序章 始まりの瞬間
グレマナム王国においては、魔法の素質のことを天綬《ギフト》とよぶ。
速く走れる、力が強い、計算がはやい、他国の言葉をやすやすとおぼえるなど、人間の才能にはさまざまな形があるが、天綬がそれらと違うのは、その言葉自体に『天から与えられた特別な資格』という意味合いが存在することだ。
事実、天綬は王侯貴族のなかにあらわれることが多い。
その力は血により受け継がれ、いくつかの血筋は敬意をこめて固有の名でよばれる。
『砂漠の血』 ──デューン・カーマイン
『限りなく続く氷河』 ──ホライゾン・グレイス
『夜明けの黄土』 ──ドーン・オーカー
『洞窟の清水』 ──ケイヴァーン・クリア
そして、『王家の輝き』 ──ロワ・オール
神に祝福された力だという者もいる。
それ自体が神につらなる血統の証しである、とも。
天綬をもつ十代半ばの少年少女が集うのが、魔法学園《チュエリス・サリス》である。
王都デニスのはるか東、王国の東の限界ちかくに位置している。辺境といっていい地域だが、他国と隣接しているわけではなく、そこから先は人が住むには過酷すぎる環境──具体的には切り立った岩石渓谷、そして永遠につづくかとも思われる内陸砂漠が広がるため、地理的には安全な場所だともいえる。
学園には国中から貴族の子女があつまるため、街としてはの規模も大きい。
魔法学園、学園を中心として広がる都市部、都市全体を囲む城壁、それらをあわせて学園都市《アプリカ》とよぶ。
正式な名称はアプリカ・デニス。仮の王都という意味だ。
その名のとおり、王都デニスにおいて変事が起きた場合に玉座を移すための仮王宮が、学園の中心施設の中に用意されている。城壁の過剰なまでの高さ、分厚さの理由もそこにあった。
魔法学園には、王宮の社交界にデビューする予備段階という側面もある。
それぞれの所領でそだった貴族の子らが、一族以外の貴族と顔をあわせ、ともに暮らすほぼ最初の機会となるからだ。
まれにではあるが、天綬をもつ者が庶民の中から生まれることもある。
彼らもまた、多くは魔法学園に入学することになるのだが、血脈の名をもたず、ひきつれる郎党もいないため、学園における立場は微妙なものがあった。
ただ、才覚しだいでは貴族の家系に養子として入るという道もある。
できの悪いつじつま合わせだが、そうやって「天綬は貴族のもの」であり、「貴族は神につらなるもの」という事実が保たれていくのだ。
だが、世の中にはどこにでも変わり者はいる。
庶民出のギフト持ちという学園の最下層かつ少数派でありながら、上昇意識でやっきになるわけでもなく、世間の風当たりもなんのその、ただ、のほほんと暮らしている生徒もいるにはいた。
時に、名君と名高いクイントゥス王の御代。
世情は凪の海のようにおだやかで、都市部では賊がでたという話も聞かなくなって久しい。
学園都市の正面玄関というべき西門においても、城壁の上には見張りが立っておらず、そのかわりに城楼の中では気持ちのよさそうな寝息がきこえていた。
ある夕暮れ時のことである。
自分の名前が呼ばれたような気がして、カルは薄目をあけた。
ぎらぎらした夕陽が、日よけにのせていた手紙さえも突き抜けて目に痛い。
やはり西向きの窓はいけない。部屋の奥まで陽がさしこんできてまぶしくてしようがない……。
などと間取りにけちをつけながら再び夢の中へと引き返そうとした途端、顔の上から手紙をひっぺがされた。目の前がさらにまぶしくなる。
「いや、寝てないから。ただ目を閉じて横になってただけで、全然寝てないから……」
とっさに言い訳をするが、まるでごまかせていない。声の方はまだふにゃふにゃとしていて、あからさまに寝起きであった。
カル・ナイトウォーダー。十五歳。
魔法学園の生徒であるが、今は城門の見張りについている。学園がこのような雑務を生徒に世話しているのは、庶民出身の生徒を経済的に援助するためだ。カルもまた王都の下町育ちであり、裕福な暮らしというやつにはさっぱり縁がない。
「ほら、嘘じゃないぞ。目もぱっちり」
目は糸のようである。窓からの陽射しを正面からまともにくらい、ろくにまぶたも開けられない。
さっきから恥の上塗りをしているようなものである。
だが、目の前にいる相手にはそういうことでカルを責めるつもりはないらしい。取りあげられた手紙がカルの手にあっさりと戻される。
「ちょっと顔を貸しなさい」
放りだすようにそれだけを告げ、相手は先に行ってしまう。
城楼の一室に一人とりのこされ、カルはあらためて首をひねった。
