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花の歌、剣の帰還 作者:天谷あきの

第六章 エスメラルダ

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エスメラルダ(10)

      *

 マスタードラから状況を聞き終えても、迫って来ているはずの、賊の気配は感じられなかった。シルヴィアならもっと詳しく話してくれるだろうにと舞は思った。もし夕闇が迫っていなかったら、シルヴィアについてきてもらっただろう。この先がどうなっているのか見てきてもらえたら、すごく助かるのに。

 ヘスを持ってきてふくろうか何かを捕まえて乗り移れば偵察できるのだろうか――
 そんな考えが頭をかすめ、舞はそれを吟味した。そして放棄した。捕まえる間に進んだ方が早い。ヘスを取りに戻る時間も惜しい。

「ずいぶん静かだな」

 隣に並んだデクターが言った。マスタードラも頷いた。

「変な静けさでもない。賊は諦めたのか――」
「何の事情があって?」
「さて。そもそもあの賊達がどこにどうやって潜んでいたのかもわかってない。今朝の報告じゃ森の中は平穏そのものだった。そうでなきゃ出かけるものか」

 マスタードラはひどく苦い声で言った。こんな事態になったことを、つくづく悔やんでいるようだった。舞は口を出した。

「今朝は、ロイドは?」
「報告は出ている。通信係に確かめなきゃならないが、何か変わった点があれば報告があったはずだ」
「報告、ってのは、どういう仕組みになってるのかな」

 デクターの問いに、マスタードラは答えた。

「朝と夕方に、北の森の見張りから報告を出させる。通信兵が聞いて回る。見張りは五ヶ所だ、温泉も含めてだが」
「そんなにあるんだ」
「朝何の異状も無かったのに、どうやって百人もの賊を忍び込ませたのか。どこから。不思議でたまらない。雪山を越えてきたのか、この季節に……だがそれでも――」
「……待て」

 デリクが声を潜めた。全員の馬を止め、目を細め、耳を澄ませた。

「橋まであとどれくらいだ」
「今までの早さで五分ってところか」
「斥候か。誰か潜んでいやがる。あっちは大勢だ。今止まってるから動き出すまでに時間がかかる。こっから全速力だ。いいか、橋まで行ってグウェリンを見つけたら、王子の護衛、あんたの馬に乗せろ。そのまま周囲を固めて戻る。姫、そんときゃあんたが先頭だぜ、エスメラルダの神官兵達に間違いで攻撃されちゃたまらねえからな。デクター、必要ならこの辺の森全部焼け。神官兵達にも少しは働いてもらわねえとな」
「了解」
「――行くぞ!」

 全ての馬が全速力で走りだした。前方に潜んでいた誰かが道に飛び出し、奥に向かって走りだしたのが分かる。やはり草原の馬のようだった。みるみる距離が開く。

 辺りはすっかり暗くなっていた。舞は馬の動きに身を委ねた。馬の方が道に詳しい。道沿いに並んだ木々が黒々とした陰となり、後ろに流れて行く。彼女は何も考えないようにしていた。ただ胸がざわざわしていた。何か黒々とした恐ろしい圧力が後ろにあって、それから必死で逃れるかのように馬を走らせた。馬に乗っていて本当に良かった、頭のどこかで考えた。もし自分の足で走っていたら、今頃絶対動けない。不安に押し潰されて立ちすくむしかできないだろう。怖くて、怖くて、怖くて。アルガスが死んでいたらどうしよう、もう二度と会えなかったら、あの声を二度と聞けなかったら、どうしよう。そう思うのが本当に、怖くて。

 怖くて怖くてたまらない。
 どうしてこんなに怖いんだろう。
 どうしてこんなに怖がらなくちゃいけないんだろう――

 デリクと、五人の用心棒が先頭で、舞、続いてマスタードラとデクターが並び、残りの用心棒たちはしんがりにいる。その順番を保ったまま森を一時抜けると、先程潜んでいた斥候が橋を渡って行くのが見えた。銀月が上がり始めていた。青の月は既に天頂近くにあり、辺りはかなり明るかった。橋の向こうに大勢の人間がいて、静かに動いているものもいたが、大半はじっとたたずんでこちらを見ていた。橋のあちら側にこんもりとした山ができていた。倒れた馬の、屍のようだった。人間の体が含まれているかどうかは分からない。

