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鮮血ノ月
作:天海リョウ



[四拾伍] 午前の再逢


 正午近く、蒼助は渋谷の道のど真ん中で何故か人を殴っていた。

 血反吐を吐きながら飛ばされていく男を見ながら思う。
 何故こんなことになったのだろう、と。

 事の始まりは十分程前を遡る。

 ◆    ◆    ◆

 晴天の空の下の渋谷の街を蒼助は千夜と二人で歩いていた。
 喫茶店『WG』の店主、下崎三途に店に呼ばれてその当本人のもとに向かっている。 
 約束の正午に近づいてきたので、一緒に行くと騒いだ朱里を千夜が宥めて説得し、何とか留守番を押し付けて千夜宅を出た。
「…………」
「…………」
 家を出てからというものの千夜と蒼助の間に会話は一切なかった。
 それどころか視線すら交わらせていない。
 今朝の千夜の過剰な反応、否、昨夜の一件以来気まずい空気が絶えず互いの周囲に立ちこめているせいで。 
 
 ………嫌われたか? 

 蒼助は一つの可能性を思い浮かべ、それはないと直後に切り捨てる。
 断言、とまではいかないが否定は出来た。
 勢い余った告白に対する千夜のあの反応があったからだ。
 その問題の瞬間は一晩経った後も鮮明に脳裏に映し出せる。

 ………にしても可愛かったなぁ。

 元は男でもあんな顔できるのか、と別の感動もあった。
 衝撃から立ち直れず一晩を濡れたまま浴室で明かしてしまった。
 おかげで、
「っ、ぶぇっくし!」
 飛び出てきそうな鼻水をなんとか鼻孔内で押さえつつ、啜る。
 寝津が引いて体調を持ち直したかと思ったら、本当に風邪をひいてしまったようだった。
「風邪………引いたのか?」
「ん……おお、ぶり返しちまった……まったく、意味ねぇよな………、」
 蒼助のそれは反射的な行動だった。
 話す相手に向き合う。どんな人間にも最低限身につけられているはずのマナーだ。
 それが彼の背を押した。
 
「…………あ」

 千夜が蒼助を見上げていたのだ。
 視線が交わった彼らは家を出て初めての互いの直視に言葉を失い、静止した。
 動かせない目。動かない目。
 蒼助はかつてこれほどまでに行動することに迷いを抱いたことはなかった。
 しかし、蒼助が迷いを払うまでもなく次は促された。 
 連結しているかのようにがっちりと嵌まっていた視線の交わりは、千夜によって崩された。
 断ち切るように目を逸らし、そっぽむいてしまった。
 だが、蒼助は見逃さなかった。
 顔を背ける直前の瞬間の千夜の頬が赤らんでいたのを。
 
 ………やっぱり、

 確信に近いものを得られそうになったところで耳が騒音を聞き取った。
「あん? 何だ…………げ」
 思わず語尾が濁った。
 思考を中断させたその騒音の元の方角へ目を向けると、そこでは大体予想範疇の事態が起きていた。
 見るからに柄も素行も悪そうな若者の数人の集団に男が一人の中年に袋叩きを見舞っていた。
 複数が一人を痛ぶる、なんて光景は渋谷では昼間も夜も珍しい光景ではない。喧嘩なんてものは特に。
 問題はそこではないのだ。
 注目すべきなのは、間間から姿が見える複数の標的となっている中心のサンドバックの方。
 くたびれたコート。胡散臭いサングラス。
 思わず目を背け、現実逃避に入る。
 何で。どうしてこういう時に限ってこんな。
 運命の女神とやらがいるなら何が憎くてこんな仕打ちを自分に課すのか。
 不運に浸っている場合ではない、となんとか立ち直り、厄介事に気付かれる前にさっさと通り過ぎようと千夜に進行を促そうとするが、
「何だ、喧嘩か。行こうぜ、千――――ってオイ待て」
 さりげなさを装うという注意は千夜を見た一瞬で吹っ飛んだ。
 既にその足は渦中へと歩き始めていたから。
 慌てて蒼助は二の腕を掴み、引き止める。
「コラコラっ、ナニしてんだよっっ」
「何って、ちょっと」
「行ったら、ちょっとじゃ済まねぇだろお前の場合。―――連中が」
 この場合、危険なのは千夜ではないのはもう考えるまでもない。
「真っ昼間からこんな通りで堂々と人殺すほど阿呆じゃねぇよ。約束の時間に遅れちまうだろ、あんな胡散臭ぇオッサンにかかわって時間浪費はよせよ」
「生憎そのオッサンは――――知り合いなんだって言ったらどうする?」

