[拾六] 血闘
月守学園の学生棟で行われている死闘。
殺伐に荒れ狂うそこから遠くは慣れた場所で、小さな影と大きな影が高層ビルの上に佇んでいた。
大きな影――――ボサボサの白髪を頭に携え普通の人間の平均を二回りほど越えたがっしりとした筋肉質な男は、その厳つい顔に“焦燥”の二文字を貼付けて見据える一点と足下の小さな影の人物を焦れったそうに見移りしていた。
小さな影―――下から来るビルの明かりが無ければ周囲の闇に溶け込んでしまいそうな黒の装いの幼女は、幼い造りの顔立ちの中に不釣り合いな大人びた笑みを湛えたまま巨体の男とは対照的に視線を一点集中させている。
「…………あの……こ、黒蘭様」
「なに、上弦………トイレなら早く行ってらっしゃい」
「違いますっ!!」
見かけからは想像もできないほど丁寧な口調の男は連れのわざととしか思えない発言に野太い声を荒げた。
空気を振るわすほどの大声に片耳を押さえる幼女は、煩わしげに隣の男に視線をずらした。
「少しは落ち着いたら? そこでもじもじされると正直ウザいんだけど」
「うざ………ごほん、落ち着くなど………貴方こそよくそのような悠長にしていられるものですね。あの場所で何が起こっていられるのか、解っているのですかっ」
「解ってるわよ、私を誰だと思ってるの。アレが出て来たから、こうして見てるんじゃない」
「それです、何故傍観に徹しているのですか。先程見たはずだ、あの方があの悪鬼の手に落ちている様を………何故行かないのです、何故行かせてくれないのですか。そもそも、あの悪鬼があのように行動に出る前に始末出来たはず」
「あなたの言う通り、あの“自分が駒になっていることにも気付いていない”馬鹿を消すなんて簡単なことよ………でもね、今回はそういうわけにはいかないの」
黒い少女はそう言って意味深げに微笑する。
白髪の男はその笑みと言葉に怪訝な表情を浮かべた。
反応として表れたその表情に、少女は満足したのか笑みを深くし、一言告げる。
「彼よ。この件には少なからず彼が拘っているわ」
「―――なんとっ、彼奴が、見つかったのですか!?」
頷き、
「あのコの転校先にいたわ。見たところ、“あの男”の方はぐっすり眠って“彼”の方が肉体の主導権を握っているようだけど。他にも収穫はあるわ。《彼ら》のうち四人があの学校にいたのよ」
「それはそれは……やはり、宿命の“縁”というものは侮れませぬな。それにしても………彼奴が」
苦虫噛み潰すような表情を浮かべる男に少女は面白そうに赤く可憐な唇から笑い声を漏らす。
「相変わらず目の敵なのね………花よ蝶よと見守って来た姫を喰っちゃった男は転じても許せないもの?」
「然り」
仕様のない男ねぇ、と少女は溜息混じりに微笑い、再度見据えていた先に視線を戻した。
この場を動く気配のない少女に男は観念しつつも疑問を放つ。
「しかし、何故今回我らは手出ししてはならないのです。その理由に彼奴と何の関係があるのですか?」
「言ったでしょ、“あの男”は眠ったままだって。それじゃぁ、困るのよ………気に喰わないけど、“あの男”も玖珂蒼助というキャストの一人なんだから」
「それはわかっておりますが………それとこれは一体何の関係が……」
「寝坊助のうすらとんかちに起きてもらうのよ。多少荒治療だけど」
「しかしっ………大丈夫なのですか、紛い物とかいえ悪鬼羅刹に堕ちし者………若造が単身で向かって倒せる相手では………」
「それで起きて来ないような寝穢い奴は自業自得でくたばればいいわ」
清々するわ、と言い切る少女に男は呆れかえった。
自分のことを言えないくらい、“あの男”を徹底的に毛嫌いしているくせに。
「しかし、ではその後どうするつもりですか………姫様は……」
「そうなったら」
くっ、と口を歪めて少女は嗤う。
下から差すビルの光にライトアップされたその笑みは今まで貼付けていたものは明らかに違うものだった。