はて……誰だっけ。
思い出そうとしても無駄である。そもそも顔がよく見えなかった。
声から少女だということはわかった。
おそらく自分と同じくらいの年頃だろう。
そのわりに、口調には有無をいわさぬ威厳があった。カルがついてくることを少しも疑っていないようだが、相当な自信家なのか、それとも無類にまっすぐな性格なのか。
とりあえず居眠りをとがめられたわけではないとわかり、カルは目が覚めている演技をやめた。遠慮なくあくびをもらす。
何の用件かは知らないが、一方的についてこいというあたりからしてあまり友好的な話ではなさそうだ。
(このまま逃げるのも手だが……)
地上に降りていく階段はすぐそこである。彼女が出ていった城壁の上とは逆方向だ。逃走は楽なものである。
だが、しょせんはその場しのぎでしかない。向こうは自分を探しあてたのだ、こちらの素性くらいはすでにおさえられているだろう。一度逃げたとなれば、今度は眠っているところを起こされるくらいではすまないだろう。不意打ちをくらわされるかもしれない。
(少なくとも相手の顔くらいは確認しておかないと、外もおちおち歩けないか……)
渋々、自分を納得させるが、理由はそれだけではなかった。
女に強く出られると、どうも弱いのだ。
カルの性格といっていい。
父を幼いころに亡くし、母と妹に挟まれて暮らしてきた。母がいとなむ酒場でも、そこで働く者は女が多かった。わんぱく盛りの頃からずっと、女ばかりの中で育ってきたのだ。
だから、女のやさしい面もよく知っている。
きつい部分はさらに輪をかけて思い知らされてきた。
そんなカルがこの歳にいたって得た結論とは、『女に抵抗しても男に勝ち目はない』ということだった。
日よけにつかっていた実家からの手紙を折りたたみ、ふところへしまう。溜息をつきながらも、つま先は少女が消えた先に向いている。
カル・ナイトウォーダーとはだいたいそんな少年であった。
城壁の上に出ると、胸壁のすぐそばにカルを起こした少女がたたずんでいた。
本来は、城門の見張りとしてカルが立っているべき場所である。
夕陽は西の稜線に接し、視界にあるものすべてが自分の色を忘れて茜色に塗りつぶされていた。見渡すかぎりの起伏に富んだ丘陵地帯も、城壁の近くに広がる人の手が入った田畑も。
彼女の姿もまた夕陽に染まっていたが、その髪の色だけは夕陽のせいではないことをカルは知っていた。
彼女を正面から見て、ようやくカルの中で今朝の記憶がよみがえってくる。
そういえば、試合中に彼女は一度もこちらに背中を見せることがなかった。後ろ姿に見覚えがないはずである──。
魔法学園に彼女を知らない者などいない。範囲を学園都市全体に広げてもおそらくはそうだろう。
名をメッサリナ・ユリウス・ダマという。親しい者からは縮めてリナと呼ばれているらしい。
らしい、というのは、カルには直接の親交がないからだ。
王都の下町育ちであるカルとはちょうど真逆、雲の上の存在といっていい。グレマナム王国の重鎮にして、護国の柱としても知られるダマ大公の孫娘である。その身分に劣らず、実力の方も魔法学園で1、2を争うと評判が高い。
そして、カルにとっては今朝の模擬戦《シャムバウト》の対戦相手でもある。
城壁の上を夕暮れの風がふきぬけていった。
踊るように舞い上がった髪を、彼女は無造作にふりはらう。
首筋は血管が透けて見えそうなほど白い。どちらかというと異性には淡白な方であるカルでさえ、ひそかな胸の高鳴りをおぼえた。
彼女が学園において名高いのは、何も身分と実力だけではない。その美貌については、あるいはそれら以上かもしれない。
しかし、彼女の中でひとつだけ調和を乱しているものがあった。
眉。そう、眉である。
少女のものにしてはあまりにも太く、そして凛々しい。まるで朱墨のしたたる筆をたっぷりと下ろしたようでもあり、そこだけは自分が観賞物として扱われることを全力で拒絶している。
だが、その生き生きとした力強さもまた彼女の魅力であり、かえって見る者を惹きつけてやまないのだ。
「カル・ナイトウォーダー、聞きたいことはひとつよ。なぜその力を隠しているの」
メッサリナの鋭いまなざしがカルを射抜く。
その一方で、カルは彼女の瞳を見てはいなかった。
もっと下の方に目を奪われている。
丈の短いスカートがあやういほど風にひるがえり、そこからやわらかそうな足が惜しげもなくはえている。
すらりとしているように見えて、このお嬢さんはやけに育ちがいい。