 目眩がした。
 
 ◆    ◆    ◆

 後ろから声を掛けられ振り向いた直後に吹っ飛び、コンクリートの地面に投げ出された仲間を見て不良達は一瞬唖然とし、すぐに表情に敵意を満たした。 
「っトシオ! てめぇっ」 
「いきなり何しやがる!」
 ごもっともだ。
 だが、自分等だってそういうことは頻繁にやらかしているだろうに、と冷めた視線で蒼助は応戦する。 
「おい、大丈夫か。志摩」
「つつっ………おー、嬢ちゃんか。まさかこんなところで会うとはな……あー痛ぁ……」
 不良の相手をする蒼助の傍らで千夜と男の会話。
 そこからわかる双方の認識。しかも千夜は蒼助は知らない名前まで知っているようだ。
 本当に知り合いだったのか、と蒼助が抱いていた半信半疑だった気持ちが消える。
「オイ千夜」
「何だ」
「手ぇ出すなよ。悪魔で自主的に退場させるまでの相手するだけなんだからな」 
「ええ〜」
 明らかな不満が伝わってくる声だ。
 無視して注意を不良一同に向ける。
「………あー、まー俺としては本当は全然ヤル気なかったんだけど、じゃないと警察沙汰は免れないんで。適当に付き合ってくれや。んじゃ、ヨロシク」
 言いきった瞬間に放たれた拳があった。
 おいおい間髪無しかよ気ぃ短ぇな、と思いつつ何気に結構火がついた自分も人の事言えないかと嘆息。
 左から来た第一弾を己の左手で受け止める――――素振りをして滑らすように受け流す。
 そのまま相手の腕を伝い、カウンターが打たれた。
「ぐぴっ」
 真ん中目掛けて打った拳が顔の中心部の突起の砕ける感触を伝える。
「ひがぁぁっ! はぁ、はひゃぐぁ………はひゃがぁ……っっ」
 陥没した鼻らしき部分を押さえながらどぼどぼと血を撒き散らす様をつまらないものを見るような目で一瞥して、
「げ、服に血ついちまった………てめ、これから人に会いに行くんだぞこのモブ野郎」
 やや理不尽な怒りを向けられた男は痛みに苦しんでいるところを脳天に踵を落とされ、撃沈した。
 白目を向いて離脱した仲間を目にした不良達は戦慄した。
 各々がこの男は危険だ、と動物の本能で察していた。
 繰り出した拳の速さと俊敏さ。そして、容赦無さ。
 相手が悪過ぎると、誰もが我が身可愛さを優先してこの場を退こうと考えていた。
 が、例外はどんな時どんな事に置いても一人はいる。
 くだらないプライドを捨てられないうちの一人がなんとか優位に立ち逆転出来ないかと思案していた。
 すぐにそれは見つかった。
 そして、行動に出た。
 それが逆に悲劇を招く事とは知らずに。 
「っ動くな、テメェの女がどうなっても知らねぇぞっ!」 
 グラサンと話し込んでいた千夜を背後から羽交い絞めにし、蒼助に見せ付けるように拘束をしてみせた。
 それを見て蒼助は青ざめた。別の意味で。
「ば、馬鹿っ! 人の苦労を何だと思ってんだ! 早くソイツから離れて逃げろっ! お前らもその馬鹿ひっぺ剥がしてどっか行け!!」
 急に必死になった蒼助の様子を見て男は勝機を得たと勘違いし、高らかに言い放つ。
「ごちゃごちゃワケのわからねぇことを言ってねェと言う事聞きやがれ! 命令するのは俺だっ!!」
「だぁぁっ、このわからんちんがぁっっ!!」
 ちっとも先に進まない言い争いに先程までの緊張感がギャラリーからも雰囲気からも消えていく。
 が、それも次の瞬間一気に跳ね上がる。