「身の程知らずは私が引き裂いて……咽び泣くくらい可愛がって上げるわ……たっぷり後悔の海に沈ませて……ね」
凄絶な笑みに、男は毛穴から噴き出た冷や汗を静かに伝わせた。
この自分の背筋を凍らせる程の殺気が隣から放出されていた。
男は気を取り直すように、少女と同じ方向を見つめた。
もう間もなくして始まるであろう血闘を思い浮かべ。
◆ ◆ ◆
上る階段はあちこち陥没していた。
あの巨体の重量に耐えきれなかったのか。そうなると周りの壁の皹割れやへこみに説明が付かない。
「欲しかった玩具手に入れてはしゃぐ子供の暴れた後………って感じだな。……おっと」
陥没部分に足を入れそうになり蒼助がよろめく。
興奮し過ぎて玩具まで壊しちゃいないだろうか、という不安に駆られつつもそれを掻き消し更に上る。
踊り場まで来るといつもは外と内側を隔てるドアが見えなかった。
代わりに神崎のあの巨体が悠々と通れる“穴”が出来ていたが。
上りきり、屋上へ出たがここへ逃げたはずの神崎の姿は無い。
「………何とかと煙は高いとこが好きって言うけどよ………まさにその通りだったな」
なぁ、何とか、と振り向き“出入り口の上から”蒼助を見下ろす神崎を仰ぎ見る。
蒼助の挑発じみた口調も弱い犬の吠え声程度にしか聞こえないらしく神崎は鼻で笑った。
「どうして、此処に居る事が気付いた………?妖気は完璧に隠していたんだ、お前みたいに霊力のしょぼい奴はおろかベテランの退魔師だって気付ねぇはずだぜ」
「自惚れんな、タコ。パンピー虐め殺してばっかで本当に強ぇやつと闘ったことねぇ分際で。消せんのは霊力だけだろ?武術家としては喧嘩屋程度でしかないお前は気配まで消せてねぇ。俺は退魔師としては最低だが、こっちの技術は餓鬼の頃から叩き込まれてんだ」
蒼助の嘲笑の言葉に神崎は醜悪な顔を僅かに歪める。
「っ………ふん、まぁいい……下の奴らはどうした?」
「助っ人が来てくれてな、そいつらに任せてる。かなり出来る連中だからもう片付いてんじゃねぇか?」
「それはどうだろうな、あの《屍鬼》の魂は俺の支配下にあるんだ。いくら倒して魂魄に戻っても俺が“力”を注ぎ込めば何度でも再生できる。俺を倒さない限り奴らは何度でも甦るのさ」
そういうことか。
やはり、諸悪の根源である神崎を倒さなければ昶達のところは解決しないようだ。
それにしても、と蒼助は歯噛みする。
癪に障るが、この男の所有する霊力は半端じゃない。
量だけで言うなら氷室を上回る。
「ちっ………ヤバい奴に憑かれやがって」
魔性が人を喰うのは存在するだけで消費する霊力を人間の生気と負のオーラを取り込むことで補充する為。
しかし、いくら補充しようがこれほどまでに膨れ上がるのだろうか。再生と生産の繰り返しを続けることが出来るの神崎を取り込んだ魔性の元来の力が桁違いだからだろう。
(ヤバいのは……見かけだけじゃないみたいだな)
蒼助は神崎の額から聳え立つ歪な突起を見つめた。
通常の魔性にはないものだ。
正体不明の特徴を持つ相手に警戒心を高めつつ、
「てめぇ、終夜はどうした」
「おいおい、人の女の名前を気安く呼ぶんじゃねぇよ……ここにいるさ、ほらよ」
床に横たえていたのか、蒼助の立ち位置からは姿の見えなかった千夜を神崎がその片手を掴み上げこちらに見せた。
足が浮くまで持ち上げられても力なく顔を俯き、だらりとぶら下がっている。
「………何しやがった」
「俺は何もしてない。どうやら、俺の《屍鬼》に瘴気を受けたらしいな。傷口から入り込んだ瘴気に身体が侵されて麻痺しているんだろ……塞いだのか傷は見当たらないが」
魔性が纏う瘴気は人間やその他の生命にとっては毒そのもの。
量によっては身体の自由が利かなくなるだけ済んだり、徐々に内部から器官を穢れに侵され死に至ることもある。