もちろん、育ちがいいというのは身分のことではない。肉体的な意味であり、生理的な意味であり、もしくは物理的であるといってもいい。体積だ。質量だ。柔軟性と反発係数だ。魔法学園にも座学がある。これからは身が入るかもしれない。
目の前にいるのが大公の孫娘であることをあやうく忘れるところだった。
さすがに大貴族の子女の体をしげしげと見つめるのはまずい、というくらいの分別はカルも持ちあわせている。
足だと思うからいけないのだ。
これは、そう──ただの太ももだ。
余計に目が離せなくなる。
「カル・ナイトウォーダー」
「え?」
カルは間の抜けた返事をしてしまう。
いくぶん厳しさを増したまなざしがカルのことを見つめている。
「あなたのことを言っているのよ」
「ああ、その変な名前の奴ならさっき下におりていったよ」
「カルはあなたでしょ」
「いや、だから人違い」
「フルネームで呼んでるんだから人違いなわけないでしょ」
なぜそうなるのかカルにはわからなかったが、とにかく大した自信で言い負かせる気がまったくしない。
そもそも他人のふりをするのが無茶なのである。顔はあきらかに記憶されている。
彼女がたおしてきた凡百の対戦相手ならともかく、二人は息がふれあうほどの間近で接戦を演じたのだから。
模擬戦でメッサリナ・ユリウス・ダマとあたることを知った時はカルもさすがに驚いたが、同時に楽な仕事だとも思った。
勝たなくて済む。引き分けるだけでも評価はあがる。
カルにとって他人に勝つというのは気鬱なことであった。評判や名声というものに興味がなく、自分のための欲もとびきり薄い。幼い頃から、ひとのものを力ずくでとりあげるようなところのない少年である。
それに、力を誇示しないという母や妹との約束もある。大金星を演じるなどもってのほかだ。
カルの目的は栄達でも貴族の仲間入りでもなく、何事もなく卒業することである。
そして、辺境の一士官でもいいから官途につくのだ。そうすれば、例えカルが命を落とすようなことになっても慰労金が出る。残された家族の生活のたしになる。そこがカルにとってもっとも重要なところだった。そのためには目立った成績をおさめる必要はない。
魔法学園に入学したのも、ひとつにはすぐに現金が手に入るということもあった。
学園から世話される労務が奨学金のような役割をはたしているのである。
カルはそのほとんどを、王都でつつましく暮らす母と妹のもとに送ってしまう。学園では寮生活なので
学園に来て間もない頃に受けとった家族からの手紙といえば、水につければ瞬く間に溶けてしまいそうなほど紙は薄く、文字も隙間隙間へつめこむようにして書かれていた。今は上等といえないまでも裏写りしない程度の紙が使われ、言いたいことがあれば言いたい分だけ枚数を費やしている。それだけでも仕送りをしたかいがあるというものだ。
紙が厚くなった分、手紙を日よけに使っても寝息でずり落ちることがないという副産物もある。
メッサリナにとっても、カル・ナイトウォーダーという存在は特に注意をひかれるものではなかった。庶民からあらわれた天綬など、だいたいは大したことのない代物だ。入学してからも噂を聞いたことがない。メッサリナの立場からではその程度の印象しか持ちえないのも無理はなかった。
二人は互いに何の予感も持たず、戦技場で対峙した。
お決まりの注意事項を聞かされている時も、戦いの開始を意味する鐘の音が鳴り響いている時も。
カルの力はまばゆい輝きから『白銀』──アージェントと呼ばれる。
ただし、今回の試合は魔法が禁止されている。純然たる剣の勝負だ。
生徒の大半を貴族が占めるため、模擬戦はこのように限定的な形でおこなわれる。もちろん、使用されるのも刃をつけていない模造刀であり、学園の教師たちが八人体勢で不測の事態にそなえる。
天綬を持つ者は身体能力においてもすぐれていることが多い。中でも、生物としてのヒトの限界をはるかに超える者のことを特別に神綬《フルギフト》と呼ぶ。
カルとメッサリナ、ともに神綬である。ただし、カルにはこれまで目立った活躍もなく、世間の印象は白紙と言っていい。
大方の予想に反して、二人の試合は最初から白熱した。見物人はにぎやかなほどわきたったが、戦っている当の二人は困惑の中にあった。
メッサリナには実戦の経験がある。だから、相手が誰であろうと油断はしない。
最大の師である祖父からもきつく言われてきたことだ。いきなり力を使い果たすのも愚かだが、それは気を抜いてかかれという意味ではない。集中と緊張は似て非なるものだ。風がそよぐような静かなる集中こそ理想である、と。
