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第二話 病院の待合室
「ぶっわはははは、あははははははーーーーー。」
病院の待合室に馬鹿笑いの声が響く。
ここは小早川第一病院の外科病棟の待合室だ。そして僕の目の前で笑い転げているのが僕の兄、小野寺巽おのでらたつみだ。
少し癖のある黒髪につり気味の瞳。決して美形とはいえないが、愛嬌のある顔立ち。僕と同じ顔。体格もほぼ同じ。一緒に生まれた双子の兄だ。僕達の違いは服装と巽が着ける眼帯くらいだ。そっくり。時々両親ですら、どちらがどちらか間違える。
あまりの馬鹿笑いに通りかかった看護師さんから注意を受ける兄を尻目に僕は溜息をついた。
僕はあの、口に出すのもおぞましい出来事の後、一目散に向かったのがこの病院だった。
そこで偶々検診に来ていた兄と出会い、今日の顛末を話したのだが。
「あは、ひゃははは…、はー、腹痛い…。」
涙を貯めて笑う兄に僕は流石に仏頂面になった。
「笑い事じゃなーーーい!突然、頬にむっちゅっと…ぐあああ!思い出しただけでも鳥肌が!?」
ぞぞぞ、と身震いする僕に、巽はまだ笑いを堪えている様な顔を向けた。
「いや、はは…。ふう。大変だったな。…その、ぷっ…お前、その姿のときに男に…ぶぶっ!」
また壺に嵌ったようにこちらを指差しながら笑い出す巽。失礼な。
だが一度笑い出した巽に何を言っても無駄だと悟り、僕は自分の姿を見下ろす。
別におかしなところはないはずだ。黒の普通の学生服。へんなところなど何もない。
見えている部分は。問題があるとするならば、この服の中身だろう。
「…はあ、しんど。お前といると、笑い死にそ。」
漸く笑いが収まったのか、巽が涙目でこちらを見る。失敬な。
「別に巽を笑わせたくてひどい目にあっているんじゃないよ。偶然、偶々、運悪くだ!」
本当になんてアクシデントだ。ひどい目に会った上に、今日やるはずだった予定すべてパーだ。今更学校に戻っても、野球部は既に練習を終えて部員は帰っている。どの道今日の予定は完全に未消化に終わってしまった。
「はあ、時間がないのにな。」
頭を抱えていると、僕の頬に巽が手を差し入れてきた。驚いて兄の顔を見ると先ほどとは違い、心配そうな表情にぶつかる。
「だが、お前。その格好のときにそんなことされるなんて、やっぱり無理なんじゃ…。」
そろりと撫でられる頬の温かさにささくれだった気持ちが落ち着く。昔からそうだ。普段はあまり意識しない兄弟関係を思い出す。腐っても兄か。
「…大丈夫だよ。ばれているって感じじゃない。それに多分今後も深く付き合うような相手でもないし、関係ない。どうせ半年。うまくやれるさ。」
微笑んでやると、巽はどこか情けない顔をする。
「…苦労かけるな。」
「それは言いっこなしでしょ?」
頬に添えられた手のお返しに、巽の頬を軽く抓る。
「っぶ!」
少し崩れたその顔に今度はこちらが噴出し、今度は巽が仏頂面した。
「あにすんだよ。」
「いや、お兄ちゃん。面白い顔だと思って。ぶぶ。」
「同じ顔だろうが!うりゃ!」
「ぶひゃっ!」
今度はこちらの頬を抓られる。両頬を引っ張られて、痛さに思わず涙目になる。
「ひひゃいひひゃい!」
「ふはははは!俺様の顔よりこっちの方がきっとずっと面白かろう!ほうれ、ほれ。」
「ひゃび〜。」
そのとき僕達はお互いにじゃれることに夢中で背後から近づく影に気付かなかった。
「巽。勝美をいじめるのはおやめなさい。」
ずびっ、と巽の頭に片手チョップが決まる。
「いてえ!」