「――!!」

 前方で誰かが怒鳴った。朗々とした声だったが、全く聞き覚えのない言葉で、何を言っているのか分からない。デリクは無視したが、背後でデクターが怒鳴った。

「止まれ! 止まれって! 止まれって言ってるぞ!」
「わかんのかよ!?」

 デリクが振り返り、速度を落とした。用心棒たちもやや速度を落とした。前方で再びあの声が怒鳴った。今度はだいぶ長かった。
 デクターは聞き終え、通訳した。

「止まれ、危害を加える気はない、勇士は返す、謝罪を聞け」
「謝罪だと?」
「いいから、まず止まろう。あんな人数じゃガスを捜すどころじゃない」

 デクターが前に出た。舞も続いた。マスタードラもだ。用心棒たちは三人を囲むように展開して、橋の手前で全員止まった。デクターが怒鳴った。

「止まったぞ! 話を聞こう!」
「おい、普通の言葉で――」
「――!」

 デクターは普通の、普段使っている言葉で怒鳴ったのに、相手には通じたようだった。デクターは言った。

「馬から降りて渡ってこいって」
「謝罪とか言う割に態度でかいな、おい」
「姫はここで待ってろ」

 マスタードラが言ったが舞は無視した。返す、と言ったからには、生きているのではないかと、少し希望が湧いた。橋を歩きだすと、マスタードラはくそ、と毒づいたが、それ以上は止めなかった。せめてもと言いたげに、割り込むように前に出た。

 橋の中央まで来ると、向こうから、男がひとり、出てきた。馬の屍を乗り越えて、単身こちらへやってくる。月の光に照らされて、その男の表情がよく見えた。黒々とした頭髪だが、顔立ちは、アナカルシス周辺ではあまり見かけないものだ。男はまずマスタードラを見、それからデクターを見、最後に舞に視線を移した。その目が見開かれたようだった。女がいることに驚いたのだろうか。

 男は何か言った。デクターが答えた。

「そうだ。迎えに来た。生きてるんだろうな」
「――」
「……」デクターは息をついた。「生きてるってさ。かろうじて」
「……そっか」

 舞は呟き、全身から力が抜けそうになった。男がまた何か言った。その言葉は長く、しばらく続いた。
 デクターは聞き終えて、通訳した。

「釈明をしたいが、今はとりあえずガスを返すって。ガスと言葉が通じなかったこともあり、血気盛んな一族の者を止めるのが遅くなり、誠に申し訳なかったと言ってる。それから見張りと小屋にいた者、全員無事だ、明日返すって。明日、釈明に来るそうだよ」
「なんでお前だけ話がわかるんだろうな」

 マスタードラが呟き、デクターはさてね、と言った。舞はその会話を聞きながら、食い入るように男の背後を見ていた。橋の向こうで数人が動いていた。彼らは何か重いものを乗せた、板を、呼吸を合わせて持ち上げた。言葉がわからないが、せーの、と言ったに違いない。六人の男によって、板がゆっくり運ばれてくる。馬の屍を乗り越えてこちらへやってくる。その上にアルガスが乗っている。横向きに寝かされ、意識がないようだ。ぴくりとも動かない。いつも持っていた剣も見えない。血の匂いがした。舞は駆け寄りたくなる衝動をこらえた。辛うじて。

 男が再び何か言った。

「――」
「鬼のように強かった、こちらもずいぶん被害を被った、それに免じて許して欲しい、一度手合わせを願いたいものだ、だってさ」

 デクターが呆れたように言い、マスタードラが息を吐いた。板が男の後ろで止まり、男は振り返って身を引いた。板が進む。三人の前に静かに下ろされて、運んできた男たちが離れて下がった。

「……ガス」
「おい、運ぶぞ! そっとだ!」

 デリクが言って舞を押しのけ、用心棒たちがアルガスに駆け寄った。誰の手によってか、既に血止めはなされているようだったが、月光のせいか頬が青白く、本当に生きているのかどうか自信が持てなかった。デリクがもう一人と一緒に担ぎ上げて目の前を通り過ぎる寸前、舞は手を出してアルガスの左手に触れた。それは確かに暖かく、舞はわななくような息を吐いた。手の甲に割れ目のようなものが見えたが、確認する前に通り過ぎた。

「……生きてた」

 呟くとデクターが頷いた。

「まったくしぶといよね」
「――」

 少し近づいてきていた男が声をかけたのは聞こえたが、舞はまだアルガスの方を見ていた。馬に押し上げられ、デリクがその後ろによじ登った。

「行くぞ、早いとこ医師に診せた方が」
「行っててくれ」とデクターが言った。「この人が姫に話があるんだってさ」
「なんでだよ」
「マスタードラと僕がついてるってニーナに伝えてくれ。とにかくあなたは一刻も早くガスを、できればガルテに診せてくれ」
「……わかったよ」

 デリクは言い、舞に頷き、二騎だけ来い、と言って馬を進めた。あまり速くては振動がよくないと思ったのか、やや早足という程度だった。アルガスが遠ざかったので、舞はようやく視線をふりほどいて男を見ることができた。男はじっと舞を見ていた。無骨だが、なかなか整った顔立ちの、強い意志と威厳を感じさせる男だった。