だが、戦ううちに、自分が本当に油断していなかったか、だんだんと自信がなくなってくる。
どうしても攻めきれないのだ。
自分はこんなにも弱かっただろうか。そんなことまで考えてしまう。
カルもまた同様であった。防戦にまわるつもりが、あまりに苛烈な剣先のせいで受けきることができず、ひやりとさせられるたびについこちらからも手を出してしまう。
気がつけば、実戦さながらの激しさである。剣のひと振りで地面はえぐれ、交わされる刃が火花を雨のようにまき散らす。興奮していた観衆も戦いの激しさにいつしか顔が青くなり、息をするのも忘れて二人の戦いを見守っていた。
事件はそんな中で起きた。カルが見せた偽りの隙に、メッサリナは剣ではなく炎を叩き込もうとしたのである。
むろん、魔法が禁止であることはメッサリナにもわかっている。無意識に出た行為だった。
実戦であればそうすることが正解であっただろう。戦闘者としての経験と本能が、とっさにその行動をとらせてしまった。これが模擬戦であることを忘れてしまうほどに、彼女も必死になっていたのだ。
カルの行動も反射的なものだった。炎を帯びたメッサリナの手に対して、カルもまたその手に白銀を宿らせる。
少しくらい炎を浴びてみせた方がよかった、というのは後になってのカルの感想である。カルもとっさのことで加減がきかなかった。カルの白銀はメッサリナの炎を完全に消し去り、二人の手のひらは何ごともなかったかのように組みあわされた。
現象としてはごく一瞬のことであった。
観衆の大半は気づきもせず、かろうじて視認することができた者たちもそのほとんどが剣撃の火花か何かだと思ったことだろう。
しかし、魔法学園の教師たちの目はごまかされない。
メッサリナの行動は、試合後の判定において多少の問題となった。
ただ、炎が出ていた時間はごくわずかであり、メッサリナ自身がすぐに引っ込めたという判断が最終的にはくだされ、大きな減点とはならなかった。
それにより、試合はメッサリナの判定勝ちと定まった。
経過はともかく、結果としては大方が予想したとおりの形に落ちついたわけである。
ただ一人、それに不満を抱く者がいた。
他ならぬ試合の勝利者であった。
「……炎をぶつけようとしたことは謝るわ。でも、あの魔法はいったい何なの。あれがあなたの天綬よね? 魔法を消すんですってね。でも、あんなにも強い力があるなんて聞いたことがないわ。剣の腕だってそうよ。なぜ隠しているの」
「聞きたいことはひとつじゃなかったのか?」
「増えたのよ」
「そうか」
増えたのならしかたない……。
「なぜあんな茶番を演じているの。実力を偽るなんて何のためにここに来たのよ」
奨学金と安定した生活のためとはさすがに言えない。
メッサリナの物言うまなざしに見つめられ、カルはなんとなく妹のアイリスのことを思い浮かべた。自分には女性が説教をしたくなるような何かがあるのだろうか。
「いや、あれはたまたま。殺されそうな勢いだったからこっちも必死で」
記録の上ではカルの言うことの方が事実だが、その言い訳が戦った当事者に通用するとも思えない。
当然、メッサリナも食い下がってくる。
「ごまかしても駄目よ。私の目を見て言える?」
メッサリナが挑戦的に視線を強める。
その仕草に応じて、カルはメッサリナの瞳をひょいとのぞきこんだ。
「こうか?」
「ちょ、近いわよ」
メッサリナは慌てて身を引く。なぜかくちびるを固くガードしている。
「なんにせよ、こんなこと何の証明にもならないんだから」
「だったらなぜやらせた」
「これを見てもまだとぼけていられるかしら?」
切り札としてメッサリナが出したきたもの、それはカルの模擬戦における戦績の写しだった。
カルが見るかぎり、魔法学園への入学から現在まですべての結果がならんでいるようである。やけにもったいぶって出してきたが、それ自体は重要書類でも何でもない。希望すれば誰でも閲覧できるし、メッサリナが実際そうしたように写しをとることもできる。
「今回だけじゃない、勝ったり負けたり勝ったり負けたり、あの実力でこの戦績はありえないわ」
突きつけられた書類にくわしく目を通すまでもなく、カルにはわかっている。
なぜなら、そうしてきたのはまぎれもなくカル自身なのだから。
「好きなだけ確かめるといいわ。その上でまだ言い訳があるなら聞くわよ」
メッサリナはとどめを刺したとばかりに得意絶頂である。
カルは、突きだされた書類にことさら目をこらした。
「これ、全部手書きで写したのか」