「―――ひぎっ!?」
 
 跳ね上げたのはつい先程まで自らが優位に立ったと信じて止まなかった男。
 まるで豚の鳴き声のような悲鳴を上げた。そこに驚愕を入り混ぜて。
 彼に相対する者はまだ何もしていない。 
 ただ、一つ変わったのは人質の千夜の片手が拘束する男の手首を掴んだことのみ。
 げっ、と蒼助は顔色を蒼白させる。
 しかし、異変に気づいたのは彼一人ではなく、
「………おい」
 いつのまに移動してきたのか、蒼助の隣に現れた志摩が確認するように聞く。
「なぁ、あれって……」
「……ああ、間違いなく」
 握り潰してる。 
 そう確信せざるえない不良の苦痛によって声も出せず涙と鼻水だらけの顔。
「なぁ、玖珂。手を出すな、とさっき言ったが………」
 女の掌で掴みきるには無理がある太さの手首が、“それが可能なほどにスリムに”なっていた。包み込むようにかかる多大な負荷によって。
 そして、
「――――これは立派な正当防衛だから、いいよな?」
 返答を待たず千夜の手に一気に力が込もった。
「っっぎゃああああ―――」
「煩いな。喚くなよ、たかが手首を砕かれたくらいで」
 その反応が大袈裟だと言うように呆れ、千夜は泣き叫ぶそれをさっさと投げ飛ばした。背後の壁に頭から激突するように。
 ピクリとも動かなくなったその身体を一瞥し、唖然とするの残った不良達に視線を向け、笑った。
 酷く嗜虐的に、
「さて、お前らに選択肢をやろう。負け犬らしく大人しく尻尾巻いて撤退するか、このまま悪足掻きなんていう愚劣で矮小な考えに身を委ねて歯向かうか。前者ならとっとと家に帰って布団に包まって部屋の隅で今日の事を反省しろ。後者なら………仕方ないな、私も正当防衛せざるえまい………正当防衛だからな、悪魔で」

