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終わりなき無慈悲な夜にも 作者:枕流
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5-3



 オーバー・ワンを前にした魔法学園(チュエリス・サリス)の生徒たち、およそ百名の運命はさだまった。
 彼らは渾身の灼熱を叩き込まれ、枯れ枝のようになぎ払われるのだ。もはや逃れようもない。

 思えば、ありうべきことではあったのだ。首が落とされたとはいえ、体は動き回っていたのである。その戦闘力の大半が失われているなどと考えるのは早合点だった。

 とはいえ、首の断面から熱線が放たれるなどというところまで予測しろというのは、さすがに酷な話ではあるが──。

 リナは一瞬呆気にとられたものの、豊富な戦闘経験がバネになり、正気に戻るのは早かった。
 すかさず火球を手にして、オーバー・ワンの背中めがけて振りかぶる。
 だが、そのわずかな動作のさなか、深刻な疑問が彼女の心をとらえていた。

 ──これは何なんだ?
 ──この右手にあるものは。

 もちろん、火球である。それはリナにもわかっている。
 彼女が疑念をいだいているのは自分自身の行いに対してだった。

 大通りにいる百人余りの生徒たちは、今まさに過剰すぎる熱線を浴びて消え去ろうとしている。
 灰すら残らないだろう。
 もはや尋常な手だてでは止めようもない。

 それがわかっているのに、これは何だ。
 なぜ自分はこの手に炎を握りしめているのか。

 オーバー・ワンにぶつけるのか。ぶつけてどうなる。
 たったこれっぽっちの力では何も変わりはしない。何も変えられない。

 無駄だとわかっているのに、なお炎を投げつけようとしているのは何だ。
 言い訳のためか。自分に向けて。世間に向けて。
 ただ指をくわえて見ていたわけではない、必死に食い下がったのだという体裁をつくろうためか。

 形だけの抵抗。形だけの阻止。
 見苦しい、卑小でみっともない言い訳。
 言ってしまえば、戦っている()()

 偽物の戦意。
 無駄な行為。
 どこまでも見てくれだけ。

 こんな体たらくでは、最初から食い止められるはずがなかったのだ。
 本物の破壊を。桁外れの殺傷を。

 それなら何か思いつけ!
 無駄と知りつつ拳を振り上げ、殴りかかるふりをするのではなく!
 漫然と炎を投げて、戦っているつもりになるんじゃない!

 リナが目を血走らせながら阻止する手だてをしぼりだそうとする一、二秒ほどの間に、無造作に熱線が放たれる真正面へ降り立つ者があった。

 何のためらいも見せず。
 何でもないことのように。

 そして立ちふさがる。
 まるでそうすることが当たり前のように。

 リナよりもなお早く、熱線が放たれる気配を察した瞬間に動いていたのだ。
 その機敏さは反射の域に達している。
 思考や判断といった過程をすっ飛ばし、危険の存在を知った時にはすでに駆けだしていた。

 もはや人の性質ではない。
 戦うことを宿命づけられた獣のそれである。

「ななな何そんなところでかっこつけてるの!?!?」

 リナの叫びはかき消され、カルに届いたかはさだかではない。
 放たれた熱線による轟音は、そこにいた百とひとつの生命をあの世へと送り出す盛大な葬送曲であった。

 熱線は大通りを余すところなく満たし、さながら洪水のように白銀の光と生徒たちをのみこんでしまう。この先も継続されるはずだった彼らの人生もろとも。
 恐怖や苦痛を感じる暇はなかっただろう。その情報を伝える神経も、シグナルを受けとる脳も、一瞬にして焼き尽くされてしまったのだから。

 後には、気化した岩石蒸気が狂ったように渦をまき、リナたちの視界をはばんだ。
 だが、わざわざ目にするまでもなく、惨状はあきらかだった。
 物理的な衝撃は死者を連れ去り、精神的な衝撃は生者を容赦なく打ちのめしていた。

「あわわ……」

 マルチナは腰がくだけたようにへなへなとしゃがみ込む。

 リナが睨むような目つきでいるのは、気丈さからではなく、まだ現実を実感できていないからだった。
 リナの網膜に映る世界から色が急速に失われていく。
 自分の気がどうにかなってしまう瞬間が近づきつつあることを、リナは感じていた。

 息苦しいほど心臓の鼓動が高まる中、大通りの煙が晴れていく。

 そこにはうってかわったような静寂が訪れていた。
 すべての価値が無に帰し、ぐつぐつと煮える音の他には。

 大通りからは何もかもが消え失せていた。

 ただひとつ。
 カルを先頭とした中洲のような地形を除いては。

 生徒たちは無事であった。
 誰もがその場にしゃがみ込み、身を縮めて震えていた。
 ある者は恐怖のあまり、地面に額を押しつけて言葉にならない叫びをあげている。熱線が過ぎ去ったことに気づいていないのは、まだ彼らの聴覚がもどっていないからだ。

 しかし、白銀が耐えきったと言えるかは疑問だった。
 白銀の輝きは濁り、無惨に溶け落ち、輪郭のあらかたがむしりとられている。それは敗北者の姿としか表現のしようがなかった。

 カルの姿もまた似たり寄ったりである。
 服は焼け焦げ、その裂け目から見えている肌の多くも炭化していた。
 もはや人の形を保っていることが不思議なほどである。

 リナたち四人はその光景に息をのんでいた。
 身動きすらできないのは、声をかけただけでもカルの体が灰のように崩れ落ちてしまいそうに思えたからだ。

 だが、カルが真に灰と化しているなら、自前の足で立っていられるはずがない。
 なおも立っている、それはカルが生きていることを意味し、そのことだけでもう奇跡といえるだろう。

 いや、奇跡などという言葉では説明がつかない。
 あれだけの熱線を浴びて、はたしてそんなことがありえるだろうか。

 カルが先ほど見せたような白銀の八枚や十枚では到底まにあうはずがない。
 なにせ、本物のフルパワーなのだ。体の構造を変え、口から内臓の火袋までを一直線につなぐことで絞りだした熱線である。

 その反動は、六本の足をもってしても地面に深い溝を刻むほどであった。
 それほどの熱量を前にしてたかが白銀十枚程度の防ぎで立ちはだかったとすれば、今頃カルも生徒たちも原形すらとどめていないだろう。

 それでは、いったい何が起きたのか……?

