない顔に頭にはてなが浮かぶ。誰だろうこの人。
息を切らせて、僕の前で止まる。やっぱり僕に用があるらしいが、僕には彼が誰なのかわからず、思わず彼の顔をまじまじと見つめる。
短い黒髪に三白眼気味の釣り目の男子生徒だ。
女子にしては背の高い僕より若干背は低い。まあ、僕が規格外だから十五歳の男子生徒としては割りと平均的な体つきの男子だ。だが、やっぱり見覚えのない顔だな。
「…なんや?もしかして俺が誰だかわからん?」
あんまり見すぎてせいか、どうやら視線の意味を悟られてしまったらしい。だが間違いではないから、頷く。
「うわっ!そりゃないわ!同じクラスやのに!」
大げさに顔を顰める男子に驚く。同じクラスだったのか。
「え!?ご、ごめん!」
昔から人の顔と名前を覚えるのは苦手だった。昨日の延高くらいインパクトのある人間ならともかく、クラスの人間全員の顔と名前を覚えるにはあまりに日が短い。
だが、顔を顰めた割には、その男子はすぐに気を取り直した。
「まあ、仕方ないなぁ。俺、延高や小野寺みたいにインパクトあらへんし。すぐには覚えられへんか。」
「え?僕?」
延高ならわかるが、僕がインパクト?
まあ、確かに背は高いけど、さほどインパクトのある顔だとは思わないけど。
「そんなことは横に置いといて。…それよりさ。ちょっと相談があるんやけど。」
どこか悪巧みしてそうな顔で早速用件を切り出そうとした男子を僕は手で制した。
「ちょい、待って。その前に君の名前教えてよ。誰だかわかんない人間と話していると思うと気持ち悪い。」
「え〜。クラスで自己紹介したやん。結構周りに受けてたと思うとったけど、俺もまだまだ修行が足りへんと言うことか。ま、ええ。再び自己紹介したろうやないか。」
訛りの強い台詞回しで、なぜかその男子は踏ん反り返り、かっこつけているつもりかびしっと親指を突き出して高らかに名乗った。
「俺の名前は茜井 省吾。関西生まれのごっつ男前や!覚えとき!」
「……はあ。」
僕は溜息とも呆気ともつかない息を漏らした。一体なんなんだろう?
昨日の延高といい、この茜井って男子といい。この学校の男子ってどうしてこう変な人が多いんだろう。本当に進学校なのか少し怪しみ始める。
脱力しながら疑心暗鬼にかられる僕に茜井が人指し指をちちちっと振る。
「せやないやろ?そこは『男前なんて自分でユーな!』とか言って突っ込むところやん。ほら、も一回いくで。」
「えー。」
わけのわからない突っ込みと指導に声をあげる。本気でわけがわからない。
「えー、やないわ!漫才におけるボケと突っ込みはオーラルコミュニケーションの基本やろ!」
「いや、本気でわけがわからないし。てか、いつ漫才したのさ!?」
思わず突っ込むと、茜井がぐっと親指を立てた。
「おお!その調子や!そう言う風に間髪いれずに突っ込むんやで。」
いやいやいや。グッジョブとか言われても!わけわからんですよーーー!
僕は混乱する頭を落ち着けるために一度深呼吸をして心を落ち着けた。
すーはー。…よし。
そんな僕の様子に茜井が不思議そうな顔をしている。
「なんや、血圧上がったか?またカロリー高いもんばっかり食べとんのやろ?あかんで〜、その年でメタボか?」
その言葉に又突っ込みたくなるのを感じたが、グッと堪える。
「…それより茜井…くん?僕に何か用なわけ?」
一瞬自分が呼び捨てにされていたので茜井もそうしようかと思ったが、相手の了解もなしに呼び捨てるのは気が引けたので、君付けで呼ぶ。
「ああ、茜井でいいで。呼び捨てたって。そや。俺は小野寺、お前をスカウトしにきたんや。」
茜井が含み笑いのあくどい顔をこちらに向けて、にんまりとした。
「相方にはならならないから。他あたって。」
間髪いれずに速攻お断りする。
すると、茜井が盛大に後ろに向かってこけた。
おお!これが伝説に名高い、関西人がよくするというよし●とのこけるというやつだろうか。
だが、一応場所を考えたほうがいいと思う。人が大勢歩く廊下では埃も多いし、お昼休みの前半で廊下には人通りが少ないがないわけじゃない。誰かに踏まれても文句は言えないと思うぞ。
「勝美!」
ごすっ!
「ぐきゃっ!」
お約束というか案の定というか。
突然現れた人物に床に転がっていた茜井は狙いあまたず顔面を踏まれ、つぶれたヒキガエルのような声が聞こえたが、僕は無視した。
茜井を踏んづけ、いや、そこに現れたのは黒髪の美少女、清ちゃんだった。
「清ちゃ…、あ。いや、き、清美。」
思わず清ちゃんといいそうになって、慌てて呼びかえる。今の僕は男の子。女子である清ちゃんをあだ名で呼ぶのはちょっとおかしいかなと思ったし、巽も清ちゃんなんて呼ばない。巽に習って名前を呼び捨てる。言い慣れない名前に気恥ずかしい。
だが、僕の様子なんて気にしないで清ちゃんが腰に手を当ててお姉さんみたいに怒った。
「もう!勝美ったら、何を油を売っているのかと思えば、こんなところで。早くお昼食べないと休み時間終わってしまいますわよ?」
どうやら、なかなか待ち合わせに来ない僕を心配して見に来てくれたらしい。
「ご、ごめん。ちょっと捕まってて。」
「捕まる?…一体誰にですの?」
「清美の踏んづけてる人。」
「踏んづけ…?きゃあ!」
気付いていなかったのか、清ちゃんが驚いたように茜井の上から飛び降りて、こちらに抱きつく。
「…なんか柔らかいリノリウムかと思っていましたけど。」
いや、それはいくらなんでもないでしょ?とは思ったけど、あえて突っ込まない。ええ、突込みではないから突っ込みませんとも。
「……うう…ろ…。」
「?…どうした。茜井?」
なにか呻いている茜井に耳を澄ます。
「…し…ろ、レース…。」
少し顔を赤くしながら呻く言葉を聞いたとたん、清ちゃんが顔を赤くしてスカートを抑えたのを見て、その意味を悟る。
ごすっ。
「ぐぎゃあ!」
とりあえず、足を顔面に突き刺しておく。人の下着を覗く痴漢行為は不可抗力でも許しません。
今度こそ白目を向いて倒れ付す茜井。
「…とりあえず、鉄拳(?)制裁。オケ?清美。」
「…許します。」
顔を真っ赤にしているが、女王様みたいな威厳を持ってお許ししてくださった。
可愛い。清ちゃんは可愛いなあ。
「じゃ、用もないし、お昼行こうか。」
「…この人放置しておいてもいいんですの?」
「痴漢に情けはかけない。」
すっぱり切り捨て、僕は複雑そうな顔の清ちゃんを引っ張ってその場を後にした。
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