足音
ドタドタドタ
こんなにいい物件他にないんじゃないだろうか。
ドダドタドタ
部屋に入ってからすぐにキッチン8畳、その奥にはフローリングのリビングが8畳。バストイレ別だし、ベランダは広いし、インターホンもついてる。
ドダドタドタ
6階建ての5階に位置して、エレベーターもついてる。これだけの好条件で家賃は共益費、駐車場代込みで月々4万円。
なぜこんなに安いのか購入前に確かめたが、ここで自殺したものがいる、とかでもなく、法に背く職業柄の方々がいる、というわけでもなかった。単純に築20年ということと、脱衣場がないから女の子受けがよくないから、ということだった。
でも今時もっと悪い条件で築20年なんていくらでもあるし、俺は女の子じゃないから、二つ返事で快く契約した。
ドダドタドタ
そんな空間にテレビや勉強机、ロフトベッドなどを揃えて、住みやすい空間をお手頃な価格で手に入れた。
こうして俺は夢の独り暮らしキャンパスライフを素晴らしい物件で送ることになるはずだった。
ドダドタドタ
「この足音さえなければなっ!!」
ドンッ
俺は思いっきり天井に向かって蹴りを入れる。
ロフトベッドから天井まではそれほどないので、力を全て天井にぶつけることができ、大きな音が響く。
一瞬の静けさ。
ドダドタドタ
「い・い・加・減・に・し・ろっ・て・のっ!!」
一言ごとに力一杯の蹴りを入れる。
ここ数日、この足音に悩まされている。いや、足音自体は俺がこの部屋に越してきた時から聞こえていた。真上の階に住むのは親子、しかも子供は小さかったはずだから子供が走り回るのはしかたないだろう。
だがここ数日の足音は以前の比ではない。ひっきりなしにドタドタと音がし、今みたいに蹴りを入れてもすぐにまた音がする。何より今は夜中の二時だ。こんな時間まで子を遊ばせるなんて、親としてどうなんだ。
ドタドタドタ
「だからうるせぇっつってんだろっ!!」
バンッ
今まででも最も大きな音がする。その後の静けさも今までで一番長いものだった。蹴りを入れた右足も痛いが……。
「……ようやく静かになった。
ほんとどーなってんだよ」
俺は消灯し、横になる。
エアコンの風を直に受けて風邪をひかないように薄い掛け布団を腹にだけ掛けて、瞳を閉じた。
ピーンポーン
「はぁっ!?」
思わず声を出して起き上がる。
間の抜けた呼び鈴は間違いなく俺の部屋に鳴り響いた。俺が信じられなかったのはそこじゃない。今はすでに深夜2時。今日は友達も呼んでない。こんな時間に訪問してくる不届き者がいるのか。
「……無視だ、無視」
俺は腹に掛けていた掛け布団を引っ張り顔を埋める。
ピーンポーン……ピーンポーン……ピーンポーン
「だぁっ!! うるせーなっ!!」
ようやくあの足音から救われたと思ったら今度はピンポンラッシュかよっ!?
俺は掛け布団を蹴り飛ばし、電気をつけ、ロフトベッドから駆け降た。
ロフト下の勉強机の時計を見たが、やはり時刻は2時5分。俺が寝過ごしてるわけでもない。
段々と怒りが募り始め、どかどかと音を立てて歩く。リビングとキッチンを仕切る戸を開け、キッチン側の電気をつけ、インターホンに向かう。
「っと危ない。エアコンつけてるんだった」
俺は引き返して、戸を閉め、再びインターホンを見つめる。
男が1人が立っていた。
周りに強い明かりもなく、その男の服装や見た目はわからなかった。この暗さでは誰だか検討もつかない。
その男はうつ向いてるいるようにも見える。
「……誰だよ。こんな時間に」
とはいえ、何度も呼び鈴を鳴らし、ここに立ち尽くしているということは、イタズラでもセールスでもないだろう。
ピーンポーン
「……どっちにしろ出とかないと、ずっと鳴らされそうだな」
俺は意を決して、玄関に向かった。
深呼吸をした後に、チェーンロックをし、鍵を開ける。
ゆっくりとドアを開けながら、わざと眠そうに目を擦りながら、相手を見る。
「……こんな時間になんですか?
あっ……」
僅かな隙間から覗けたその顔は、俺の真上の部屋に住む家族の亭主のものだった。休日たまに、家族で買い物をしているのを見るから間違いない。
その表情は固く、普段以上に縮こまっていた。
ようやく謝りに来たのか……。まあそれならこの時間に来るのも頷ける。すぐに謝罪しようとしてくれたのだろう。
「この真上に住まれてる方ですよね?
どうなさいました?」
男はさらに小さくなり、震えだす。
「……さい」
「えっ?」
男の声はとても小さく、思わず聞き返してしまった。すると男は、肩を震わし、息を荒くし始めた。
「静かにしてくださいよぉっ!!」
「はぁっ!?」
予想外の発言に素っ頓狂な声がでた。
男は必死に涙を流しながら、こちらに訴えかけてくる。
今この男は何と言った?
静かにしろ? 俺に?
「ふざけんなよっ」
怒りのあまり言葉が漏れだしていく。
「毎晩毎晩ドタドタドタドタドタドタドタドタッ!!
こっちは寝れなくてイライラしてんだよっ!!
自分の息子の面倒ぐらいちゃんと見ろよっ!! 」
こちらが捲し立てると、男も拳をわなわなさせ始める。
「いい加減にしろよっ!!」
突然の大声に一瞬怯む。が、どう考えてもこれは逆ギレじゃないか。俺の中に更に怒りが募っていく。
「あなたが何を勘違いしたのか知らないですけどねぇ……僕の、僕の息子は……5日前に、し、死んだんですよぉ」
「なっ!?」
思考がフリーズする。今こいつはなんて言った? 死んだ? 誰が?
「交通事故でね。だから、僕も妻もずっと泣き続けてるんですよ。もちろん走り回ったりするわけもありません。
あなたが何を言ってるのかわかりませんけど、そんな悲しみの中、毎晩毎晩騒音に悩まされてるのはこっちなんですよっ!!
いい加減にしないと次は警察呼びますからねっ!!」
一頻り叫ぶと、男は立ち去っていった。少し経ってから上の階の戸が開く音がしたので、恐らく自分の部屋に戻ったのだろう。
俺も放心しながらもドアを閉め、施錠する。
言葉に詰まった。
男の言葉に嘘はないように思えた。あの男が普段からあんな風に怒鳴る人間には見えないし、あの涙は本物だった。でもだとすると理解できなくなる。
息子が死んだ? 真上の部屋の? じゃああの足音は誰の……。
別の部屋? ありえない。この部屋の上の階が最上階だし、あの音の直接響く感じはどう考えても真上からのものだった。
となると俺が聞いていた足音は一体……。
タッタッタッタッ
俺は息を詰まらせた。
また足音が聞こえる。だがいつもとは違う。響いた音ではない、まるで近くで聞いているかのような生の音。
ありえないありえないありえない。
ガラガラガラ
次いで聞こえた音に息を飲む。ちょうど玄関からは見えないが、今の音はキッチンとリビングの間を仕切った戸を引いた音。
エアコンの涼しい風が玄関にまで及ぶ。
……間違いない。
ナニかがいる