(しかし、今はそれを詮索している場合ではない)

 最初に冷静さを取り戻したのはティアであった。
 ティアは他の三人を順繰りに見渡しながら、両手のひらを下に向けてみせた。

(まずは落ち着け)

 ということを身ぶり手ぶりで知らせる。

 確かに、落ちつくべきであった。
 そうすれば、今がのんびりと落ちついている場合ではないと気づいたはずである。
 ティア自身もまだ動揺の中にあるようだ。

 さらなる異変にまず気がついたのはビオラであった。水の糸がオーバー・ワンと物理的に接触しているためである。
 だが、他の三人にしても時間差はほとんどない。

 通りにたたずむカルの影が後方へと伸びていく。地面の上をどこまでも長く。
 オーバー・ワンの口腔にふたたび火が点じられていた。
 全力で熱線を放った直後だというのに。
 全力を越えてさらに力を振り絞っているのだ。

 今までオーバー・ワンがそのような行動に出たことはなかった。
 そうまでして倒すべき相手がいるということなのか。

 今度はリナたちが魔法をにぎる暇もなく、熱線は放たれる。

 だが、彼女たちは目にしていた。
 突き進む熱線の前方で、とどまることなく広がっていく白銀の光を。

 ただし厚みは普段と変わらない。ただの一枚である。
 いくら威力が不十分だとはいえ、オーバー・ワンの熱線を受けてそれではひとたまりもない。たやすくど真ん中を突き破られてしまうだろう。

 一見、無意味な行為にも思えたが、次なるカルの行動は彼女たちの予想を超えていた。
 カルは白銀を折りたたんだのである。

 一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚……。
 白銀は等比級数的に枚数を増していき、わずかな時間と回数で三十層を越える。残り火のような熱線を受けとめるには十分な厚みであった。

 熱線が通過し、なおも残った何枚かの白銀は熱でただれたようになっていた。それはリナたちにとって確かに見覚えのあるものだった。

「これがさっきも……?」
「おそらく、百層に到るほどの規模でな。1を100個繰りだすよりも、巨大な1を100にする方がはるかに楽だから」

 ティアも息をのむ。口で言うほど簡単なことではないと彼女にもわかっている。
 百層といえどもたたむ回数はせいぜい七回といったところだが、元になる白銀の面積が普段の百倍必要になることには変わりはない。縦横なら十倍ずつだ。

 しかも、それをオーバー・ワンの熱線に我が身をさらしながら軽々とやってのけるという度胸はいったい何なのか。人間離れしているにもほどがある。

 マルチナはぺたりと地面にしゃがみこんだまま、ビオラにむけて勢いよく手をあげた。

「全然ワカリマセン!」
「ショートケーキを作るにはまずホールケーキを焼いてから切り分けるのと同じです」
「おお! さすがカルくん……ケーキの神様だ……」
「ごはんの守り神だったのでは?」

 どことなく間の抜けた空気の中、はっと我に返ったようにリナが吼える。

「のんきなことをしている場合じゃない!」

 リナ自身もまた、自分たちが戦いのさなかにあることを一瞬忘れていた。
 すさまじいばかりの力と力の正面衝突を目の当たりにして、のまれてしまっていたのだ。

 大自然の威容を前にして言葉を失うのにも似ている。
 大地そのものが水面と化したような大河の流れ、億兆のしぶきを雨のごとく降らす大瀑布、雲海よりもなお高く雪冠をかぶる山塊、そういった光景をながめると人は感歎する他には何もできなくなってしまうものだ。

「あ、あたしはカルく……じゃない、みんなを助けてくる!」

 呆けている場合ではないと気づかされ、はじけるように活気を取り戻したのはマルチナである。

 この期に及んで下心丸見えであることは脇に置くとしても、大雑把なマルチナのことだから「どーん!」とか言って地面ごと生徒たちを放り上げかねない懸念はある。
 だが、リナもうなずかざるをえない。
 繊細な作業をまかせるのに最適であるビオラは、オーバー・ワンを押さえこむのに手をとられている。

「どう仕掛ける?」

 ティアから尋ねられた時には、リナはすでに行動を開始していた。リナの足元からわきあがる炎がゆっくりと弧を描き、彼女の身を取り巻いていく。

「あの中途半端な首をねじ曲げてやるわ!!」

 首の断面であり、熱線を吐く新たな『口』でもあるあの部分を、まずはカルたちのいる方向からそらさなければならない。

 リナは自ら炎の螺旋となってオーバー・ワンの首に横から突っ込む。
 が、それが突き刺さる直前、オーバー・ワンはあっさりと上体をもたげた。

 猛烈な回転のせいで、リナには水の糸が断ち切られる音が聞こえていなかった。勢いのまま直進し、ものの見事に向こうの建物へ自爆する。
 オーバー・ワンの上に積もっていた瓦礫が土砂崩れのように流れ落ちる。その直撃を受けそうになり、マルチナは悲鳴をあげてその場から逃げだす。

 ティアとビオラは唖然としてはるか頭上を見あげていた。
 オーバー・ワンは上体を持ちあげただけではなく、そのまま立ち上がったのだ。
 四肢と尾にはふたたび力がこもり、役目を終えた六本の蜘蛛の足は胴体にまきついて鎧のようになる。

「なぜわざわざ直立したのだ……?」

 思わず口をついて出たティアの疑問も当然のことだろう。
 今のオーバー・ワンにとって口ともいうべき首の断面は、立ち上がったことにより真上を向いてしまっている。
 どう考えても立ち上がることにメリットがない。
 差し出口をはさんでこないところからして、ビオラも同意見であるようだった。

 わざわざその体勢をとる必要がどこにあるのか。
 いったい何のために。

 戦いではわずかな兆しに気づくかどうかで生死が分かれることもある。
 しかし、その答えは彼女たちが自力で探し出すまでもなく、すぐに与えられる形となった。
 オーバー・ワンの変化はそれで終わりではなかったのである。

 真上をむいている首の断面が盛りあがる。
 新たな肉芽は薄い紫色をしており、ぬめりけのある粘液をしたたらせながら呼吸と似たリズムで徐々に膨れていく。

 やがて先端がくの字に折れ曲がる。
 それが新たな頭部であることは、見た目の形状からもあきらかだった。
 その表皮はまるで火傷のあとに生成される真新しい皮膚のようにつやつやとしていて、銀鱗に覆われた体との食い違いは異様としか言いようがなかった。