「そこはどうでもいい」
「大変だっただろ、最後の方は字がのたくってる」
「それも」
勝利をひろって得したんだからいいじゃないか、という言葉をカルはのみ込んだ。ここまでのわずかな会話だけでも、冗談が通じないタイプだということがよくわかる。おそらく火に油を注ぐ結果になるだろう。
だが、事実を打ち明けるつもりもカルにはない。特に、メッサリナに向かってはそうである。同年代の異性に、妹と母親からの言いつけを律儀に守っているなどと言えるものではない。カルも一応は年頃の男子なのである。
「それで……?」
カルは肯定も否定もせずに聞き返した。
本題に入るためか、メッサリナは改めて表情をひきしめた。
「天綬はただの才能とは違う。それを持つ者は災厄に立ち向かう責務をになうのよ」
貴族の多くは、天綬のことを神から与えられた特権であると考えている。
しかし、中には別の解釈をする者もいた。
神が地上に与えるものは試練である。ならば、天綬はその試練を乗り越えるためのものではないか。力は正しく使われる義務があり、決して人が人を支配する権利などではない──。
どうやら、彼女もそのように考える一人であるらしい。
「力を磨きあうのが模擬戦だけじゃもったいないわ。だって、ここは魔法学園なんだから」
決め台詞のようにそう言いきると、メッサリナの瞳がここぞとばかりに光を増した。
「もっともっと互いを高めあうためには、生徒の有志で結社を結成すればいいのよ」
「結社?」
「名付けて、チュエリス・サリス騎士団!」
一番星を指さしながら夢を語る少年のように、メッサリナは瞳を輝かせている。
そのネーミング、まんまじゃないか、という言葉をカルはかろうじてのみ込んだ。
「私たちはより強くなって世界の脅威をとりのぞく義務がある。そうは思わない?」
「私『たち』?」
「そうよ」
「俺も入ってるのか?」
「当たり前でしょ」
メッサリナは気負いこんで前のめりになる。
その分、カルはのけぞる。さらにメッサリナが詰め寄ってくる。
「型どおりの質問だけど、王家に反逆を企てたことは? 犯罪をおかして衛兵に捕まったことは?」
「ない、ないけど……」
「なんでないのよ」
「ないと駄目なのか??」
「王都育ちなんだからそのくらい活きがよくないと。あてにしてるんだからがっかりさせないでよ」
王都にはさまざまな土地からあらゆる階層の人々が集まってくるため、身分の違いを屁とも思わない傾向が他の地域、例えば有力貴族の荘園よりもかなり強い。
魔法学園でも、一応は生徒を身分で区別しないという決まりになっているが、たぶんに建前の部分があり、王都で暮らす人々の気分にくらべると偽善的な匂いがするのは否めない。
「あてにしてるって……俺なんかをか? 今、全部で何人いるんだ?」
これまでの勢いはどこへやら、メッサリナは急に口の中でぐもぐもと言葉をにごす。
さっぱり聞こえない。
カルが答えを待っているとメッサリナも観念したのか、とがらせた口の先っぽでつぶやく。
「三人」
「君で四人?」
「……入れて」
見栄をはりそうになるのをぐっとこらえているようだった。
「でも、もうすぐ四人になるわ」
「誰?」
メッサリナは上機嫌でカルの方を見つめている。
カルは自分の背後を振り返った。
「誰……?」
「あ・な・た・よ!」
首がねじ切れる勢いで元の方向に戻される。
三人が四人になっても大差はないと思うのだが……いや、二人ずつ組になっても余りが出なくなるというのは、騎士団の平和のためには重要なことかもしれない。
そんなことを考えると、多少は断るのに気まずさをおぼえてくる。
「少しは集まったんだけど、それもちょっとしご……練習したらみんな急に来なくなっちゃって」
「悪いがこの話は断らせていただく」
カルの同情は一瞬で蒸発した。
メッサリナは真顔でカルの全身を上から下まで眺め、改めてカルの目を見つめる。
「なんで?」
「君たちについていけるほど俺は強くない」
「本当に?」
「ああ」
「強くないと?」
「だな」
「戦績は実力どおりだと」
「まあ」
「やっぱり隠してるでしょ」
「それはない」
メッサリナは大きく溜息をついた。意気消沈したように肩を落としてしまう。
人集めには苦労しているようだ、カルには格別の期待を寄せていたのだろう。
彼女の落胆はカルの責任ではないのだが、どうもばつは悪い。
「期待させたようですまないな……」
そうねぎらいの声をかけたところで、カルの中にふと疑問がわいてくる。
なぜ彼女はわざわざ城壁の上に出てきたんだ?