 そして、彼らが選んだ道は―――――

 ◆    ◆    ◆
 
「いやー助かった、礼を言うぜお二人さん。参ったねーちょっとぶつかっただけなのによ。最近のガキどもは短気すぎるぜ」
 参った参った、と笑う。来るまでに散々いたぶられたのか、志摩の顔にはあちこち青痣が出来ていて、口端が切れて血が滲んでいる。
「まぁ、アンタは身なりからして親父狩りにゃ格好の獲物だからな」 
「しかし、まぁひどくやられたもんだな。口切れてるぞ」
 自分の口端を指差す千夜の示しに、志摩は「ん?」と模倣するように己のそこに触る。
「ああ………これは違う。別にところでやられてついたんでな……あてて」 
 ぺろりと撫でるように舌で触りツキンとした染みるような痛みに志摩は眉を顰めた。
 蒼助が呆れたように言う。
「おいおい……他のところでもやらかしてたのかよ」 
「いやいや。喧嘩じゃねェ。ただ………俺は不器用なんでな、大事にしたい相手にはそうしたいんだが……上手く行かなくていつもこうなるのさ」
 その時、サングラスの奥が光の加減で一瞬だったが見えた。
 飄々として掴み所のない様に隠れた本来の男の一面が。
 呆気に取られ、その間に反射に紛れてそれがまた隠れてしまう。
「けど、短気すぎると思わねぇかい? 気分が沈んじまってるみたいだったから気ぃ使って、気分を和ませようと胸部にマッサージかけただけなのによぉ」
「警察呼ばれなかっただけマシだと思えよ、この猥褻物め」
 気のせいだったと、蒼助は先程のこと全てを一瞬で無に還すことにした。 
 それにしてもコイツに好かれた女も災難だな、と此処にはいない見知らぬその相手に同情を抱いていると、千夜がしている“とある動き”に気づく。 
「って、お前何してんだ!」
 ふんふんと、顔―――もとい鼻を近づけて志摩に触れんばかりに接近していた千夜を慌ててひっぺ剥がす。
「馬鹿か! 不用意に近づくな、胡散臭さ漂う得体の知れない菌が移ったらどうする!!」 
 オイ、という物申したげな志摩を無視して、千夜の弁解を聞く。
「いや、志摩からなんか覚えのあるコーヒーの匂いがしたから」
「したから?」
「気になった」
「…………」
 誰かこの女に大規模の意識改革してくれないだろうか、と一瞬の本気。
「なぁ、志摩――」  
「おっと、わりぃな。これからちょっと用事があるんでここらでおいとまさせてもらうぜ、じゃなお二人さん」
 何かを問おうとした千夜が発した言葉を遮り、志摩は颯爽とかつ胡散臭い「スタコラ」な仕草ですれ違うように去ろうとした。 
 その時、
「―――――」
 すれ違いざまに耳の近くで発された言葉。
 かろうじて蒼助のみが聞き取れるような、小さく抑えられた声。
 その一瞬の後、振り返る。 
 志摩は何事もなかったように歩いていて、徐々にその姿は遠くなっていく。
「どうした、玖珂」
 千夜の声で我に返り、蒼助は志摩から目を離した。
「いや、なんでもねぇ」
「そうか?」
「ああ………それよか、さっきなんて言おうとしたんだ?」
「ん? 何がだ」 
「何か聞こうとしてただろ」
 すると千夜は思い出したかのように、ああ、と呟き、
「あれは、香った匂いが三途のところのヤツのそれに似てたから、ひょっとしたら店からの帰りだったんじゃないかと思ってな」
 ふーん、と受け応える中、蒼助は一つの事を察した。
 先程、一瞬垣間見えたかもしれなかった男が物憂げに思った相手が千夜の言うとおりだったとしたら下崎三途かもしれない、と。
 千夜に相次いで、今度は下崎三途か。
 あの一見胡散臭い中年男は一体何者なのだろうか。
「そういえば、玖珂。お前、あの男と面識があるみたいだが」
 見抜かれていたようだ。
「ああ………知り合いと言っていいかは微妙だけどな。そういうお前だってあのおっさんとどういう経緯で知り合ったってんだ?」
 四十過ぎの中年と女子高生。組み合わせは客観的に見れば、見事に援助交際が成立する。
 実際、まさかそれはないだろうと切り捨て思う。
 事実であったら今頃あの男は生きていない。
「少し前に知り合いのつてであの男の力を借りたんだ。なかなか本音が見えないが、自身の異能に関してはプロフェッショナルだ」
「異能? ってことは………アイツも?」
「勘当喰らったみたいだがな。星詠み、というらしい」
「星詠みぃ?」
「万物を巡る大いなる星々から未来やら過去やら、世界の何処かで起こった事すら聞き出すことが出来る、そういう力だそうだ」
 電波みてぇ、とあんまりな感想を抱いていて、不意に思考に差し込むように鋭く何かが入り込む。
 それは先程の、志摩が残した言葉。

『銃と女の誘いに気をつけな』

 あれは、

「玖珂?」
 呼ばれて向くと、そこに千夜はなく。
 いつの間にか、二メートルほど先を行って、振り返り立っていた。
「何をボケッとしているんだ。行くぞ」
「あ、ああ」 

 煮え切らない思考を振り切るように蒼助は千夜を追うように歩き出した。
 






テスト期間ラスト一日を前にして我慢できなくなったので、自分を追い詰めつつも更新です。
最近ふと自分を振り返ると、ここに登録したのって高校一年の夏なんですよね。そんな私ももうすぐ私も受験生。しみじみ時の流れを実感しつつ、文芸部に入りたいと思うこのごろ(関係ねェ
そんで、連載増やすの嫌で書けない鮮血ノ月第二部の序章を書きたいなぁと思いまして。名前だけが本編にちらほら出てたり、中年になっちゃってる方々の二十年前の話です。
ちなみに更新遅れている理由が、そっちに手ェ出してるのが原因だったり。
第二部についてはまた後ほどにして、それでは。











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