 直立することでオーバー・ワンはかつての威容をとりもどし、地上の人間どもを見下ろす。
 だが、彼に逆らう愚か者たちの大半を無視して、正面に立ちはだかる一人の少年に新たな顔を近づけたのだ。

 ほとんど少年をひと飲みにするような距離である。
 わざわざ身をかがめてまでその体勢をとると、大量の息を吐き出しながら威嚇のような音を発した。

 否、それは確かに威嚇であった。

 威嚇とは、困難な敵が戦うことなく退いてくれることを期待する行為である。

 獣臭い息を暴風のように吐きかけられ、生徒たちは腰を抜かしたまま地面を這いずって逃げまどう。
 誰も気づかない。
 風上に立つ彼のことを。



 カルは半ば暗闇の中にいた。
 視界はところどころ黒ずんでいて、まるでまだら模様だ。
 手足の感覚もひどくにぶい。
 聴覚もまたそうである。誰かが自分の名を呼んだように思えたが、それすらも定かではない。

 人体の限界はとっくに超えている。
 さすがにもう無理かもしれない。
 そう何度思ったことか。

 それでも……。

 ああ、そうなんだ。
 それでもまだこの体は動こうとしている。

『まだいける』

 全身の細胞が声をそろえて言うのだ。

 足の筋肉が叫ぶ。まだいくらでも高く跳んでやると。
 拳は主張する。剣などいらぬ、殴り殺してやればいい。
 心臓も肺も声を上げている。必要なら化学変化も越えてみせよう。

 そして、脳細胞は繰り返しカルの網膜に投影してみせるのだ。
 もし、自分がこのまま倒れたら学園都市はどうなってしまうのかを──。

 街は焼き尽くされていた。
 たち上る炎と煙だけがしきりと動いている。
 泣き叫ぶ声すらもはやまばらであった。
 それもまたじきに絶えるだろう。
 なぜなら、救いの手はさしのべられないから。
 助ける者たちもまた灰となってしまったから。
 奇跡的に難を逃れた人々も、自分の身を守るだけで精いっぱいだった。
 着の身着のまま、廃墟から少しでも遠くへ逃れようと、すり切れた足で歩き続ける。
 果たして、彼らは他の街にたどり着けるのだろうか。
 均衡がくずれ、他のガイヴァントたちが押し寄せつつあった。
 たどり着いた先でもどうなるだろうか。
 風が吹く。
 夜が濃くなっていく。
 泣くこともやめてしまった幼い子供。
 うつろな瞳はこれから何を見るのか。

 もし……。
 もし、あの時、目を覚ましていたら。
 もし、あの時、立ち上がっていたら。
 もし、あの時……。

 夕陽に染まる紅毛。凛々しい横顔。
 すらりと伸びた手足。どこか憂いのある微笑み。
 果物かごを持ってくるくる回る。

 はじまりはいつも今なのだ。
 ここからしか始めることはできない。
 ここからしか変えることはできない。
 今この瞬間しか。
 立ち上がれ!! 立ち上がれ!! 立ち上がれ!!
 どんな時でも立ち上がってきたのだ。
 それしか能のない人間が、今、それをやらずにどうする!?

「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っっっっ!!!!!!」

 蘇れ。
 灰からでも蘇れ。



 咆吼を聞いた。
 生徒たちの足がその場で止まる。
 リナたちもびくりとして動きを止めていた。
 それは獣のようであり、人のようでもあり……。

 だが、たったひとつ確かなのは、それは威嚇ではないということだった。
 敵が去ることを、戦いを避けることを、期待するものではない。
 例えるなら雄叫びである。自分の心の底から戦う力を汲み上げるためのものだ。

 カルは地上から躍り上がっていた。
 燃えさかるような闘志で、その拳が怪物の横っつらに叩き込まれる。

 まるで水面を叩いたような波紋がオーバー・ワンの頭部全体に広がる。
 頭部の歪みがおさまりきらないうちに、さらに二発、三発。
 素手。またしても素手である。

 たまらず立ち上がるオーバー・ワンを追いかけ、いくつもの壁を蹴り、雷鳴のごとく空を駆け抜け、怪物と同じ高さに到達する。
 殴る。殴る。何度でも殴る。壊れるまで何度でも。
 もはや人の形をしているだけの半死人であったはず。
 それでも体は動いていた。躍動していた。

 これは、果たして人なのか。
 恐怖を無視した行動を、ひとは無謀という。
 恐怖すら持たない者のことは何と呼べばよいのだろう。
 死ですら止められない者のことは何と呼べばよいのだろう。

「させないいいっっっっ!!!!」

 マルチナは自分の靴を蹴り飛ばし、はだしで地面を踏みしめる。
 たかが少女の体重に、石畳が陥没して蜘蛛の巣のような亀裂が走った。

 マルチナの素足がさらに地面へとめり込んでいく。
 亀裂は見る間に拡大していき、周りの建物すらのみこんでいく。

 崩壊の中心であるマルチナの足元から、夜明けの色をした光がほとばしった。
 噴きだすマナがむせるほどに濃くなっていく。
 マルチナの髪がぞわぞわと逆立つ。

塵芥の(ダスト)ゴーレム!!!!」

 マルチナの叫び声とともに、オーバー・ワンの足元で地面がせり上がる。
 まるで見えない巨大な手により引きずり出されたかのようなそれは、人の形をした土くれであった。

 見上げる者たちの視線がとめどなく急角度になっていく。
 でかい。オーバー・ワンほどではないにしろ、その肩口には手がとどきそうである。

 土くれの大巨人はオーバー・ワンに取りすがると、今まさにカルを叩きつぶそうとしていた右腕に組みついた。
 ただ、そこは所詮、土である。オーバー・ワンが身じろぎするたび、ゴーレムの体はたやすく崩壊していく。

 だが、マルチナの魔法はそれで終わりではなかった。
 ゴーレムの足元で地面が動いている。
 カーペットの中央をつかんで引きずり上げるように、大地がゴーレムの体に吸い込まれていく。それにつれて、体の崩れた部分は時間を逆回しにしているかのように元へと戻っていく。