千夜が五階に駆けつける前に突然踞ったのも、吹き飛ばされた後に起き上がらなかったのもそれが原因らしい。
千夜はどちらの状態にあるのかわからないが、いずれにせよ一刻も早く助け出さなければならない事だけは確かな事だ。
しかし、それには神崎が邪魔だ。
「そいつをどうするつもりだ」
「俺の女をどうしようと俺の勝手だ………てめぇには関係ねぇ」
“俺の女”、という表現に蒼助の心が激しく波打つ。
あの食堂の時のように。
「いつからその女はお前の女になったんだ? 妄想は頭の中だけにしとけや」
「そんなもん関係ねぇ………あの時、“アイツ”が言ったんだ………この女は“力”持つ事を許された選ばれた奴のものだと…………この女をものにして俺は絶対唯一の神になる………誰も俺に逆らえねぇ、馬鹿に出来ねぇ…………この女がいれば俺は無敵だ…………かかか……ぐはははははは」
馬鹿が何か言っている。
理解出来ない言葉を並べながら高笑いする様はまるで王者を気取っているようだ。
蒼助はそれを冷めた目で見つめる。
そして、一頻り笑うと真顔に戻り眼球が飛び出んばかりに両目を見開く。
「その前にお前を殺してやる。あの時、俺に与えた屈辱を今此処で晴らしてやる!……氷室の間抜けみたいになぁっ!!」
掲げた手の上で“力”が発生する。そこで出現した球体状の妖力の塊は一点集中して更に注ぎ込まれ大きく膨張して行き、巨大なエネルギー球体へと変化を遂げる。
膨れ上がった力はバチバチッ、と帯電までしている。
「死ねぇぇぇぇっ!!」
絶叫と共に神崎の頭上に顕現していた巨大な魔力塊が蒼助に投げつけられる。
回避しても余波で衝撃波を叩き付けられ、当れば即死する威力は見れば解る事だった。
どちらを取っても無傷では済まない敵意の込もった攻撃が襲いかかろうとしているのに蒼助はその場から動こうとしない。
向かって来る自らを滅ぼすであろうそれを見て蒼助は思う。
もう、いいだろう、と。
◆ ◆ ◆
「おい、土御門の。生きてるか?」
「……………外では氷室と、呼べ……」
「反撃出来るぐらいなら元気らしいな……」
飛びかかって来る一体をカウンターで吹っ飛ばしながら昶は渚の膝元で横たわる氷室に問う。
「行かせて良かったと思うか? アイツを」
「何故そう思う…………?」
「俺はアイツが退魔師として闘う様を見た事が無い。だから、今のところ霊力だけで退魔師としての程度を測っている」
「………貴様から見たそれは…………どうなん、だ」
「――――――最低だ」
氷室はそれに反論を返さない。
その最悪の欠点を本人の前で罵倒したのだから、とうにそれは熟知していた。
昶も出会った時にそれを察した。
玖珂。剣神《須佐之男命》を奉り加護を授かる《武道系統》の中でも屈指の名高き一族。
その名の下に生まれた蒼助の霊力は地を這うほど貧弱なもので、落ちこぼれの称号に相応しいものだった。
退魔師は霊力を扱うことで魔の調伏を可能とする存在なのに、それがない蒼助は退魔師としては生きれないと誰もが思っていた。
しかし、周りの声にも拘らず蒼助は自身の人生の中で最も不適切な道を選んだ。
「それにはウチも同意見や。アイツ、あないにショボイ霊力でよぉ退魔師なれたな。ましてや、降魔庁勤めなんて……正直その話聴いた時は信じられへんかったわ」
昶という境界線を越えて来た一体の眉間に矢を放つ七海が言った。
当主の資格を持たない者たちにとって己の力を退魔師として生かす場所とされる降魔庁であっても、そこに所属するにはそれ相応の実力が必要でとされる。
七海は最初、落ちこぼれとしてある意味名を馳せるその玖珂家の長男が降魔庁の総統にスカウトされたと聴いた時、自分の耳を疑った程だった。おそらく、七海だけではなくこの業界の誰もが。
「確かにね……俺達もチームを組む三人があの落ちこぼれかって聴いた時は………総統の正気を疑ったよ、本当。マサもそれで喧嘩吹っ掛けてさ………それが二人の犬猿関係始動」