盛大に痛がる巽の背後に紙袋を抱えた黒髪美人が立っていた。見覚えのあるその姿に僕は彼女の名前を呼んだ。
「ふわ、清ちゃん!」
越前清美。僕の親友にして、日本屈指のお金持ち越前グループの会長を祖父に持つお嬢様だ。
「勝美。さっき振りですわ。」
春先らしいパステルカラーのコートに黒く胸の上くらいまでのまっすぐな髪。黒目がちな濡れた瞳が艶やかに微笑む。
妖艶に笑う顔はとても同い年とは思えない艶っぽさが感じられて思わず顔に血が上る。同じ高校で同じクラスなので今日の昼にももちろん会っていたのでさっきの台詞だった。
「いってえな!清美!それが、彼氏に対する態度か?襲うぞ。こら。」
ごすっ。
合気道、空手、あわせて十段の清ちゃんの拳が巽の顔に直撃する。
その見事さに惚れ惚れする。僕のにわか仕込みの拳も彼女仕込だ。
「おほほほ!そう言う口は人気のないところでほざけと言っているでしょう。」
お嬢様とは思えないぐりぐりと、巽の頭を押さえつけている清ちゃんの顔は耳まで真っ赤だ。
この二人が付き合いだしたのは本当にほんの二週間前くらいだ。
ずっと巽のことが好きだったのは知っていたし、ずっと応援もしていたけど、極度の恥ずかしがりやの清ちゃんはなかなか思いの素直な伝え方を知らずに、ずるずると幼馴染の関係だけが続いていた。
今も付き合い始めたといっても、彼氏彼女という言葉がひどく恥ずかしいらしく照れ隠しに巽に当たっていたりする。微笑ましいことだ。
あの事故が原因だったにせよ、今二人が付き合いだしたのは単純に僕にとっては嬉しいことだった。
「…勝美も。そのにまにま笑いは止しなさい。」
顔を真っ赤にしている清ちゃんは可愛いな。だが、あんまり意地悪しているわけにもいかない。
「ごめんごめん。ところで、その紙袋頼んでた奴?」
「…勝美。兄に対する心配はなしかい?」
巽がしくしくと目に手を当てている。うそ泣きなのはわかっているので無視する。
「そうですわ。これ。適当に持ってきたのだけど、良かったかしら?」
受け取った紙袋の中を確認する。
「うん、大丈夫。ありがとう。」
望みどおりの中身に、相変わらず隙のない彼女の仕事を見て笑いかける。するとほっとしたように清ちゃんの顔も綻びる。
「さて、僕はそろそろ行くね。遅くなるかもだから、巽は出来れば、清ちゃんが送ってって。」
「ええ。もちろんですわ。」
そう言う清ちゃんの顔は未だに赤いが幸せそうにとろけていた。
その顔に最近あんまりいいことのない身の回りで起きた一番幸せで最高な姿。
僕も嬉しくて微笑んだ。
「じゃ、言ってくるね。」
立ち上がり、紙袋を持っていこうとすると巽が僕を呼び止めた。
「勝美。」
「?なに?」
「…その。」
言いにくそうに言いよどむ巽の顔が情けなくて、胸が締め付けられて、思わず泣きたくなった。だがその心を押し隠して、僕は微笑んだ。
「お父さんの様子はちゃんと報告するからさ。家で心配せずに待っててよ。」
僕はそれだけ言って、巽に背を向けて走り出す。本当は病院の廊下を走ってはいけないけど、走って巽の視線がなくなったところで、立ち止まった。
胸がずんと重い。この感情の正体はわかっている。罪悪感だ。
巽に、ここ最近の出来事で一番傷ついている巽に一番ひどいことをしている。
わかっているけど、これしか方法なかった。
僕が泣いていい問題じゃない。
僕は気を取り直して紙袋を持ったまま、一番近い手洗いに入っていった。
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