 無限の再生力。
 それが、塵芥のゴーレム最大の特徴であった。
 復元の材料は無尽蔵である。
 炎、鋼、死肉、岩石、いかなる素材のゴーレムもこれにはかなわない。
 ありふれた塵芥が最強のゴーレムである由縁だった。

「絶対に離すもんかっ!!!!」

 例え、この身が粉々に砕け散っても。
 のんきなほどまんまるなマルチナの双眸に、危険な炎が燃えさかっている。

 自分が死んででも相手を殺したい。
 いつも陽気で食べることばかり話している少女は、初めてそういう感情を抱いていた。

 死力を尽くすマルチナの覚悟に、意外な人物があてられていた。本来、マルチナとはもっとも縁の薄い少女である。

「このようなことをする柄ではないのですが……」

 誰に聞かせるでもなくそうぼやきながら、ビオラはワイフス・ラメントを振り立てた。
 ビオラが鋭く見つめる虚空に、大量の水が渦を巻き始める。
 まるで、そこに見えない大河が流れ込んでいるかのようだった。

 渦は水滴をまき散らしながら、ひとつの形をとり始める。
 竜だ。水竜である。

 だが、その姿は伝説において語られる竜とはどこか違っていた。
 空へ橋をかけるほどのに長大な体躯を持っている。翼もなく、口元にはナマズのようなひげが何本か見られた。
 それはグレマナムからはるか東方において、同じく竜に相当する言葉で呼ばれる生物の姿であった。

「泣かせる妻はいませんが……」

 ビオラは空いた手の方で、地面から漆黒の物体を拾い上げる。
 ワンドの形をしている。ワイフス・ラメントの影であった。

 ビオラが両手にワンドをかかげた途端、状況は一変した。
 噴きだすマナの奔流により、ビオラの青い前髪がまきあげられ、額があらわになる。
 左右の杖は各々でビオラのマナを吸い上げ、それでもまだ足りぬとビオラの手の中で暴れる。

 ワンドを二つ手にすることで、魔力は一時的に二倍となる。ただし、負荷はそれ以上に増大し、止めどもなくマナを吸いとられることになる。
 手にした者の多くが命を落としてきた理由がそれであった。
 ゆえに、妻の嘆きと名づけられた狂気の杖である。

 ビオラは歯を食いしばり、ぎりぎりのところで耐えている。
 マナの奔流はさらに猛々しくも過酷なものになっていく。
 それに呼応して、水竜は苦悶するように身をよじらせる。

 命の断末魔のようなまばゆい輝きが炸裂した。
 水竜は古い体を捨て去り、誰も見たことのない生物に姿を変えていく。
 しなやかに伸びた四本の足を持ち、四肢の根元には黄金に輝く羽根が備わっていた。
 姿は馬に似ているが、顔つきは確かに竜である。
 頭部には枝分かれした角。眼差しには慈愛と威厳。
 竜よりも気高く、神々しい霊獣である。

「水竜麒麟変化!!!!」

 麒麟は噛みちぎらんばかりの勢いでオーバー・ワンの腕にとりつく。塵芥のゴーレムとは逆側の腕である。

「これは思った以上にきついですね……」

 重くのしかかる負担に、早くもビオラは弱音を吐きかけていた。みるみる体内からマナが剥ぎ取られ、いつまで魔法を維持できるか心許ない。

「使え」

 ビオラに差し向けられたものは青く透きとおった刀身であった。
 サフィル・スチールと呼ばれる両刃の直刀である。魔法剣としてはカッシーナ公爵家のみならず、アエミリウス氏族における至宝のひとつである。

 手にしているのはもちろん、ティアであった。

「知っているだろう、こいつの刀身には大量のマナが封じてある。氷と水で性質は違うが、同じアエミリウスなら使えないこともあるまい」

 しかし、ビオラは手を出そうとしない。
 ティアの眉間がいぶかしそうに曇る。

「遠慮することはないぞ」
「……今、両手がふさがっているのでそこの地面に刺しておいてくれませんか」

 大通りにいる生徒たちは音もなく混乱していた。
 彼らは難を逃れたというより、半ば戦いから取り残され、事のなりゆきをただ呆然とながめているだけである。

 戦いの趨勢は、彼らが予想していたものとはまるで違っていた。
 想像を絶すると言ってもいい。
 なにせ、人らしき姿をした何かがオーバー・ワンの顔面を繰り返し打ちすえているのだから。

 拳と肉のぶつかりあう生々しい音が、暮れかかる空に響き渡っている。
 両者の間にはサイズにして最低でも五十倍、重量では十万倍以上の差が横たわっている。
 それが拮抗している。
 なぜそうなっているのかは、誰にもわからない。

 戦うために出てきたことも忘れてしまった彼らの前に、揺らめく炎のような姿があらわれた。
 メッサリナとその燃えあがるような紅毛である。
 彼らのすべてが彼女の姿を目視できたのは、彼女が屋上の角に立っていたからだ。

「総員、傾聴!! これより戦闘態勢に入る!!」

 リナは高らかに号令を発した。
 彼女の勇壮な姿はそこにいる生徒たちの意識を虚空から現実へと引き戻し、浮き足だった者たちを地面に着地させる。
 リナはなおも続ける。

「怖れるな!! もはや熱線は封じられた!!」

 折しも、オーバー・ワンが苦しげに身を震わせる。
 カルの拳がうなりを上げていた。
 オーバー・ワンの頭部を破裂させ、傷の上に傷を彫り込んでいく。

 信じがたいほどの強さであった。
 肉体的にはもちろんのこと、人々の心を共鳴させたのは折れるということを知らない精神である。

 英雄を語るに言葉はいらない。風上に立つ者がそれである。
 彼がそこに揺るぎなく立ちつづけるかぎり、周りの者たちは自分が攻撃されることを怖れる必要はない。
 誰もがごく自然にそう信じることができた。

 攻撃魔法は何もない。ただ拳をふるうのみである。
 だが、決して止まらない。
 その背中が、それぞれの胸に勇気を灯していく。

「削りきれ!!!! この地上のどこにも奴の存在する余地など与えるな!!!!」

 流れが変わった。
 それ以上、言葉は必要なかった。決意がひとつになり、音をたてて動きだす。

 例え、目の前の怪物が魔法学園の絶望であっても。
 人の身で勝てる道理がなかったとしても。
 神の定めた法則を無視して、一歩も引かない者がそこにいるのだ。
 ならば倒す。
 倒すのだ。
 この山を削って削って、削りつくしてやる。
 反攻がここから始まる。たった今から。