身の程知らず、と思った。
変な意地とプライドの為に相応しくない世界に来るなどなんて愚かな。
こんな足手まといと組む羽目になるは、と。
「でもね………彼は僕らの予想を大きく裏切ったんだ。初めての任務で……ね」
降魔庁に所属して与えられた初任務。
氷室は後衛、渚と蒼助が前衛。
蒼助は戦力にならないと決め込んで、手を出す暇がないようにと俊敏に事を終えようとした。
「まぁ、その頃世間知らずで実戦と稽古の違いってのはわかってなくてね。ちょっと無理して痛い一撃を喰らっちゃってさ。やられちゃうのかなって思った時、窮地を救ったのが蒼助くんだったんだ。驚いたなぁ……」
何も出来るはずが無いと思っていた人間に助けられるとは思わなかったから。
「何より驚いたのは………彼が見せた不思議な力だったよ」
「不思議な力? なけなしの霊力で何か……」
「違う」
昶の言葉を渚の膝元から氷室が遮る。
「誰よりも霊力が低く、退魔師としては最低の存在だったあの男は………逆に、誰にも真似出来ない、得る事の出来ない唯一にして、最強の異能を持ち合わせていた」
「………異能?」
風を纏った掌底を異形の頭に撃ち込んで吹き飛ばす昶は怪訝な表情を浮かべた。
氷室は血の気を失った顔を苦痛に歪めつつも、記憶にある光景を語った。
「あの時、アイツは…………―――――」
◆ ◆ ◆
「なん……だ、と……っ」
馬鹿な、有り得ない、とうわ言のように目を見開きながら神崎は繰り返し呟く。
向かい来る攻撃に蒼助は横一閃の体勢をとったのだ。それを見た時、神崎は追い詰められて気がふれたのかと考えた。
ついに目の前にそれが迫った時、蒼助は驚愕の瞬間を神崎に与えた。
蒼助に真っ直ぐ向かって行った自身の魔力の塊。肉片一つ残さず消し去ってやろうと放った渾身の一撃。結界によって防壁を創るか、それ相応の力をぶつけて相殺する以外助かる道はない。
霊力の低さ故にどちらの術も持たない蒼助では助かる方法など皆無のはず。
その絶対の自信に背負った魔力塊を蒼助は振るった刀の一閃によって“真っ二つ”に断ったのだ。
残り火のように消えてしまったそれの後に残っているのは有り得ない事をやってのけた無傷の蒼助と損害ゼロのその周辺。
想定に無い光景に狼狽する神崎は先程までの余裕は何処へ行ったのか、壊れたラジオのように滑舌悪く喚いた。
「く、玖珂ぁっ!……て、てめぇ、……今……何をしやがった!?」
煩く囀る神崎の声には反応せず、首をゴキゴキッと鳴らし捻る蒼助。
無視された事に苛立ち神崎は更に声を荒げた。
「この野郎、何とか言いやが………」
途中で神崎は言葉を噤んだ。
蒼助が放つ先程まではなかった殺気に満ちた雰囲気に呑まされたからだ。
続きを紡げずにいる神崎に蒼助は太刀を肩に担ぎ、
「………言いたい事はそれだけか?」
静かに、そして威圧的に呟き、
「勝手に恨んで、勝手にリベンジしようとして、勝手に暴走しやがって。はっ……覚えてなくて当然だわな、オレ。こんなくだらねぇクソ蛙がどうなろうと関係ねぇもんなぁ。てめぇがどんな目に遭ったかなんか俺は知らねぇよ、知ろうとも思わねぇ。勝手に死んで、勝手に地獄に堕ちろ。今まで好き勝手やらかして生きて来たんだから最期くらい人の迷惑にならねぇようにおっ死んじまえ。かぁー、すっきりした! お前が長い事喚いている間、ストレス溜まりに溜まってて息苦しかったぜ………なぁ、もう終わりにしてもいいよな? いい加減お前の不細工面には嫌気が指して来た頃だ。つーか、終わらせるよ、お前の意思なんか関係ねぇし」
それとよ、と刀を持ち直しながら付け足す。
「その女は返してもらうぜ」
口端をつり上げ犬歯を剥き出しにし、蒼助は凶悪な笑顔を神崎に向けた。
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