 男は舞の前で左腕を胸に引き寄せ、軽く膝を折るような仕草をした。
 舞は瞬いた。アナカルディアで別れる寸前に、フィガスタが見せたのと似た動きだった。

「――」
「名前はガルシアだ、あの者たちの長だ、あなたの名前をうかがいたい」

 デクターの通訳に、舞は頷いて、膝を軽く折った。

「私は舞。エスティエルティナ=ラ・マイ=ルファ・ルダ。あの人を助けてくれてありがとう」
「――」
「詳しい話は明日、改めて伺った際にでも。でも今どうしてもあなたに聞きたいことがある」
「何でしょう」
「――」ガルシアは舞を見て、真剣な顔をした。「ゲーム。ゴール。がっこう」

 ずくん、と心臓がはねた。デクターが首をかしげた。

「何だ、それ。姫、げーむとかごーるとかがっこうとか、そういう言葉を知ってるかって」
「知ってる」
「知って――え!? 知ってるのか!?」
「知ってる」舞はデクターを見上げ、それから、ガルシアに視線を移した。「知ってます。でもなぜあなたがそれを」

 ガルシアは舞を見、デクターの通訳を待ち、それから破顔した。出し抜けに手を伸ばして舞の両手をつかもうとした、だがそれは寸前で止めた。マスタードラが剣を抜きかけ、デクターが右手をガルシアの前に突き出し、舞の背後に並ぶ用心棒たちがいっせいに殺気をはらんだからだ。ガルシアは瞬きをして両手を上げてみせ、苦笑した。そして言った。デクターがまだ右手を突き出したまま聞き終えて、伝えてくれた。

「……さっぱりわけがわからない。でも喜んでる。あなたのような人があちらにいるのなら、やはりあの男が言っていたような相手ではないのは明らかだ。あの勇士を殺さなくて本当によかった。明日伺う、楽しみにしている、あなたにぜひ同席してほしい、会わせたい人がいる。……どういうこと、姫?」
「さっぱりわからない」
「――」

 ガルシアは最後に、上げたままの手をわきわきと動かした。そして再び苦笑して、諦め、下がって、身振りで促した。

「道中気をつけて戻れってさ。帰っていいらしいよ。行こう」

 何だ、それは。
 舞はガルシアを見上げたが、ガルシアはにこにこして手を振るだけだ。手を振るという仕草の意味は同じなのだろうか。疑問は残ったが、マスタードラが舞を促し、舞はガルシアに頭を下げて、橋を戻った。




 馬に乗ってしばらく走るうちに、少しずつ、安堵と不安がない交ぜになって心臓を押し包んだ。

 生きていた。――かろうじて。

 大丈夫だろうか。本当に大丈夫だろうか。今更足が竦みそうだった。マスタードラが先頭に立ち、デクターは隣に並んでいた。用心棒の残りは後ろを警戒しつつついてきてくれている。デクターが舞の様子をうかがっているのに気づいていたが、反応できない。苦しくて。呼吸の仕方も忘れてしまったみたいだ。二度と肺の奥底まで空気が届くことがないんじゃないかという気がする。

「大丈夫だよ」

 デクターが馬を寄せ、囁いてきた。

「生きてたんだ。今更死にゃしないよ。殺したって死なないよ、あいつは本当に頑丈だから」
「……そうだね」

 声はかすれて我ながら弱々しかった。急に、叫びだしたい衝動に駆られた。叫んで圧力を抜かないと、心臓がつぶれてしまいそうだ。デクターがさらに馬を寄せ、よいしょ、とばかりに舞の後ろに乗り移ってきた。舞は驚いたが、デクターが体勢を崩したので、あわててその手を支えた。

「何、やって」
「いやいやどうぞお構いなく」

 デクターは舞の後ろにきちんと座り直して、両手を舞の体の両脇から前に出して手綱を握った。デクターの乗っていた馬はそのまま隣を進んでいる。デクターの体が舞の背に密着して、しっかりと支えた。デクターの体はとても暖かかった。彼は舞の肩の上から顔を出し、耳元に囁いた。

「君の方が死にそうな顔してる」
「……」
「馬から落ちるんじゃないかと思ってさ。ニーナが心配するよ。集落に戻るまでにどうにかした方がいい」
「……ごめん」

 舞は呻いて手綱を放し、両手を胸の前で握りしめた。死にゃしないよ、と言うデクターの声が脳に響いた。大丈夫、死にゃしない。大丈夫。殺したって死なない。頑丈だから。

「なんかもう……心臓に悪い」
「目を覚ましたら罵倒してやるといいよ」

 デクターの声は、ひどく優しかった。舞は微笑んだ。

「……そうする」

 よし、いろいろと言ってやろう。目を覚ましたら。舞は言ってやることを考えて気持ちを紛らわせようとしたが、言葉など、ひとつも浮かんでこなかった。
ガルシアとその一族および「ゲーム、ゴール、学校」については、拙作「いつか夏が来る日まで」にあります。お題を使った企画小説なのとリメイクが間に合わないのとで、「小説家になろう」さんに掲載の予定はありませんが、サイト跡地に載せましたので良かったら。
http://akitaro.moo.jp/hokanko/loser/loser00.htm
※読まなくても別に支障はないです
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