 空から夕陽のなごりが消え、暗い群青色が空ばかりでなく地上のいたるところを勢力下におさめても、戦いはなおも続いていた。

 戦闘に参加する生徒たちの人数は時を追うごとに増していき、すでに三百人を越えている。
 熱線が放たれないという事実に気づいた者たちが急ぎ駆けつけ、数はまだ増えつつあった。

 ばつが悪そうな顔でやって来る者もある。戦いが始まっていると知りながら今まで学園にとどまっていたのだろう。
 仲間から「遅いよ!」とか「何やってたんだよ!」と小突かれながらも、結局は輪に加わっていく。

 遅れて来た者をさけずむ空気はそこにはなかった。
 一種、祭のような高揚感の中に彼らはいるのである。彼らの精神は夢中になって駆けだし、雄叫びをあげていた。
 生徒たちの象徴となっているのはリナであった。
 戦闘に加わる生徒たちの中にあって、その先頭に立ち、一段と派手な炎と爆発をオーバー・ワンに叩きつけている。

「今こそ悪夢を終わらせるのだ!!」

 マナが尽きてもリナは止まらない。佩刀のアッシュブリンガーを抜き放つ。

 刀身から噴きだす炎は無尽蔵というわけではなかったが、時間とともに回復するという点では人と同じであった。アッシュブリンガーの炎が弱まれば、またリナ自身がオーバー・ワンに魔法を叩き込む。さながら、二人で交代しながら戦いを続けているようなものである。

 常に先頭に立つ紅蓮の姿はまさに戦場の女神そのものであった。その勇姿を目にするだけで生徒たちは自分の内側から戦意がわきあがってくるのを実感するのである。

 そのリナの精神的な支柱となる者はまた別にいた。

 カルは相変わらずオーバー・ワンの首根っこに取りついている。
 その間、一度も熱線の発射を許していない。激しい戦闘の中で『変わらない』ということの凄みを見せつけている。

 すでに、オーバー・ワンの首から上の部分は完全になくなり、素手による破壊はさらに体内へと進んでいる。今も、首があった部分から管のようなものをひきずりだしている。

 カルが負けるはずはない。
 リナはそう固く信じている。

 負けてしまえばカルは気づかされてしまうだろう。王都消失の時、例え自分が家族のもとにいたとしても救えなかったのだと。
 気づいてしまえば、そこで彼の戦いは終わってしまう。
 本当のからっぽになってしまう。
 だからカルは負けないのだ。

 そこには何の論理的なつながりもない。
 だが、リナにとっては証明など必要もないほど明らかなことなのである。
 ()()()カルは負けないのだ!!

 ティアは持続性のある魔法を主に放っている。
 この戦闘において彼女のやるべきことは実に多い。

 マナをたっぷりとこめた氷像を作りだし、それに間断のない攻撃を打たせつつ、自分は生徒たちを二十人ほどの小集団に分けてそれぞれ同士討ちにならないように部署し、逐次休憩させる。戦況は長期戦の様相をしめしており、生徒たちが一斉に攻撃して一斉に疲弊するというわけにはいかないのだ。

 リナと共に戦う時、ティアは今のように補佐へ回ることが多い。それは戦い方の違いによるものだ。
 ティアはまず敵の弱点を見きわめようとする。だが、リナはいきなり力まかせに魔法をぶつけて様子を見る。ティアが自分の戦い方を続けようにも、大抵は横から出てきたリナによって台なしにされてしまうのである。

 リナに言ってやりたいことはもちろんいくらでもある。
 だが、彼女の獰猛ともいうべき勇敢さが、時に理をこえた戦果を叩き出すこともティアは認めているのだ。特に、このように巨大なガイヴァントと対峙する時には。

 だからといって、戦闘におけるティアのしめる役割がリナにくらべて軽いというわけではない。
 ただの人の群れであった生徒たちに方向性を与え、機能的に動かすことができるのも、ティアの人望と的確な判断力があってのことである。

 クアルトもまた、この戦いの中で自分の役割を見いだしていた。
 水や食事の手配である。
 戦闘に加わっていない生徒たちに水を運ばせる。近隣の酒場には金をばらまき、倉庫を空にする勢いで料理をつくらせる。

 長丁場ともなればこれも重要なことである。ギフト持ちも人間だ、渇きや空腹にさらされていては回復も遅くなるのである。

 もちろん、『タキトス家の御曹司の厚意である』と吹聴させることは忘れていない。
 自分の果たすべき役割を見つけ、それを最大限に利用することにかけてはこの男ほどまめな者もいない。

 カルという例外中の例外を除けば、もっとも過酷な戦いをつづけているのはマルチナとビオラだろう。

 ビオラがティアから渡されたサフィル・スチールは、山岳氷河を凝集したとも言われる刀身をもつ。だが、先端から中ほどまでがすでに失われていた。
 サフィル・スチールは徐々に炎が回復するアッシュブリンガーとは性質を異にしている。一度に大きなマナをひきだせる代わり、自然には回復しない。

 それはとりもなおさず、減った刀身の分だけビオラの体をマナが通過したということでもある。
 ビオラは自分の指がふるえてきたのを自覚していた。
 外部から過剰なマナが流れ込むことによる影響は、体力の消耗という形で如実にあらわれていた。

「何か甘いものを……」

 周りは市場の荷出しもかくやというほどの喧噪ぶりである。ビオラのか細い訴えは誰の耳にもとどかない。

 ビオラとそう変わらない小柄な少女が小走りに通りすぎる。彼女はひと抱えほどもあるガラス瓶を左右の手のひらだけで懸命に支えていた。自分の体温が中の液体にうつらないようにとの気づかいだろう。

 中身は果物をしぼったジュースであるらしい。
 ビオラはたまらず叫んでいた。

「そのジュースよこせ!!」

 少女はびくりと肩をふるわせて立ち止まった。
 取りあえずの燃料補給はどうにか果たされそうである。

 リナやビオラとは違い、マルチナは自前のマナのみで途切れることのない戦いを続けていた。
 塵芥のゴーレムは今も大地をぎりぎりとねじり上げ、自分の体を再生しながらオーバー・ワンの右腕を抱きしめて離さない。