盗み聞きされて困るような話でもない。それに、城楼の中はちょうど他に誰もいなかったのだ。景色をながめながら話をしたかったわけでもあるまい。ここからながめる丘陵地帯の光景は、特に陽が落ちる頃にはいちだんと美しさを増すが、学園都市の人間にはとっくに見慣れたものだ。
もし彼女の行動に意味があるとしたら、屋内では不都合なわけがあるということなのか?
そんなことを考えていた矢先であった。
メッサリナの腰から銀光がはしった。
鞘鳴りが二つかさなり、金属同士の激しくぶつかる音が夕暮れの風を震わせる。メッサリナが突然放った横薙ぎの一撃を、カルが反射的に抜いた剣で受け止めたのだ。
剣と剣を重ねたまま、メッサリナは満足そうな笑みを浮かべている。
「あらお上手」
食いこみ、噛みあった二つの剣が、メッサリナの斬撃の鋭さを物語っている。
それはすなわち、受けきったカルの腕前も雄弁に証明していた。
カルの視線が泳ぐ。
「ついうっかり」
メッサリナのジト目がからみついてくる。
言い訳が続かない。
「たまたま手が動いただけで……いや待て待て! 俺が受けたからよかったものの、そうじゃなかったらどうするつもりだったんだよ!」
メッサリナの腰にあった剣は、模擬戦で使われる模造刀である。どうやら戦技場を出た足でそのままカルのことを調べ回っていたらしい。
しかし、刃引きした剣とはいえ、メッサリナの腕前で振り回されれば真剣とそう変わらない。むしろ、カルの手にある官給のブロードソードの方が作りとしては脆弱だろう。
「よけるのだけは得意なんでしょ?」
「よけるとかいうレベルじゃないだろ」
「大丈夫、ちゃんと寸止めにしたから」
「本当かよ」
「疑うならもう一度試してみる……?」
メッサリナが剣を引いたのは平和的な意味ではない。次なる斬撃のためであった。
腰を軽く落とし、剣の切っ先を後方に引く。
「今朝の試合の続きといこうかしら」
「おい……」
「ここなら止める者もいないし」
彼女についての情報にはどうやら加筆の必要があるようだ。
冗談が通じないだけではない。ひとの話を聞かないタイプだ。
カルはブロードソードを右上段に構える。戦いに応じたつもりはないが、メッサリナの重い斬撃を受けるにはそうせざるをえない。
「脅迫は騎士団の精神にもとるんじゃないか?」
「ただの確認作業だから」
軽口を叩きながらも、互いに隙をうかがっている。
メッサリナとカル。
対峙する二人は性別、性格だけでなく、髪の色も対照的だった。
暮れなずむ夕陽をうけて情熱的に輝く茜色。
何ものにも染まらない黒。
二つの影は動かない。
「判定はないわよ……」
だよな……。
しかし、銀光が再び交わされることはなかった。
メッサリナがあきらめたわけではない。
それどころではない一大事が進行していることに、二人が気づいたからだ。
メッサリナは西の空を見つめて呆然としていた。
「陽が……」
メッサリナの口が驚きの形で固まっている。
カルもまた西の方角を向いて息をのんでいた。
夕陽が昇ってくる。
見間違いではない。西の稜線へ消えかかっていた陽射しは、先ほどよりも明らかに光を増していた。
「……これは夢だわ」
やけにはっきりとした口調で、メッサリナはそう断定した。そのくせ、同意を求めるようにカルへと詰め寄ってくる。
「だってそうでしょ、夕陽が昇ってくるなんて現実にあるわけないし」
「まあ、それはそうなんだが……」
「切り落とされたあんたの首が地面に落ちるまでに見ている夢なんだわ、きっと」
「俺の夢かよ。寸止めはどこに行ったんだ」
そういえば夢と現実を区別する方法があったな……と、カルは古典的な方法を思い出していた。
剣の切っ先でメッサリナの丸い尻を軽く突く。
「いいったあああいい!? ななな何するのよ!?」
「どうやら夢じゃないようだな」
「あんたの夢だって言ってるでしょうがっ!!」
メッサリナは渾身の力で剣を振り下ろしてくる。
カルは剣を水平にしてどうにかそれを受け止めた。
しかし、彼女はそのまま押し切るようにのしかかってくる。
「コロス……!」
「ちょ、待て、悪かった……俺を殺したら元も子もないだろ、騎士団はどうするんだ」
「まずコロス!」
二人が喜劇を演じている間にも、異変は急速に拡大していく。
夕陽の輝きは昼間と並び、さらにそれを越えて二人が経験したことのない明るさで世界を照らし始める。
「待て! 待て! 取りあえず見ろ! 様子がおかしい!」
言われて、メッサリナは西の空に再び目を細めた。