 魔力に優劣をつけることは難しい。それにはさまざまな側面があり、単純な物差しで計れるものではないからだ。
 だが、一般的な尺度としてよく用いられるのは次の四つである。最大力、流速、技術、容量だ。

 強力な攻撃魔法をあやつるリナは、最大力と流速において特にすぐれている。
 最大力とは、一度に発揮できる効果の最大値であり、流速とは時間あたりどれだけのマナを放出できるかということだ。
 この二つは似て非なるものである。河に例えれば、水の流れが流速であり、関を切った時にどれだけの水が一度に放出されるかが最大値である。

 ティアは四つの要素すべてにおいて高い水準にあるが、特にひいでているのは技術であった。状況に応じて冷気なり氷なりと姿を変え、一帯を凍結させたり、遠くの敵を撃ったりと変幻自在の攻撃はまさに技術あってのことである。

 マルチナがその二人と比べても特に優れているのは容量である。
 ふたたび河に例えると、それは水源の貯水量に相当する。

 彼女が模擬戦(シャムバウト)においてリナやティアほどの戦績を残さなかったのは、本人が競うということをあまり好まなかったのもあるが、その能力が長期戦でこそ真価を発揮するためでもあった。条件を限定しておこなわれる模擬戦では、当然ながら短時間で決着をつけることになる。身が枯れるほど力を尽くす戦いなどまずおこなわれない。

 実力においてリナやティアから何の見劣りもないマルチナではあるが、彼女の実家における立場はその二人の場合とは異なるものがあった。
 ()()()()()として扱われているのだ。

 ただ、実父であるマルケルス公からマルチナだけが疎んじられているというわけではない。その点においては公爵の子供たちすべてが同じ扱いのもとにあった。

 マルケルス公は実に不満の多い人物である。
 自分の血筋が、かつて王家から臣下に落とされたことが憎い。
 封地が南の僻地であるため、王宮において軽んじられることも憎い。
 魔力においてダマ大公やカッシーナ女公に一歩ゆずることも憎い。

 そういった不満をぶつけるかのように、多くの妃をもち、なした子供はとうに二桁を越えていた。そこまでくれば一人一人への愛情も薄くなる。

 子への愛情をさらに希薄にしているもののひとつが、マルケルス公の度を超えた仕事好きであった。

 公領は、王国を南北に分けるディレジ川から南のほぼ全域といっていい。面積でいえば王国の三分の一近くになる。
 気候はディレジ川を境として大きく変わる。南部地域は湿度が高く、穀物も稲作が中心であり、文化も異なる。そのせいで中央からあまり人材が来たがらない。

 来ないのであれば育てればよいではないか。というのがマルケルス公の到った結論であった。
 彼は精力的に政務をこなしていった。開墾事業、隣接する諸外国との交易、公領の南部に位置する港の整備。その実施における権限を部下たちに気前よく与え、互いに競わせた。他国人であっても能力があれば抜擢する。

 それでも最初の十年は失敗の連続であった。信頼して任せた部下に裏切られ、他国の武装集団に一部の地域を占拠されたこともある。
 しかし、峠を越えるとおもしろいように全てが噛み合い、マルケルス公国は繁栄の道を歩み始めたのである。

『もはや辺境ではない』

 先年、そう宣言したマルケルス公は、独自の通貨発行に続き、国力にみあうだけの軍備増強にも手をつけたのである。
 それについても、『魔法力に頼らない』ガイヴァントへの打撃力を追求したあたりは、ともにクイントゥス王を支えた両公への劣等感がよほど根強かったためだろう。

 しかし、天綬(ギフト)を持たぬ庶民を対ガイヴァントにおける戦力とするという考え方は、確かにマルケルス公国の軍事力を飛躍的に伸ばすこととなった。

 木砲騎団などはいい例だろう。木製の小型砲を使い捨てにしながらひたすら後退するという戦い方から、騎士階級はこれを嫌ったため、兵のほとんどが平民出身で占められていた。
 平民が騎乗する。マルケルス公国においてはすでに身分制度のくずれるきざしが早くも始まっていると言えるだろう。

 実力を急速に拡大したマルケルス公は、王都消失以前から王室に対して距離をとり始めていた。
 それと同じことが公爵自身の家庭においても生じていたのである。
 マルケルス公が自分を軽んじる(と少なくとも本人は信じていた)王家に不満を抱いていたのと同じく、マルチナもまた父親に不満をもつのは自然の成り行きであった。

 マルチナがすぐれた天綬の才に恵まれていると明らかになっても、父親はさして関心を示さなかったのである。統治者としてはすぐれていながら、家庭人としては失格である王、諸侯は数あれど、マルケルス公はそのもっとも極端な例と言っていいだろう。彼にとって女を抱くことは定期的に欲を満たす日常の一つでしかなく、生まれた子にまで愛情を注ぐ必要性を彼は感じていなかったのである。

 それだけであればまだしも、マルケルス公が王宮に示す冷淡な態度のせいで、娘たるマルチナは魔法学園において肩身の狭い思いをすることも多い。
 マルチナが家を出ることを決意し、その表明のつもりで『シュガー』という姓をなのっているのにはそういった経緯があってのことだった。

 そんなマルチナだからこそ、自分の夫となる者にもとめるものはただひとつであった。
 自分が死ぬまで一緒にいて甘えさせてくれること。
 父親から冷淡にあしらわれつづけたマルチナが、自分の境遇とは真逆の家庭をのぞむのは至極自然なことであった。

 その夢をかなえるために必要なのは、殺しても死なないような男である。
 カルはマルチナにとって理想的な相手といえた。
 恋というのは不思議なもので、最初は能書きから入ってもたどりつくところは真実の愛であるということがままあるのだ。

 今、マルチナが怖れていることは、ただひとつである。
 カルを失うこと。
 ただそれだけだった。



 数え切れないほどの魔法が飛び交い、夜空を焦がす。
 今ここで倒しきらなければ後がないという悲壮な思いが、生徒たちを奮い立たせていた。
 力の限りをふるい、消耗すれば後の者と代わる。そうやって最初に力を使い果たした者が再び立ち上がり、また次に交代していた。