弓なりにのけぞって耐えるカルの上からもようやく降りてくれる。
「陽射しじゃない……?」
「そもそも夕陽が昇ってくるわけないんだから、あれは夕陽じゃないってことだな」
当たり前の帰結ではあるが、人はなかなかそこにたどり着けないものだ。
夕陽が昇ってきたのではない。夕陽よりもずっと手前、地上に光が発生したのだ。
突然の光は、その刺すような輝きをあたりにまき散らし続けている。
「王都の方で何かあったのしかしら……」
メッサリナに返事をしなかったのは、カルはとっくにその可能性に気づいていたからであり、そして内心の戦慄を力ずくで押さえ込んでいるまっ最中だったからだ。
そうとは限らない。ただ方向が同じというだけだ。
むしろ、光が生じている場所はデニスよりもここアプリカに近いということだってありうる。なぜなら、デニスはあの地平線よりもはるか向こうに位置するのだから。そして、母とアイリスは心配しているのだ。アプリカの方角で何があったのか、カルは大丈夫なのか、と。
光が弱まりだすと、カルもさすがにほっとした。
しかし、それは間違いだった。
西の地平線を見つめていたメッサリナは急に不安をもらした。
「やだ、こっちに来るんじゃない……?」
光が弱まったのではない。爆風の土煙にさえぎられてぼやけただけだ。
だとしたら、それは尋常な規模ではない。陽射し以上の輝きを消してしまうほどなのだから。
土煙は地平線にそって急速に広がり、メッサリナの言うとおりこちらにも向かってくる。にわかには信じがたい光景であったが、それは幻などではなかった。
その証拠に、カルもメッサリナも足元に振動を感じていた。巨大すぎる学園都市の城壁が、まるで小動物のように震えている。土煙などという生やさしいものではない。迫り来るものは爆風だった。大木が地表から引き抜かれ、その何百倍も巻き上げられた土塊の中で瞬時に砕け散っていく。まるで大地そのものがめくれ上がっているようである。
その勢力はいっこうに衰える気配もなく、学園都市まで到ることはもはや明白だった。
あれが何なのか考えている暇はなかった。
学園都市の城壁がいくら頑丈でも、地面の上にある以上はどうなるかわからない。
「……魔法学園にこういう場合のしかけはないのか?」
「学園塔には八層の防御結界があるけど……」
学園塔とは、魔法学園の中枢である尖塔群のことである。二人のいる都市全体の外縁部とは無縁な話だ。
うめくように呟いたメッサリナが、はっとして城壁のへりに飛びついた。
学園都市の外には起伏に富んだ丘陵地帯が視界の限り広がっている。それが城壁へ近づくにつれて、同じ緑色でも少し様子が違ってくる。人の手が加わり、柵で囲われた牧草地や耕された畑となっている。当然、そこには野良仕事をしている人々の姿があった。
地面が揺れているのである。多くは異変に気づき、手にしていた農具を放りだして城門に向かって必死に走っているが、中にはまだ呆然と立ちつくしている者たちもいた。一目散に逃げるべき状況だと頭ではわかっていても、衝撃のあまり体が思うように動かないのだ。
体力的に逃げることがかなわない者もいる。その場にしゃがみ込んでしまった老婆のまるく曲がった背には、孫らしき小さな姿がしがみつくようにして寄り添っている。
その光景を、メッサリナは胸壁にかじりつくようにして見つめている。
「なんで逃げないのよ!?」
「逃げても間に合わないだろうな」
カルは状況を冷酷に判断していた。
城壁の高みから見ると、城門にむかう者たちの動きですら遅々として進まない。その大半は城門までたどり着けないだろう。
メッサリナは感情で血走った目をカルに向ける。だが、命の危機という点では二人も立場は似たようなものであった。襲いくる爆風の高さが城壁を超えているのは明らかである。
城楼の中に戻るべきだ。城壁の強度が爆風に抗しうるかはわからないが、殺到する砂礫を生身で受けるよりはいくらかましだろう。
爆風は見る間に近づいてくる。もはやわずかな時間しか残されていない。
しかし、メッサリナがとった行動は、生存本能という点から見ればおよそ真逆のものだった。
白い太ももがあらわになるのもかまわず、スカートの裾をひるがえして胸壁を踏み越えようとする。城楼の階段を使っていては間に合わない。彼女は地面への最短距離をとろうとしているのだ。つまり、自由落下である。
「待て待て待て!! なにとち狂ってやがるんだ!!」
カルは力ずくで止めた。これは止めざるをえない。