 だが、時が経つほどに、この怪物を本当に倒しきれるのかという不安がそれぞれの胸にわき起こってくる。
 確かにダメージは与えている。鉄壁をほこる銀鱗もすでに半ばほどまで剥落し、その内側に損傷を与えている。
 しかし、いっこうに倒れる気配がない。

 まさか、あの体積をすべて削りきらなければならないのか……。
 そんな思いが、それぞれの気持ちを暗くしていた。

 頬に水滴を感じ、ビオラはそれをぬぐいもせず夜空を見上げる。
 その表情がにわかにくもる。

「雨ですか……」

 ビオラの背後で料理をのせた大皿や水壺が慌ただしく屋根の下へと運び込まれる。
 いい状況とは到底言えなかった。やがて雨滴が地面をたたき、互いに呼びあう声をかき消してしまう。生徒たちの戦意もまた湿った空気の中に吸いとられていくようだった。

 ビオラ自身も、たかがワンドに耐えがたい重みを感じていた。
 試練にしてはあまりに過酷すぎるのではないか。
 天はついに、人をして絶望に打ち勝たせるつもりはないのか。

 だが、それが世のことわりであるとおり、大半の者にとって変化は唐突におとずれた。
 オーバー・ワンの胸元がひときわ大きく開き、そのまわりに不揃いの牙がびっしりとはえてくる。

 新たな口が生成された、という想像は、それを思った者たちの心胆を寒からしめた。オーバー・ワンの口という概念は、都市を消滅させるほどの熱線と直結しているのである。

 その口の奥深くで、光が閃くのが見えた。悲鳴をあげてその場から逃げだした者はまだ上出来な部類である。ほとんどは立ちつくし、なりゆきを見守ることしかできなかった。

 だが、絶望はおとずれなかった。
 よく観察すれば、胸の光が赤熱ではないことは見てとれただろう。

 オーバー・ワンの口からほとばしったものは熱線ではなく、鳴き声であった。
 言葉に書き起こすことが困難な鳴き声。だが、それが苦痛によるものであることは誰の耳にもあきらかであった。

 また光る。オーバー・ワンの体内で。
 それは白銀である。永遠不滅の輝きであった。

 あそこで戦っている者がいる。その事実がどれほど人を勇気づけることか。
 その男の鼓動を、皆が確かに感じていた。
 その鼓動が自分たちの中からも聞こえてくる。
 誰もが少しずつ強くなれた。
 誰もが臆することなく立ち上がり、傷ついた仲間の手を握った。
 勇気の総和が、今、絶望をついに上回る。

 オーバー・ワンが身をひるがえした。
 もがき苦しみ、ゴーレムと麒麟を引きずりながら走りだす。
 学園都市の外をめざして。

「逃がすなーーーっ!!!!」

 リナが叫ぶ。雨の中で白煙をあげるアッシュブリンガーを振り立てる。

 誰もが思いをひとつにしていた。
 ここで終わらせるのだ。
 傷を負った者も、もはや戦う力も残されていない者すら、言葉にならない叫びをあげながら走りだす。
 つまずき、水たまりに顔を突っ込みながら、また立ち上がる。歩く。這いずる。
 悪夢を終わらせるのは今しかない。
 もうこりごりだ。
 明日がないかもしれないと思いながら眠るのは。
 もうこりごりなのだ!!

 マルチナも走りだそうとして、足がもつれた。泥の中へまともに頭から突っ込んでしまう。
 自分で思っていた以上に消耗している。身を起こそうとしてつぶれた腕立て伏せのようになり、そのまま身動きできなくなる。

 馬蹄の音が近づいてくる。
 車輪がマルチナのすぐかたわらで止まった。

「……乗りますか?」

 荷台から見下ろしているのはビオラであった。
 他にも、まだ戦えそうな生徒たちを満載している。
 向かう先は言うまでもない。

「乗る」

 差し出されたビオラの手を断り、マルチナは自力で馬車の荷台に這い上がった。
 まだやれる。そうでない者にはこの馬車に乗る資格はない。一人でも多く、余力を残した者を奴のもとに運ばなければならないのだ。

 全力を出しきる。
 マナの最後のひとしずくまで、あの怪物にくれてやる。
 この体に宿るもの残らず全て、惜しむものなど何もない。

 敗走するオーバー・ワンの体表の色や形がめまぐるしく変わっていく。見た目だけでなく、物質としての組成まで変化しているようだった。

 銀鱗におおわれていた肌は、光沢のあるなめらかなものへと変わる。質感だけではなく、オーバー・ワン自体が巨大な甲虫に姿を変えようとしていた。
 しかし次の瞬間には、体表から見事な金毛が群がるように生えてくる。手足の骨格も変わり、その姿は巨大な金獅子そのものであった。

 変化は止まらない。今度は全身が緑色に変わっていく。手足は無数の枝葉となり、顔のあった位置に鮮血のような大輪が咲く。

 まるで地上の生物をすべて網羅するかのように、オーバー・ワンは次々と形態を変えていった。
 環境適応の能力が暴走している。
 その原因はオーバー・ワンの体内にあった。

『自分の体を掘り進んでいる者がいる』

 内部からの苦痛に何とか対応しようとして、次々と生物としての形を変えていく。
 だが、体の内側を鎧で覆う生物などこの世に存在しない。どれだけ変化しても体内からの攻撃に対抗することはできなかった。

 学園都市の人々すべてが怪物の悲愴な鳴き声を聞いた。
 まるで苦しみを訴える重病人のように、長く、長くたなびく。

 何かが変わろうとしていた。
 戦った者も、そうでない者も、誰もがそれを感じていた。
 それが何なのかはわからない。
 だが、この世界が確かに変わろうとしているのだ。

 オーバー・ワンの巨体が城壁を突き崩し、都市の外へと倒れ込む。
 いや、それはもはや巨体と呼べるかどうか。
 姿形を変えるたびに体の一部がちぎれとび、もはや元の大きさの半分にもとどかない。
 怪物はなおも逃げる。その背中には追いすがる生徒たちの攻撃が容赦なく突き刺さる。
 だが、それも丘陵地帯に入ると目に見えて減っていった。丘を越えるだけの体力を残している者が少なかったのだ。