下にいる人がゴマ粒のように見える、というのは大げさだが、ここから飛び降りれば身体的にヒトというレベルをはるかに越えた神綬であってもただでは済まない。逃げてくる人を助けるどころか、救助が必要な者を増やすだけである。
「離しなさい!! 邪魔しないでよ!!」
カルの体がじりっと引きずられる。メッサリナはカルにつかまれながらもなお進もうとしていた。ポーズだけではない。本気で胸壁をのりこえ、ここから飛びおりるつもりのようだ。
そのことにカルはむしろ胸を打たれる思いがした。メッサリナの正義は口先だけではなかった。むしろ必要以上に苛烈である。脇目もふらずにまっすぐ進み、自分の命さえもかえりみようとはしない。そこが危なっかしく、どうにも放っておけない。
人柄にかわいげを感じてしまった時点で、カルの負けであった。
「お、落ち着け! 状況を考えろ!」
「離せと言っているっっ!!!!」
メッサリナの叫びが殺気をおびてくる。振りほどこうとする拳やひじが、人体の急所を容赦なく狙ってくる。
カルもねじ伏せるつもりでかかるしかない。
もはや手の置きどころを選んでいる余裕はなく、たびたびメッサリナの太ももや胸のふくらみを荒々しくまさぐることになっているが、カルにもそれを気にしてる余裕はない。
メッサリナの方はすっかり見境をなくして気づいたそぶりもない。
互いの四肢がもつれあう。一見、膠着状態だが、最初から背後をとっているカルの方が有利だった。カルはメッサリナの両腕ごと背後から抱きすくめる。恋人同士の動作に似ているが、当人たちの心情はそれとはまったく異なっている。
カルはメッサリナの耳元に強い口調をねじ込んだ。
「高さをよく見ろ!! 正義と勇気でおぎなうにも限度があるぞ!!」
「離せこの馬鹿力っ!!!!」
「お前こそ少しは状況を……!」
「がぶっ!!」
……腕を噛まれた。
フルギフト渾身の噛みつきだ。
服の袖に血が滲んでくる。
痛みよりもうんざりとしてしまう。
そんなことをしている間にも、猛り狂う爆風は二人に迫る。
今やそそり立つ壁のように視界をはばんでいた。
もう間に合わない。
百回死んでもまだお釣りがきそうだ。
「どうするんだこれ……」
城壁にまず到達したのは轟音だった。
聴覚の限界を軽く突破され、むしろ静寂に包まれていくようでもあった。
メッサリナはまだ何か喚いているようだったが、もう聞こえない。
不思議と恐怖は感じなかった。
聴覚を圧せられたせいか、まるで夢の中にいるように感覚が膨張していく。自分と世界の境目が曖昧になっていく。
なぜだろうか。
不思議なことに、カルには目の前に迫る爆風の壁がそれほど絶望的なものには思えなかった。
手を伸ばせば、その手の中に収まってしまうほどの、矮小な現象としか感じられない。
自分の淡泊な性格が、自分の命にすら執着を見せなかったのかとも思ったが、どうやらそういうことでもないらしい。
例えるなら、夢の中で全能をふるうような感覚である。
カルは前方に手を掲げた。
その手のひらから白銀の光が広がっていく。
それを後からぬりつぶすように、黒銀のかがやきが追いかけてくる──。
その日、王都デニスは地上から消滅した。
王侯貴族も、市の物売りも、農夫、兵士に到るまで、富貴、地位、性別、年齢、何の区別もなく突如として塵になったのだ。
王都をのみこんだ光は多くの者によって目撃されたが、王都消失という事実はすぐには伝わらなかった。なにせ、それを伝える者も根こそぎこの地上から失われてしまったのだから。
諸侯や将軍の中には、いちはやく王都へ使者を送る者もあったが、そういった機敏な者たちの間でも原因を究明しようという動きはすぐに立ち消えとなった。都市ひとつが文字どおり消え去るなど、王国のどういう分野における第一人者であろうと、もはや説明ができるものではなかった。
幸い、と言ってよいのか、玉座をめぐっての争いは起きなかった。王位継承権をもつ王族がひとり残らずクイントゥス王と運命をともにしたからだ。
時が経つほどに王都の惨状は人々の知るところとなっていった。
だが、その頃には誰もがまず身近な現実に対処しなければならず、空白地となりもはや占拠する価値もなくなった王都デニスから人々の関心は離れていった。
それにつれて、不穏な空気と野心が国土のいたるところで高まっていく。
しかし、それらも大きな争乱へは発展しなかった。
災いは終わったわけではなく、生き残った者たちにも等しく死の運命は押しよせていたのだ。
より長く続く苦しみとして。