「ティア!! あれやるわよ!! こいつを一気に引き裂く!!」

 あれ、と言われただけでティアには理解できた。それだけに目を丸くする。

「しかし、あれは一度も……」

 一度も成功したことがないではないか、と言いかけて口をつぐんだ。そこで見解が分かれたために険悪なムードとなり、それからリナとは魔力の重合を試すことがなくなったのだ。

「あれは危険すぎる! 全力をぶつけあう上に、わずかでも均衡が崩れればどうなるかわからないぞ!」

 ティアの指摘はもっともなものだった。魔法の重合において、真逆の性質をもったもの同士をかけ合わせるのは大きな力が得られる反面、予想不能の事態におちいる可能性がきわめて高くなる。

 だが、リナは頭に血がのぼりきっている。
 いらだたしさを隠そうともせず、それを視線にこめてティアを睨みつける。

「危険がなんだってのよ!! やるといったらやるの!! ちゃんと手加減してあげるから!!」
「手加減? 何を言っているんだ……?」
「だってそうでしょ! いつもいつもティアが力負けするせいで失敗してたんだから!」

 さすがに今の言葉はティアも聞き捨てならない。
 ここは自制が肝要と自分自身に言い聞かせつつも、形のいい眉が危険な角度に跳ねあがっていく。

「それは君がいつもいつも的をはずすからだ! そのたびに合わせていた私の身にもなってみろ!」
「向かいあって撃ちあうのに的をはずすも何もないでしょ! 踏んばりが足りないのよ、踏んばりが!」

 百ほども反論したいことはあったが、ティアはそれをぐっとのみこんだ。今は口論している場合ではない。
 とにかく、リナに引く気はないようだ。すでに残ったマナのすべてを投じて、もりもりと炎を練り上げている。
 だとすればティアも腹をくくらねばならない。
 リナの勝負勘には、理を越えたところでティアも敬意をはらっているのだ。

「いいだろう、安い挑発だが今はのってやる」
「挑発? 何言ってるの! 死ぬ気で力を振り絞るのよ! またちょろちょろと盗人みたいな戦い方してたら許さないんだから!」
「誰がちょろちょろだ! 一撃離脱は戦法だ! この突っ込むしか頭にない単純馬鹿が!」

 言葉が行き交うほどに、余計な悪態が追加されていく。
 いつの間にか、二人の間には殺意にも似た空気がむせるほど濃くなっていた。

「……馬鹿って言ったわ」
「盗人と言っただろ」

 二人とも礼儀と節度をわきまえた大貴族の子女ではあるが、基本的には戦闘者なのである。互いに相手のプライドを刺激しあうとどこまでもエスカレートしてしまう。
 だが、それでいい。たぎるようなマナがそれぞれを中心として渦巻いている。
 感情を抑えてこそ実力を発揮できる?
 そんなもの糞くらえだ。

 リナの極熱。
 ティアの極冷。
 タイミングがわずかでもずれれば大惨事を引き起こしかねない。
 だが、二人は示しあわせようともせず、それでいて叫びにも似た詠唱は完全に一致した。

「「 縦 に 引 き 裂 く 復 讐 の 女 神 !!!! ヒステリック・ネメシス!!!! 」」

 オーバー・ワンの右半身を炎が焼く。
 もう一方の左半身を氷が灼く。
 だが、それだけがこの魔法のすべてではない。
 熱気と冷気、この相反する性質がぶつかりあう境目は急激な温度差で断層となり、オーバー・ワンの体を縦に引き裂こうとしていた。

 オーバー・ワンは左右から真逆の性質にさいなまれる。右半身と左半身が別々にそれへ対応しようとして、左右で異なる変形を始め、中央の断層をさらに深めていく。

「あの亀裂を狙え!! ここが踏んばりどころだ!! 力を惜しむな!!」

 追いついた馬車の中でビオラが声を張り上げる。
 夜通し戦い続け、誰の顔にも疲労の色が濃い。だが、ここを押し切らなければついには蘇生を許してしまうことになるだろう。

 火球、氷の矢、光弾、雷撃、真空波、鎖状、馬蹄形、円錐、楔形、ありとあらゆる性質と形状の魔法が逆流する滝のように撃ち込まれる。
 消耗しきって座り込んでいた者たちも立ち上がっていた。
 この瞬間に自分も何かせずにはいられなかったのだ。

 歴史が変わる。
 魔法学園の絶望が、生徒たちの手によって倒されようとしている。
 宿命に立ち向かい、天敵を打ち倒すことこそ、人だけに与えられた才能なのだ。
 今まさにそれが現実のものになろうとしていた。

「見ろ!! もう一息だ、気を抜くな!!」

 ビオラの励ましも嘘ではなかった。
 その証拠に、金属をかきむしるような音が響き渡る。
 あるいは、それは悲鳴であったのかもしれない。
 オーバー・ワンの頭頂から股間にかけた裂け目は、一度大きく開き始めるとあとは早かった。

 だが、新たな変化が生じたのもその時であった。
 もはや半ばまで引き裂かれたその体から、粘りけのある黒雲のようなものが立ちのぼったのである。

 ちょうど体の芯ともいうべきあたりからだった。煙よりもはっきりとした輪郭を持ち、色のついた水をとかしたように複雑な動きを繰り返しながら空中を上へ上へとのぼっていく。

 誰も追撃することはできなかった。
 あまりにも不気味で異様な光景だったからである。
 リナたちですら、ただ唖然と見送っていた。

 一人いた。
 追う者が、である。
 むしろその黒雲の中から現れ、猛然とつかみかかる。
 誰もが立ちすくむ時に戦い続ける者など、一人しかいない。

 黒雲の下あごらしき部分に手がかかった。もう一方の手は上あごに似た部分に。
 容赦なく引き裂く。
 飛び散る黒い細片はバケモノの血か悲鳴か。

 リナはまだ動けなかった。しかし、それは動かなかったとも言えた。
 石工がついに山を削りきる。今まさにその最後のひと打ちが振り下ろされようとしていることを、リナは感じとっていた。

 黒雲は素手でつかまれ、引きちぎられていく。
 もはやただのひとかけらさえも逃れるすべはなかった。

 黒雲の存在が薄れていくと、人の形をしたものが空中から落下してくる。オーバー・ワンの肉体も崩壊を繰り返しながらゆっくりと崩れ落ちていく。

 いく人かの少女がやけに短い名前を叫びながら駆け寄っていったが、それを正確に聞き取ることができた者はいなかった。


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